6 『神無月家のお家事情』
死屍累々な中、拓馬だけが状況についていけず立ち尽くす。
「さて、お前が最後なわけだけど、まだやるか?」
「ヒッ!!」
脅すわけでもないただの質問に、拓馬は尻餅をつく。あまりの恐怖だったのか、呼吸は乱れ目の焦点が合っていない。ふと、彼の股間から湯気をあげて広がる水たまりを見て、さすがに良心が痛んだ。
「まずったな……特災には聞きたいことがあったんだけど、この様子じゃ難しいか?」
散々暴れておいてその言いぐさはないのではないか?
もし第三者が聞いていればツッコミを入れていたであろう。
だがその心配はなかった。ツッコミの変わりに、後方から迫る洒落にならない量の〈気〉の収縮と熱の気配に気づいたのだ。
「ぜりゃああああ!!」
「ぬおおおおおお!?!?」
咄嗟に交わした海斗の目に金色の炎を纏った少女の姿が映った。見るからに怒りで我を忘れ、纏う劫火以上の炎をたずさえた眼光が射抜く。闇を斬りその特徴的な能力が目に映り、海斗は心底厄介そうに叫ぶ。
「黄金色の炎……お前、鳴海川茜か!?」
第二バビロンに来る以前、スミスから要注意人物と聞かされていた情報を思いだす。
特災のナンバー2。『直感と才能に振り回されている節はあるものの理性的』という評価だったはずなのだが……烈火のごとき殺気を見ると、とてもそうは見えない。
「仲間の仇よッ!」
容赦ない火球の連打。咄嗟に反抵抗術式を使おうとして――やめる。倒した術師とは桁が違う。あんなものを打ち消せば、海斗の方が先にばててしまう。海斗は経験と勘、そして鍛えた体感で掻い潜りながら聞えた声に舌打ちをつく。
「頭に血がのぼってるのはわかるけど、ちょっとは話を聞――くおっ!?」
完全に避けたのに近くを通り過ぎるだけで肌を焼く火力に海斗は舌を巻く。
気戦術を全力で防御に回し、反抵抗術式で威力を弱めてこの火力。直撃していればただでは済まなかっただろう。
「黙れ! これ以上好きにはさせないんだから!」
「だから、話をっ! 聞けって、言ってる、だろ!!」
避ける避ける避ける。
不意をつかれた動揺の中、海斗の動きは神がかっていた。だが化物じみた茜の一撃一撃を避け続けるのは難しい。何度目かの攻撃でついに火球が海斗を捉える。
あ、マズい。他人事のような感想を抱いた直後、
「戦闘中に呆けるでないわ!」
悪態と一緒に小柄な人影が間に割り込んでくる。頭上から着地すると同時に足裏で火球を踏みつぶし、あたりに爆炎の華が咲く。
「わ、悪い! さっきのはマジ助かった!!」
「礼は後で体で払え! どーもこやつ、話は通じないようじゃしの」
「ああわか――ってこの状況でさらっととんでもない言質とろうとするなよ! ほんと焦るわ。命の危機から救われて社会的に死ぬとこだったわ!」
「それだけ軽口が叩けるなら大丈夫そうじゃな。だったら早々に逃げるぞ」
「でも勘違いされたままにするのもなぁ」
「言っとる場合か、来るぞ!」
合図のコンマ数秒後、火球が着弾し地面に大穴を開ける。
さて、困った。先ほどまでは動揺し不覚をとったが、フリッカも駆けつけ余裕が生まれたいま、気戦術においては達人の領域に達っしている海斗にとって、怒りで我を忘れた少女などさして問題ではない。
ここで叩きのめしてからじっくり説明してもいい。だが問題があるとすれば、ここでさらに騒ぎを広げれば『彼女』が出てくる可能性が非常に高くなることだろう。先代、神無月一刀すら超える天才と言われた彼女が相手では、さしもの海斗でも少々分が悪い。だがそれだけでなく、海斗自身彼女とは戦いたくなかった。
ならば、取れる手段は限られる。
「あ~じゃあそろそろお暇するけど、以降は俺たちのことはノータッチでお願いな。お互い不干渉で平和的に行こう。んじゃさらば!」
一方的に要求だけ押し付けて脱兎のごとく逃走した。
「なっ! 待てこの!」
茜の静止の声を背中に跳躍。フリッカを横に従え、ビルの壁をピンポン玉のように蹴り昇り、あっという間にその姿を視界から消した。
「~~ッ、あの野郎、ふざけんな!!」
海斗は駆けあがったビルの屋上から、地団太を踏む声を荒げる茜を覗きこんでいた。
その粗野な言葉使いにもう少し女の子らしくできないのかと呆れてくる。
「あ~あ~、闇雲に足動かしても見つけられるわけないだろ。まずは索敵に適した調律師で……ってああそっか。特災って武闘派ばっかり幅を利かせて、そっちはおざなりなんだっけ。ったく、よくそれでいままで無事だったなぁ」
とはいえこの塔において特災が絶対の影響力を持つことは疑う余地もない。おそらくこれで海斗の存在は明確な敵として認識されたことだろう。
一人や二人ならいざ知れず、多勢に無勢。いよいよ面倒くさいことになってきた。
「あ~どうしてこうなったのかねぇ」
「主の不注意がまねいた種じゃ。自業自得じゃよ」
容赦のないダメ出しにがくんと肩が落ちる。
特災を相手にしつつ、この塔へ来た理由――始まりのゲマトリアの調査をする。
たった一日で増えた厄介ごとに、ただ乾いた声で笑うしかない海斗だった。
※
「――以上が報告になります」
拓馬の声が一区切りをつく。
それを聞いていた多くの人間が集まった一室は、沈痛な面持ちで押し黙っていた。
仕立てのいいスーツを着た見るからに上流階級のエリート然とした男女――特災の古老たちだ。
大層な名前がついているが、その実は七光りと言って相違ない。ようはただの対魔の一族を特災という組織へと仕立て上げた功労者……の子たちである。
大粛清から七年とはいえこのご時世である。能力ある者は早死にし、裏でこそこそすることに長けた者だけが生き残る。歴史を紐解けばよくあることであり、特災もその例には漏れず、そうして生まれたのが権力と利権しか興味のない連中の寄せ集めである。
ただ世界が健康で監視社会として機能していればマシだっただろう。
いつ蹴落とされるかわからない緊張感は、少なくとも防腐剤にはなる。
ただここは狭いバビロンという閉鎖社会。ある程度権力を持った者は嬉々として井の中の蛙でいることを選んだ。その結果、ただでさえ無能な連中は発酵熟成を重ね、いい塩梅に腐りきったミカン箱と成り果てていた。
そんな形だけの権力者たちに囲まれ、茜は上座に座る銀河へ平伏していた。
その姿にいつもの軽さはない。ゆえに痛々しい。どこからともなく聞こえた「これだから『悪魔付き』は」なる侮蔑の言葉が、銀河の心をささくれ立たせる。
ただ、銀河自身もとある別の理由で冷静ではなかった。
「東雲……海斗」
「ご存じなのですか?」
「あ、いえ、気にしないでください。拓真さん、彼らの調べはついたのですか?」
「は、はぁ、少々お待ちを」
いつも冷静な銀河の生返事に戸惑いながら報告資料を捲る相馬。
「男のほうになりますが、名前は東雲海斗。主な活動地域は北米の十三塔すべて。数年ですが欧米とアフリカにも足を運んでいた記録があります。コンコルディア登録の気戦術使いのようです。そして少女の名前はフリデリカ。彼女に関する情報は目下調査中になりますが……先日の猪笹王討伐は彼女の功績との報告があがっております」
ひと通り説明し終え
「ふん、コンコルディアも落ちぶれたものですなぁ」
「ですなぁ、人類生存圏の維持と調和をうたう国際組織が聞いて呆れる」
「あのような近づかなければ何もできない下術の使い手を迎え入れるとは、底が知れる」
隠す気もない侮蔑の言葉がどこからか聞こえてくる。
誰が言ったのかわからない。だが古老たちの表情を見れば、声に出さずとも皆の総意であることは伝わってきた。
「し、しかし侮ってはなりません! あれはただの気戦術師とは違います」
「あ~なんだ? 反抵抗術式……だったか? なんなのだこれは?」
「誤解を覚悟で簡単に言えば、術式を無効化する術でございます」
さすがに驚いたのか興味深げな息が漏れる。
「なんだそれは、デタラメではないか!」
「ふん、どうせ勘違いであろう。負かした相手は強く感じるものだしな」
「何にしても我々の契約術が後れを取ることなどあり得ない」
「左様! 少し珍しい術が相手など恐れるに足りぬ」
「所詮コンコルディアなど、契約術を持たぬ者が集まった烏合の衆だしな」
そこそこやるようだがその程度。楽観的で他人任せ、笑っている自身の実力には目を向けず、ただ特災の名を傘に格下を見下す醜悪な下郎。
いったいどちらが烏合の衆なのだか……。
銀河はもはや嫌悪以外の感情が浮かばない彼らは無視することにした。
「それで……茜。あなたは彼をどうすべきとお考えですか?」
茜はまさか声がかかるとは思っておらず戸惑った様子で顔をあげる。
「あたし、ですか?」
「ええ、彼らを最も間近で見てきたのはあなたでしょう?」
銀河の発言に、部屋はしんと静まり返る。しばらくしてざわめきだした中から、「どうして悪魔付きの意見など」という声が聞こえてきた。
「あの……ここじゃなくても」
戸惑う茜。それもそのはずだ。茜も自分の微妙な立場を理解していた。だからこそ何を言われてもじっと息をひそめていたし、そのことを苦に思うこともなかった。
「いいえ、本件は急ぎ取りかかった方がいいと判断しました」
「それはこの海斗という男が原因ではなかろうな?」
言葉を投げたのは、銀河に最も近い場所に座る古老の男――遠坂将制だった。
厳格で重々しい声に誰もが息を殺す。
初老をとうに過ぎたというのに覇気を漂わす佇まいは、他の古老とは明らかに違う。それもそのはず、彼は数少ない先代から仕えた特災設立の功労者の生き残り。さらに言えば、もっとも先代の信頼を得ていた人物でもある。調律師としての才覚こそなかったものの、こと組織運営においては非凡なものを持つ生きた賢人である。
「唯一血を分けた兄妹の帰郷だ。お主が戸惑うのも無理はない」
だが、続いた言葉には沈黙を維持することができなかった。
「……どういう意味ですか叔父様?」
不穏な空気が漂う中、話の途中だった茜が手をあげる。
彼を恐れる古老たちからすれば、彼女の親しみさえ感じる呼び方には違和感を覚える。
彼女自身に天賦の才があったからと言ってしまえばそこまでだが、どんなに頑張っても認めない周りや、どんな時でも味方の銀河とは違う。結果が出れば響くし努力しても結果につながらなければ響かない。
そんな頑固おやじのような完全実力主義の将制を、茜はそこまで嫌ってはいなかった。
「お主がここに来たときには追放されていた男だからな。知らなくて無理あるまい」
だからこの時も茜の発言が正当と判断した将制はしっかりと質問に答える。
「一〇年前にこの家を出て行った男だ。本名は神無月海斗。〈気〉の潜在量で先代すら凌駕し、体術と術式解読の才能には特に恵まれておった。まさに将来を切望されていた麒麟児。あやつのことは私も忘れたことはなかったからな。よく覚えている」
「あの……叔父様? 話を聞く限り追放されるような人ではない気がするんですけど」
「契約術の才能がなかったのだ」
「あ~なるほど」
そのひと言で得心がいった。
特災は契約術でゲマトリアと戦う組織だ。いくら〈気〉を膨大に持とうとも、解読する知識を持とうと、それを使う術がなければ蛇口のない巨大なタンクにすぎない。
「忘れたことがない、ですか。あなたが追い込んでおいて、よくそのようなことが言えましたね」
「お主は〈気〉の総量こそ並だが、ことゲマトリアを憑依させる才能では歴代屈指だった。対して海斗はその反対。どちらを特災で優遇するかなど当然だろう」
「ッ!」
言い返すことのできない現実に茜は肩を震わせた。
なにせ将制の言っていることは紛れもなく真実で、だからこそ銀河は特災の当主の椅子に座っているのだから。
「銀河よ。判断を誤るでないぞ。お主はいまや特災の、ひいては第二バビロンの守護の要なのだ。そのお前が揺れてはこの塔の治安すら揺らぎかねんのだぞ」
「わかって……います」
銀河は選択肢がないことを悟り、しばし沈黙。
その唇を小さく噛み迷いのない口調で告げた。
「二人をここに連れてくるのです。事情は私が確認いたします。……手段は問いませんが無闇な暴力に訴えないように」
「「「はっ!」」」
バッとその場にいた頭が一斉に下がり、慌ただしく部屋を出ていく。
最後に茜が立ちあがったときだった。
「茜!!」
「え? ちょっ! どわぁ!?」
他に誰もいなくなった瞬間、銀河は茜を押し倒す勢いで詰め寄った。
いや、実際押し倒して捲し立てる。
「お願いです教えて茜ッ! ゲマトリアを倒した調律師は本当に兄さんなのですか!? 兄さんが、兄さんがこの塔にいるんですか!?」
「ぎ、銀河っ!? おち、落ち着けコラ! のしかかられたら身動きが」
咄嗟のことで反応が遅れた茜はそもままマウントポジションを取られていた。
なんとか押しのけようとするものの、意図しているのか両手首を押さえられ身動きすらままならない。
「元気そうでしたか? 健康そうでしたか? 眠そうでしたか? お腹が空いていませんでしたか? どんな仕事をやっているのですか? 不自由していませんでしたか? 優しかったですか? 怖かったですか? 無茶してませんでしたか?」
「だか……ぁっ……やぁ――ちょっと、銀、がって、ばっ……ッ! んぁっ!?」
もはや意味のわからない質問攻めと首筋にかかる吐息に、みるみる茜の頬が上気する。吐息から逃れようと身をよじるがこれほど接近しては逃れることはできない。押し返そうとする腕から力は抜け、かわり握りしめた拳がゆるりと解けた。ぐぐいと押し付けられる銀河のまな板の上で、茜のマスクメロンが変形する。フルフルと震える足先は要所なさげに彷徨い太ももは内股に崩れおちた。
「だ……から、落ち着けってーのに――ッ!!」
「きゃあ!」
なにかおかしな方向へ流されそうになる理性をかき集め突き飛ばした。肩で息をし乱れた服を整え、暴漢に襲われた女子高生のように銀河から距離を開けた。
「いたた、突き飛ばすことないじゃないですか!」
「あ、あんたが急に目覚めるからでしょうがッ!」
「目覚める? なにを言って……………………あ」
自分の失態に気づいたのか、うなじまで真っ赤になりうつむく。
しかしすぐ「コホン」と取り繕うと、何事もなかったように口を開いた。
「……申し訳ございません、少々取り乱しました」
「しょ、少々?」
あれを少々というには『少々』図太すぎないだろうか?
茜は再びため息をつくと姿勢を正し直した。
「ごめんね銀河。あたしもあの時は取り乱してたし、詳しいことはわかんないの」
「そう、ですか」
シュンと肩を落とす銀河。その姿を見ているお覚悟が鈍りそうになる。
先ほどの様子を見れば銀河にとって海斗という人物が大切な存在であることは察して余りある。でも、そんな私情を挟むほど、茜は甘くはない。
「なるべく荒事にならないように気をつけし、怪我も最小限にするって約束する。だからそんな顔しないで」
「うぅ……あかねぇ……」
しゃんとしているのにどこか泣き出しそうな声で名前を呼ぶ。
「わけありなのは察したけど、これは取り逃がしたあたしの責任でもあるから」
「ほんと、変なところでまじめですよね。茜は」
困ったような笑みを残すと、茜も部屋を後にした。
「兄さん、どうか……どうかご無事で」
全員が出ていった後の部屋で一人残った銀河は、静かに小さな肩を抱き、誰にも聞こえない懺悔の言葉を紡ぐのだった。
前回中途半端に切ってしまったのでへんな始まり方になってしまった。。
むむむ……申し訳ないorz