3 『意思のある災害』
「のぅカイト、おなかがすいたぞ~」
場所は海岸近くのガレージ。日が落ちてすぐだというのに、海斗たちがいる場所に日の光はほとんどなかった。使用された当時はその集積能力からくの滞貨を積み上げていたことだろう。だが現在は忘れられ、潮風によりあっちこっち錆びつき半分朽ちたみすぼらしい姿を晒している。
見様によっては薄気味悪い場所なのだが、安宿などという贅沢なものを使えない二人にとって野宿は日常茶飯事だ。これくらいはなんということはない。むしろ天井がある分優良物件といっていいほどだった。
……とはいえ、空腹だけはどうしようもないわけだが。
「おいおい、さっき食べただろうが」
「何を食ったというんじゃ?」
「そのお浸し」
唯一の光源であるタブレットを操作しながら、海斗が指差したのは岩の隙間だった。
「あれは雑草とコケじゃろうが!」
「違う、ヨモギとミズゴケだ」
「名称を聞いたのではないわ!」
「贅沢言うなよ。ちゃんとした晩飯なら昨日肉じゃがを喰っただろ」
「待て、自分の言っていることに疑問を持たぬか! 飯は毎日食べるものじゃぞ!?」
「断食の世界記録は一年以上らしいぞ」
「主はワシに死ねと申すか! せめて肉を食わせろ! タンパク質を食わせろ!」
「あ~大豆か? まぁそれくらいならその辺に自生して――」
「植物から離れんか! ワシらは修行僧か!」
「あのなぁ、これでも一応頑張ったんだぞ? 死んだふりして肉が集まってこないかなぁ~って」
「主は何の肉を狙っておるのじゃ!! まさかネズミか! ネズミなのか!? 主はいつから生餌になったッ! 肉と言えば牛じゃろうが! せめて豚肉じゃろうがああッ!!」
フリッカは怒涛のツッコミに荒い息を吐いて肩を嘶かせる。
どうやら空腹でかなり気が立っているらしい。
「……誰かさんが無駄使いしなきゃ、もうすこしマシになってたんだ。我慢しろ」
「ぬっ! ぐぬぬぬ~~~っっ!!」
呻るフリッカに海斗はひそかにため息をつく。苦労かけていることは可愛そうに思う。だが世の中どうしようもないことはあるのだ。
たとえば、したいけどできないことがある一方で、できるけどしたくないことも同じくらいあるように。たとえば、行きたくもない地方に上司の命令のひと言で、無理やり納得して足を運ぶように。たとえば、欲しいものがあっても先立つお金がないせいで涙を飲むように。
ポケットに入れた財布の軽さに明日を思うと意識も軽くなってどこかへ飛んでいきそうになる海斗。見た目がよれたスーツの疲れた社会人風なことも相まって、なおのこと哀愁漂う姿が様になっていて悲しい。海斗は情けない悲鳴を上げる腹を叱咤し、手を動かして気を紛らわすことにした。
「ったく、電波の入りが悪いな」
基本がコンクリートと鉄格子の塊であるバビロンは、場所によっては専用のアンテナがなければ通信障害を及ぼすことが多々ある。おそらくこの一帯はそう言った場所の一つなのだろう。グチグチ文句を垂れタブレットとの格闘することしばらく。荒い映像ではあるがビデオチャット画面が開いたのはしばらくしてからのことだった。
『やーやーカイ。日本の雑草はどうだい? 湿気の多い国と聞いているし、肉厚で育ちはいいと思うのだけどね』
ふざけた声と共に目に飛び込んできたのはツギハギだらけの熊のぬいぐるみ。大きなツバ付き帽子をかぶっていることから魔女をモチーフにしているのだろうが、何がどうして熊なのかはいまだに謎である。
――アレン・スミス。
プロフィール、年齢性別戸籍出自すべて謎。
名前からして偽名まっしぐらで胡散臭い、コンコルディア所属のクラッカー兼情報屋だ。わかっていることは悪趣味なツギハギ魔女っクマ、『ナナミン』をこよなく愛していること。自分の代わりに交渉の場に出してくるのだからある意味異常だ。あとわかっているのは、法外な情報料を請求はする銭ゲバであること。付け加えるなら情報の正確性は業界屈指であることくらいだ。
『久しぶりの故郷はどうだい? 考え深くなったりするのかな?』
「俺が知ってるのは大粛清以前の日本だ。塔になったらどこもそう変わらないだろ」
『ひゃひゃひゃっ! 違いない』
聞こえてくる合成音と不快な笑い声にたまらずボリュームを下げる。
『そーいえば、入国早々やってくれたみたいだねぇ』
「……なんのことだよ」
『ゲマトリアとやり合ったそうじゃないか。しかも~ずいぶん派手に』
「相変わらず耳が早いことで」
『それが僕の武器だからね』
飾るでもなく、驕るでもなく、当たり前のように言い切った。
『まったく、あれほど目立つ行動はするなと言っただろう。それとも君にとってはあれで目立っていないつもりなのかな? まぁ日頃の君を見ていれば納得せざるおえないけど』
「おいこら、聞き捨てならないな。俺にそのつもりはないぞ」
「ひゃひゃひゃ! ブラックジョークとは珍しい! 人ひとり助けるために塔を半壊させたこともある人間の言葉とは思えないね!」
スミスの隠すつもりのない皮肉に、海斗は「うっ」とうめく。
「だからって……見過ごすわけにはいかなかったんだよ」
『だとしてもそれは君の仕事じゃなかった。そこに席を置く調律師たちの仕事だ。それを無償で手を貸した挙句被害を広げるなんて……。そんなだからいつまでも文無しなのだよ。救った、助けた、手伝った。ならば対価もらう。それがビジネスだ。僕らは非政府組織(NGO)であって非営利組織(NPO)ではないのだよ?』
「わかってるよ。次からは気をつける」
『そうあってもらいたいね』
全く信用していない口調で適当な返事を返すスミス。
「おっと、だからって無茶して命を落としてくれるなよ?』
「なんだよ、珍しく心配してくれてるのか?」
『僕との会話が最後とかだと、重要参考人やらなんやらと理由をつけて警察様がうるさくなりそうだからね。いろいろと証拠隠蔽が面倒くさい』
「あ~そうかい」
サラリと失礼なことをのたまうスミスに、ヒックと歪な笑みが浮かんだ。
そこへ海斗の後ろで事の成り行きを見守っていたフリッカが勃然と言葉を挟む。
「ふん、いい加減黙らぬかこの銭ゲバが。カイトを汚染するでないわ」
『やーやーフリデリカちゃん、相変わらず可愛いね。今日の赤いパンツはなかなかいい趣味だと思うよ~。あとでくれない?』
「誰がやるか! というかなぜ知っておる!」
『はっはっは! 情報提供者の名は言えないなぁ』
「提供――っ! カイト!」
「おいこら、いまなんで俺を疑った?」
「ワシのパンツを見る嗅ぐ触る被るできるのはカイトだけなのじゃ!」
『……カイ、被るのはさすがの僕でも許容できないな』
「だから人聞き悪いなお前ら! つか他は許容しちゃうのかよ!」
再び「ひゃひゃひゃ」という耳障りな声で一頻り笑うと、カチャとキーボードに手を置く音が聞こえた。
『さて、ひと通りカイをいじって遊んだし、そろそろビジネスの話と行こうじゃないか。聞きたいことがあったからメールでなく電話してきたのだろう? とりあえず初日から戦闘になった経緯から話してくれないかい?』
「なんだよ、全部わかった風に話していたくせに」
『情報はデータ、データは鮮度だ。人や物を通すとどうしても腐って朽ちる。生の声を軽視して完全にデータを信用しきった情報屋に未来はないのさ』
「そういうもんかねぇ」
スミスの独自理論はさておき、それくらいなら付き合うのもやぶさかではない。
覚えている限りのことを話し、内容はゲマトリアの件にさしかかる。
『ふ~むふむ、あ~間違いない。それって一本だたらだね』
「一本だたら?」
『そーそー、一本足に一つ目のなんか気持ち悪い姿をした妖怪さ。山道で人を迷子にさせることで有名だね』
「迷子、なるほどなそれで道に迷ったのか。……いや待て、俺が会ったのは巨大な猪だぞ」
『一部地域では一本だたらは猪笹王と呼ばれているのさ。一本だたらは狩人が死後に狩られた獣たちの怨念によって現世に縛り付けられた姿。猪笹王は狩人に駆られた巨大猪が霊獣化した姿だ。単純に視点の違いだね。形は違えど源流は一緒なのさ』
「それであの巨体と人を道に迷わす霧の能力ってわけか」
納得したと頷く海斗。しかしスミスは「でも妙だね」と、興味深げにつぶやく。
『元来一本だたらは十二月二〇日のみに現れる妖怪だ。一部じゃ『果ての二十日』なんて呼ばれて恐れられているくらいだからね。でも今は十二月ですらない』
ひっきりなしにカタカタとキーを打つ音が聞こえ、
『どこかで別の伝承でもあるのか、あるいはゲマトリアとなり活動するうちに自身の伝承を変質させたか……なんにしても少し気になるね』
「変質って、適応することはあっても伝承自体が変わるものなのか」
タイプ音が止まった。
『カイ、君はどうして人類はいまだゲマトリアに劣勢しているかわかるかい?』
「なんだ藪から棒に。そりゃあ……え~と……」
すぐ出てこない海斗にかわり、ひょこっと肩越しに顔を出したフリッカが答える。
「ゲマトリアは討伐されると痕跡すら残さず消滅するから、ではないか?」
『ご明察』
花吹雪のエフェクトと、どこからともなく『おめでとう』の音声。無駄にこっていた。
『人類は最も多くの生物を絶滅に追い込んできた覇者だ。でもね、それは敵を知り、研究し、弱点を見つける狡猾さあってこそさ。でも、ゲマトリアは違う。奴らが討伐されると消滅して何も残さないからね。生態を調べようにも死体がないのでは漠然としたことしかわからない』
「つまり、あらゆる可能性が否定することはできないと?」
『イエス、あまり考えたくないことだけどね』
辟易とした様子でため息が聞こえてきた。
『ゲマトリアの力は既存の伝承に依存する。たとえば一本だたら、山道で迷子になり遭難した人間の恐怖が伝承として言い伝えられ生まれた妖怪さ。他にも自然現象・夜の闇・不可解な現象。人類は科学の光がそれら闇を斬り裂き理由を与えるまで、自分の認識の範囲外にある現実に恐怖し都合のいい怪物を想像した。そうして数多の伝承によってゲマトリアが生まれた。つまりゲマトリアとは人間の妄想の産物なのさ。だからその性質も弱点も多くの場合すぐにわかるわけだけど』
今回の一本だたら……改め猪笹王には、その伝承に反する部分がある。まとめると、どうやらそう言いたいらしい。いまでこそその弱点を理解したからこそ人類はやつらと対等にやりあえている。だがわかる以前は一方的にその超常現象を前に牛凛された過去もあるのだ。つまり、その弱点が通用しないゲマトリアが現れたとしたら、
「考えただけでゾッとするな」
『だろ? ただでさえ奴らには〝纏い〟は厄介なのにねぇ』
「……〝纏い〟か」
思わず苦い顔をする海斗。
ゲマトリアを知る人間にとってその言葉は悪夢の代名詞以外の何物でもない。人類をここまで追い詰めた原因の一つは、明らかにこの〝纏い〟にあると言って過言ではなかったからだ。
「災害を身に纏っているなんて、なんだよそのチートはって感じだよな」
『ひゃひゃひゃ、そも使えるエネルギーのケタが違い過ぎるからね』
いうなれば意思を持った炎や、知能を宿す雷を想像すればいい。
そんなものとまともにぶつかれという方が無茶な話だ。
「……ふむ、この際だから聞きたいのじゃが、奴らの区分について詳しく教えてくれぬか?」
『と、いうと?』
突然口を開いたフリッカに、スミスは質問を返す。
「なんたら種という奴じゃよ」
『ああ、クラスのことだね』
「それじゃそれじゃ。奴らはもともと伝承が形になったあやふやなものじゃろ? どう区別するのじゃ?」
『だからこそだよフリデリカちゃん』
椅子にもたれのか、ギッと軋む音が聞こえた。
『ゲマトリアはもとが人の空想から生まれた生物であることはさっき言ったね。だからその時代・地方によって同じ種でも形は様々で、一種の多様性では群を抜いている。もしこの時代にダーウィンが居れば進化論の発表を見送っただろうね。アメリカの創造論者も大歓喜だ。何せゲマトリアの環境適合力は進化というにはあまりに早い』
「でも、実際あれはそういう生物だ。だから怪我の回復は早いし、薬物への耐性もすぐ身につけちまう。残った倒し方が物理で叩くなんて古典的方法しかないくらいにな」
『それだけ聞くとゴキブリのようだね』
また「ひゃひゃひゃ」と笑い声が聞こえてくる。表現がお気に召したのか、ゴキブリに追い詰められる人間という構図が可笑しいのか。どちらにしろ悪趣味なことこのうえない。
『話を戻そう。先に言ったようにゲマトリアとは魑魅魍魎、人が自然災害や理解できない現象を恐れたことで生まれた生物さ。だからこそ彼らはきっかけとなった伝承に束縛されているにもかかわらず、その姿は無秩序だ。一本だたらが人間のできそこないだったり、大猪だったりするのがいい例だね。その性質を逆手に取ったのがこのクラス分けさ』
「む?」
『人の伝承によって彼らの姿が決まっているのなら、同じようにその姿を多くの人が同じ物であると認識すればいい。たとえば、カイの料理は川に毒を垂れ流して浮かんできたイワナの死体の腹より食欲を失う見た目をしているだろ? でも世界中の人がこれを高級料理だと言い切れば世界三大料理の一つに数えられるかもしれない。つまりそういうことさ。おそらく一本だたらは現生種としてこの塔では認知されていたんだろうね。だから猪の姿をしていた。もし人種なら気持ちわるーい一本足おばけになっていただろうさ』
「う、うん? わかるようなわからんような」
フリッカはいまいち納得いかない様子で首をかしげた。
『具体的に話すと量子力学と抽象的自我について踏み込まないといけないからね、クラス分けすることで姿を固定していることさえわかれば問題ないさ。
さて、本題のクラス分けについてだけど、ゲマトリアで最もポピュラーなのが【人種】。これは知性的な動きをする個体が多いね。ただし〝纏い〟を持たない個体も多くて、大半は脅威とはならないかな。
次点は【現生種】。見た目は現存の生物の姿そのものだけど、とにかく筋肉や骨格の強化が著しくてね。中には対艦ミサイルの直撃に耐えた個体もいるらしいよ? まったく出鱈目だよね。
そして【幻獣種】。神話上の生物を模した上位種だ。こいつはわかりやすくて、とにかく〝纏い〟が強力だ。そのせいもあって見た目は一番可愛らしいくせに、こいつが出てきたらバビロンの存亡にかかわる場合すらある強力なゲマトリアさ』
ひとしきり話し終えふぅと息をつく。
話している間ナナミンは力なく頭を垂れていたのがなかなか奇妙な光景だった。
「おい、あと一つ忘れているぞ」
『おおっと! そうだったね』
わざとらしく取り繕ってひと言。
『三つに該当しない【竜種】は――バケモノだよ』
そう言って言葉を切った。重い空気が場を支配する。
『大粛清から七年たって確認されている個体数は三十とちょっと。他三種のいいとこ取りをしたような反則級で、何体ものゲマトリアを配下にする頭。しかも明確な敵意をもって人を襲う獣。もっとも人類を殺した祖。以上かな』
「…………………………なるほどの、よーくわかったわい」
フリッカの憎まれ口を聞きながら、海斗は話を整理する。伝承の変質。にわかに信じがたい。ただこの塔のゲマトリアは通常のものとは違うことだけは理解できた。
『で、だ。長々と話してしまったけど、僕の言いたいことはわかっているかい?』
そんな海斗の思考を呼んだのか、スミスが口を開く。これまでの軽い調子ではない、平坦な声。思わず言葉に窮した海斗は明後日の方向に視線を逸らした。
『僕が君に情報を提供したのは、慰安旅行のためでも、雑魚退治のためでもないんだよ? もし君がその塔に肩入れしようと考えているのならやめておくれ』
「……」
「国家という概念が破壊されて等しい今、バビロンこそ国と考えている者は少なくない。世界規模の出来事ならグレーゾーンだが、これ以上派遣申請なしで動けば国際干渉ととらえられても文句は言えないのだよ?』
「……ああ、わーてるよ」
ガシガシ頭をかき、タブレットに映る魔女っクマを通してスミスを睨んだ。
『……うん、なら結構!』
その返事を聞き、コロッと声色を変えるスミス。いっそ清々しいわざとらしさである。
「話すことは話したよな。ならしばらくは塔内の状況を探って報告を――」
言葉にできない胸糞悪さに頭をガリガリかいき、海斗はこれ以上会話を長引かせるのを意図的に避け、そうそうにまとめへ入った。そのとき、
「な、なんだ?!」
ピリッと空気が振動するような感覚が産毛を震わせる。数瞬ずれて空間を振るわせる爆発音が鼓膜に叩きつけられた。
「爆発!? これって……スラムの方じゃねえかッ!」
叫ぶと同時に走り出す海斗。その後ろ姿を重いため息が見送った。
『まったく、舌の根も乾かぬうちから。無償の善意はやめろと言っただろうに』
「カッカッカ、まぁあれでこそカイトとも思うがな」
『考えなしの相棒を持つと大変だねぇ、フリデリカちゃん』
「もう慣れたさ、それにのぅ」
スミスの言葉にフリッカはニッと笑うと、
「それがカイトのいいところじゃろ?」
『ひゃひゃひゃ、ご馳走様。君からもよろしく伝えておいてくれ』
うんざりした声でナナミンの手を振るとチャットが終了する。
電源の落ちたタブレットを抱え、フリッカは一人先走った相棒を追いかけるのだった。
クセのあるキャラは大好きです♪
そしてまた7000字……。ちょっと多いので、次回から分量調整してみますorz