5 『接敵』
素早く一定の距離を開け、内円と外円、二重の真円で海斗を囲む。
それは部隊の中で個々の役割を理解している者同士の動きだった。実戦を知っている統率のとれた動きは間違いなく一朝一夕で培われるものではない。
一連の雰囲気から特災の練度をゴミクソくらいに評価していた海斗でも、思わず「おお!」と感心し見入ってしまう。どうやらこの手の訓練をおろそかにするほど『終わって』はいなかったらしい。そのため、感心しているうちに気づけばすっかり包囲されてしまっていた。
十数の双眸が海斗の一挙手一投足を見逃すまいと睨みつける。
「は、ははは! おい、大人しく投降するのが身のためだぞ!」
「だから人の背に隠れてキャンキャン吠えるなって……」
「なっ! ふ、ふん。その生意気な口をいつまで叩けるかな? お前の術、気戦術だろ?」
「だからどうした」
「そんな近接戦しか能のない術式で、調律師の契約術に勝てるとでも思っているのか!?」
勝ち誇った物言いには理由があった。
特災に所属する調律師はすべて契約術の使い手だが、世界的に見れば珍しいケースに当てはまる。理由は契約術には必ず『使役されたゲマトリア』が必要となるからだ。
それを才覚に合わせて『降霊の儀』を行うことで調律師を生んでいる。だがゲマトリアを使役できる術者は世界的――いや、歴史的にも稀有な才能なのだ。
そして、特災にとって……正確には神無月家にとって、それは初代当主にあたる。
神無月家はもともと数百年以上続く退魔の家系ではある。その力の源こそ初代が使役したゲマトリアであり、その力を才ある者へ解放したからこそ特災の調律師の質は高いのだと言い切ってしまって問題ない。
だが逆に言えばたった一人の初代が使役したゲマトリアを数百年使い回しているに過ぎず、ゆえに世界中の調律師がこの契約術を使えるとは限らない。
そこで開発されたのが気戦術。
簡単に言ってしまえば体内の〈気〉を運用することで、身体的に人間の出せるレベルを超える、人の身のまま魔を討つ術式だ。一定以上の訓練を受けた者なら多くが扱える術のため、大気の〈マナ〉を使う魔術と並んで広く使われる術式でもある。
だが、気戦術には重大な欠点がある。それが手足の届かない相手には無力であること。そのことを理解しているのだろう、術師たちは一定以上近寄ろうとはしない。
海斗は包囲の外から聞こえる安西の声をシャットアウトし、
「これはまた熱烈な歓迎だな」
「大人しくしろ。妙なまねをしない限り手は出さない」
「あのさ、こっちは争う気は全くないんだよ」
「残念だがこちらは理由があるのだ。悪いが断るのなら覚悟してもらう」
「あ~そういう高圧的なのダメだと思うよ? もっとこうさ、平和的にいこうぜ」
海斗はへらへらと媚びるように言った。
状況を鑑みれば情けないを通り越して呆れ果てる物言いに術師は眉をひそめる。惰弱と切り捨ててしまうのは簡単だ。構えもなく自然体で立つ海斗は見るからに隙だらけで、彼の後ろに立つ術師へ攻撃命令を出せばそれでケリがつくようにさえ思う。
だが本能が否定する。
――隙がない。
何より、なんだこの膨大な〈気〉は?
まるで凪のようだ。見た目は静かで危険はないのに、いざ牙を剥けば固い岩石すら削る大波となり、時にすべてを飲み込む津波にも姿を変える。そんな巨大さを覚えた。
気づけば額には汗が滲んでいた。数の上でも包囲した状況の上でも、術師たちが圧倒的に優位なはずなのに、取り返しのつかない死地に踏み込んでしまったような、得体のしれない恐怖が粘膜質なヘドロのように拭えきれない。
「おい、何をしている! 早くそいつを取り押さえろ!!」
しびれを切らした拓馬の声に押され、背後をとっていた術師の一人が先走る。契約術の兆候を察知し、リーダー格の男が血相をかいて声をあげた。
「おい! まだ待――」
言い終えるより早く状況は動いた。。
術が発動しようとした瞬間、前触れもなく術師はダンプカーにひかれたように宙高くはじけ飛んでいた。手足をあらぬ方向へ曲げ冗談のようにクルクルと回転し、受け身もとらず地面に叩きつけられる。ピクピク痙攣し、見事にへしゃげた顔面からおびただしい血が池となって広がった。その光景を余さず目撃した他の術師たちから、萎む風船のように闘志が消えていく。
「………………は?」
何が起きたのかわからなかった。何をしたのかさえ見えなかった。にわかに広がりだす動揺。そして続き覚えたのは怒りだ。敵意は殺気に変わり海斗を貫く。
わからないが目の前の男は仲間に手を出した。もともと喧嘩っ早い跳ね返り者の多い特災の実行部隊である。後先を考えず怖いもの知らずな点は、ゲマトリアという敵を相手にする上ではこの上ない適正ではあるが、比例し消耗はとくに激しい部隊であり、ゆえに人一倍仲間意識も高い。
「お、お前ッ!!」
激昂に任せ一人が襲いかかる――と思った時には、その男もはじけ飛び同じ末路をたどっていた。そしてそれが引き金となり、一斉に内円の術師が襲いかかり、外円の術師は力を練りはじめる。
「くっ! 致し方ない!」
リーダー格の術師は迷いを振り払う。
賽は投げられた。ならば後悔したままでは返り討ちにあう。やるからにはやる気で。それが戦場で指揮する者の義務なのである。迷っていた分わずかに出遅れながらも、その瞳にためらいはない。内円の術師――八人の近接戦特化した契約術師が――四方から同時に襲いかかる。
タイミング・連携、共に完璧。
いくら相手が不可思議な技を使おうとも、この数に対応するのは至難の業である。嫌な予感は気のせいだったのだろうか? そう勝ちを確信しだした時だった――気づくと、死神の鎌が首に添えられていた。
「ッッッ!?!?」
生物的な生存本能が踏み出していた足を強引に止めていた。
直後、パーン! という破裂音がしたと思うと先行していた八人の部下が同時に弾けた。血のスプレーが霧となって弾け、海斗を中心に八枚の赤い花弁を作る。視界の赤に呆気にとられていると、海斗の手が閃き咄嗟に首を曲げる。顔の横すぐそばを何かが通り過ぎ、鼓膜を強烈な痛みが襲う。
リーダー格の男はその原因に気づき戦慄の声をあげた。
「まさか、石を飛ばしただけなのか?」
「お、よく見えたな」
いたずらのばれた小僧のような無邪気な笑みを浮かべ、手に隠していた小石をお手玉にして弄ぶ。だが術師たちにとってはとてもではないが笑えない。
気戦術はいわばステータスの振り直しを繰り替えす術である。
一人の術者の力を一〇〇とした時、攻撃の瞬間だけ拳に七〇の力を移し殴り、防御の時はダメージを受ける箇所に七〇の力を移し耐える。そんお力の運用により、少ない動きで効率よく戦う『弱者のための術式』である。
その単純さゆえに、海斗の行ったことも容易に想像がつく。
「亜音速で飛ぶ石に気づくとか、いい目をしてんじゃん」
攻撃の気配を感じなかったのは、気戦術を指先に限定しデコピンで石をはじいただけだから。空気の炸裂音や鼓膜の痛みはソニックブーム。蓋を開ければ簡単な理屈だ。――やっていることのデタラメさを除けばだが。
「バカな、ありえない。お前はいったい何者だ」
「しがない流れ者だよ。――ところで」
力なく横たわる術者たちを流し見る。そして肩をすくめながら不敵な表情を浮かべた。
「先手は譲ったわけだし、正当防衛は適応されんだよな?」
「うわああああああああ――ッ!!」
半ば強行状態で外円を作って包囲していた残りの術師たちが能力を発動させる。
海斗を中心に四方から攻撃が殺到した。火・水・風・土といった四大元素をはじめ雷にガスに光学兵器じみ光線まで。多種多様の猛攻が海斗を飲み込む。
気戦術はその性質上、近接戦のエキスパートである。
ゆえに、アウトレンジからの攻撃にはめっぽう弱い。
その特性に一縷の望みを込め、術師たちは狂ったように力を乱発する。
数十人の調律師が一斉に能力を発動させたのだ。その威力たるやちょっとした爆撃とならタメが張れる。一人の人間に向けるにはオーバーキルと言っても生ぬるいし、下手をすればバビロンそのものの破損に繋がりかねない。離れた位置にいた拓馬ですら爆心地の眩しさと熱波に思わず顔を覆う。
誰もが塵一つ残さず消滅した海斗を想像した。いや、そもそもこれで生きていれば『それ』はもはや人ではない。だが、その予想――いや期待は、聞こえてきた声に裏切られることとなる。
「これだけ調律師が力を使うと、さすがに圧巻だな」
渾身の一撃の中、ポケットに手を入れ呑気に観察する海斗が立っていた。
「でも、術の組み立てがなっちゃいない。つぎ込んでる〈気〉のほとんどが駄々漏れてんじゃねーか。これじゃ簡単に抵抗されるぞ?」
こんな風にな、とは言わず肩をすくめる。
よく見れば術師たちの攻撃は、海斗の体表面を覆う靄に接触した瞬間、熱湯に溶けるチョコレートのようにかき消されていることに気づく。その現象を理解できるものは少ない。何しろ滅多にお目にかかることなどない現象だからだ。
だが幸い。術師の中には博識な者がいた。
「バカな……反抵抗術式だとッ!!」
驚きの余りうわ言のような声を漏らして息を飲んだ。
調律師の術式を編んだ布とするなら、〈気〉は水に例えられる。緻密に糸を編んだ布であれば水は漏れることなく運ぶことができるだろう。だが編み込みが雑な布ではいくら水を入れてもこぼ地面を濡らすばかりとなるだろう。
術師たちの術はまさしく後者に当てはまった。
反抵抗術式はその稚拙な編み込みに、〈気〉でくさびを打ち破壊する特殊スキルの一つである。理論的にはすべての調律師はこのスキルの前ではただの人へなり下がる。完全なチート技巧といえた。
だがそれほどのスキルにもかかわらず、戦闘の中で使いこなす者は『いない』。
『少ない』のではない『いない』、正真正銘の『0』――のはずだった。
単純な話、術式にくさびを打つという行為自体がとんでもない高等スキルなのだ。
反抵抗術式には対象の術式に対する深い知識と、それを相殺する膨大な〈気〉が必要になる。調律師の使う術式は、北米大陸インディアンの『シャーマン』、太古の科学『錬金術』、大気の精霊と対話することで世界のシステムに干渉する『精霊術』。それこそ有名マイナーの大小合わせれば何百・何千と枚挙を厭わない。そして、その一つ一つで術の編み込み方は異なるのだ。
もし使うタイミングがあるとすれば、同じ流派の師範とその弟子クラスの実力差があり、なおかつ一対一の組稽古で、師範が実力を見せつけるデモンストレーションとして驚かせるくらいが関の山だろう。
ましてや術師たちの操るのは、最も戦闘向きといわれる『契約術』。
ゲマトリアの力を利用している分、彼らの術は固有術式に近い。当然、その術式を最もうまく扱えるのは本人以外他ならない。戦闘中、しかも初見の、さらに言えば相手複数人に対して使用する。話した本人の正気を疑うレベルのバカバカしさである。
「貴様、本当に人間か?」
「そういうお前らはひどいな。状況の変化への対応も遅い、体感は鈍重、バイオリズムチューニングは無駄だらけ、〈気〉のバイタル・精神制御に至っては稚拙を通り越して壊滅的ときたもんだ。それで調律師名乗るとか……舐めてるのか?」
「くっ! だが、それだけで私たちの術式を打ち消せる理由には――」
「それだけお前らが未熟だってことじゃねーのー?」
「ふ、ふざけるなああああああああ!!」
術の圧が増す。容赦なく切り捨てられ、術師たちの形相が屈辱で歪む。
「なんにしても、やられっぱなしで何もしないほど平和ボケはしてないんでね――」
それでも海斗は涼しげだった。
「――降る火の粉は払わせてもらうぞ」
詰まらなさそうに必死な彼らに呟き――その視界から消える。
見失った、と思った時には、一人の術師の腹に深々と拳が突き刺ささっていた。ペキポキと小枝でも折れるような音が響き、錐もみしながら建物の壁にめり込む。
接近を許したッ! 遅れて警戒した時には次の獲物を求めて地を蹴っていた。低空からの接近――接敵。大鎌のごとく振りぬかれた上段蹴りが三人まとめて刈り取ったと思うと、次の瞬間には煙のように消える。
慌て探せば壁を駆けあがり直上。降り下ろした健脚が綺麗に舗装された地面は陥没させ崩落。巻き込まれた数人が瓦礫と一緒に下層へと落ちてゆく。動きが止まった今がチャンスとばかりに術を発動させても、放つこと如くが打ち消されてしまうのだからどうしようもない。瞬きの後には彼らも同じ末路をたどった、
縦横無尽、神出鬼没。
好き勝手に引っ掻き回されれば指揮系統などあってないようなもの。
こうなってしまえばどうすることもできない。
数十人はいた調律師を海斗はが再起不能に叩きのめすのは、それからものの数十秒後のことだった。