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屋上オブセッション   作者: 藤崎莉子
莉子の回想
10/13

対面

 それから三日が経った一月六日。私は廃ビルの屋上にいました。

 持ってきたパンくずを空中にほうり上げると、鳶が飛んできて器用にそれをキャッチしました。その時の空は透き通るように青く、雲一つなかったことを覚えています。

 私が鳶に餌をやり始めたのは十五歳の時でした。それまで私の中にあった屋上とは、死を連想させる場所であり、それがどこの屋上であっても同じことでした。

 悦子の存在を知り、わざわざ死ぬ必要がなくなった時、私はこの強迫観念を何か別のもので塗り替えなくてはならないと確信し、散々考えあぐねた結果この屋上に出合い、気が付けば年中やってくるようになりました。

 最後のパンくずを投げ終わると、私は空になったビニール袋の口を縛り、コートのポケットの中に押し込みました。

 それから屋上の隅に行って、ビルの下を見下ろしました。落ちても死ぬような高さとは思えませんでしたが、万一自分がここから飛び降りて、首の骨でも折ったりしたらと考えると、とても白澤さんのような軽率なまねはできないと思いました。

 ――あと三日。

 時間がありません。私は柵に寄り掛かるようにしてその場に座り、透き通った青空を眺めていました。眺めているうちに、本当はすべて嘘なのではないかという気がしてきました。多感な中学生の妄想じゃあるまいし、何もかも非現実的で馬鹿げている!

 私は必死で自分に言い聞かせました。すべては強迫観念や妄想に過ぎないと。しかしその瞬間、頭の奥からじわじわと鈍い痛みがやって来るような気がしました。

 ――どんどん感覚が短くなってる。

 私は頭を抱えました。

「あと三日」

 今度は口に出して言いました。そうすると、いくらか現実味が増すような気がしました。

「誰か助けてくれないかな」

 あれから白澤さんとは何度か連絡を取り合ったものの、具体的な解決策は思いつきませんでした。

「やっぱり落ちるしかないのかな」

 私はもう一度屋上の下を見下ろしました。すると、そこに人影がいるのがわかりました。

「悦子!」

 そこには東京から帰省した悦子が立っていました。

「久しぶり。たった今帰ってきた!」

「どうしてここがわかったの?」

「トンビがいっぱい飛んでたからね。もしかしたらと思って。私ってすごいと思わない?」

 私はすぐ下に降りていきました。

 ――あの時と同じだ。屋上の下に悦子がいる。

 もしこの時悦子が現れなかったら、私は一体どうしていたでしょうか。落ちたのでしょうか。そして誰にも見つけてもらえず、自力で救急車でも読んだのでしょうか。せっかく塗り替えた記憶を、自らの手でめちゃくちゃにしたのでしょうか。

 私は絶対に最後の時まで諦めないでいようと心に決めました。



 一月八日。その日、私は自分の中に潜む「何か」とコンタクトを取る方法はないものかと考えていました。真正面から向き合いたかったのです。ベッドの上に座り、意識を集中させ、頭の中で声を掛けてみましたが、駄目でした。そんなことを何度か繰り返しているうちに、自分がとんでもなくいかれたことをしていることに気付き、急に恥ずかしくなりました。自分は一体何をしているのだろうと呆れながら、「何か」から返事が来るのを待ちました。しかし、いくら待っても返事はありませんでした。


 ――アンタ! もうすぐ死ぬよ! 成人のユカタ着る日。もう臭い、染み付いている。もうほとんど決まったことだよ!


 私は占い師の言葉を思い出しました。

「浴衣じゃないよ。振袖だよ……」

 私は自分がいつにも増して冷静であることに気が付きました。そしてそのまま机に向かい、念のため簡単に遺書を書いておきました。



 

 成人式当日。私は会場へは行きませんでした。どうしても具合が悪いと嘘をつき、自分の部屋に閉じこもったのです。

 もし式の途中に私が死んで、「何か」が悦子の方に乗り移りでもしたら、大変なことです。

 私は部屋の扉を閉め、北側にある窓だけ少し開けておきました。部屋には極力人を入らせないように努めました。これから私が死んで、もし「何か」が抜け出して来たら、家の中ではなく窓から外に出て行ってもらうつもりでした。私は布団を頭からかぶると、ぎゅっと目を瞑ってその時を待ちました。

 しかし、どんなに待てども「その時」はやって来ませんでした。

 ――おかしいな。

 その日私は夜中まで布団の中で起きていましたが、何ら変わったことはなく、気が付けば眠りに落ちていました。

 そしてついに、何事もなく次の日を迎えることとなったのです。

 目が覚めた私は、自分がちゃんと生きていることを確認しました。すると、突然白澤さんから電話が掛かってきました。彼が直接会えないかと言うので、私は前に二人で入った喫茶店まで来てもらうことにしました。

 歩道を歩きながら、全部気のせいだったのだと私は考えました。死への恐怖が取り除かれた世界はどこまでも明るく、寂れていたはずの町並みもどこか活気づいて見えました。

 ――もう何も怖がることなんてないんだ。

 そう思った矢先の事でした。

 横断歩道の前で信号が変わるのを待っていると、突然背後から何者かに突き飛ばされました。それはびっくりするほど強い力で、私は車道に投げ出されました。

 すぐにでも立ち上がって歩道に戻れば良かったのですが、私は自分を突き飛ばした人物を目にし、戦慄しました。自分の身に何が起こったのかまるで理解できないまま、彼の顔を見つめていました。

「そんな、どうして……」

「一番綺麗な時に殺せなくて残念だよ。期待通りにならないなんて……どうして式に出なかった?」

 そこにいたのは、真っ黒なスーツを着た白澤さんでした。

 自分の左側からけたたましいクラクションの音が聞こえてきます。全身に衝撃が走り、すべてがスローモーションのようにゆっくりとして見えました。はね飛ばされた時、私は一瞬だけ白澤さんの方を見ました。

 その姿は、先ほどとはまるで違い、中華街で出会った占い師にそっくりでした。いいえ、間違いなく本人そのものだったのです。

 

 それから先は全くと言って良いほど記憶がありません。目が覚めた時には病院のベッドの上で、確か夜だったはずです。

 意識はぼんやりしていましたが、身体の至る所に痛みがあり、頭はずっしりとして重たかったのを覚えています。

 暫くするとだんだんと頭が冴えてきて、色々と考えられるようになりました。

 白澤さんと占い師は同一人物だったのか。だとしたら、あの占い師は一体何者だったのか。

 その時、ある考えが浮かびました。もしかしたら私は、ずっと間違った解釈をしていたのかもしれないのです。


 あの日、ビルから飛び降りた白澤さんは、随分生き生きして見えました。私はてっきり、彼に乗り移っていたものが剥がれ落ちたのだとばかり思っていましたが、実際は全くの逆で、あの瞬間「何か」が完全に白澤さんの中に入り込んでいたのかもしれません。つまり、私は白澤さんから「何か」を移されたのではなく、白澤さんが完全に「何か」に乗っ取られる瞬間を目撃していたのではないでしょうか。そして、その「何か」は次のターゲットに私を選んでいたのでは――

 

 ――俺がこんなだから、そう見えたんです。あれを落とすには、こうするしかないんだ。

 

 そう言って、彼は飛び降りたはずです。しかし、あの計画が本当は失敗していたとしたら? 

 「何か」。すなわち、白澤さんであり、占い師でもあった人物の正体が、誰かの魂を食って、その人間に取って代わることのできる化け物だったとしたら?

 喫茶店にいた時、彼(彼女?)が私に対して、廃ビルの屋上から飛び降りることを強く進めなかったのは、単に怪しまれることを恐れただけではなく、私を極限まで追い詰めるためだったのかもしれません。もしくは人の魂を食うシチュエーションにこだわりでもあったのでしょうか。

 しかし、化け物は二つの失敗を犯しました。一つは白澤さんの一人称を間違えたこと。そしてもう一つは、私を殺せなかったこと。

 どうして、私は生きているのか。それだけがわかりません。ただ一つわかっているのは、私が意識を失う最後までこの馬鹿げた死を受け入れなかったということくらいです。

 こんな狂った話を聞かされても信じられないでしょう。私だって、この結論が現実的に考えてあり得ないことは百も承知です。信じようが鼻で嗤おうが、あなたの自由です。しかし、油断をしてはいけません。いつか「何か」は、あなたを標的にするかもしれませんから。

 








※オブセッション(obsession)

魔物や恐怖観念などに取り憑かれていること。また、「妄想」や「強迫観念」のこと。


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