光降る星2
「はい、こちら第七小隊。博士~!」
『その声はエイナだね。よかった、今日は通信の調子はいいみたいだ』
落ち着いた声と一緒に空間投影されたモニターに映ったのは、二十代中ごろから後半ほどの男性だ。
エミルはその顔を見ると、あからさまに嫌そうに眉をひそめた。
「クソくらえだ。じゃなかった。クソクレイ博士だ」
『クソは余計だね、エミル。順調かな?」
「本日もぜっこーちょーでーす」
適当極まりない返事にも、にこやかな笑みを浮かべている。
クレイ博士――首都にある、リュウトたちの所属する組織「エクリプス」の研究者だ。
若いながらも優秀で、十年前には絶望的とも言われた人類の存続を、なんとか今に繋ぐことに成功した立役者でもある。しかし、本人の性格はのほほんとしたもので、いつもニコニコと笑顔を絶やさない。
クレイは困ったような笑みを浮かべる。
『アイリがリュウトに会いたがっていたよ。やっぱりぽややんとしていてね、何をやらかすか分かったもんじゃない』
「あはは……どうもすみません」
『早く帰ってきてくれるとありがたいな。勿論、君たち二人もね」
「そうだ聞いてください博士、今日もリュウトの探知、すごかったんです!」
エイナが勢い込んで話しだす。
エイナはどうやらクレイ博士のことが気になるらしく、定期連絡の通信をするたびに嬉しそうにするのだ。
というわけで、今日もやっぱり頬を染めている。
そんな様子をエミルは面白くなさそうに、口をへの字に曲げて眺めているのだが、エイナが気づく様子は全くない。
「さっき戦闘終了したばかりなんですけど、リュウトったら星喰いが出現する前から存在を感知して、目視したあともその動きを完璧に見切って――」
「エイナさん、褒めすぎです」
「照れない照れない。ね、博士」
『あぁ、わかってるよ。リュウト、君の能力はとても貴重だ』
「でも――僕は戦えません」
リュウトは俯いて首を振った。
「二年も訓練して。星晶術が未だにまともに使えないままだなんて――僕は、どんな顔をしてアイリに会えばいいのか……」
「ああもう暗い! 暗すぎる!」
「ええっ」
エミルはますます不機嫌そうに顔をしかめて、勢いよくリュウトの両肩を掴んだ。
「痛い痛いっ」
「人にはなぁ、向き不向きってのがあんだよ! 何のためのチームだと思ってやがる!? ええ!?」
「わかった、わかったから離し――」
「わかってねぇ! ったくお前と来たら事あるごとに自分を必要以上に見下げやがって」
『エミルの言う通りだね』
クレイ博士の声に、エミルは舌打ちをしてリュウトを解放した。
エミルはなぜかクレイ博士を敵視している風なところがあるのだ。そんな博士から同意されたのが気に入らなかったのだろう。
『エイナから聞いたよね? 君たち第七小隊を、「エクリプス計画」本隊の地下迷宮探索任務に加えることが決まったんだ。勿論、この二年間の訓練――地上戦闘の成績と討伐数、あとは勤務態度が評価された結果だよ。三人とも、文句なし。最前線に出られる実力があるってことなんだから、自信をもって。ね?』
「はい――」
『浮かない顔だね。他に悩みでも?』
リュウトは一瞬ためらって、
「……いえ。なんでもありません」
腰のホルスターに収納したナイフの柄を無意識に握りしめる。
クレイ博士はしばらく静かにリュウトの様子を注視していたが、やがて小さく頷いて微笑んだ。
『とにかく。二年間も「外」で暮らしてたんだ。せっかくだし早く戻っておいで。エイナ、飛行術の使用を許可するよ。二人をつれておいで』
「ほんとですか!? やったぁ! ありがとう博士!」
『うん。何か言われたら僕の名前を出していいからね』
また後で会おう。そう言って博士は通信を切った。
エイナは満面の笑みを浮かべている。
「な、なんだよ……笑い方が気持ち悪ぃぞ……」
「あら、失礼ね。ここに置いてっちゃうわよ?」
「べつにいいけどな。陸路でもオレの足ならそう変わらねー筈だし」
「そんなこと言ってこの前遠征先から一人で帰って来た時にふらふらになって二日も寝込んだのは私の記憶違いかしら」
「う、うるせぇ! あれはただ、途中で中型の星喰いを三体も倒したから、ペース配分をミスって――」
「ハイハイ。二人ともはやく荷物まとめちゃって! 今日中に首都に帰還しちゃうんだからね!」
手を叩いて催促するエイナにぶつくさ文句を言いながら小屋へ入っていくエミル。その後を追いかけようとして、エイナに呼び止められた。
そこには、さっきまでの恋する乙女の笑みはなく、チームのリーダーとしての引き締まった表情でリュウトを見つめる少女の姿があった。
「私からも言っておくけど、リュウト。キミは素晴らしい能力を持ってるんだからね。ちゃんと戦力になってる」
「そんなこと――」
「あるの。知ってるわよ、対人訓練ならエミルに負けないくらい強いじゃない」
「エミルは年下ですよ」
「私から見ればあなたも年下よ?」
黙り込むとエイナは困った顔をして、
「参ったな。そんなに落ち込まれちゃ、せっかくの再会なのにアイリちゃんが悲しむわね」
「!」
「お、ちょっと立ち直った?」
「……荷物とってきます」
背中に暖かい視線を感じながらも、小屋に引っ込む。
エイナは面倒見がいいのだが、なんというか世の女性がそうであるように、色恋沙汰の話題が大好物なのだ。
まぁ、からかうまではしてこないのが救いなのだけれど。それでも姉のような視点で見守られると気恥ずかしいものがある。
リュウトとアイリは兄妹だ。血はつながっていないとはいえ、恋愛をするような間柄ではない。と何度も言っているのに、周囲の誰もが聞く耳を持とうとしないのが、ちょっとした悩みの種だったりする。
小屋の中では先に入って荷造りをしていたエミルがザックの中身をひっくり返して慌ただしく荷物を分別している。
「どうしたの、そんなに広げて」
「いや。土産をどうしようかと思ってさ。飛んでいくんだろ? あんまし重い素材は持ち帰れねーなって思って」
「そっか」
二年ぶりの「首都」帰還。
いつもは興味がないようなフリをしているエミルも、さすがに郷愁を覚えないわけではなかったようだ。
「サーラへのお土産だね」
「ああ。あいつ、手先だけは器用だからな。材料さえあればっていつも嘆いてやがるし」
遠い目をして言うエミルは嬉しそうだ。
妹想いのいい兄なのだが、褒めると照れ隠しに飛び出して行きかねないので、代わりに少し悪戯っぽく問いかけてみる。
絶対に認めたがらないが、エミルだって立派なシスコンなのだ。
「早く会いたい? サーラに」
「まーな……一応、これでも兄貴だしな。お前だって早くアイリに会って兄らしいことしてやりてーだろ?」
「まあね」
この何もかもが消えてしまった世界で、唯一助け合える存在。
二人はそれ以降は言葉を交わすことはなく、荷物を整理し続けた。
*
首都。または単に「街」と呼ばれるそこは、東京の特別区ほどの範囲を敷地とする特別な街だ。
地球上で生き残った人口の約六割が暮らし、現状、地球上で最も「十年前」に近い都市機能を保っている場所でもある。
しかし同時に元凶でもあるツリーオブグリーフ「大災害」の爆心地でもあるので、かつての「東京都」の面影は、全くと言っていいほど残っていない。
結晶塔と呼ばれる大きな硬質の物体で構成される巨木の塔は、都庁に根を張り、今もなお成長し続けている。
空高く伸びた枝葉には花が咲き、光燐と呼ばれる結晶粒子を吐き出している。
光燐は成層圏を覆い、気流に乗って地球全体を流動している。気象条件によっては地上近くまで降りてくることもある。
「見えてきたわよ。今日は光燐の濃度が濃いわね……」
エイナが目を眇めて見る先に、うっすらと都市のような建物の影が見えた。
「ちょっと高度下げようぜ。光燐が鬱陶しい」
「そうね。今日は風が強いからね」
そう言ってエイナはまたがっている棒の先端を地面に向ける。
三人は丁度、魔女がホウキに乗るようにして地上十数メートルほどの高度で飛行中だ。
エイナの武器は伸縮自在の槍なのだが、刃は今はない。先頭にエイナ、その後ろにリュウト、その後ろにエミルが並んで棒に腰かけた状態でいる。
飛行術が使える人間は多くない。そのためリュウトとエミルは、この中では唯一飛べるのがエイナだけなので頼るしかない。
「魔法使いみたいだよね。映画に出てくる」
「ダッセ」
「何? 今バカにした?」
リュウトとエミルの感想にエイナは振り返って頬を膨らませた。小動物みたいだ。
その体にはうっすらと輝く魔法陣の帯が取り巻くように浮かんでいて、エイナが星晶術の行使中であることがわかる。
エミルはその魔法陣を眺めて、眉をひそめた。
「その……なんだ。疲れねえのか」
「ん? ああ、うん。そうね、ちょっと疲れるわね。だって育ち盛りの男の子を二人も相乗りさせてるんだもの」
「悪かったな、飛べなくて」
「エミルは‘飛ぶ’練習、いつもしてるよね」
「まあな!」
リュウトが問いかけると得意げな顔になって、胸を張る。
「そのうち絶対習得して、得物無しで飛べるようになってやるんだからな!」
「え、武器無しで星晶術を? そんな高等技できるの?」
「馬鹿にしてやがんのか? え? リュウト。言うようになったじゃねぇか」
「だってエミル、「晶力」のコントロールが苦手じゃん」
言うと、言葉を詰まらるエミル。やりとりを聞いていたエイナがくすくす笑う。
「私は晶力を使える量は多くないんだけれど、操作技術はそこそこあるつもりなの。こうやって‘飛ぶ’コツはね、大量の晶力を爆発的に使うんじゃなくて、少しの量を持続的に同じだけ使い続けることよ。車のエンジンの回転と同じね」
「あー。そのクルマってのがありゃあ飛ぶ必要もねーんだけどなあ。すっげえ速ぇらしいじゃん!」
「まぁね。でも今のこの世界じゃ車とか電車みたいな、旧時代の移動手段は全部機能しなくなってるからね。原因は――はい、リュウト。なんでしょう?」
「光燐」
「ピンポーン」
三人は揃って空を見上げる。
エイナは真面目な顔で続けた。
「光燐には、あらゆるエネルギーを吸収する性質があると言われているわ。電気エネルギーも含めてね」
「エネルギーを吸収……結晶塔みたいですね」
「そ。性質が同じなの」
地上のエネルギーを取り込んだ光燐は、だんだん大きく成長して地上に落ちる。それが「種」だ。
ツリーオブグリーフの繁殖手段なんじゃないか、などと言われているが、不思議と「種」から芽を出して育った木は本体のツリーオブグリーフほどは成長しない。平均で数メートルから十数メートル程に留まる。
「そのへんの樹木と変わらない大きさよ。本体の結晶塔みたいに地球の地下からエネルギーを吸い上げている様子も見られないし。一応は無害ね」
「そうなんですか。見た事、ないです」
「首都から離れた所まで行けば見れるわよ。それより、光燐にはもうひとつ、怖い性質があるよね」
「……」
思わず答えに詰まって、黙り込んでしまう。
予想していたのか、エイナも重苦しい息を吐く。
「人体に、有害なのよね。普通の人があの光燐を浴び続けると、死んでしまう。それも割とすぐに。恐らく、人体の生命エネルギーを吸収されるからだ――って言われているけれど、詳しくは分からないわ。それで、一番の特徴は――」
「死体が残らない」
エミルが恨みがましく上空の光燐を睨みながら、エイナの言葉を遮って言った。
エイナは淡々と頷く。
「そうね。恐らく素粒子レベルまで分解されるのね」
まるで倒された星喰いが光の粒となって四散するように。
この世界では人もまた、死ぬと――消えるのだ。世界はそんなふうに、変わってしまった。
「人間一人が光燐に吸収されたら、大体「種」が一粒落ちる。だから、今生えている「種」から成長した木――結晶樹は、もともとは生きた人間だった、なんていう見方をする人たちが大勢いるわ。だから結晶樹を墓標のように見立てて、残そうって動きが……」
「何が墓標だ」
その声は、微かに震えていた。
エミルの体と密着しているリュウトには、エミルが歯をくいしばり、今にも爆発しそうな感情を抑え込もうとしているのがわかる。
「あんな――ただの。人が死んだ跡、じゃねえか」
「……そうね」
「大っ嫌いだ。あんなもの」
エイナは静かに頷いてしばらく黙り込む。やがてふと下を見て、
「あれも結晶樹ね。ふつうのよりかなり大きいけれど、あれ以上の大きさのものは見つかってないわ。それにあれは人が死んだときに出来る「種」から成長した結晶樹じゃないらしいし」
「通称、「聖域」ですね。あ、じゃあもうすぐ首都の入り口ですか」
それは高さが数十メートル、幅が数メートルもある、透明な結晶で出来ている巨木だ。
周辺を特殊な星晶術の魔法陣で囲ってあって、立ち入り禁止の札が立てられている。
黙っていたエミルが不機嫌な声のまま言う。
「なぁにが「聖域」だよ。結晶塔が管理してるただの研究用の結晶樹だろ。星晶術の「コア」用の原材料にしてる」
「そう。現在の人類が、物理エネルギーの代わりに使うことが出来る、唯一のエネルギー。「晶力」の、媒体ね。私たちの身体に埋め込まれている「コア」はあそこから削り出されたものよ――ほら、壁を超えるわ。二人とも、通行証を準備して」
リュウトはポケットからパスケースを取り出す。カード状の通行証の中心には結晶樹から加工された「晶石」がはめ込まれており、首都を囲う壁に近づくと、自動でセキュリティシステムに認証される。
淡く光を放ち始めた通行証を眺めているうちに、エイナが操る飛行術で飛翔する三人は門を飛び越えた。