8 『黄金の炎』
「で、昨日の今日で特災のナンバー2様が何の用かな?」
そう言って無造作に投げ捨てたのは一枚の手紙だった。
よく目を凝らせば、紙の表面には印のような紋章が浮かんでいる。
「式神なんて古風で戦闘向きじゃない術、特災じゃ軽視されてるとばかり思ってたよ」
「他の人がどうか知らないけど、あたしは軽視するつもりはないわ。ていうか昔から伝わってるってことは、それだけ信頼性とか需要があるってことでしょ?」
「あ~そうとも言えるかもな。……頭の柔らかい奴ってのは厄介だねぇ」
それが敵ならなおさら、という言葉を飲み込む。
敵かどうかはこれから決めることだ。無闇に引っ掻き回すこともないだろう。
「そんなお前だから俺たちの居場所がわかったのかな?」
「特災を舐めないで。ことこのバビロンで特災にわからないことはないわ。あたしはただ見つけたら真っ先に教えてほしいって情報課の人たちに頼んだだけよ」
海斗のもとへ式神が手紙を届けたのは今朝のことだった。惰眠を貪っているところを強引に起こされたため、寝ぼけて式神を破壊する騒動はあったものの、その内容は目を覚ますには十分すぎるものだった。
『今日の夜、話がしたいからそこにいてほしい』
時間を夜にしてあるのは返答に応じない場合はどこかへ行けという意味だったのだろう。ただこうも易々と居場所を見つけた特災から逃げ隠れできるとは思えない。
つまり、応じるのであれば話し合い、逃げれば敵という最終警告文なわけだ。
(事実はどうであれ)非暴力主義を謳う海斗に選択の余地はない。
とはいえ塔の状況について調べていた都合上、この申し出はリスク以上に渡りに船でもあった。罠の可能性も考えられたが、それを言い出してはきりがない。まずは話し合い。信用しなければ何も始まらない。そう割り切り、一応万全の態勢は整えつつも穏便に事を終わらせる――、
「単刀直入に言うわ。大人しく特災に出頭して。力づくは嫌いなの」
――はずだったのだが。どうやら相手には、さらさら話しをするつもりはなかったらしい。頭ごなしな言い方に海斗の眉がムッと下がる。
「有無は言わせないって感じだな。そこまで悪いことをした覚えはないんだけど?」
「ぬけぬけと言えたものね。あなたには器物破損に傷害罪から女子児童誘拐その他諸々、検挙の内容を数えればいくらでもあるのよ?」
「おいこら、最後のはなんだ最後のは」
「そういうことにもできるって意味よ。おわかり?」
茜のわかりやすいほど喧嘩腰な態度に、海斗は頭を掻きむしって冷静さを保つ。
「……常識的に考えろ。どうして俺たちが特災を敵に回す面倒を起こす必要がある」
「あなたが元特災の人間であることはわかっているわ。ついでに追い出されたこともね。恨むには十分な理由だと思うけど?」
「恨んでないし仕返しなんてものにも興味なし。これでいいだろ」
「だからそれを当主と古老たちの前で明言しろって言ってるのよ」
海斗は堂々巡りする会話に、苦虫を噛むという表現がしっくりくる表情をする。
昔から自分の及ばないところで振り回されてきた海斗にとって、特災の事情で振り回されている今の状況は、まさにもっとも面白くないことと言えた。
次第に返答はイラつきぞんざいになっていく。
「とにかく濡れ衣だ、冤罪だ。お前らの面倒に俺を巻き込むな」
「ッ!」
そして茜もまた、煽り耐性の強度については紙に等しい。海斗の態度にプツーンという幻聴が聞こえ、もともと髪の毛ほどの太さもない堪忍袋の尾ははち切れる。
セカンドコンタクトにして一瞬即発の空気を醸し出す二人。
つまるところそれほど最悪だったのだ、二人の相性というものは。
「それを判断するために出頭しろって言ってんでしょうが!」
怒りは炎となって具現した。
茜の〈気〉を喰らい煌々と灯る黄金の炎は、その熱で体の輪郭を歪ませる。離れた間合いにもかかわらず、海斗の肌をチリチリ焦がす熱波が襲った。だが、その発生源の周囲では鉄くずはおろか草の根一つ燃えることはない。
色からして、性質からして、元来の炎とは違う。ただ海斗という存在を燃やすために茜が生み出した異形の炎。持ちうるエネルギーの差に海斗は生唾を飲み込んだ。
「これが最後の忠告よ」
「もう交渉じゃなくて脅迫だな。銃口――あ~いや、火炎放射機つきつけてその言い方はひどくないか?」
「こっちだって争いは望んでいないの。大人しくついてきなさい」
もはや会話になっていない会話。ここまでくれば売り言葉に買い言葉である。
海斗はそれを鼻で笑って吐き捨てた。
「何度言われても嫌だね。用があるならそっちが来い。気が向いたら相手をしてやる」
「……そう、忠告はしたからね?」
すとんと表情が抜け落ちた茜が地面に視線を落とした。
吹き出す炎の勢い増す。とぐろを巻いて天へ落ちた黄金は、次第に茜の体そのものを侵食。制服は炎の衣へ姿を変え、赤茶色だった髪が黄金に燃え上がる。
最後に頭の頂点に三角の耳が生えたところで、海斗は冷や汗を浮かべ呟いた。
「おいおい、権能って……マジかよ」
契約術において《憑依型》も《転生型》も違いはない。にもかかわらず《転生型》が呪われた血と呼ばれる所以。
生まれた時からゲマトリアを身に秘める《転生型》は、《憑依型》に比べて人と魔の境界線が曖昧なことが多い。そのため、あえてそのバランスを崩し肉体をゲマトリアに『寄せる』ことで、飛躍的に能力をパンプアップさせる奇術がある。
それが――権能。
だが一時的にでも体をゲマトリアに差しだす行為は肉体を乗っ取られるリスクを伴う。強靭な自我と御しきる膨大な〈気〉がなければできない芸当である。実際、世界中の調律師を見てきた海斗だが、権能を使いこなす《転生型》は片手で数える程度しか知らない。
「あんた、序列はいくつ?」
「……なんだよ藪から棒に」
調律師の基準とも言える序列。
序列が高いこと=(イコール)調律師としての重要度のため一概には言えないが、多くの場合強さの格付けとしての意味を持つランク。序列一~五を大分類に第一~百位を小分類とした、世界広しと言えど上位五百人しか名乗ることの許されない称号。
「言えないレベル……ってことね。ならせいぜい逃げ回りなさい。あたし、逃げる敵を追いかけてまで潰すのは趣味じゃないから」
だからこそ滅多に調律師同士の話題にならない。
あまりにも雲の上すぎるため、見上げることすらしないシステム。
ではなぜその話題を出したのか。……なんのことはない。
「《序列二番ノ第九五位》鳴海川茜。今をもってあんたを追い詰める、敵よ」
――茜がそこに至る調律師だからである。
言葉が終わると同時に茜の体から炎の大蛇が生まれる。太陽から洩れたプロミネンスは、そのアギトを研ぎ澄ませ海斗を飲み込もうとうねりをあげる。咄嗟に反応が遅れた海斗は、慌てて跳躍の体勢を取る。
回避にはギリギリのタイミング。だが、突然襲った急激な加速度Gに意図しない勢いで上空へ放り投げられる。胃がひっくり返りそうな衝撃に目を白黒させていると、眼前を炎の濁流が通過していった。
「先手は譲った! 正当防衛は成立じゃよな!?」
襟首を引っ張り、静観していたフリッカが壮絶な笑みをたたえる隣にいた。
いつの間に持ってきたのか、片手に巨大な鉄骨を掴んでいる。躊躇なく投擲。弾丸のように飛来する質量の塊を、茜は身じろぎ一つせず白けた視線を向けた。
そして炎の衣に触れた瞬間――鉄が燃えた。
溶けるなどという低温の途中過程など必要ない。人が扱える次元を遥かに超えたエネルギーの塊となった茜にとって、形ある物は所詮分子構造の塊。プラズマ化するまで燃やせば原子核ごと消失させることなど容易い芸当だった。
とはいえ、そんな凶悪な代物を向けられる側としてはたまったものではない。
「デタラメ過ぎんだろ……ッ!」
目の前で起きた現象を理解できてしまうがゆえに、海斗の声は震え血の気が失せていた。
これ相手に接近戦などすれば冗談抜きで蒸発しかねない。しかも反抵抗術式を使ったところで茜の〈気〉は少なく見積もっても海斗に肉薄する。消滅しきれる保証はない。
もし突破する可能性があるとすれば――、
(あいつの虚をつくしかないか、それとも処理の追いつかない物量で攻めるか……)
要は燃えた車には大量の砂をかけて消火すればいいという単純な理屈。
だが、太陽の炎を消すにはいったいどれほどの砂が必要なのかという問題が残る。
(切り札を切るか? いやいや『アレ』を使ったら加減が効かないだろ)
思考の海に浸かっている間も攻撃は止まらない。火球が飛び、爆ぜた火の粉が空間ごと飲み込み、挙句の果てには火災台風となって襲いかかる。どれ一つをとっても人一人消滅させるには十分な火力を秘めていることは間違いない。
だが、真に驚くべきは海斗とフリッカである。
乱舞する猛威を時に避け、時に受け流し、時に叩く潰す。
勘と経験、そして体捌きだけを頼りにこと如くを捌き切っていた。
「ッ! ちょこまかと鬱陶しいのよ!!」
業を煮やした茜が手を横に振るう。瞬間廃工場の骨組みで爆発の連鎖が引き起こった。
悲鳴に似た軋みをあげ、三人の頭上から鉄骨の雨が降り注ぐ。当然、炎の衣を纏う茜にとってはたいした脅威ではない。だが海斗たちにとっては別だ。
「やべっ、あいつマジか! フリッカ!」
「任された!」
海斗が慌てて右腕を差しだし、フリッカも意図を察して掌をスライドさせる。
その一拍後、轟音と共に破砕音が轟いた。衝撃は塔の芯を突き抜けるほどで、地面が僅かに振動する。あたりを粉塵が立ち込める。しばらくし視界が晴れた時、茜だけがぽっかり空いたクレーターの中で立っていた。
「――……って、ああ!!」
瓦礫と化した廃工場を見て、茜はハッとあることに気づき頭を抱える。
「しまった! 連れて帰るのが目的だったのにっ! ……もしかして殺っちゃった?!」
頭に血がのぼっていたとはいえまたしても壮大な器物破損である。ついでに被疑者の安否も不明とあっては目も当てられない。
「え~と、生きてるわよね?」
自信なさげに瓦礫を覗き込んだ時だった。
地鳴りが響き僅かずつ瓦礫が持ち上がったのだ。数百トンはくだらない工場一つ分の鉄くずが浮く。その非常識にさしもの茜も予想外だったのか限界まで目を見開く。
しばらくして現れたのは無傷の海斗たちだった。茜がはじめて不敵な笑みを浮かべる。
「へぇ、やるじゃない」
「やるじゃないドヤァ……じゃねぇよ!? 今の俺たちじゃなかったら間違いなく死んでたぞ!」
「特災にケンカを売るんだから、死くらい覚悟の上でしょ?」
あたかも常識を説くように言い切った。きょとんと無駄に可愛らしく小首をかしげていることが無性に腹だたしい。同時に海斗は「あ~こいつも常識とか通じない相手だわ~。マジ特災ってるわ~」と諦めのため息をついた。
「それじゃ、第二ラウンドと行こうかしら!?」
「いや、最終ラウンドだよ。フリッカ、狙う場所はわかってるな?」
「うむ!」
再び黄金の炎が密度をあげる中、フリッカが持ち上げていた両手を勢いよく振り下ろす。すると、宙に浮いていた瓦礫が勢いよく茜に襲いかかった。
「ふん、この程度で!!」
対して茜は一切迷わず鉄くずの濁流に向け片手を突き出す。炎の衣に覆われた掌はまるで結界のように触れる如くを消失させていった。
「どう! そろそろ何をやっても無駄だってわかったかしら!?」
「ああ理解したよ。お前自身にはな」
その時、グシャッというあまり聞きたくない破壊音。
海斗の言葉に答えるように、茜の足元が崩れ落ちた。
「んなぁ!?」
度肝を抜いたせいで茜の口から変な声が漏れる。
そして足場を失った茜は、無重力状態の中離れていく海斗の冷めた目を見て悟った。
工場が立つ地盤は基本振動や衝撃に耐えられるように通常より強固に作られている。二人の戦闘と廃工場の崩落があったとはいえ、そう簡単に崩れることはない。
おそらく、海斗はあらかじめなにかしらの小細工を――それこそ床の強度を落とすような――施していたのだろう。ある場所に荷重を加えれば崩れるようななにかを。大質量の雪崩により荷重量限界を迎えた床がどうなるか……答えは明確だ。
そして当然のことだが、炎の衣が守れるのは茜だけである。
「な、なな、ちょ! え? えぇ!? ま、待って!」
無我夢中といった様子で手足をばたつかせる茜。だがいくら羽ばたこうと人間である以上空を飛べるはずもない。呆気ないほど、いっそ間抜けな姿をいかんなく晒し、
「この卑怯者おおおおぉぉ!! ちゃんと戦えぇぇ――ッ!」
断末魔のように長い怒声を上げて、遥か下の海面へと吸い込まれていったのだった。