無感動
大切な思い出を零していく。
それは僕が非情だからで、かつ感性に乏しいからだ。
僕は真摯に体感すべき前景を捨て、何か思料に耽っていたようだ。
未だ、僕は『あの景色』――それは視界のみならず、香り、肌、体内を巡った厖大なパルス的感覚――を、精確に思い出すことができず、信じられないことにすっかり忘れてしまっているようだった。
それは、どうも恐ろしい事実であるようだった。
――――僕はあの『人生の根幹たる、美しい、知性に溢れた、まるで唯一の理解者であるような、神々しくかつ静かな景色』を捨てた?
今の僕は、あの<母胎>から生まれたのだ。それなのに、僕は何も思い出す事ができない。
あの夜は、僕が唯一理想の地に踏み込めた、何よりも素晴らしい瞬間であったのに、まったく五感に蘇らせることができないのだ。
僕はなんて非情なんだ。そして、無感動。あの景色を前に、この無感動。もっと、心に刻みつけられるべきなのに、なんだこの飄々とした心は。あまりにも浅ましい無感動。
この心は欠陥品であるようだ。ひび割れたグラスだ。注いだ思い出は、この罅から零れてゆくのだ。
僕は、この忘却が為に、己の台座を喪失している。己の根源を失った事実は、凄まじい恐怖感を僕にもたらしてくれた。僕は今一度、<母胎>の抱擁を受けたいが、全く、その夜は見つからない。
僕は、あの細波を取り戻したい。あの月明かりを浴びたい。あの砂の肌を触りたい。あの暗闇を嗅ぎたい。
なんて愚かで我儘な無感動。
きっと僕は永遠に飢え続けるに違いない。
拙文読んでいただきありがとございました。