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神隠し

寿命は、自分では決められない。

 己で命を絶つ時すら、周囲や世の流れに押されてのものが多い。

 その上、死期は突然やって来るものだ。

 それならば、それに怯えて生きるよりも、その時その時を精一杯生きる。

 時が止まり、その大体の死期が図れなくなってしまった蓮は、そうやって戦の世を乗り切り今も生きていた。

 五十年ほど前に知り合った若者は、ようやく自分と同じくらいの年齢になった位の、幼い子供だったが、何もかも諦めた目をしていた。

 いつ死が自分を襲うかより、その死を受け入れなければならない周りの気持ちばかりを心配し、その為だけに、感情を殺し続けていた若者に、蓮は一つだけ約束させた。

「この国の人間は、大体六十で、寿命が尽きる」

「ふうん」

 気のない返事に、傍で聞いていた男が、相手に掴みかかろうとしたが、蓮はそれを制して続けた。

「恐らくは、他の国もその位じゃねえかと思う。それより長く生きろとは、言わねえよ。せめて、その年齢に近い年までは、どんなに見苦しくても生きてみろよ。どんな足掻き方でもいい。六十に近い年齢までは、絶対に死なねえと、ここで約束して行け」

「はあ? 何で、私が、そんなことを?」

 案の定、呆れた声で返す若者に、蓮は、わざとらしくため息を吐いて見せた。

「お前な、オレだってこんな約束させたくねえぞ。どう考えたって、お前よりも小さい子供が、病やそれこそ貧しさの上で、命を落としてるのを知ってるからな。もう大人の年のお前が、この後すぐに死のうが、長生きしようが関係ねえし」

「だったら、何でそんな、馬鹿らしい話を持ちかけるんだよ?」

「このままじゃあ、こいつの気が済まねえだろうがっ。その後始末が、オレの方に、全部かかっちまうのは、御免なんだよっ」

 心なし小声の訴えに、若者はちらりと、男の顔を伺う。

 その眉が顰められるのを見ながら、蓮は更に小声で言う。

「撥ね退けて行ったら、後が厄介だぜ。海を泳いで、お前らの後を、追うかもしれねえ」

「ま、まさか。そこまで、出来るはずが……」

「ああ。お前の元に辿り着けずに、でかい陸地を迷いさまようのが関の山、だろうな」

 重々しく頷く蓮を、若者はじっとりと睨む。

「それを止めないし、もしそうなっても助けに海を渡る気、ないんだね、あんたは」

「当たりめえだ。オレの非じゃねえのに、何で、そこまで面倒見なきゃならねえんだよ」

「……」

「嘘でも何でもいい。あいつを安心させて、この国から出て行け。どうせ、もう二度と会えねえのは、変わらねえんだろ?」

 げっそりとした顔になった若者は、渋々頷いたものだった。

 それが、本気の約束事になったのは、蓮の方の事情だった。

 その出来事の前に立ち会った、仲の良かった女の死は、蓮自身が思っているよりも強い衝撃だったらしく、その後どこに行くでもなく葵の住処で過ごしていた。

「いつもの通り、動いてる気でいたらしいんですけど、何か危なっかしい、って言えばいいんですかね」

「……お前に言われるくらいだから、相当だったんだな」

 混ぜっ返す気はなかったが、思わず男の昔話に口を挟んでしまってから、鏡月は先を促した。

 雨が降り出した為、一年前まで、ある一定の時期のみ、旅人が消える村があった場所のすぐ傍にそびえる、小さな山の中の、雅の住処にお邪魔した男たちは、熱で唸る蓮はその辺に転がしたまま、涙声の男の話に、耳を傾けている所だった。

 鼻をすする男は、鏡月から受け取った右腕を握りしめながら、ぽつぽつと話を続けるが、雅としてはまだ小さい戒の目に、長く留めていたい代物ではない。

 蓮の看病を戒に振り当てて、娘は昼間知り合ったばかりの大男を説得して、もう必要なくなったそれを、何とか子供の目の届かぬ所へ、持って行きたいと思っていた。

 図体ばかりはこの中で一番大きいその男は、市原(いちはら)葵一郎(せいいちろう)と名乗った。

「こいつが、江戸の殿様の側近の一人に付いてた関係で、オレもいつの間にか、名前の一文字とって(あおい)と呼ばれるようになったんで、そう呼んで下すっても」

 言葉使いは乱暴ながら、雅と鏡月が年上だとは察しているらしく、下手に出ながら大男はまずそう説明し、こちらは蓮の持ち物であるはずの石が、なぜ鏡月の元にあるのか聞き出すべく、事情を話し出したのだった。

「あいつが、蓮を訪ねて来たのは、そんな時でした。ある男に連れられてやって来たらしいです」

 言い方が曖昧なのは、葵はその時気を利かせて、蓮から離れて離れすぎてしまい、町を彷徨っていたからだ。

 弱っている蓮を見るのは辛いし、何よりも自分がそう思っているのを知られていると分かるから、傍で見ているのも気まずいと、葵なりに判断してのことだったが……。

 そこを見越したとしか思えないその日、その男は訪ねて来たのだ。

「蓮は、半分嫌がらせだと今でも思ってるらしいですが、嫌がらせでもあいつにとっては、いい薬になったと思います」

 その男は、カスミという人物だった。

 不思議な力を持ち、蓮と仲が良かった女の父親でもあったその男は、どういう手を使ったのか、ただ一人その若者を連れて来た。

 しかも……。

 そこまで言って詰まった葵は、咳払いをしてまだ眠っている蓮を伺った。

「まだ、起きないですね」

「一晩は目を覚まさん。心配せずに、洗いざらい話せ」

「は、はあ」

 その事を葵が知ったのは、放浪の末に自前の目を頼り、一直線で住処に戻る手を使った時だった。

「その時で、そいつが来て二晩経ってたらしく、すっかり意気投合してたんですよ」

「……」

 目を細めた鏡月の心境に気づかず、葵は続けた。

「どうも、話すうちに境遇が似てることが分かったらしくて」

「境遇?」

「蓮は、ガキの頃、兄弟と共にこの国に来たんです。お袋が死んじまってからずっと世話してくれてた宣教師と」

「え。この子、南蛮生まれ?」

 驚いた雅に、葵は頷いた。

「南蛮っていうか、大陸の端の、小さな村で生まれたらしいです」

「お前は、その話、聞いていたのか?」

「いえ。あの時、オレも初めて聞いたんですよ。兄弟がいたってのも、初めて聞きました」

 付き合いの長いはずの葵にすら、全く口に乗せなかった身の上話を、殆んど面識のなかったそいつは、たったの二晩で、聞き出してしまっていたのだ。

 その上、蓮は女の死の衝撃から、立ち直っていた。

 葵は内心ほっとしながら、二人に喚いた。

「だってずるいでしょう。オレはオレでそれぞれ二人を心配してたんです。それを知ってるはずなのに、二人してオレを探さず、道に迷わせてたんですよっ」

「……勝手に、迷っただけだろうが」

 ぼそりと呟く鏡月に構わず、葵は更に続けた。

「そしたら、二人して慌てちまって」

 久しぶりに会った若者はともかく、蓮が居心地悪い顔で慌てるさまは本当に珍しく、それを見て思わず嬉しくなって、涙ぐみそうになった。

 しかし、喜んでばかりいられる状況でもないと、その後聞いた話で知った。

「オレがそこに戻ったのは早朝だったですが、その日の夜にはカスミって男が、迎えに来ることになってたんです」

 蓮も相手の若者も、承知の上での、短い再会だった。

 しかも、前に会った時と、事情は全く変わっていなかった。

 蓮は、十代の若者のまま恐らくは長く生きるが、相手の方は少し会わなかった間に、幼さがなくなっている程に成長している。

 そして、長くても六十年後には、年老いて命は枯れるだろう。

「それを知っていながら、カスミって人は、蓮を慰める役をその子に振った?」

 また涙を流す大男に辟易しながら、雅が代わりに言ってみると葵は頷き、鏡月も相槌を打った。

「嫌がらせだな。半分どころか、完全な」

「それなのに、あいつら平然と別れちまって。ただ、蓮が一つだけ別れる前に、やったことがあるんですよ。それが……」

「これを、その相手に、渡したことなんだな?」

「そう、そうなんですっ」

 布袋を振って見せる鏡月に頷き、大男は身を乗り出した。

「どこで、手に入れたんですかっ。まさか本当に、人づてに、この国にまで戻って来てるとは……」

「それは……こら、ちょっと待てっ。話は順を追ってだな……」

 本気で身を引き、逃げる若者が、不意に葵の背後に顔を向けた。

 その隙に追い詰めた葵は、更に詰め寄った。

「あいつは、今どこに葬られて……」

「やかましいっ。他人様の住処で、喚いてんじゃねえっ」

 鞘付きの小刀が投げつけられ、勢いよく葵の後頭部に、直撃した。

 容赦ないその攻撃に、大男の体が大きく揺らぎ、その隙に鏡月は身を引く。

 そして、呑気に笑った。

「早い目覚めだな。どういう体力を隠し持っているんだ、お前は?」

 振り返った雅は、身を起こしている小柄な若者に気づいた。

「蓮、大丈夫なのか、もう起きても?」

「……起きねえと、こいつが何を口走るか、分かったもんじゃねえ」

 頭を抑えながらも言う所を見ると、それより前から目覚めてはいたらしい。

「どのくらい、寝てた?」

「あなたが倒れたのは、昼間で、さっき日が暮れたところだよ。まだ日も変わってない」

「何だったんだ、さっきの眩暈は……」

 溜息と共に呟いて、蓮は頭を上げ、気づいた。

 頭を抑えていた右手を凝視し、次いでようやく身を立て直した、葵の手に握られているモノを見る。

 一瞬、緊迫した空気が、狭い洞穴の中に走った。

「……葵、それ、どこかに捨ててくれ」

「お前、いくらなんでもそりゃあねえだろっ。今まで、お前にくっついてて、役に立ってたもんだろうがっ」

「もう、役に立たねえだろ」

「だったら、それなりの礼儀で、埋葬位してやれっ」

「埋葬ってな……」

 蓮は呆れて呟くが、聞いていた三人は、安堵と呆れを滲ませた溜息を吐いた。

 取りあえず、自分の腕だったそれを受け取り、若者は新顔の若者を見た。

「あんた、隣村の山の主、か?」

 鏡月は頷いた。

「あの山を、昔からねぐらにしている。山に登って来る者が鬱陶しくてな。力を解放して眠りこんでいたら、妙な話になっていたのだな」

「? どういう意味だ?」

「お蔭で、一年前に起こされるまで、誰も山に足を踏み入れず、踏み入れてもすぐに命を落としてくれたから、ぐっすり眠れた」

 呑気に言う若者を凝視し、蓮は慎重に問いかけた。

「随分長い間、あの山は厄災を招くと、言われていたはずだぜ。あんた、どの位ぐっすり寝てたんだ?」

「さあなあ。源が平に勝利して、その頭が落馬した後位からだな。ぐっすり眠っていた」

 鎌倉に政の中心が移っていた頃だ。

 話が見えない大小の連れの傍で、蓮は雅と揃って溜息を吐いた。

 それだけ長く、恐らくは難ありの治癒の力を垂れ流しにしていれば、恐れられても仕方がない。

「妖しの間でも有名だったらしいな。弟子仲間に聞かされるまで、人間だけの言い伝えだと思っていた。人間でない者なら、もしかしたら大丈夫だったのかもとな」

 呑気な表情が、僅かに陰った。

「だから、あいつも、大丈夫だったのかと思ったんだが……その知り合いの話だと、オレを引きずり出そうとした妖しも、全員命を落としたらしい」

「……」

「ちょっと、待って下さいよっ、あんた、そんな大変な技、蓮にぶちかましちまったんですかっ?」

 喚く葵の横で、それをぶちかまされた本人は、げっそりと肩を落としている。

 喚かれて、後ろめたい気持ちにはなっているのか、鏡月は気まずそうに笑いながら、軽く謝った。

「悪い悪い。だが、あいつが大丈夫だったんだ。お前も、大丈夫だろうと踏んでのことだ」

 実際、大丈夫だったのだからいいじゃないかと、若者があっさりと返すのに、大柄な男は更に喚くが、それを制して蓮が問いかけた。

「さっきから、引き合いに出してるあいつってのは、一体誰だ?」

 鏡月が、きょとんとして蓮を見た。

 見たが、妙にその視線が曖昧だ。

 すぐに、黒目の色が薄く、瞳の色と混じっているように見えるせいだと気付く。

「……あんたさ、目、見えてるか?」

 思わず、全く別なことを問いかけてしまった。

 突然、話が変わっても驚かず、それにはあっさりと答えた。

「いや。しばらく前から、全く見えん」

「あんたのしばらくは、何百年前だ?」

 思わずそう返してから、話を戻して先の問いの答えを待つと、鏡月は目を瞬きながらそれにも答えた。

「オレを、長い眠りから叩き起こしてくれた奴の事だが。知っているんじゃないのか?」

「本当に知り合いなのか、まだ確かめてねえから、何とも言えねえんだ」

 答えと共に問い返され、蓮は曖昧に答えた。

「オレは、容姿をお前さんに教える術がないから、お前さんの悩みを消してやれんが……やけに、匂いが薄い奴だ。そいつの父親も似たような感じだったが、あいつは男臭すらない」

「あいにく、オレは獣じゃねえんだ。鼻は利かねえ」

「そうか。残念だな」

 呑気に頷き、鏡月は布袋を差し出した。

「昼間、その鬼が、半泣きで立ち尽くしてるのを見て声を掛けたのは、この石に付いている匂いが、この鬼の体にも漂っていたせいだ」

「手放す前は、肌身離さず持ってたからな。染みついちまってたんだろ」

「そうか。持って行かんのか?」

差し出されたそれを見つつ、蓮は首を振った。

「やめとく。修繕のお代は、依頼した奴から貰ってくれ」

「前払いで、払って行ったらしいが」

 小首をかしげる鏡月の言葉に、小柄な若者は呆れた声を出した。

「金を持ってたのか。そいつ、どんだけ稼いでんだ」

「いや、京で散々、只働きさせたらしい」

「その知り合いってのにも興味がわいたぜ。もし、オレの知るあいつが、素直に只働きさせられたとすると、連れたちは、代替わりしてたってことか?」

 小さく笑っての呟きに、鏡月は少し考えて答えた。

「そうだな。カスミの馬鹿親父の代わりに、血の繋がらんオレの弟が、連れにいたな。後は、狼男の倅も一緒だったが。他は変わり映えせん連中だったぞ」

「……」

 その答えに、蓮は初めて考え込んだ。

 そして、気になったことをまず問う。

「血の繋がらない弟ってのは、まさか、カスミの親父の、倅の事か?」

「そうだが」

「ってことは、あんたまさか、あの人の、倅かっ?」

「血は、一滴も、繋がっていないがなっ」

「へえ、あんたが……」

 思わず、嫌そうに答える鏡月の顔を、蓮がしみじみと見つめてしまったのには理由があるが、それを怪訝に思って本人が問いかける前に、話を戻した。

「連れは、オレも見知った奴らみてえだが……そいつ本人とも、限らねえか」

「蓮、お前まさか、本人が、直に持ってここに舞い戻った、なんて考えてねえだろうな?」

 葵に小声で問われ、思わず首を竦めてしまった。

「おい、お前らしくねえぞ。そんな夢みてえな話、あるわけが……」

「分かってる。だが、血筋の可能性はあるだろ。あの連中が、あいつの後釜に付けようって、思えるほどの奴だぜ?」

 何より、形見を預かっている、という言い方に夕べから引っかかっている。

 本人とも、違うともとれる言葉だ。

 違うなら何も考えず、会うことも出来るが……もし、本人なら、話からすると、とても会いたくない状況になっていると思われる。

 だから、ここでその若者の正体が知れれば、これからどうするか考えることも出来ると思ったのだが……。

 まあ仕方ねえかと顔を上げた時、それまで黙って葵の顔を凝視していた雅が、口を開いた。

「この子が、人を喰らわない鬼?」

「ああ。喰うようには見えねえだろ?」

「うん、見えない。でも……世の中には、見た目で分からない鬼も多いからね」

 うっすらと笑う娘を見つめ、蓮がそっと問う。

「それは、この下の村に、巣くってた鬼の事か?」

 黙り込んだ雅に、鏡月が言い切った。

「匂いで分かるもんだろう。こいつは、長く人を口にしてない」

「当たりめえだ。そこまで飢えるほど、貧しい生活じゃねえよ」

 葵が、びくりと大きな体を震わせたが、蓮が返してつい笑った。

「まだ、染みついてんのかね。本当に、大昔の事だぜ。しかも、たったの一度きりだ」

「たったの一度でも、量が多かったのだな。だが、狂気の匂いはない。どうやって戻った?」

「そりゃあ秘密だ。だが、もう二度と、あんなことはさせねえ。オレの、目の届くところではな」

「……目の届く所って……一人で、江戸を出て来てるじゃないか」

「そうなんですよう。こいつ、江戸の殿様と大喧嘩しちまったらしくて、側近の方が探して来いと仰せで」

「へ、腹でも切らせる気で、探してんのか?」

「違えよ。必死で宥めて下すったんだぜ、その方が殿を。だから、戻って来てほしいんだと」

 葵の言う「その方」が誰か見当がついたのか、蓮は、うんざりとした溜息を吐いた。

「ったく、余計な事をしてくれるよな、あの人は」

「とにかく、何か用があるなら、それをさっさと片して、帰ろうぜ」

「……仕方ねえな」

 急に、しっかりと頷いた蓮は、表情を少し緩めた雅に、暇を告げた。

「ここまで来てなんだが、江戸に帰る。世話になっちまったな」

「え、ちょっと、会って行かないの?」

 目を丸くした雅に、蓮は苦笑して答えた。

「知り合いとは限らねえし、その石を返す気でこの国うろついてんなら、いずれ江戸まで来るだろ」

「でも、あの子、逃げるかもよ」

「……あ?」

 思わず、間抜けな声を上げた若者に、娘は首を傾げながらもう一度言った。

「あの子、あなたと会わずに何とか石だけ返して済ませたいんじゃないかな。そんな感じだったよ。少なくても、一年前は」

「どういう意味、ですか?」

 固まった蓮の傍で、葵が首を傾げる。

 その男にも優しく笑いながら、雅は言った。

「昔、這いつくばってでも老衰で死ねと、無茶を言った奴から、預かった大事な物。そう聞いたよ。この国では、珍しい程に色白の、綺麗なお侍さんだった。どうして大事な物を預けた人の話であんな複雑な顔になるのかって思ったけど……」

 そこで言葉を切り、娘は蓮を見た。

「なるほどねえ。あの子、昔はあなたより小さかった?」

「ええ、あいつ、蓮より頭一つ分位小さくて、そりゃあ、めんこい娘っこみてえで……」

「葵、少し黙れっ」

「だからかあ、遠慮してたんだね。出来れば会わずに、あなたの手に、石が戻るように考えてるんだよ」

 なるほどと頷く娘と、頭を抱える若者を交互に伺っていた鏡月が、不意に口を開いた。

「そうか、お前さんも会ったんだな。あいつに?」

「ええ。話もしました。ね、戒?」

 それまで黙っていた戒が、ぼそりと言った。

「……変な奴だった」

「うん。かなり、変な子だったね」

「だよな。オレがおかしいのかと思ったが、やはり変だよな?」

 身を乗り出して、盲目の若者が、念を押す。

「はい。だって、腕丸ごと持って行かれてすぐに、山の中を逃げ回るなんて」

「腕生えてすぐに、つけてた義手がないのに気付いて、山の中を探し歩いて、探し出して倒れていた」

「何だか、考え方が、周囲に危害が出ないようにする方に、向いてるんですよ」

「説教された。これじゃあ、綺麗な山なのに、動物一匹も住み着けない、人づきあいが嫌なら、せめて自分の住処の周りだけ近づけないようにしろと」

 盛り上がる三人の話を、江戸から来た二人は頭を抱えながら聞いている。

「………本人だ、完全にっ」

「だよな。どう考えても、あいつだっ」

「どうすんだ? 会って行かねえのか?」

「本人なら、会わねえっ」

 頑固に言う蓮に、大男が言い返した。

「何でだよっ。会って、よく来たなって、抱きしめてやろうぜ」

「お前なら出来るだろうが、オレに出来るか怪しいぜ。あいつの成長次第じゃあ・・・」

「逆に、抱きしめられるか。それでも、いいじゃないか」

 ひそひそと話していた二人の間に、雅が優しく割り込んだ。

「冗談じゃねえっ」

「なるほど、どういう顔をして再会すればいいのか、考えあぐねている訳か。分かるぞ。オレにもそういう時期はあった。もう考える事すら、しなくなったが」

 鏡月も頷いて言い、少し考えてから笑った。

 にやり、といってもいいくらい、人の悪い笑顔だ。

「良い手土産が出来たな。これと共に本人も連れて行って、向こうの出方を楽しむか」

「わあ、それ、面白いですね。私も同行していいですか?」

「そうだな。お前さんのこの村のこと、偉く気に病んでいたようだから、行って困らせてやるのも一興か」

 変な具合に、意気投合している男女を見つめ、反論も疲れて来た蓮が、それでも返した。

「オレが会うか会わないかは別として、あんたらが一緒であいつに害がねえか、心配なんだが」

 言われて、今度は二人してきょとんとなった。

 顔を見合わせ、互いに頷き合う。

「そうだな、ああも危ない橋を渡っている奴に、どこの骨とも分からん奴を引き合わせるわけにはいかんな」

「そうですね。では、遅まきながら名乗りましょうか」

「本当に遅えだろうがっ。それに、名前は聞いた。あんたの山の話は、もう先の村で聞いた。だが、雅、あんたの方は、名前と住まいが知れただけだ」

 見据えられ雅は頷き、優しく笑った。

「その通りだね。分かった。どうせなら、江戸への土産話として、聞いていく? 大昔、些細な怒りのせいで民が恐怖に陥り、本当の厄を呼び込んだ挙句、消えてしまった村の話を。神隠し村と呼ばれた村の、本当の昔話を」

 先の村で分けてもらった酒と、昼間取って来た魚を焼いて夕食にした後、雅はゆっくりと語りだした。

 本当の言い伝えの始まりを。


 ゼツの言葉を聞いて、不覚にも呆然としていたのは僅かな時で、我に返ったエンはすぐに事情を察した。

 村の民の、しつこいまでの引き留めは、儀式のためだ。

 儀式が外に漏れないのは、この雨の多くなる時期、旅人にしか明かさないからだ。

 しかも、その旅人は村を出れない。

 なぜなら、儀式の供物が、旅で立ち寄っただけの男たちだからだ。

「……神隠しが、聞いて呆れるわね。そういうことなの」

 人を食ったような声音で、ロンが呟いた。

 抑えられたその声が、男の心境をはっきりと表しているのが、近親者には分かる。

「これは、素通りなんて、出来ませんね」

 穏やかに、エンも頷きながら、笑顔を浮かべる。

「そうねえ。まさか、こんなことに、よりによってあの子を使おうとするなんて、ちょっとのお灸じゃあ、済まないわねえ」

 二人が顔を見合わせて頷き合うのを、他の二人は、自分の心境そっちのけで見つめ、身を縮めた。

 まずい、これは……。

 二人して、その場を離れる理由を探っていたが、その前にロンがオキに呼び掛けた。

「オキちゃん。この村の近くに、他の子たちは何人くらいいそう?」

「別れたのは、随分前だからな。いるとすれば、祭り目当てのジュラ、ジュリ兄妹くらいだろう。あと、酒でつられて、先の村で居座ってるはずのメルだ」

 尋ねられるままに答えてから、オキはぎょっとなった。

「おい、まさか、この村を……」

「ええ。呼んであげて」

 有無を言わせぬ口調の命令に、男は思わず、黙って頷いていた。

 立ち上がったオキに続いて、立ち上がろうとしたゼツを、エンが止める。

「お前は、今あいつがどういう状況か、匂いを辿ってくれ。ちゃんと動いているのか?」

「は、はい」

 固まって座りなおした大男の肩を叩き、オキは足早に部屋を後にした。

「……大丈夫です。動いています。村人たちが、山から戻って来ました」

「やっぱり、あの子は置き去り?」

「はい。……家に残っていた鬼と、狐の一人が動きました。山に向かっています」

「狐と鬼? 狐は男の方か?」

「いいえ。女の方です」

 答えたゼツの声が緊張を含んだ。

「鬼が、あの人に近づきました」


 見苦しくても、足掻きに足掻いて、老衰で死ね。

 真剣にそう約束させられた時の事を、セイはずっと心に刻んでいた。

 その約束と共に、お守りと手渡された物は首にかかっていた。

 ここまで生きてしまったのだから、どうせなら、これをこの手で本人に返したい。

 村の男衆が立ち去った後、激痛に堪えて身を起こしたセイは、その一念で右腕の傷の止血をしたが、思わずため息を漏らした。

 これでは、右腕は完全に使えない。

 玄人の刃で、こうなったのなら分かるが、相手は農村の若い男だった。

 油断したつもりはなかったが、こういう突発の悲劇が起こるのも、旅暮らしの中ではよくあることだ。

 だからこそ、注意しなければならなかったのに。

 大きく息を吐いてから、セイは周囲を見回した。

 山の斜面が薄暗い中でも伺え、さほど高い山ではないと分かる。

 その山の、ほんの入り口当たりの鳥居の内側に、セイは取り残されていた。

「……なるほどな」

 昼間、エンも言っていた。

 神隠しは、何も本当に神が連れ去るという訳ではない。

 かどわかしや、不慮の事態で行方が分からなくなることもある。

 その、不慮の事態の一つがこれ、ということだろう。

 打たれた頭の痛みと、切られた腕の痛みの中、げっそりとして肩を落とす若者の耳に、何かが地面に落ちた音が聞こえた。

 振り返って、思い出す。

 木に、斧で縫い付けられていた自身の腕が、その重みで落ちた音だった。

 まだ、縫いついたままの袖の切れ端には目を向けず、セイは膝で近づいて、落ちた腕を拾い上げた。

 肘下から指先までは義手だが、残りは生身だった。

 幼い頃、セイは両手と親を失い、回りまわって祖父のいた集団に、身を寄せる事となった。

 早くから怪我の治りが悪い事を知っていた祖父は、大きくなっても大丈夫なように、どんどん長さや大きさを変えてこしらえた義手に、更なる工夫を凝らした。

 使うことがなかった工夫だが、村に戻るにしろ戻らないにしろ、やらなければならない事には必要な工夫だった。

 それでも、形見であるそれを壊すのを躊躇っていたセイは、村の方から来る足音に気づいた。

 村人が舞い戻って、自分の様子でも見に来たのかと、緊張して何とか立ち上がり、少し身構えた若者は、思わず唖然としてその人物を見上げた。

 少なくてもあの村の中にはいないはずの、自分の連れの一人位の大男が、セイを見下ろしていた。

 背丈は連れの一人位だが、体格はけた違いに大きい。

 思わず、見上げたまま立ち尽くす若者に近づいた大男は、血走った眼で若者を見つめていたが、やがてにんまりと笑った。

 そして、色々な疑問が頭を埋めている若者の両肩を掴み、大きく口を開けた。

 血生臭い匂いに我に返ったセイは、噛みつかれる前にとっさに手にしていた物をその口に押し込んだ。

 そのままその手から逃れようとして、思い出す。

 再び口に押し込んだものの指を掴み、引っ張った。

 大男と怪我人の引っ張り合いは、焦れた大男が若者を殴りつける前に、当の怪我人が焦れて攻撃することで終わった。

「この、放せっ」

 精一杯の力で大男の腹に蹴りを入れ、腕を取り戻したセイは、ふらつきながら、取り戻した物を見た。

 無駄な部分は、なくなっていた。

 大男の歯で、噛み取られたらしい。

「……」

 残った義手から、大男の方に目を向けると、大男はあの攻撃を受けた後にも拘らず、身を起こして何かを貪り食っていた。

 何を?

 自分の、腕を、だ。

 一瞬、頭の中が、真っ白になった。

 と、思った時には、走り出していた。

 斜面を駆け上がり、木の根に躓きながらも、走り続けた。

 混乱と衝撃が収まって、ようやく足を緩め、木の根に躓いて転んだところで、そのまま蹲った。

 吐き気がする。

 こんな状況でも吐けなくなった強靭な心が、心底憎い。

 吐く代わりに、しばらく咳込んでから、セイは顔を上げた。

 木の幹に背を預けて座り、傷口から大きく響く心音が、落ち着くのを待つ。

 人相で分かっていても、その目で実際に見るのは、覚悟がいる。

 それも、分かっていたが、ことごとく意表を突かれ、血が減って来ているせいもあってか、混乱が止まない。

 まずは、血を止めよう。

 ようやくそう思い立ったセイは、思い当たった。

 今、村の中にいるはずの連れたちが、自分の今の状況に、気づいてしまったかもしれないことを。

 匂いを辿れる大男が、道連れの一人にいる。

 完全に、頭が冷えた。

 冷えすぎて、血の気が更になくなった気すらする。

「まずい」

 自分を、頭領に据えているあの男たちは、なぜか一様に自分の体調を心配する。

 多少の怪我くらいは、こういう生活の中では仕方ないのに、神経質なくらいに気にする。

 誰かに故意に怪我を負わされると、その者に報復する方向で固まってしまう。

 気が合わない筈の連中が、そういうときだけ一致団結し、本当に宥めるのに苦労してしまう。

 今、この大怪我が、村の者の手によると知れたら……村は、滅びの一途をたどる。

 それは、止めなければ。

 セイは短い思考の後、決断した。

 腕は、もう隠しようがない。

 だから、山に興味を持って入ったら迷ったことにし、暖を取ろうと薪を作ろうとして手が滑って切ってしまった事にしよう。

 どう考えても怪しい言い訳だが、仕方がない。

 その怪しい言い分を、少しでも怪しくないようにするために、この山を焼く。

 何かが住んでいるかもしれないが、その何かには、後で謝ろう。

 決断したら、行動は早いのが若者の長所だが、やはり混乱していたのだろう。

 気づかなかった。

 背後に近づいた者に、声を掛けられるその時まで。

「山を燃やすのは、勘弁してほしいんだけど」

 文字通り、飛び上がった。

 心の臓が、口から飛び出そうなほどに驚いたが、すぐに体勢を戻して身構え、声の主を見た。

 そこには、すらりとした人影が立っていた。

 自分と同じくらいの体格と背丈の、古着を着込んだその人物は、身構えたまま目を見開いた若者に近づいて溜息を吐いた。

「血が沢山流れた匂いがしたから、もしやと思って戻ってみたら……よく、ここまで逃げて来れたねえ」

「……狐? あんたが、この山の主、なのか?」

「主ってほど、大仰な物じゃないけど、ここを住処にしている狐だよ」

 答えながら怪我の具合を見て、腕に巻いた手拭いを巻き直してくれる狐から、その背後に視線を移すと、そこにもう一人立ち尽くしていた。

 こちらはまだ幼い、小柄な男の童だ。

「あれは、あんたの生んだ子供じゃないな?」

 言った途端に、痛みが腕から脳天に響いた。

「あ、すまない」

「ち、違うなら、口でそう言ってくれっ。謝るから」

 手拭いを力一杯締め付けられて、そう訴えるセイに謝ってから、狐は尋ねた。

「どうしてそう思った?」

「いや、一緒に住んでいるなら、そうなのかと思っただけだ。義理の母子かなと。違ったなら、謝る」

「謝る必要はないよ。弟みたいなものだってだけで、違いはない。でも、よく分かったね」

「何が?」

 首を傾げた若者に、狐は辛抱強く尋ねた。

「だから、私が、女だって」

「………女じゃなかったのか?」

「女だけど……この見た目で、そう言われたの初めてだよ」

 手を広げて、男物の古着を身につけた体を見せると、セイは更に首を傾げる。

「そうなのか。分からないものなのか? 見ただけでは性別も?」

「……男の体で男の身なりをしてるのに、分かるのはおかしくないかい?」

 狐は眉を寄せたが、セイの方は、それ以上この件で何を言えばいいのか分からず、黙ってされるに任せた。

 一連の動きを見守り、無感情に切り出す。

「火が欲しいんだが、どこか、燃やせる場所はないか?」

「だから、山を焼かれるのは、困るって言っただろ」

「……よく分かったな、そう考えてたことを」

 感心した言葉に、狐は溜息を吐いて答えた。

「分かったも何も、一人でぶつぶつ言ってただろ」

 気づかずに頭で考えていたことを、口走っていたらしい。

 つくづく不調だと、ため息を吐くセイに、狐は言った。

「うちにおいで。火種位は貸してあげるよ」

「いや、それは……」

「獣の住処に行くのは、嫌かな?」

 躊躇った若者に、狐は優しく尋ねながらも、相手の左腕を取っている。

「……いいのか? 人間を、自分の住処に入れても?」

 取り繕いが通じないと察し、セイが眉を寄せて問い返すと、それにも優しい笑顔が返った。

「人間? 本当に? 獣の妖しを二人も連れた人たちが、人間の類に入るのか、怪しいと思うけど」

「……」

 糠に釘。

 何故か、その言葉が頭に浮かんだ。

 普通に接していては、こちらが流されてしまう。

 直感は鋭い方ではないセイだが、経験上の何かが頭の中でそう判断した。

「連れが妖しだからといって、安心してもいいものなのか? もしかしたら、何かで縛り付けて、道連れにしているのかもしれないだろうに」

 やんわりと微笑んで返すと、狐の背後にいた子供が顔を引き攣らせた。

 後ずさる子供を尻目に、狐は目を丸くする。

 恐ろしく綺麗な笑顔だが、目は感情のないままだ。

 勘の鈍い者なら、思わず見惚れて言われたことにも素直に頷いてしまうかもしれない。

 勘の鋭い者なら、後ろの子供のように逃げ腰になるような、威圧感がある。

 色白の顔に、小動物を思わせる、黒々とした瞳が目立つ。

 感情が窺えないのにどうしてこうも、愛らしい目に見えるのか、その目を覗き込んでいた狐が、その目が黒目との境が、分からぬほどに黒いのに気づき、突然手を打った。

「そうか、目が違う」

「……何の話だ?」

 何故か、色々な場面でよく効く方法を試したが全く効かず、それどころか目を覗きこまれて慄いていたセイが、探る目つきで尋ねたが、狐は一人納得するだけで答えず、立ち上がった。

 有無を言わさぬ力で、若者の左肘を掴んだままだ。

「ちょっ、ちょっと待てっ」

「何、まだ、何か言いたいか?」

「だから、まずいだろうって、言ってるんだよっ。見も知らぬ男を、そんなに無防備に、住処に入れてもいいのかっ?」

 女子は、大切にしよう。

 そんな兄貴分たちの躾で、セイは、訳も分からずそれを口にした。

 訳は分からないが、その言葉を言われた女は、躊躇って力を緩めてくれる。

 だから、その隙にと思ったのだが、狐の答えは、予想外のものだった。

 きょとんとして振り返り、言った。

「あなた、男なのか?」

「はあっ?」

 今度こそ、頭の中が真っ白になった若者に構わず、狐は真剣に続けた。

「だって、他のお侍さんたちと違って、全然男臭くないじゃないか。うちの子だって、立派に男だって分かるのに。いや、旅先で苦労するから、男の格好してる娘さんかと、思ってたんだけど……」

 さっきの鬼の行動を見た時よりも、この怪我の経緯よりも、衝撃が大きかった。

 我に返った時には、狐の肩を借りて立ち上がっていた。

 隙を突こうとして、逆に突かれてしまった。

 間違いない、この狐は、自分が苦手とする類の生き物だ。

 これ以上抗っても、それは墓穴を掘る行為にしかならない。

 そんな奴は、そう何人もいないと思っていたのに、ここにもいてしまった。

 そんな奴を、二人も道連れにしているセイは、その二人に対する時の態度をとることにした。

 抗えるときは抗い、抗えない時は流されて、早く離れる。

 だから、狐らしい穴倉に連れて行かれ、囲炉裏らしいものの傍に座らせてもらうまで、大人しく従っていた。

 狐が、竈から火種を取り出して、囲炉裏に火を熾してくれたのを見て、セイは小さく礼を言ってから、ようやくゆっくりと腕を動かした。

 左手に握りしめたままだった、右腕の残骸を自分の足元に置き、足で踏みつける。

 中身が変形しないように気遣いながら、何回か踏み続けて現れたのは、錆びないように工夫された鉄の棒、だ。

「……(まがね)?」

 それまで黙って若者の動きを見守っていた狐が思わず呟くのに頷きながら、セイは掌の部分を残してその姿をむき出しにした。

「へえ……鉄だけで、その腕動いてたんだね。そっちの腕も?」

 興味津々の問いかけには答えず、若者はその鉄の方を火にくべた。

 祖父は、優れた鍛冶屋だった。

 晩年は武器だけでなく、他の道具を作るのも一任されていたが、孫である若者の義手にはかなり真剣に取り組んでいた。

 その一つが、これだ。

 骨があるはずの義手のその部分を、熱くなりやすい鉄にすることで、若者の弱い部分を補ってやれると考えてくれた。

 持ち手がないと、左手まで焼けて壊れかねないので見せられないが、指の関節まで鉄で再現している力作である。

 狐が見守る中、セイは右肩に巻かれた手拭いを外し、衿口を開いた。

 傷口が露わになり、顔を顰める子供の顔が横目に映るが、それにも構わず、火にくべていた鉄の棒を手に取る。

 躊躇いなく、その鉄を傷口に押し当てると、子供が小さく悲鳴を上げ、狐も流石に顔を顰めた。

 肉の焼ける嫌な音と匂いが漂う中、若者は無感情のまま傷を完全に焼き塞ぎ、塞ぎ残しがないかを確かめてから鉄の棒を離した。

 服を羽織りなおして衿を正し、止血に使った手拭いでまだ熱い鉄の棒を包んでから、若者はようやく姿勢を正して狐を見た。

「助かった、本当に。改めて礼を言う」

 役に則った言葉使いでの礼に、狐は頷いてから、思わず尋ねた。

「……痛くないのか?」

「痛いに決まっている。あんたは、腕切られても、痛くないのか?」

「痛いと思うよ。まだ、斬り落とされたことがないから、分からないけど。でも、随分、平然とやってたから、痛みがないのかなと……」

「痛い顔をしたら、痛みが和らぐのか? そうは思わなかったが」

 無造作に後ろで束ねただけの髪の乱れを、軽く整えながらの声は、いつもの調子を取り戻していたが、これ以上の最悪な事態に対する術は、まだ思い浮かばない。

 問われるままに答えながら、立ち上がったセイを、狐は慌てて止めた。

「ちょっと、そんな怪我で、どこに行く気だっ?」

「用は済んだから、お暇する」

「少し休んで行け。そんな状態で歩いたら、本当に危ない」

「そんな暇は、ない」

「暇も何も、ないだろう。血も随分流れているし、ふらふらしてるじゃないか」

 本当に心配した声に、同じくらいの目線の狐と目を合わせ、若者は首を傾げた。

「そういう心配は、この下の村の民に、向けたらどうだ?」

 反論しようと口を開く前に、早口で言い切る。

「こんな所で、のんびりしてたら、間違いなく、村一つ無くなるぞ」

「……どういう意味だ?」

 突拍子のない断言に、思わず聞き返した狐に、セイは真面目に答えた。

「私の連れは、特に今いる連中は、それが出来る奴らだ。ここでのんびりとして、出方を誤ってしまったら、間違いなく、あの村の人間たちを滅する方へ、傾いてしまうだろう。それでもいいのか? あんたはあんたで、何か考えがあって、あんな格好で村に入り込んでいるんだろう?」

「あんな格好って……」

「人間に近い所に住んでいる割に、緊張感がないな。私でなくても、少し力のある者なら、気づくぞ。あんたが何に化けて、あの村に入り込んでいるのか」

「…‥」

「人間を、傷つける者じゃないから、本当に力を持つ者は、あんたを見逃しているだけだ」

 傷の痛みを、呼吸を整えることで和らげながらのその言葉に、狐は肩を落とした。

「分かっている。この山で、命を落とした人たちの何人かにも言われたからね。でも、それが、見逃されていたのが、本当に良かったのか、分からなくなった」

 本当に、どうにかしなければならぬのは、村に住み着いた鬼ではない。

 正体も分からずその影に怯え、自分たちに火の粉がかからぬよう、何の関係もない人たちを手にかけて、差し出している村人たちだ。

 そう考えた狐は、何とか村人の恐怖を削ごうと試みていた。

 が、それは、毎年失敗に終わっていた。

「……私の連れたちは全員、根元から憂いを絶つ、そう決心できる気概と力を持っている。あんたが何を考えていようが、全く考えずに動ける奴らだ。そうされたくなければ、ここでおとなしくしていてくれ」

「根元は、私かも知れないじゃないかっ。憂いを絶つ、と言う考えがあるのなら、私の首を持って行ってくれっ」

 縋る相手の間を上手く抜け、セイは背を向けたまま声を投げた。

「そんな誤魔化しが通るなら、会った時に、そうしている。村で顔を合わせた時に、真っ先に」

 無感情な声は、それが本当に出来る、と言っている。

 流石に体を強張らせた狐を振り返り、若者はゆっくりと告げた。

「別な、糸口があるはずだ。それを手繰れば、きっと、村人も無事に、助けられる」

「どこに、それがあるんだ?」

 声もない狐の傍で、子供がようやく声を出した。

「だから、それを見つける。ここで休んで、後手に回るわけには、いかない」

 自分に言い聞かせるように、若者は言い切った。

 そして今度こそ歩き出したセイは、不意に後ろ髪を引かれた。

 なぜ、そんな思い切った行動をしたのか、子供には自分でも分からなかったが、ふらりと歩き出したその背に揺れる、真っ直ぐな黒髪に思わず手が伸びてしまったのだ。

 文字通り後ろ髪を引かれて体勢を崩した若者は、受け身も出来ずに後ろに倒れた。

 まさか、ここまで簡単に倒れるとは思っていなかった子供は、下から睨まれてわたわたと言った。

「血を流した分は、休んだらどうだっ? 食い物なら、少しはある」

 何かを言われる前に、早口でそう言い、子供は狐に声を掛けた。

「水を汲んでくる。魚焼くのは、任せた」

 二人の返事を待たずに駆けて行く子供を見送って、何とか這い起きた若者は、立ち尽くしている狐を見ながらその場に腰を落ち着かせた。

 青ざめたまま、ぎくしゃくと動き始める姿を、その姿勢で見上げて小さく息を吐く。

 上の空のようでも、子供に任されたことは分かっているようで、住処の奥に行き、昼間に獲ったらしい魚を三匹手に戻って来た。

 火を大きくして串刺しにした魚を、囲炉裏の周りに立てて行く。

 一連の動きが止まって、囲炉裏の前で座り込んだ狐に、若者は静かに問いかけた。

「あの鬼、いつから、村に住み着いている?」

 顔を上げた狐は、ぼんやりとしたままで、セイはもう一度問いを重ねた。

「元から住み着いていたわけじゃ、ないんだろ? あんたよりも、年は重ねていない鬼だ。いつから、あの村を餌場にしている?」

「はっきりとは、覚えてない。でも、今の村長の、二代前くらいからだったと思う」

 年齢的には、その位だ。

 先ほど会った大男を思い浮かべながら頷き、若者は更に問いかけた。

「あそこまで、村の者以外の者を巻き込み始めたのは、いつからだ?」

「……どうして、そんなことを訊くんだ?」

「何となく、儀式自体は、もっと前からやっていたような、そんな感じだった」

 箱は手入れされていたが、かなり古い木製のものだった。

「五、六十年前……それまでは、梅雨時に、この下にある、鳥居の前で村の若い男衆の一人が、貢物と共に一晩残って、祈るだけの儀式だったんだ」

「祈る? 何を?」

「雨を、止めないでくれ、って」

 肩を落としたまま、狐は力なく話し出した。

 事の発端の、ある出来事を。



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