光降る星1
「おおっ、まーた妹からの手紙か? このシスコン野郎め」
からかうような声に、突っ立ったまま手紙を熟読していたリュウトは、慌てて顔を上げ、手に持っていた紙の束を畳んだ。
そこは古い小屋のような場所だった。しかし、掃除は行き届いているようで、埃っぽさは無い。
家具は少なく、ベッドと机のみ。少しの本が入れてある戸棚には、サバイバル用の道具一式が丁寧に収納されている。
部屋の中央部分に佇む少年は、歳は十代の半ばほどだろうか。夜闇のような黒髪に、深海を思わせる群青色の瞳。同じ年頃と比べても華奢と思われる体に、訓練着と思われる、動きやすそうなジャケットを羽織っている。
少年、リュウトは入ってきたばかりの声の主に抗議を返す。
「シスコンなんかじゃないってば。そう言うエミルだって、サーラのことばっかり話す癖に」
「ハッ、一緒にすんなよな。甘ったるーくて、甘ちゃんな、クソ甘い砂糖菓子みたいなおまえらとは違うんですう」
鼻で笑う少年は、リュウトよりも少し年下のように見える。服装はリュウトと同じジャケットだが、腰まである見事な金色の髪を、ひとつに結っている姿が特徴的だ。
琥珀色の勝気そうな瞳が、興味深そうにリュウトの手元の手紙を見ている。
「で、なんて?」
「うん。いつもの近況報告と――それと、次に会える日が近いって」
「ふぅん? 今んとこ、何も聞いてねーけどな」
「僕がエミルにいじめられてないかって心配もしてくれてる」
「ハハッ。そりゃ傑作だな」
エミルと呼ばれた少年は悪戯っぽく笑って、
「しっかし、ここに来てからは昔みたくいじめる暇がないんだよなぁ」
「それだけは助かってるよ、本当に」
「そろそろ行くぞ。エイナが待ちくたびれてる。鉄拳が飛んでこないうちに、ってな」
「わかった。すぐ行くよ」
戸棚の本の隣にある凝った彫刻の木箱を取り出し、丁寧に畳んだ手紙を入れ、仕舞う。
そのかわりに取り出したのは、刀身が淡く輝いている大型のナイフだ。丁寧に鞘に入れて、腰のベルトに吊った。
壁にかけてある、フチの欠けた鏡をのぞき込む。ジャケットに損傷はない。ズボンも、手袋も、丈夫な革でできたブーツにも問題はない。
「よし。……行ってきます、アイリ」
ぽつりと呟いて、リュウトは先に出て行ったエミルの後を追って部屋を出た。
*
空は青灰色に覆われている。
この星の、地球の空を覆い尽くすのは、水蒸気で出来た雲ではなく、無数の細かい結晶粒子である。
「光燐」と呼ばれるその結晶粒子が世界を覆ったのは、十年前。
流星の日――と生き残った人間の誰もがそう呼ぶ、あの「大災害」が起こった瞬間からだという。
「空から降ってきた、ひと筋の流星。それが墜落したのは、当時の日本国首都、東京。その中心部――都庁よ」
色素の薄い茶色の髪を、長い三つ編みでひとつにまとめた少女がそう言って、壁に貼り付けた簡易黒板を棒のような杖で叩く。
安い材質のそれは、小突かれるたびにチープな音を立てた。
そこに描かれているのはかつての日本と呼ばれていた国の全体図――だと思われる。線がなんだかふにゃふにゃしていてとても日本地図には見えないが、おそらく画力の問題だろう。
長細いくねくねした物体の真ん中あたりにホクロのような点が足され、そこに「首都」という文字を書く。
それを見たエミルは、黙っていたリュウトとは違って思ったことをそのまま口にする。
「それ、日本か? アメーバにしか見えねえぞ」
「悪かったわね、絵心が無くて。で、その東京都庁はどうなったでしょう。エミル、答えて」
「うるせぇ。今更知れた事だろ、そんなもん」
「いいから答える!」
「……ハァ」
嘆息をして、ふいっとそっぽをむくエミル。どうやら答える気はないらしい。
その様子を呆れたように眺めた少女は、翡翠色の瞳をエミルから隣のリュウトに向けた。リュウトは苦笑いして、エミルの代わりに、と口を開いた。
「ツリーオブグリーフ……結晶塔が生えてきたんですよね」
「そう。ここからも見えるアレね」
遠くに見えるのは、高く青灰色の空を突き抜けてそびえ立つ、水晶のような材質の塔だ。
その正体は詳しくは未だに不明で、かつ、この世界を現在進行形で滅ぼしかけている元凶なのだという。
「都庁はもちろん崩落したわ。けど、そこにすごい勢いで植物が生えてきたの。植物って言うか水晶のような物だったんだけれど、芽を出して枝と葉を広げて育っていく姿は、まさに樹木としか言いようがなかった、と記録には残っているの」
「やっぱり塔じゃなくて木、なんですね、アレ」
「もう高すぎて幹の部分しか見えないからね、塔って言ったほうが見た目がしっくりくるって人が多くなっちゃってね。正式名称はツリーオブ何とかのほう。結晶塔は通称、ね」
結晶塔。それが元東京都庁に根を張り、天空に向かって伸び、首が痛くなるほどに成長するまでは、一週間とかからなかったのだという。
そして――変化は唐突に起こった。
「上空数千メートルの高さまでツリーオブグリーフが成長した時だったわ。木に花が咲いたの」
「その花から噴出したのが――」
「そう、光燐……アレのせいで、世界は変わってしまったわ」
空を見上げる。上空を覆う結晶粒子は、よく目を凝らして見ると、青暗く不思議な輝きを放っていることが分かる。
「それと、ここが一番大事なのだけれど。あの結晶塔、実は木なのは見た目だけじゃなかったの」
「地球の地下の伸ばした根っこからエネルギーを吸い上げてんだろ」
「ご名答。分かってるじゃない」
「とーぜんだっつーの」
ケッ、とお行儀悪く悪態を吐くエミル。
「あんまアレの話、すんなよ。気分悪ぃ」
「まぁ、あのツリーのことをよく思ってる人なんていないだろうからね」
「ところでエイナさん、どうして今その話を?」
エイナ、と呼ばれた少女は、かっちりとした訓練用のジャケットを確実に押し上げる、存在感のある胸を張り、えっへん、とふんぞり返った。
「この度、私たち第七小隊が、正式に結晶塔の地下迷宮捜索チームに加わることになったのです!」
「へえ! そいつは朗報だな」
不機嫌そうな顔をしていたエミルが目を見開いて言った。
「そうか、それでアイリのやつ、わざわざリュウトに手紙を書いて寄こしたんだな? 結晶塔関係者の情報リークってやつだな」
「すぐ会えるってそういう事だったんだね」
「やっとだ。この薄暗い郊外で、首都防衛っつータテマエでやらされてる不毛な訓練とも、ようやくおさらばってわけだな!」
そう言ってエミルは快活に笑った。曇天の空の下でも明るい笑顔は、一緒にいるリュウトやエイナの表情まで明るくさせる。
「そういうわけで! 改めて私たちの役目を、基礎から確認しようと思ってね。とはいえ、この二年で――何か進歩があったかと言われると困っちゃうんだけど」
「エイナ、お前は最初っからチート級に強かったじゃねーか。一緒にすんな」
「エミルは強くなったわよね。見違えちゃったわ。この前のトカゲ型の「星喰い」戦。見たわよ、一撃で晶核を破壊して、」
「二人とも静かに」
リュウトが発現を遮って言うと、二人は口を閉ざし、一瞬で真剣な顔つきになる。
「――噂をすればか?」
「うん。星喰いの気配だ」
「また地上戦……最近多いわよね。地下にいる正規部隊は何やってるのかしら」
三人は油断なく辺りの様子をうかがう。
警戒態勢をとり、背中を合わせ、それぞれが注意深く目を凝らす。
「首都」郊外。旧日本地図で言うところの埼玉県の県境辺りなのだが、今は一切の人影がなく、建物すらほとんど残っていない。一面に広がるのは破壊された家屋、廃墟と、荒野のみだ。
十年前に都庁に墜落した「流れ星」と「結晶塔・ツリーオブグリーフ」そして――上空を覆う灰色の「光燐」。
それらによって、地球上の人口のほとんどが死に絶えた。
生き残っているのは当時、とある特殊な環境下にいた人間だけであり、都市機能や文明レベルは十年前とは比べ物にならないくらいに低下してしまっている。
現在の、かつて日本と呼ばれていた国の領土に生き残っていると思われる人間の数は、おおよそ十万人弱。
その数少ない生き残りも年々減少し続けており、その最たる原因は「光燐」。そしてもうひとつ――、
「来るよ。十時の方向、三体。一体は飛べる」
「っしゃ、やってやろうか!」
エミルが気合を入れて、ベルトに差し込んでいた二本の剣を構えた。
次の瞬間。
「エイナ、空は任せた! リュウト、サポートだ!」
「了解!」
「わかった!」
エミルが先頭を切って飛び出していく。その先には、唐突に沸き起こった地響きとともに地を割って飛び出した巨大な影。続けて少し離れた場所に、さらに二体出現する。地面だった土と石と岩が勢いよく巻き上げられ、リュウトは慌てて回避する。
大きさは数メートルほどだろうか。それが、三体。うち一体は、リュウトが言った通りに空中を飛ぶ鳥の形をしている。
それらは生物ではなく――しかし無機物でもない。
人の存在を感知すると無差別に襲ってくる正体不明の化け物。
その名は、「星喰い」。
ツリーオブグリーフの成長とともに出現するようになった、人類の敵だ。
「出やがったな、このクソデカ化けモン!!」
「気を付けて、そいつは足が速いみたいだ」
「まぁ見りゃわかるわな」
例えるならライオンかトラかそんなところだろう。
この化け物は、不思議と地球生物を模倣したような形態をしていることが多い。が、その姿は地球の生命とは程遠く、鉱石とも金属とも思える硬質な物質で構成されている。
目標を捉えエミルと対峙する星喰いは、なんとも形容しがたい甲高い鳴き声を上げ突進してくる。
まるで金属をこすり合わせるかのような、それでいて人の悲鳴にも似たような不快な鳴き声は、星喰いの威嚇する声である――と研究で仮説が立てられているが、未だ根拠はないまま。
向かいくる質量の塊を寸でのところでかわしたエミルは、両手に握る剣をクロスさせ集中力を一瞬で高める。
「――廻れ、星の力」
その声が空気を震わせた瞬間、エミルの持つ双剣が淡く輝きを纏う。
足元に広がる光の文字と複雑な図形の組み合わさったそれは、魔法陣と呼ばれるモノ。
星喰いには通常の物理攻撃は効かない。ダメージは与えられるが、すぐに修復され、無かったことにされる。
しかし、対抗策が無いわけではない。
星喰いと戦う者たちが持つ唯一の戦闘手段――「星晶術」ならば、攻撃は通る。
〈認証《鍵》=Ecrips:CODE207「地平線」=Hallse/Emil・Armas・Closs〉
「起動式。十二の剣――展開せよ!」
「エミル、三時の方向! 首の付け根に晶核!」
「ああ! 穿て炎、焼き払え! フレイム・ディザスター!」
エミルの言葉とともに魔法陣の輝きが赤く染め上げられ、双剣が渦を巻く炎に包まれる。
「うりゃあ――――ッ!!」
勢いのまま振り下ろした二連の斬撃が、星喰いの獣の頸部に盛り上がる部分へ的確に撃ち込まれる。
耳をつんざく咆哮を上げて星喰いはもんどりうって倒れる。そして一瞬の間をおいて、硝子が砕けるような甲高い音を立て、その巨体が砕け散る。破片は光の粒子になり、宙へ消え失せた。、
それを見届けたエミルは額に浮いた汗を拭いつつ、満足げに笑みを浮かべる。
「ふう。なんてこたぁねぇな」
「もうちょっとスマートに戦えないの? 野生児みたいよ、そんなに叫んで」
「うるせぇな。ってかお前――」
「何よ?」
スタッ、と軽くエミルの隣に着地したのは、自分の身長ほどもある長い棒を持ったエイナだ。
エミルは驚愕の表情で双剣を握りしめたままの手で、刀身をエイナに向けてわめく。
「もう倒したのか!? あの鳥を!?」
「ええ。あとカバみたいなやつもついでにね」
「いつの間に!? あああくそっくそっ、今日こそはお前よりたくさん星喰いを倒そうって思ってたのに!」
悔しそうに地団太を踏むエミルだが、エイナは気にする素振りもなく、苦笑いを浮かべていたリュウトを振り返った。
「他に気配はないのね?」
「はい。戦闘終了です。お疲れ様です」
「リュウトもお疲れ様。それにしても本当に助かるわ。あなたの探知――やっぱりただのカン、とか言うの? こんなに精度が高いのにね」
「僕はこれくらいしかお役に立てないですから」
リュウトは少し俯いてエイナの視線を誤魔化す。
すると、丁度良く気の抜けた電子音が鳴り響いた。「首都」からの通信だ。
「私が出るわね」
エイナがそう断って、ポシェットから端末を取り出す。最新の、小型プロジェクター付きの通信機だ。十年前にも既にあった技術だが、その頃とは動く原理も、使用するエネルギーも違う。