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10 『家出少年のその後』

       ※


 世界は炎に包まれていた。

 紅に彩られた町が、海斗の見開いた瞳に映りこむ。


 無慈悲なほど暴力的な炎が人を飲み込む姿がはっきりと見えた。

 熱さに悶えていた人影はしばらくして動きが緩慢になりその生命機能を停止させた。

 そんな光景がすでに数十分にわたって繰り返されている。

 それでも海斗は目の前の光景を受け入れることができずにいた。


 ふと、漂ってきた芳ばしいにおい。

 肉を焼いたようなかおりが場違いで違和感を覚える。

 気づけば手の届きそうな距離に黒炭のなにかがいた。

 這うように近づいてくるそれを、海斗はすぐに人だとわからなかった。

 

 でも燃え残った服の裾が、『それ』が『女性』であることを教えてくれる。

 燃える(あぶら)もなくなった姿は表情すら読み取れない。ただ水面で口を動かす魚のように開閉を繰り返す口だけが、声にならない遺言を言い残していた。


「うぅッ!」


 芳ばしいかおりがなんだったのか理解し、胃がひっくり返る嘔吐感から膝をつく。

 今朝口にしたばかりのライ麦のパンが地面を汚す。

 ずぼらでご飯を抜きがちな海斗を気づかい、同じ家に住む少女が用意してくれたものだ。

 

「……シーリア」

 

 ようやく思い出したように少女の名前を口の中で転がす。あまりの熱で乾いた唇と喉が引きつりをおこし、明確な意味をなさない呟きとなって零れ落ちた。

 何度もつまずきながら町はずれを目指す。三年前流れ着いた自分を受け入れてくれた家。やっと我が家と言えるようになった家族のもとへ走る。


 ――そこに、『そいつ』はいた。


 隆起した筋肉に三メートルを超える体躯。それを覆う真紅の鱗。のこぎりを思わせる牙と爛々と輝く青い瞳は皮肉なほど美しく澄んだスカイブルー。彼の者の力を象徴するような外見だが、全身を陽炎のような靄が覆っているため輪郭がはっきりしない。


 明らかに普通の生態系から生まれる生物ではない。

 大きな翼をもつその姿は、空想上にのみ存在を許された力の象徴そのものだった。

 

「ゲマ……トリア」


 大きくはばたいた翼が巨体を浮かべる。

 瞬間、羽ばたく翼が炎に包まれ、そこから切り離された火種が爆炎の華を咲かせた。

 街を燃やし尽くした紅蓮の衝撃は、家を爆破し瓦礫にかえしていく。

 唖然とする海斗を余所に、『そいつ』は何事もないように、北の山脈に向かって巨大な火球となって飛んでいく。


「シー……リア……」


 フラフラした足取りで、我が家だった残骸へ歩を進める。徐々に歩みは早くなり、気が狂ったように残骸をどけてゆく。僅かにくすぶっている木材は手の皮を容赦なく焼き、激痛のシナプスとなって脳に認識させる。


 でも手を止めることはできなかった。一縷の望みを捨てることができなかった。

 そしてその思いは奇跡を生んだ。


「あ……うぁ……海斗? 痛ッ! え? なに、これ?」


「シーリア! そこに居るのかシーリア!」


「え、ええ、海斗、何があったの?」


「今は考えるな! すぐ出してやる!」


 生きていた。掘り起こした穴の向こうは、家の支柱が崩れた天井を支え、人一人が入れるような小さな隙間を作っていたのだ。


 嗚呼、神様ありがとうございます! 海斗はその時はじめて自分に試練ばかり突きつける居るかもわからない存在に感謝した。

 瓦礫を覗き込むと二メートルほど先に見慣れた少女の姿が見え、海斗は身を乗り出す。


「シーリア! 引っ張り出すから手を伸ばせ!」


「え? あ、うん――痛ッ!」


「何してんだ! いつ崩れるかわからないぞ! 急げ!」


「だ、ダメ! 瓦礫に挟まって身動きが……」


 虚しく空を切る手。

 さらに手を伸ばすため体重をかけていく。崩れた天井は不気味な悲鳴をあげた。ふと、軋む音の中に別の音が混ざっていることに気付く。

 パチパチと何かがはじける音。その正体を理解した瞬間、海斗の顔から血の気が引いた。


「あ、れ? なに……これ……熱、い……え? なに?」


「シーリアッ! 早く! 日が、火が回ってきたんだ!」


「え? うそ……いや、いやよ海斗! いや、いやああぁ!」


 それはあっという間の出来事だった。

 入り組み空気の通り道がなかった火柱が、奇跡的に出来ていた隙間の酸素に殺到する。

海斗が手をさし伸ばしていた穴から――シーリアがいる穴から――爆発するような火柱が上がり海斗を吹き飛ばした。


「イヤアアアアアァァァッッッ!!! 熱い! 熱いよ海斗! 出して! ここから出してええええぇぇ!!」


 ゴウゴウという音すらかき消す絶叫。紅蓮の火柱の中でシーリアが金切り声をあげる。その光景を海斗はなすすべなく見つめるしかなかった。


「――――ァァ。い……ア…………いや…………か、いと……し、て」


「あ……あぁ……」


 徐々に小さくなる悲鳴。

 その命が燃え尽きるまでの声を、海斗は耳をふさぐこともできず聞き続けた。

 

「――――――――――――――――――――――――――――――ッ」


 涙すら流せず、声なき声が辺りに木霊す。

 崩れる幸せの日々と一緒に心を砕くように。砕けた心の隙間を憎悪で埋めるように。

 遥か天空で翼を翻す敵に向け、絶望の咆哮はいつまでも鳴り響く。


             ※


 目覚めてはじめに感じたのは畳のかおりだった。

 無性に感じる暑さに額を拭う。寝汗がひどい。渇いた喉が引きつり痛みを覚える。

 ゆっくり重い瞼を開ける。

 見上げた先には古めかしい天井の木目。どうやら布団の上に寝かされているらしい。


 と、射し込んだ光の眩しさに再び目を瞑る。慎重にもう一度開けると、光の正体は襖のわずかに開いた隙間から差し込む夕焼けを反射させた池だった。

 空にはすでに月が昇っていた。その光景に違和感を覚える。ぼんやりとその姿を眺めて記憶との齟齬(そご)を調べ気づいた。月が楕円に欠けているのだ。今夜は満月だったはず、なら今日が認識している日と同日ではないのだろう。


「ん?」


 ふと、人の気配を感じて首を巡らせる。


 部屋は十畳ほどの畳ばり。

 おそらく客室かなにかなのだろう、端に木製の机がある以外目立ったものはない。

 調度品も最低限で、誰かが隠れられるような場所は見当たらない。

 ならどこに? 警戒ランクを上げた時だった。

 もぞり、と。

 まるで待っていたように、ちょうど股のあたりで布団が動いた。


「…………おいおい」


 猛烈に襲った嫌な予感に布団をはぎ取る。

 まず飛び込んできたのは――銀色。ついで目に痛いほど白い肌に目を眇めた。


「――……はぁ!?」


 全裸の幼女――むろんフリッカである――が太ももにしがみつき寝息を立てていた。

 一瞬で認識の範囲を突き破り混乱する。


 意味が分からない。

 こいつは何をやっているんだ?

 疑問符に明確な答えが出ない中、寝汗とは違う別の汗だけが流れ続ける。

 同時に心の中の警告灯がサイレンをがなりたて緊急事態を知らせた。


「う、うぅん……カイ、ト?」


 ぷるるっと肌寒さから体を震わせるフリッカ。

 目を擦りながら身を起こす。

 ただ如何せん恰好が恰好である。

 同じ布団の中という至近距離でそんなことをすれば、いろいろきわどい部分がさらされてしまうわけで……。


「ッ!!」


 気戦術をはじめ、あらゆる体術を達人の領域まで鍛えたゆえの超反応で目を逸らす。

 だがその鍛え抜かれた能力ゆえに、動体視力や観察眼も並ではない。


 陶器のように曇りのない白い肌、未成熟ながら程よく肉の乗ったしなやかな手足、なだらかな双丘の先端では熟した木苺が可愛らしい実り、玉のように浮かぶ汗は思わず舐め上げたくなるほど瑞々しい。

 一瞬視界に入った情報は、遅れて鮮明な映像となって記憶に刻まれていた。


「あ、あのぉフリッカさんや。どうして裸なのです?」


「何故? 何故じゃと? ……このバカ者が、人を散々心配させておいて第一声がそれか」


 クァアと欠伸をし、非難混じりな視線が射抜く。


「主が血を流しすぎて体温を維持できていなかったから、三日も暇を見ては肌と肌で温めてやったのじゃぞ。まずは感謝の言葉が先じゃろう」


「お、おう、そうだな。うん、ありがとうございます」


 もっともな意見に思わず口調が敬語になっていた。

あれから三日もたっていたことや、かなりの大怪我だったことなど、聞き捨て手はいけない内容だった気がすぐが、今の海斗の耳には聞こえてこない。


 ……マズい、これは非常に危ない。

 何が危ないって、まず一つ目は倫理観の危険が危ない。


 事実はどうであれフリッカの見た目は明らかに年端もいかない少女である。法に児童福祉法やら、青少年育成条例というものが存在する以上、現状は限りなくアウトに近いアウト。お巡りさんにサムズアップで肩を叩かれても仕方ない状況である。

 そして二つ目は、


「なに? 目が覚めたの…………あんた何してんの?」


 がらりと入ってきた茜の色彩を失った瞳である。


「待て。お前はきっと大きな誤解をしてる」


「なにが誤解なのかしら? 弁明の余地のない現行犯にしか見えないんだけど?」


「うん、気持ちはわかる。でもよく考えてみろ。怪我から目を覚ましてすぐ手を出す相手が、こんなガキとかどんだけ飢えた犯罪者予備軍だよ」


「……確かに、犯罪的な魅力があるものね」


「いやその犯罪的って意味違うよな!? 俺がそんなに危ない人間に見えるのか!」


「他人の家で汗まみれの男が、一組しかない布団の上で、裸の子供を腰に座らせながらする言い訳を、誰が信じるのかしらね?」


「……簡潔にまとめられるとすんげぇ危ない人間だな。そいつ」


 我がことながらあまりの危険人物っぷりに思わずうなずいてしまった。

 まるで浮気現場を目撃された夫のような弁明に、茜はとても優しげな笑みを浮かべる。

 無言で掲げた拳が燃え上がり、ついでに彼女を中心に金色の炎が天へ抜けていく。

 感情に任せた炎の渦は、天井に大穴を開けながらなおその勢いを増していった。

 神の天罰が具現したその光景を前に、海斗は諦め乾いた笑みを浮かべる。


「あはは、どうしてこうなった」

「あんたが悪いんでしょうがこの変態ロリコン野郎おおおお――っ!!」


 有無を言わさず唸る拳と轟く爆音に、海斗の悲鳴はかき消された。

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