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前編:「流れ星」


「……流れ星……」


 あるところに一人の少女が居ました。

 少女はたいへん見窄らしい姿をしていました。何故なら少女はここ最近になって両親を亡くし、頼れる親族すら居ない天涯孤独の身だったからです。


 ―――少女が住む国は戦争をしていました。そしてそれは敗戦という形で幕を下ろしていました。

 その影響によって少女は家族を失い、一人無惨にも生き延びることとなってしまったのです。


 碌に手入れされていない金髪は薄汚れ黒茶に染まり、水浴びすら満足にしていない体は垢だらけ。そんな身の上から草臥れたボロ同然の衣服をまとい、少女は覚束ない足取りで薄暗い街の隅を歩きます。


「……お腹……空いた……」


 3ヶ月。少女が戦災孤児となって町を彷徨うようになった期間です。少女は様々な方法で食いつないできたがそれも限界に近付いていました。


「……痛い……」


 少女はズキズキと鈍い痛みが残る体を撫でながら当てもなく彷徨う。その痛みは、料理店の残飯を漁っている時に店員に見つかり蹴り飛ばされたことで負った傷が原因。小汚い子供が生ゴミを漁っているのは店の景観を損なうという理由でした。


「……また……流れ星……」


 少女は真昼の空を見上げながらそう呟きます。


(流れ星は……誰かが星になって、消えていく時に見える物……)


 放浪当初に有った金子(きんす)も既に底を着き、少女は自分が流れ星になるのも時間の問題と思っていました。


「―――……?」


 そんな時、それが目に入ったのは偶然でした。

 少女は痩せ細った体を塀に寄り掛からせながら目に入ったそれをしっかりと見ます。


「……ぼしゅう……はたらく……」


 少女の目に入ったのは壁に貼られたポスターでした。

 ポスターには『働き手募集』といった意味の言葉が書き連ねられています。


「…………」


 もちろん少女はこれまで働いた経験など皆無でした。それでも働けば対価を得られるというのは知っています。

 素寒貧の少女はそれに一縷の望みをかけることにしました。


「……お金……お金。……ごはん……」


 少女はポスターに描かれていた地図をなんとか頭に入れると、フラフラと頼りない足取りで目的の場所へ歩いて行きました。




 ◆◆◆




 少女は職にありつけた。


「……マッチ。……マッチは要りませんか」


 少女が道端で通行人に声を掛けて売ろうとしているのはマッチでした。少女の小さな手の平に乗るぐらいの小箱に詰められたマッチ。それが手提げの籠に幾つも入っています。


「マッチ。……火のつくマッチ……要りませんか」


 少女はマッチを売ろうと声を掛けますが、これが中々売れません。

 大体が無視。ある者は迷惑そうに。ある者は近付くなと怒ってくる。……そして時偶に憐れそうな顔をして買っていく者が居る程度。


 そうして売れてもマッチ一箱の金額などたかが知れています。雀の涙です。たくさん売らないとまとまったお金になりません。

 少女はひゅうっと吹く寒風に体を震わすと手をさすり合わせ、はぁーと息を掛けます。


「……寒い……」


 国柄で夏は涼しく冬は暖かい……が、それは他国と比較すればの話し。冬になれば寒いものは寒い。

 少女は聖誕祭(クリスマス)がもう一月も経たずにやってくることに気が付きます。


「…………」


 しかし気付いたからといって状況が変わるわけではありません。


 既にその夜を共に過ごす家族は全員失われているのですから。


「……マッチ。……マッチは要りませんか。……マッチ……―――」


 寒空の下。少女は町の片隅でマッチを売る。その日その日を食いつなぐ為に。

 心を凍らせて、少女は町を彷徨います。


 ―――日に日に、流れ星を見る回数が増えてきた。




 ◆◆◆




 ある日のこと。少女は公園の片隅で一人過ごしていました。明朝で少女以外に周囲には人っ子一人居ません。

 そんな静かな公園、そこにある池の側で腰を下ろし何をするでもなく水面を眺める少女。その水面に映るのは頬が痩けて隈が濃い自分の顔。薄汚れた身なりと相まってそれは正に墓地から這い出てきた幽鬼でした。


「……おとうさん……おかあさん。……おばあちゃん……」


 少女は居ない人の名を呟く。呼んでも来る筈が無いのは自身が何より理解しているが口に出さずにはいられなかった。


「……このまま、おやすみしたら……会えるかなぁ……」


 少女は水面に映る死人のような自分の姿を見ながら、ほとほと疲れ果てたように言います。

 深い眠りにつけば家族に会える。少女は起きながらそんな夢を見るようになっていました。


 この妖精が息づく国で、少女は遠い空へ羽ばたきたいと願っていました。


 ―――グァッグァッ! グァッ!―――


 そんな時でした。少女の耳にそんな鳴き声が聞こえてきたのは。


「……アヒル?」


 水辺の近くでアヒルが騒ぎ立てる音が聞こえ、少女は視線を巡らせます。


 そうして見付けるアヒルの群れ。

 アヒルは落ち着きの無い様子でグアグアと鳴いています。


「……なにか、あるの?」


 アヒルの群れ。その注意が全て中心に在る“なにか”に向けられていることに気付いた少女は、これまで失っていた好奇心に手を引かれるようにしてフラフラとその場所へ近付いて行きます。


 ―――グァッグァッ! グァッ!―――


 少女が傍まで寄ってもアヒルの群れは“なにか”へ鳴き続けます。


「…………」


 そこまで来て少女は言い知れぬ悪寒を感じ始めてきます。

 もしかして……そこにはとても怖ろしい物が在るのではないか?

 そう思ってアヒルの群れを見れば、その騒ぎが恐怖から来ている物であると窺えました。


「…………」


 でも少女は確かめることに決めました。


 ―――怖ろしいから何だと言うのか。


 自分の姿を見て幽鬼だと思った少女は、半ば自暴自棄のような心境でその場所へ足を踏み入れました。失う物など今の自分には無い、そう思っているが故の行動でした。


「……? ―――っ!?」


 ですが、そこに在った“なにか”は少女の想像を絶していました。―――グァッグァッ! グァッ!―――そんなアヒルの鳴き声が遠く感じます。

 少女は驚きながらもその“なにか”を見詰めます。そして動揺によりかすれてしまった言葉をもらします。


「……ぁ、なに……これ……」


 少女が見た“なにか”。それは―――


 “頭の無い雛”でした


「――――――」


 驚くべきことに、その頭の無い雛は生きていました。

 周囲をアヒルが取り囲む中で、その雛はゆらゆらと立って動いていました。


「……どうして……」


 戸惑い、答えを求めても、誰も応えてくれない。

 少女一人。他には誰も居ないのですから。


「……あのヒナ……」


 そうして佇んでいると少女は気付きます。


「いじめられてる?」


 頭の無い雛は周囲のアヒルから突き放されていました。一羽たりともその雛に近寄ろうとしません。フラフラとその雛が近付くと鳴き声を更に大きくして遠ざけようとするのです。……アヒルの世界に苛めが有るかどうかなど知る由もありませんが、少女にはそれが苛めに見えました。


「…………」


 孤独。

 少女は頭の無い雛がそれであると思った。


 ―――そう思った時には、少女は飛び出していた。


「……初めまして……ヒナちゃん?」

「――――――」


 少女は頭の無い雛をその手で抱え上げます。そして挨拶をしました。


「あなた。周りにこんなに仲間が居るのに……ひとりぼっちなのね」


 私と一緒。

 少女は頭の無い雛へそう言います。


「……あれ? ドキドキしてない。……頭だけじゃなくて心臓も無いのね。だからこんなに冷たい」


 少女は手に触れて初めて、その雛から心臓の拍動が存在しないこととその身の冷たさに気付きました。


 頭と心臓が無い雛鳥。

 仲間から怯えられ排斥される。“醜い”を通り越して“悍ましい”アヒルの子。

 普通の者なら気味の悪さに遠ざけようとする異物。


 そんな雛鳥を少女は―――


「あなた。私と一緒にくる?」


 気に入りました。


「みにくい者同士、ぴったりだと思うの。そうでしょ?」

「――――――」


 少女の声に雛鳥は身をよじるばかり。頭が無いので耳も無い。だから聞こえているのかどうかもわからない。

 それでも少女はこの雛が自分を拒絶してはいないと考えました。お皿のようにした手の平の中にすっぽりと収まったのですから。


「決まり。あなたと私、今日からお友達」

「――――――」


 雛鳥は頭の無い首をくりんと振りました。まるで頷くように。

 少女は手の平に乗せた雛鳥を胸に抱く。自らの体温を分け与えるように。


 久しく。とても久しく……少女はひとりではない温もりを思い出しました。


 ―――その日。少女は一度も流れ星を見ませんでした。




 ◆◆◆




 何処かの裏路地。人通りなど皆無に近い場所。

 そこを利用しているのは一人の少女……そして一羽の奇妙な雛鳥。

 みなしごである少女はその一角を憩いの場とし、同時に友達であるこの雛鳥の隠し場所にしていた。


 少女はマッチ売りであり。雛鳥は頭と心臓の無い怪鳥であった。


「ヒナちゃん。今日はマッチが半分も売れたのよ。すごいでしょ?」

「――――――」

「それでね、いつもは煤けたパンだけど、今日はきれいなパンを買ったの」


 少女は以前よりも幾分かマシな格好で頭の無い雛鳥とお喋りしています。この雛鳥と行動を共にし始めて水浴びをする習慣が出来たからです。

 服はボロのままですが今の少女は幽鬼ではなく、きちんとした一人の人でした。


「相変わらずヒナちゃんは何も食べないね。頭と心臓が無いのと関係有る?」

「――――――」

「でも前より大きくなってるから大丈夫……かな? 暖かくなったし……」


 通行人の邪魔にならぬよう路地裏に座り込んでパンを囓る少女。その膝を立てた隙間をトンネルのように潜って遊ぶ雛鳥。最初の内は軽々と潜っていたのにほんの数日で体が引っ掛かることが多くなっていた。


「……というか、ヒナちゃんって……」


 少女は一端口にしていたパンを置くと代わりに雛を抱え上げます。雛鳥はその手に身を任せ、暴れることもなくおとなしい姿を見せます。そうして上から下まで確認した少女は一つ頷いてから言います。


「アヒルじゃないよね」

「――――――」

「だって体の形、アヒルの子供と全然違うもの」


 アヒルの子はアヒルではありませんでした。

 拾ったばかりの頃は気にしてもいませんでしたが、今は少しだけ心にゆとりが出来たのでそこに気が付いたのです。

 他のアヒルの雛と比べ、この頭と心臓の無い雛鳥は首と脚が長く毛色が暗かった。……そして何よりもその体は全体的に大きかった。


「どこかの鳥が巣を間違えて産んだのかな」


 だから少女は雛鳥にそう言いましたが……雛鳥は素知らぬ様子を見せるばかり。ぷらぷらと足を動かすだけでした。


「……ま、いいか。元気ならそれで。……うん、パン美味し」


 少女はすっかり暖かくなった雛鳥を下ろすと再びパンを食べ始めます。以前までなら味気なかったそれが今では美味しく感じられます。


 ―――そんな風に穏やかな暇を過ごしていた時でした。


「……ッ……!」


 少女は顔を真っ青にしてお腹を押さえます。

 蹲り、その手から食べかけのパンがこぼれ落ちて転がる。


「……ぃ……っ……」


 少女は額に脂汗を浮かべ苦しげな声を食いしばった歯からもらします。


「――――――」


 突如として苦しみだした少女。その様子に雛鳥はまるで心配するように寄り添います。


「……はっ……はっ、……ぜっ……、……ッ!? おげぇええっ、ごぇっ!?……べ、へッ……。……ヒュー……ヒュー……」


 食べた物もそれ以外もひっくり返すように少女は嘔吐する。


 しばらくの間少女は苦しみ悶えていましたが、次第にその容態は安定してきました。

 荒い息を吐いていた少女は顔を上げます。「ぺっ」と汚れた口内を濯ぐように唾を吐くと、汗に濡れて張り付く前髪を少女は指で払います。


「――――――」

「……大丈夫。大丈夫だから。……ちょっとお腹が痛くなっただけだから」


 雛鳥は頭の無い首を少女の体へ擦り寄せます。慰めるように、与えられた温もりを返すように。少女はそんな雛鳥の体を優しく撫でてあげます。


「……心配してくれてありがとう。……でも……そろそろ行かなくちゃ……」


 少女は転がっていたお蔭で運良く吐瀉物で汚れることがなかったパンを拾うとそのまま口に放り込んで食べきる。そしてマッチが入ってある籠を手にすると立ち上がり、街の通りへと足を向けます。


「……ねぇ、ヒナちゃん。今晩から明日の日没までクリスマスなんだよ。クリスマスって知ってる? 暖かい家で、家族と一緒に、美味しい物を食べる日なの。……それでね、私達を救ってくれる主の誕生を……祝うの……。……はは……」


 少女は乾いた笑いをもらすと足元に居る雛を見下ろします。


 陽の光が雲で遮られ路地裏に濃い影が落ちる。




「救いなんて無かった」




 その所為で少女がどんな顔をしているのか見ることは出来ません。……ただその目だけは曇った硝子のように虚ろに輝いていました。


「じゃあねヒナちゃん。ちゃんと隠れててね。もし悪い人に見つかったら攫われちゃうから」


 路地裏に背を向ける。その際に影が掛かっていた顔が僅かに照らされる。


「クリスマス。一緒に過ごそうね」


 少女は笑う。

 綺麗な笑顔。


 ―――雪のような笑顔だった。


「――――――」


 遠ざかり、街へと姿を消していく少女。その背を雛鳥は見送る。


 雪が。白い雪が。

 肌を刺すように冷たいのに、おもさの無い雪が。


 降る。


 聖誕祭が、白く、真っ白に染め上げられる。


 ―――小さな星が……落ちそうに瞬きました。

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