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善悪

翌朝、屋敷を後にした蓮は、村を出る前に、こじんまりとした山を改めて見た。

 相変わらず、物々しい気配はあるが、昔通った時より拒絶する空気は、感じられない。

 そこに巣くっていたという、若者の正体には興味があるが、蓮は別な事が頭に張り付いて、離れなかった。

「……何か、気が抜けちまったな」

「呑気だねえ。まだ、追っ手は、かかってるんだろ?」

 呟いた言葉に反応した娘は、少し疲れているようだ。

「ん? 良い寝床じゃ、よく眠れなかったか? そりゃあ、悪いことしたな」

「そうじゃないよ。それにしても、あなたは、本当に、偉い人と知り合いみたいだねえ」

「別に、位ってもんが高くなくても、偉い奴は、偉いもんだぜ。ま、あの人は、運よく、気楽な隠居生活を送れてるが、偉くっても、貧乏のまま人生送る人もいるし、才も財もあったのに、志半ばで病に倒れて、世の変化を見守る事の出来なかった人もいる」

「……そうみたいだね。人の取り方によって、人の行動は、善にも悪にもなる。才があっても、その考え方が、人に良く取られなかったら、悪の所業になる。人間って、そう思うと最強だね。妖しも、彼らの気持ち次第で、良くも悪くもなる」

 人間の気持ち次第で、退治されるか否かも決まってしまう。

 後ろで、小さく溜息を吐く娘の呟きを背中で聞きながら、蓮は空を見上げた。

 雨雲が、徐々に空を覆って行く。

 そろそろ、雨が来そうだ。

 そんな日に、上野の翁の家を辞したのは、夕べ聞いた話が、気になったせいだ。

 丁度、一年前のこの時期に、突如として終わりを告げた、一つの村の話だった。

 その村は随分前から、神隠しの村、と呼ばれ、特に今の時期は旅人が消える村として、近隣の村では恐れられていたらしい。

 梅雨の時期に近づく旅人は、誰ひとり、その村から出て来ない。

 女連れの時は、女のみ残り、村に留まるしかなくなった女は、そのまま村人の妻となることから、お上は探りを入れていたようだが、梅雨の時期以外はごく普通の村で、その呼び名のせいで寂れかかってはいたが、真面目な村人の多い土地だったそうだ。

 その村の住人が、消えた。

 正確には、男衆が一人残らず消え、女房子供は村長の家に火を放ち、その中で自刃していた。

 旅人が消える村で、ついには村人も消えてしまい、今は野ざらしになっているらしい。

 蓮も、何度かその村を通り過ぎたことがあるが、時期が違ったせいか、危ないと思ったことがなかった。

 だから、もう終わった話ではあるが、その村を見てみようと思ったのだ。

 村を出て山々の間の道を、三人は黙り込んで歩いた。

 昨日までは、うるさい程に話し掛けてきた雅が、今日は疲れがたまっているのか黙り込んだままで、それを心配そうに、戒が見上げている。

 道の中ほどまで来た時、足元が少し盛り上がった後、土が変わった気がして、蓮は足を止めた。

 目を地面に落とすと、その周囲に今までの土砂色の土より、薄い色の土が、蓮の足下から前方に数十歩分の範囲で、敷き詰められていた。

「……岩か何か、崩して均しでもしたのかね?」

「良い勘してるね。その通りだよ」

 優しい声が、蓮の呟きに答えた。

 振り返った若者を追い越し、雅は体ごと振り返った。

「できるだけ、人の通る邪魔にならないように、岩を砕いて、地面に均してくれたんだ」

「へえ。誰が?」

「誰でしょうね」

 おどけるように答える娘を見ながら、蓮はゆっくりと尋ねた。

「こんな所に岩なんてあったか? オレが前に通った時は、なかったはずだぜ?」

「雨の時期だけ、何故か移動する、けったいな岩が、あったんだよ」

「へえ。詳しいじゃねえか」

「そりゃあ、私の住処の、真下の村の話だもの」

 蓮は、静かに雅を見返した。

 その表情に、娘は苦笑する。

「驚いてほしかったんだけど。それで、少しはすっとしたのに」

「そりゃあ、悪かった。夕べの話が無かったら、驚いてたかもしれねえけど、大体の予想は、あったからな」

「向こうの山が、安全になったことの方が、興味深い?」

「いや」

 呆れた表情の問いかけに、若者は笑って答えた。

「夕べ、あんたらが部屋に行っちまった後の、この先の村の話でな、どうも狐の妖しが絡んでんじゃねえかって、聞いたんだ」

「へえ……その狐が、私?」

「あんた以外に、住んでるのか? 狐が?」

 笑ったまま、後ろで立ち止っている戒を振り返った。

 その若者を睨むように見返して、足早に追い越した子供は、雅の傍らに立つ。

「そのガキ、あんたの弟じゃ、ねえんだろ?」

 恐らくは、何かの障りがあって、親に捨てられた子供、だ。

 そういう者は、育てる者によって、人間としても、妖しとしても育つ。

「この子は、何年前だったか、山の中で泣いてるのを見つけて、面倒を見てるんだ。今では本当の弟みたいに、可愛いよ」

 傍らの子供の頭に手を置いて、雅は静かに答え、再び蓮を見返す。

「ついでに見て行く? 神隠しの村と呼ばれた村の跡地と、旅人を生贄にしていたと言われてた、狐の住処」

 優しい笑顔は変わらず、しかし、何か諦めに似た感情が声に滲んでいたが、蓮はその意味を考える前に頷いていた。

 岩が砕かれて、土に均されていた場所から、緩やかな坂を下った所に、その村はあった。

 一年、たったそれだけの月日だけで、土地は草も生え放題の、荒れた野原となる。

「村人の家が点々と建っていたけど、あの後来た嵐で、殆んど崩れたんだ。田畑も、この時期は色々植えられて、色とりどりで下から見てて楽しかったんだけど、この通り草だらけ」

 そこまで言って、雅は改めて村だったその土地を見回した。

「こんなに広かったのかって。こうなった後、初めて降りた時は思ったよ。あんなに、小さな村だったのに」

 そして、自分の背中を見つめる蓮を振り返って笑いかけた。

「聞かないんだね。どうして、こうなったのか。何が、私に、こんなことをさせたのか?」

「聞かねえよ」

 周りの気配を気にしながら、蓮は答えた。

「あんた、知らねえんだろ? この村に起こったことを?」

「知ってるよ。住処の真下で、起こったこと位」

「それを、あんたがやった、と?」

「そう、伝わってるんでしょ? 上野様の所には?」

 優しい笑顔のままで、娘の目が光った。

 その狐らしい金色の光に、まだ日が高い割に、よく分かると感心しながら、蓮は答えた。

「誰から、どういう風に伝わってるのかも、分かってんだな?」

「分かってるよ。私を退治に来た連中から、私が諸悪の根源で、浄化の為と名声の為に退治に来たと、声高に言ってるんだろ?」

「それが分かってて、あんたは、戻ったのか? この土地に?」

 それには答えず、雅は再び野原を見回した。

 そう、待ち伏せされているのは、分かっていた。

「本当は、戒を誰かに預けて戻ろうと思ったんだけど……私って、そういう時に頼れる知り合い、少ないんだ。だから、あなたに、お願いしたいな」

「悪いが、お断りだ。オレは、ガキが大嫌いだ」

「そんな呑気なこと、この一大事に言わないでよ。早くここを離れないと、あなたも仲間と思われちゃうよ」

「どっちが、呑気なんだ? もう、遅い。動けねえ」

「はあ?」

 思わず間抜けな声を返した雅は、突然体に攻撃を受け、草むらに転がった。

 同じように転がった蓮が、小さく笑う。

「気づかなかったのかよ。オレらがこの地に足を踏み入れた時から、あいつら、術を唱えてやがったぜ」

「ええっ。気づいてたんなら、どうして動かないんだっ?」

「自慢じゃねえが、オレはその類には弱いんだよ。もう、笑えるほど、動けなくなっちまうんだ。すげえだろ」

「本当に、自慢じゃないじゃないかっ。胸張るなっ」

 思わず怒鳴ったその目先で、戒が転がってピクリともしないのが見える。

 それより近い位置の蓮は、先の言葉を言い切った後、目を見開いたまま、動かなくなった。

「ち、ちょっと……冗談だろ? よくそんなで、今まで生きて……」

 上方に近い場所に住んでいた、どちらかというと妖しに近い若者が、出会う機会が多いはずの術師の攻撃に、全く抵抗できずに倒れてしまった。

 これなら、自分の方がまだ動ける。

 骨の節々がきしむ音を聞きながら、必死で呪縛を解こうとする雅の前に、静かに近づいて来る足音がある。

 三人だ。

 なるほど、だからここまで縛れるのかと、納得しながら、娘はようやく顔だけ上げて、相手を見上げた。

 修行僧姿の四十半ばの男が三人、娘を見下ろし笑っている。

「何だ。大した妖しではないな」

「見れば、まだ小娘ではないか」

「油断するな。動いている」

 それぞれ会話した後、更に術を唱え始める。

 激痛が体中を走り、叫びそうになるのを堪える雅の耳に、戒の叫び声が届いた。

「かい……」

「何だ、まだ、動くぞ」

「そう動くわけでもないだろう。さっさと、首を刈れ」

「分かっている。しかし……」

 言いながら娘の傍に膝をついた男の手には、刀がある。

 振り乱れた黒髪を掴みながら、その男は近くに倒れている二人を見ている。

「子供だらけじゃないか。本当にこいつ、妖しか?」

「術が利くのが何よりの証だろうが。仇と狙われるのも厄介だ。一緒に刈ってしまえ」

「丁度いいじゃないか。三人を、三人で退治した。これで、大手を振って京に帰れる」

 冷たいものが、足元の方から体中に走り、何かが壊れる音がどこからか聞こえた。

「……やめろ……」

 言いようのない恐怖が、頭の中を占め、必死で声を絞り出すが、男たちは笑って見下ろしているだけだ。

 笑いながら、子供の首をも刎ねるつもりの僧侶。

 これも、善なのか?

 それを、甘んじて受けて、死ぬしかないのか。

 何も見たくなくて、雅が目を閉じた時、一気に吹き出る蓮の血の匂いが、鼻をくすぐった。

 一年前まで続いた、あの悲劇が蘇り、諦めが力さえも奪った時、不意に掴まれていた髪が離され、地面に顔をぶつけた。

 痛みを感じる前に、修行僧たちの驚きの声が、自分と間合いを取った場所に離れた。

 何とか顔を上げた雅の傍に、血だまりがあった。

 その血だまりに、ぽつりぽつり、滴が落ち続けている。

「……腕に、力を絞り込むのに、手間がいるんだよな。痛みを与えりゃ、術も解けるのは、知ってたんだが……」

 右手から血を流しながら立つ蓮は、身構える僧侶たちを見返しながら、不敵に笑って見せた。

「初めてで、加減が分からなくてな。腕、落としちまった」

 バッサリ斬り落とされた右腕から血を落としながら、それでも笑いながら、左手で自分の血で汚れた脇差を構える蓮と、別な人物の笑顔が重なって、雅は呆然と見上げていた。

「あんまり、人死には見たくねえんだが。オレもこんなところで死ぬ気は、ねえんだ。言っとくが、手加減は出来ねえぞ。間違って利き手を斬っちまったから」

「き、貴様……」

 歯ぎしりしながら印を結ぼうとする男の一人に、音もなく近づいた蓮は、体ごとぶつかって一緒に倒れ込み、仰向けに倒れたその首に、躊躇いなく脇差を振り下ろした。

「よし、そこまでだ」

 呑気な声が、突然そこで響いた。

 同時に、体の呪縛が一気に解かれる。

 勢いよく身を起こした雅の目の先で、蓮が男に馬乗りになったまま動きを止めているのが見えた。

 その傍らに、見知らぬ人物がいる。

 その人物は、脇差を振り下ろそうとする蓮の左手首を掴んだまま、微動だにしない。

「……誰だ?」

 鋭く問う蓮に手首を掴んだままの人物は答えず、全く別な方向に向けて声を掛けた。

「おい、追いついたぞ」

 その呑気な声が呼びかけた先から、地響きを立てながら足音が近づいて来た。

 山を震わせるような足音が、野原の手前で止まり、息切れをしながら、辺りを見回す気配がある。

 振り返った雅は、その大きさに、思わず目を丸くした。

 この国では珍しい程、言ってみれば大木のように、大きな男だ。

 小さな子供なら、ひきつけを起こしそうな目で周囲を睨み、男は蓮に目を止めた。

「……お前、何て時に、追いついて来てんだよ……」

 その姿を認めてから、顔を引き攣らせていた蓮が空を仰いだとき、その若者に、大男が飛びかかった。

 その勢いに、若者の腕を掴んでいた人物が、思わず手を離して身を引き、雅も身を竦ませたが、蓮は素早く脇差を持ちかえて、その柄で大男の動きを止めた。

 くぐもった声で唸った大男が蹲るのを見下ろし、蓮は冷静に言った。

「所構わず、抱きつくなと言ってんだろうが。暑苦しい」

「だ、だってよう。今度は間に合わねえと思って……半ば諦めて……良かった、追いついたっっ」

 顔を上げて答える大男の目からは、滝のように涙が落ち続けている。

「お前なあ。よくこんなに早く追いつけたもんだな。どうしたんだ? 迷わなかったのか?」

 僧侶の上に胡坐をかいて、蓮は大男の顔を覗きこんだ。

 無邪気な仕草なのに、恐ろしく落ち着いた表情で、親子に見える二人だが、立場的には逆だと伺える風景だ。

「一応、方向は確かめて出たんだけどよ、この近くで迷っちまって。そしたら、その人が助けてくれたんだ」

 離れて立つ人物を見ながら答えた男は、そこで蓮の怪我に気づいた。

「お前っ。どうしたっ? 誰がやったんだっ? こいつらかっ」

 思わぬ成り行きに立ち尽くしていた、二人の修行僧を振り返って睨む男に、蓮はしっかりとした声で制止をかける。

「落ち着け。自分でやったんだ」

「自分でっ? お前まで、自分を大切にしねえ奴になっちまう気かっ? いくらあのご隠居が死んじまったからってだなあ……」

「うるせえっ。仕方ねえだろうがっ。骨砕くより斬る方が治り早いと思ったら、やり過ぎちまったんだよっ」

「やり過ぎちまったで済むかよっ。トカゲじゃねえんだぞっ。生えて来ねえんだぞっ」

 賑やかになった周囲に構わず、雅は立ち上がってまず戒の快方をし、次いで蓮が最初に倒れた辺りを探して、右手を拾い上げた。

 そして、身を竦ませている敵の二人を見る。

「そんなに怖がってたら、出来る術も、出来ないんじゃない?」

「出来ても、利かんと思うが」

 呑気な声が続けて言い、その声の主の二十代の若者が、手にしていた布袋を持ち上げた。

「これは、預かりものなんだが、掲げなくともこいつらにかけた呪縛を解けた代物だ。本気で使ったら、お前さんたちに勝ち目などないぞ」

「術に頼らず、まだ首を狙う気なら、受けて立つぜ。女子供を、三人がかりで手にかけようとする輩に、加減はいらねえよなあ」

 にやりとする蓮を見て、更に身を竦ませる僧侶たちには、もうその気はないらしい。

「その人、離してあげて」

 雅の頼みに黙って従い、蓮は立ち上がって、主格の僧侶を解放した。

「二度と近づかないで。次は、殺します」

 優しく笑いながら、雅は三人を見据え、きっぱりと言った。

 ほうほうの体で去って行く修行僧たちを見送ってから、雅は改めて蓮と、新参の二人を見て頭を下げた。

「危ない所を助けていただき、ありがとうございます」

「助けたのは、オレではないがな」

 自分より少し背丈のある若者は、小さく笑って二つの布袋を持ち上げた。

 それを見る目は、やけに印象が薄い。

「これは、ある奴が、京の細工師に直しの為に預けていた物と、細工師の知り合いに頼まれて、持って来た物なのだが、細工師の知り合いも、預けた奴も只者ではなくてな、思いの籠ったこれには、その力も宿ったのだろう」

 薄い色合いの目を、雅に向けた若者はのんびりと問いかけた。

「お前、寿(ことほぎ)の娘だろう?」

「は、はい」

「なら、オレは、お前の父親の従弟にあたる。お前の父親の母親と、オレの母親が姉妹だったんだ」

「そう、なのですか」

「で、これを預けたのが、お前の父親の弟子で、久しぶりに訪ねたら、丁度いいとこれを持たされたんだ。使い走りと言う奴かね。ああ、オレは鏡月(きょうげつ)と言う。知り合いはキョウだのカガミだの、好き勝手呼ぶが、どちらでも呼びやすいように呼べ」

「はい。私は、雅と申します」

「そうか。もう、名はあったのか。お前らは、妙なしきたりを作っているからな。まだ名を貰っていないとしたら、どう呼べばいいのかと思っていた」

「そうですか。ところで、キョウさん」

「何だ?」

 雅は、自分が手にしていた蓮の右手をもぎ取られ、鏡月がそれを振り回すさまを見ながら、言った。

「それ、渡してもらえませんか? 今ならまだ、くっつくかも……」

「無理だな。切り口が雑すぎる。妙な具合にくっついても難儀だぞ」

「仕方ねえよ。そういう風に切っちまったの、オレなんだから」

 左手を差し出す蓮は相変わらずだったが、流石に血が流れ過ぎて、顔から血の気が引いている。

 若者の方に顔を向け、鏡月は問いかけた。

「お前、蓮だな?」

「……」

 目を細めて答えない蓮に構わず、続ける。

「これは、お前の物だろう?」

 布袋を開き、その中から取り出した物を見て、雅が思わず声を上げたが、蓮の声がその声を上回った。

「あんたが、何でそれを……」

 思わず言った若者に、鏡月は静かに近づきその腕に触れた。

「あいつも大丈夫だったんだ。お前も、そのまま生やしてしまえ」

 にやりとしてそう言った若者の傍で、蓮の体が崩れるように倒れた。

「れ、蓮っ」

 蓮に縋る男を見下ろしながら、鏡月は冷たくなってきた右手を回して遊んでいる。

 雅も蓮に駆け寄って、ぐったりとしている体を抱き起して脈をとったが、思わず身を強張らせた。

 右手首の脈が、早い。

 その手を取ったまま、雅は立っている若者の手元を見上げた。

 そこに、相変わらず蓮の右手は握られていた。

「ね、熱が……どうしちまったんだ、蓮っ」

 泣き声が響く中、雅は思い当たって、鏡月に問いかけた。

「もしや、向こうの村の山の方、ですか?」

 その問いに少し目を丸くした若者は、苦笑いした。

「知っていたか。しかし、あそこまで話が伝わっていたとは、オレもあいつに訊くまで知らなかった」

「あいつとは、その石を届ける相手、ですね?」

 今度は、穴が開くほど見つめられた。

 が、何故かその気配が薄く感じられ、それが瞳孔までも色が薄いせいだと気づく。

 しばらくそうしてから、若者は自分の手元に目を向けた。

 その手には、夕べの話に出た、変わった形の金細工の首飾りが乗っていた。


 村人たちに囲まれて村の中に戻った旅人一行は、村総出で歓迎を受けた。

 躊躇いはしたものの、興味本位で村に戻ってしまった、連れの内の二人は、村の男衆やその妻子たちに、丁寧な挨拶を受けている僅かな間に、後悔が深くなっているのが目に見えて窺えた。

 接客される側として、失礼に当たらぬよう、表情は変わっていなかったが、その空気は他の二人にも分かったらしく、一行は当たり障りのない挨拶を交わした後、旅疲れを理由に、用意してもらった部屋で休ませてもらえるように、話を持って行った。

 村長の家の簡素な室内を見回し、案内してくれた女中を見送ると、それまで笑顔と無表情を崩さなかった二人が、大きな息と共に脱力した。

「どうしたの? 珍しく、この程度で疲れてるじゃない」

「ええ、まあ」

 ロンの、揶揄い交じりの問いにも短く答えたゼツに、オキは小さく笑いながら言う。

「別段、変わった所はなかったがな。人でないものが、住み着いているくらいで」

「……それだけでも、充分変わっていますよ」

「そうかしら?」

 思わず鋭く返したエンに、きょとんとしたロンとオキは、一度顔を見合わせてから口々に言った。

「どんな国でも、どんな土地でも、すんなり暮らしてるもんだろう?」

「ねえ」

「まあ、この土地は、狭い割に数が多いとは思うが。驚くほどでも、用心するほどでもないな」

「はあ? そいつらの一人に、人間の血の匂いと死体の匂いが、染みついていてもですか?」

 ゼツが思わず返しても、二人は平然と返した。

「村の者は、そういう怯えを見せていないわ」

「つまり、村の者を手にかけている訳ではない訳だ。それ位の分別があるなら、凶暴な奴でもないだろう」

「……」

 平然とした言い分に、若年者のゼツとエンが顔を見合わせた。

 気を取り直して、エンが話の分かる大男に問いかける。

「村の中に、二人はいる気がしたんだが……」

「ええ、そうね。うまく化けてる」

「本当だな」

 話に乗った二人が頷いたが、問いかけられた男は首を振った。

「三人います」

「え、本当?」

「まだいたか?」

 驚く連れ三人に頷き、ゼツは話に加わっていない若者を見た。

 ようやくくつろげる場で足を延ばしていたセイは、その意を受けて付け加えた。

「男二人、女一人」

「当たりです」

「それから……この家、別な種の何かがいる」

「別な種?」

 ゼツの返しには、ロンが微笑んだ。

「そうね。それなら本当に害のないものよ。鬼や幽霊より、悪意のない存在の、女の人。随分古い人だわ」

「千年位に見えた」

「そう。そこまで長く居続けてるの。よほどの強い心残りがあるのね」

「妖しの類ならともかく、長いな」

「そうなんですか」

「もう、何にも知らないのね。まあ、あなたもエンちゃんも、まだまだ赤ん坊みたいなものだものね」

 人を食ったような笑顔でやんわりと言い、ロンは夕食を振る舞ってくれた村長と、その周囲の村人たちを思い浮かべた。

 長年の勘で、一人の妖しと一人の鬼を見つけた男は、その妖しを思い出して笑みを濃くした。

「例えば、ここに巣くっている妖しは、本当に狐みたいね。でも、年は重ねていても力は弱い」

「ああ。正しく言えば、弱くなった、と言う所か」

「弱くなった?」

 妖しの類であるオキの言い分に、嗅覚の鋭さで村の妖しの存在に気づいたゼツが、首を傾げた。

「元々は、それなりに強かったんでしょうね。オスの狐で、二千年は超えて生きてるくらいだから。でも、それだけ生きたのなら、そう簡単にあそこまで、力が弱まるはずもないのよね。あたしたちと同じくらいの年齢で、まだ若いんだから」

「え。あなたたちでも、まだ若いんですかっ?」

「失礼ねえ。あたしたち、まだまだ活きがいいのよ」

「……それは、知っていますが」

 二千年生きて、まだ活きのいい若者。

 ようやく百年超えたエンとゼツには、気の遠くなる話だ。

 話に付いて行けるか、怪しくなってきた二人に、ロンは続けた。

「若いのに、力が弱くなった原因としては、そうねえ……病弱には見えないから、誰かに力を奪われたのかもしれないわね」

「力を奪われた? そんなに簡単に、奪えるものなんですか?」

「まさか。同種で対決の末に敗北したか……もしくは、色恋のお話で、一方的に同種の女に言い寄った挙句のしっぺ返しで、精気を抜き取られたか。どちらにしても、あまり思い出したくない事情でしょうね」

「狐は、二人いましたよ。男と女の二人です」

 楽しそうに言う男に、ゼツが躊躇いがちに口を挟んだ。

「え、本当? じゃあ、あれは山の狐じゃあないのかしら?」

「そこまでは分かりませんけど……」

「女の方が、強そうだった」

 眠そうに天井を仰いでいたセイが、助け舟を出した。

「男の方は、ただいるだけにしては怪しいし、鬼の方は私たちを見る目も、相当怪しかった。用心は、やり過ぎても無駄にはならない」

「セイ。一つ聞かせてくれ。その鬼と、怪しいと言う男の狐は・・・」

 エンが真剣に切り出して、先ほど紹介された村人の名の内二人を並べると、若者は男を見返して首を振った。

「その二人は、狐だ。鬼は、別にいる」

「嘘。あれが、女の狐?」

「へえ。中々じゃないか。オレらが分からんとは」

「そうね。狐と聞いたら、目を光らせるオキちゃんの目をも、誤魔化すなんて」

「鬼は、こいつであっているな?」

 揶揄いの言葉を無視したオキの上げた名に、ゼツが頷いた。

「そうなのか……どういうことだろうな……」

「どういうことなのかは、こちらの台詞よ。一体どうして、その二人が怪しいと思ったの?」

 エンの呟きにロンが問いかけるが、問われた方は口ごもった。

 珍しいその仕草で、何かを察した男が呆れた声を出す。

「いやだ。そういう事? そういう事情で、二人が怪しいと思ったの?」

 意味不明な言葉だが、連れたちには通じた。

「その二人に、死相でも出てたのか? ただの寿命かも知れんのに」

「それなら、害のある妖しかも知れないんで、気にしないんですけどね」

 エンはため息を吐いた。

 その顔を見守っていたセイは、静かに問いかける。

「……その二人以外の全員が、か? もしかして?」

 岩の前に迎えに来た中に、あの狐二人はいなかった。

 あの時から、様子がおかしかったエンが、この村に戻って、更にやつれて来ている。

 男が黙ったまま頷くのを見て、他の連れたちも嫌な顔になった。

「流行病でもかかるのかしら? 鬼すらも、道連れにするような?」

「分かりません」

 死相と言うものは、それが近いから見えると言うだけで、どれだけ近いかが正しく分かるわけではない。

 ひと月後の時もあれば、翌日の時もある。

 今この時に、あの中の誰かが、息を引き取っているかもしれない。

 そんな曖昧な死期の予想だが、一つだけ言えることがある。

「……興味本位で、戻って来てしまって何ですが、この村に長く留まるべきではないと思います」

 きっぱりと、エンが言い切り、ゼツも頷いた。

「明日は予定通り、先へ行きましょう。何もこんな村で人とかかわりあって、嫌な思いをしなくてもいいでしょう」

 そう、目的は全く別なものなのに、こんな所で嫌な思いをするのは馬鹿げている。

 滅多に味わえない物に、釣られてしまった男二人も、それは同じ考えだった。

「そうね。明日の朝には、お暇しましょう。どういう儀式をするのか、とても気になるけど、それは来年でもいいんだし」

「……どこまで、歩く気でいるんだ?」

「さあ、目的の子が、どこに隠れているのか、それ次第ね」

 あまり長居したい国ではないが、その人物を探す理由が自分にある為に、それ以上何も言えず、セイは立ち上がって部屋を出た。

 案内してくれた女性の話で聞いていた厠へ向かい、用を足して手水の前に立つ。

 風に、湿ったものが混じっているのに気付き空を見上げると、完全に日の落ちた空を雲が覆い始め、見えていた一番星が隠れていた。

 雨が近いと考えながら手を洗い、手拭いで両手を拭きながら部屋に戻ろうとして、ふと足を止めて振り返った。

「……」

 今にも泣きそうな顔で自分を見る、半分透き通った若い娘。

 何かを言いたそうにしているのに、それを声に出せないもどかしさを滲ませるその表情を、暫く見つめてから、セイは黙ったまま顔を正面に戻して部屋へと歩き出した。

 一方、セイを厠に送り出した旅人達は、夜を迎える準備に取り掛かっていた。

 昔から旅を続けてきた四人は、住まいを持たないなりの宿での過ごし方を身につけている。

 明日の出発は決まったが、その翌朝まではまだ長い。

 それぞれ寛いでいた四人のいる部屋に声を掛け、静かに入って来たのはこの家の主の村長だった。

「皆様、お寛ぎの所失礼いたします。実は、これより、今年初めての儀式が執り行われますので、旅の土産話にしていただければと、お誘いに上がりました」

「今から? それは、急な話だな」

「そのようなことはありません。ですが、間近に迫るまでは、他言出来ぬ決まりもありまして、不躾なお誘いとなってしまいました」

 やんわりと答える男に、客たちはそれぞれと顔を見合わせ、色黒の男が問いかけた。

「そこまで秘密な儀式だと言うのに、見てしまっても構わぬのか?」

「はい。この儀式が出来るのは、狐様の意に叶うあなた方が来て下すった、お蔭にございますので」

 にこやかに笑いながらの申し出に釣られて頷いた一同は、誘われるままにぞろぞろと部屋を出た。

 玄関から外に出ると、勧められるままに小柄な老人の傍に立つ。

 老人は、ゆっくりと旅人達にお辞儀をして傍を空け、静かに庭の方に顔を向けている。

 見物の少なさに戸惑う四人に、村長が小声で言った。

「この儀式には、女子供を挟めませぬので。留吉は、もう足腰がいう事を聞かぬ上に、元々流れ者でして、ここで儀式を見送っております」

「なるほど」

 女子供と流れ者という言葉に含まれるものに気づいたが、頷いたエンもその連れたちもそれに気づいた様子を見せない位には、節度を持っていた。

 旅人と流れ者の違いは何だろう……などと、口に出すことなく四人は儀式を見守る。

 庭の方から、静かに村の男衆が歩き出てきた。

 村長の跡取りと紹介された大柄な男を先頭に、十代の若い男から五十を超えているだろう年配の男までがぞろぞろと歩き、生垣の門を静かに出て行く。

 掛け声もないその儀式に、不気味さを覚える旅人の前を、大きな木箱が通り過ぎた。

 前後の両端を、四人の若者が担いでいるそれは、大の男一人はすっぽりと入りそうな大きさの、西洋の棺を思わせる木箱だった。

 その傍を歩く幼さを残す若い男は、一振りの斧を大事そうに抱え持っている。

「……」

 その斧から漂う匂いに、岩のように大きな侍が僅かに眉を寄せたが、それに気づくほどの気遣いを見せる村の民はいない。

 粛々とした空気で、門を出て行く一行を見送ってから、村長も旅人達に一礼して、その後に続いて門を出て行く。

 それを見送った留吉と紹介された老人が、武芸者たちに一礼して家の中に入って行ったのを潮に、旅人達も部屋に戻るべく歩き出したが、ゼツが知らず詰めていた息を一気に吐き出した。

「どうしたの?」

「いえ」

 どこで聞かれているか分からないと言葉を濁し、大男は首を振って連れたちと共に部屋に戻った。

「セイは、まだ厠か?」

 部屋に戻って、そこが無人なのを見て、オキが首を傾げた。

「腹でも下したのか?」

「まさか。そこまで、体の弱い子ではないだろ」

 とはいえ、体調によっては、病気になりやすいのが生き物だ。

 笑いながらも、エンがもう一度部屋を出て行き、厠とその周りを歩いて戻って来た。

 その顔が陰っている。

「おかしいな。どこにもいない」

「いない?」

 ロンも眉を寄せ、自分より年若の男に尋ねる。

「ちゃんと探した? 井戸に落ちてるかもしれないわよ」

「まさか」

 前例があるから出る心配に、エンは苦笑して答えつつ、きっぱりないとは言い切れず、再び部屋を出た。

 今度は、井戸の中も覗いてから周りを探すが、やはりいない。

 どこかに出かけるなら、一度、声を掛けて行くはずだ。

 それとも、外に出ていた時に、一度は戻っていたのだろうか。

 それなら、書置きの一つくらいは残していく。

 それ位、自分が心もとなく思われているのは、セイも承知しているはずだった。

「……」

 嫌な、予感がする。

 だが、どう動けばいいのか見当もつかない。

 姿が見えない若者の居所を察せられるほど、エンの感覚は、鋭くなかった。

 溜息を吐いて部屋に戻りかけた男は、騒がしく廊下を歩いて来る、この家の小さな住人達と鉢合わせした。

「これはお武家様。こんばんは」

 恐縮して頭を下げたのは、十代半ばの若者だった。

 洗いざらしの古着を身につけ、白い鉢巻で袖を捲ったその子供は、村長の体の弱い妻の身の回りの世話をしていると、さっき紹介された。

 ここで骨を埋めることとなった医者の息子で、親を弔いながらその死を穏やかに迎えさせてくれたこの村の者達に、せめて今まで親から得た医学の知識で役に立ちたいととどまり続ける、コトという珍しい名の若者だ。

 もう一人は、村長がすえという若い女に生ませた、長吉というまだ十歳に満たない子供だった。

「こんばんは。どうしたのだ? もう寝る刻限ではないのか?」

 子供好きな男は、内心の不安を微笑みに隠しながら、穏やかに尋ねると若者が返した。

「はい。ですから、寝る前にこの子を厠にと」

 優しい笑顔で言い、小首を傾げる。

「お武家様も、厠をお使いですか?」

「いや」

 控えめな問いに返し、エンはしばしの躊躇いの後、尋ねた。

「私の連れの一人の姿が見えないのだ。どこかで会わなかったか?」

「お連れ様ですか? いいえ。今この廊下を歩いた限りでは、あなた様以外のお武家様とは……」

「そうか。ありがとう。行き違いになったかもしれないな。私も部屋に戻る」

 あくまで穏やかに会話して二人と別れたが、その背を見送った男は、戸惑っていた。

 僅かな、表情の変化だった。

 連れの姿が見えないと聞いた若者の顔色が、僅かに変わった。

 心配して、というより別な事情で現れた感情を、抑えるような表情だった。

「……」

 部屋に戻りながら、その僅かな変化の意味を考えたが、その答えを得る前に思考を遮ったものがあった。

 戻るつもりの部屋の方から聞こえた、家全体を揺るがす音と、地震と間違えかねない地響きが、旅人を我に返らせたのだ。

 何事かと部屋に戻ると、ロンが自分より小柄なオキを、板張りの床に押さえつけている。

 呆気にとられるエンの視線の先で、その手から逃れようともがく男が喚いている。

 もう一人の大男は、そのどちらにも加勢せず、雨戸を開け放っている外を凝視していた。

 この国では、開くことを控えている両目を見とがめようとした時、大男の体が動いた。

 無言で縁側から外に向かおうとするゼツに、ロンが鋭く声を掛けるが、男は止まらない。

 加勢を求めて、名を呼ばれる前に、エンは動いた。

 自分より一回りは大きい男の腕を掴み、そのまま力づくで引き倒す。

 家とその周りが、大きく地響きを立てた。

 家内の女衆の悲鳴と共に、家に残っていた住人達が騒ぎ出した。

 村長のおかみと長吉の母親が客の様子を窺いに来て、その中の様子に目を見張る。

「い、いかがなさいましたか?」

「いや、何でもない」

 笑いながらロンが答え、まだ押さえつけたままのオキの頭を、軽く叩く。

「驚いた。この辺りも、薩摩の火山の噴火で、地響きがするのだな」

「随分歩いたと思ったが、まだまだ、ほんの少しだったのだな」

 エンも笑顔で頷きながら、こちらも押さえつけたまま、宥めるようにゼツの頭を撫でる。

「この者たち、図体に似合わず災害の類が苦手でな。雷でも、今のような地響きでも、この有様なのだ」

「恥ずかしいさまを、見せてしまった」

 女たちが顔を見合わせるのを、二人の男は変わらぬ笑顔で見守る。

「……今の、噴火の地響きでしたか?」

「それなら、もう少し緩い揺れだと思うけど……」

「この辺りも、火山灰は届くのか?」

「は、はい」

「まあ、大変っ。畑がっ」

「い、いね様っ。夜分は危のうございますっ」

 挨拶もそこそこに、女が慌ただしく廊下を走り去り、その後を若い女が追っていき、その後ろで中の様子を窺っていた留吉が、頭を下げて部屋を辞してから、エンが穏やかに呟いた。

「……何の話もなしに、自分だけ飛び出そうとするのは、ずるいぞ。あいつに何かあったら、すぐにそうしたいのは誰か位、分かってくれているんだろう?」

 穏やかな言葉は、長い付き合いでなければ分からない威圧感を含む。

 抑えられたままの大男は、その体勢のまま答えた。

「す、すみません」

「落ち着いたのなら、離すわよ」

 微笑みながら、ロンも言うと、オキは無言のまま渋々頷く。

 解放されて身を起こした二人は、解放して腰を落ち着けた二人の前に、身を縮めて座った。

「……悲鳴が、聞こえた」

「悲鳴? セイのか?」

 意外な言葉に、目を瞬くエンに首を振って、オキは答えた。

「知らない、まだ若い男の声だ」

「なら、別にいいじゃないの」

「その前に、こいつの顔が、変わったんだっ」

「……髪の匂いを辿ろうとしたんですが、オレ自身の髪の匂いが邪魔して、果たせずにいたんです。ですが、やっと、居場所が分かりました」

 山にいる。

 きっぱりと、ゼツは言い切った。

「あの、狐が巣食うと言われている山で、大量の血を流しました」


 山の鳥居を抜けて、山中に入った村の男衆たちは、今年最初の供物を祠の前に置いた。

 男四人がかりで運んだ木箱を地面に下ろし、その蓋を開けて横倒しにする。

 小さく声を上げて、中にいた若者が転げ出てすぐに身を起こすのを見て、男衆は大きく飛んで下がってしまった。

「痛たた……」

 殴られた反動か、両手で頭を抱えて唸っているが、意識もはっきりしている。

「……嘘だろ。生きてる」

 斧を持つまだ幼い男が震える傍で、若い衆のまとめ役の男が、自分の目を疑って呟いた。

 いつものように、しかし、最初の儀式を失敗せぬようにと、毎年一番力が入るこの供物の調達は、今年は武家が相手という事で、更に力を入れたつもりだった。

 だからこそ、使った鈍器がひび割れて壊れたのだと思っていたのだが、相手は唸りながらも立ち上がるほどの余力がある。

「顔を見られて恨み言を言われるのは、後味が悪い。ここからでも、充分に届くだろう」

 遠巻きにひそひそと話す男たちを、若者は暗がりで見分けることは出来まい。

 夜目に慣れて、騒がれては厄介だ。

 村長は、冷静に幼い男に命じた。

「そ、そんなっ」

「大丈夫だ。あれは、山の獣だ。そう思えば簡単だろう。ふらふらと、立っているだけだ」

 無情な村長の言い分に、男は顔を引き攣らせた。

「何、少し傷つけてやればいいだけだ。狐様に、供物を約束通りに持って来た旨を知らせる、大事なことなのだ」

 まとめ役の若い男が、宥めるように言い、続けた。

「お前が一人前と認められ、嫁を回してもらえる立場になるための、大事な行事だ。何、一度うまくいけば、後は楽になる」

 力強く頷きながらの言葉に、若い男は意を決した。

 見据える先に、立ち上がって木の幹に背を預けている若者がいる。

 周囲を見回して、村人たちを認めて身構えた若者に、男は手にしていた斧を思いっきり振り投げた。

 投げた本人が思ったよりも強く投げられた斧は、若者の頭すれすれで木の幹に深々と刺さった。

 若者の右腕を、縫い付けたまま。

 唖然とした顔のまま、崩れるように倒れたその肩から、大量の血が勢いよく吹き出、若い男は悲鳴を上げていた。

 そのまま泣き出した男の傍で、村長は倒れて動かない若者を、遠目で見る。

「……生きたままの方が、血は吹き出るのだな。人も、獣も同じだな」

「そうですね。山を汚し過ぎたのが、気になりますが」

「心配ない。あの方の御機嫌さえ取っていれば、村の男には害などないからな。怒ったら謝って、次を綺麗に差し出せばいいだけだ」

「なるほど。では、次の為に、残った方々も、丁寧に接待しておかねばなりませんね」

 頷いたまとめ役の若い男は、泣き止まない男の肩を叩いた。

「よくやったな。今年から、お前にも嫁が回るぞ。立派な大人の、仲間入りだ」

 そして、他の村人を促し、山を出て行った。

 後に残された若者を振り返る者は、一人もいなかった。


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