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『強者の願いは届き難く』  トレモロ

「最後に何か言い残す事はあるか?」

「……」

 暗い場所だった。

 汚れが目立つコンクリートの壁に床。殺風景というよりは、最早風景が死んでいる。

 何も無いんじゃない、何もかも死んで果てている。この場所も、僕自身も。そして今ボクに声を掛けてきた彼も、きっと死んでいる。

 それでも何かを見たいと、本当に死に切ってしまう前に目に焼き付けておきたいと視線を巡らすが、辺りに漂う劣化した鉄の錆び臭さが鼻に付く事位しか、感じ取る事が出来なかった。

 仕方なく視線を向ける、鉄錆に向けて。

 断頭台。古い、とても古い処刑道具。今どきこんなもんで殺される人間なんて、本当に僕位なもんだ。

 余りに使われない所為で、刃の部分は劣化していて、今からあの刃に首を落される身としては、不安を覚える。

「言い残す言葉は無いんだな?」

「……」

 処刑の立会人、唯一の観客、見届け人、監視者。まあ呼び方は何だって良い。そこに彼が居る事に意味がある。そんな彼が、僕に再度聞いてくる。

 残す言葉。

 そんなものは無い。僕は言葉を残したかった訳じゃない、ただ、行動しただけだ、常に考えて、動いてきた。

 それは誰かの笑顔の為だったり、この世界の為だったり、そして不条理を許せなかった自分の気持ちの為でもあった。

 だから、僕には残すべき言葉は何もない。残したかった行動を否定された僕には。だが、疑問はある。

 なんでこうなったのか、何故なのか、疑問はあるんだ。

 僕は、国を救った英雄になった。

 世界中の人間を救った英雄になった。

 英雄、救済者、誉れ高き、世界に誇るべき人間。

 多分、そういうものになった。そういうものになった筈だった。

 この世界は崩れかけていた、もうどうしようもない所まで堕ち切っていた。誰も彼もが絶望して、自棄になって、もう失いすぎて、最後に残った命も、自らの手で捨ててしまいたいほどに挫けていた。

 だが、それでも人々は自死する事は出来なかった。その勇気さえも無かったから。ただ、誰かが終わらせてくれるのを待っている、そんな状況が続いた。

 そして、その終わりも、すぐ傍まで来ていたんだろう。

 だけど救った。

 この僕が、問答無用で全てを救ってみせた。

 もう、世界中の何処にも、奪われて泣く人も、失って傷つく人も、壊れて絶望する人も、居なくなった筈だった。

 そうして、僕が救った世界に、僕が守った筈だった人類に、僕は今、断頭台に連れてこられた。

 何故だろう、どうしてだろう。わからなかった。

 どうしようもない疑問、だから、聞きたかった。

「残す言葉は無いです」

「……そうか」

「だけど、聞きたい事があります」

 もう聞ける人間は彼しかいない、だから立会人の男に聞くことにした。

 黒いスーツを着た年若い男。とてもこんな錆び臭い場所に居る類の人間ではない彼。

 僕が女性だという事もあってか、これから死刑になる人間に対しても、丁重に此処まで連れてきてくれた。

 もっとも、幾ら丁重にしようが、彼が紳士的であろうが、結果的に僕はこれから首を落されるのだから、関係ないんだろうけど。

 でも、聞いておきたかった、彼なら答えを知っているかもしれないから。

「僕は何故、処刑される事に成ったんでしょうか」

「この世界に住む人々が、そう決めたからだ」

 身も蓋も無い、事務的な返事。簡素な響き。そうじゃない、そういうことを聞きたいんじゃない。

「人々がそう決めた、理由を知りたいんです」

「……そうか、貴方は分からないのか、自分が何故ここに連れてこられたのか」

 立会人の彼は、真っ直ぐと僕の顔を見ながら、言葉を返してくれる。

 だけど、彼の瞳に映っている感情は、憐憫だった。哀れな人間を見る目だった。

 何故? その眼の理由はなんだ?

「貴方は英雄だった。貴方は救済者だった。貴方はこの世界を、救ってくれた。そんな貴方が今から処刑される。その理由が、分からないのか。自分が何故、助けようとして助け切った人間達に殺されねばならないのか、貴方自身分かっていないのか」

 やりきれない。そんな顔で彼は僕を見てくる。

「ええ、だから、教えて欲しいんです。僕が救った人間の一人である筈の、貴方に、聞きたいんです」

 沈痛な面持ちで、言葉を受け止めて、彼は先ほどまでの何か悟った様な雰囲気から、子供の様な、今にも泣き出しそうな顔で、教えてくれた。

「貴方は罪人じゃない、だけど全ての人類からの咎を受ける。貴方は何も悪くない、だけど罰を受ける」

 合わせていた視線を逸らして、処刑の準備に移りながら、彼は言葉を続ける。

 まるで、僕の事を見ながら言う勇気が無いとでも云う様に。そして、実際その通りだろう。

「この世界の人間は、もう堕ちる所まで堕ちていた。何もかも投げ出していた、絶望に打ちひしがれていた。だから、もう人々は最後の時を待っていた」

 刃に連結したロープの具合を確かめて、ギミックが正常に作動することを確認しながら、彼は口から言葉を紡ぎ続ける。

「でも、貴方はその最後の世界を救ってしまった。もう壊れて戻らない筈の世界を、元通りにしてしまった」

 処刑の準備は整った、あとはもう僕を殺して終わるだけ。

 彼は立ち上がり、僕と向かい合う。そして告げてくれる。多分、決定的な一言を。

「でも、貴方が元に戻したのは世界の仕組みだけだ」

 仕組みを治した。直した。

 僕は確かに、元合った通りに戻した、世界を。だけど、世界の骨組みを、基盤を幾ら直した所で、そこに生きる人間の心まで元に戻す事なんて出来なかった。

「人は経験してしまえば、それを糧としてしまう。一度知ってしまえば、環境を戻しても、もう同じ様には生きられない。だって、人は記憶出来るのだから」

 恥を晒すように、羞恥するように、彼は語る。

 だけれども、その瞳は、黒く濁っていた。諦めきった人の目だった。

「人が世界に絶望しただけなら、まだよかったのかもしれない。だけど、人々は、この世の人間は誰彼全て諦めてしまった。そうやって諦めてしまった人は、もう捨ててしまった人は、例え手元にソレが帰って来ても、何も出来ない。もう、何を為す事も出来ない」

 宝の持ち腐れなんて言葉。

 価値を知らない人間は、それを活かす事が出来ないのと同様に、価値を捨ててしまった人間も、もうそれを活かす事は出来ない。

 じゃあ、僕のしたことは、一体。

「貴方は間違っていない、罪を犯してもいない、正しい、何処までも正しく世界を救った。誰も傷付けなかった、創作物みたいに完璧で完全な救済を、貴方はしてくれた。だから、我々は貴方を英雄と呼ぶ」

 僕が世界を治す前の世界で散々見てきた死に果てた瞳。その瞳を、彼は僕が治した今の世界でも持ち続けている。

 嗚呼、そうか、そうなのか。僕がしてきた事は、そうだったのか。

「英雄。英雄様。貴方は私達を救ってくれた、だけど、私たちは貴方に感謝できない。この世界の人間は、誰一人貴方に感謝を捧げられない。皆一様に、貴方の死を望んでいる。済まない、だけれども、それでも、貴方は理解するべきだった。たった一人、諦めないその強い心の中で、理解するべきだった。弱い我々の心を。本当に、申し訳ない、だけれども、この世界には……」

 昏く濁った瞳で、親に叱られる事に怯える子の様に、彼は僕を言葉で処断した。


「死んだ世界に、英雄なんて要らなかったんだ」


 世界は、人々は、皆は、もう終わりたがっていた。それを救ってしまった。なんていう、無意味。寧ろ害でしかなかったと。そういう事、なのか、

「ああ、納得しました、とても、納得しました」

 ……それでも後悔はない。英雄として、救いたかったから、その救済が拒絶されても、それでも後悔はない。そして、僕の死を望んだ人々への、恨みさえも、何もない。受け入れざるを得ない現実に、只々、静かな気持ちになれた。

「……英雄さん、俺も貴方に聞きたい事が一つだけある」

「はい、なんでしょう?」

 此処まで応えて貰ったのだから、疑問を氷解させてくれたのだから、それくらいはお安い御用だ。

「貴方は何故、抵抗もせずにこの場に連れてこられた? 貴方の力なら、如何様にも我々を撃退する事も出来た筈なのに」

「……そんなの、決まっているじゃあないですか」

 おかしなことを言う人だ、だってそれは、当たり前の事だ。

「私は英雄ですから、例えどんな人間であっても、傷付けるなんて真似、絶対できないですよ」

 善人だろうが、悪人だろうが、何だろうが。全てそうだ。

 僕は他人を傷つけない、他人を救うために生きてきたのだから、全ての力はそのためだけにあるのだから、私は英雄なのだから。

「そうか……。ありがとう」

 立会人の彼は、私の返答を聞いて、矢張り憐憫を滲ませた顔で言う。

 もう語る事も無い。為すべき事も、もうない。

 世界は救われた、人々は救いを求めていなかった、だけど私は救ったのだから、もう使命は果たしたのだから、望まれるのなら死のう。それで終わりにして、構わない。

 静かに首を断頭台の前に差し出す、立会人の彼も、刃に連結されたロープを切る為に、斧を持った。

「それでは、良い死出の旅路を……」

 その言い回しが、なんだかおかしくて、【私】は思わず笑ってしまう。

「ありがとう。貴方も良き生の日々を」

 目を瞑る。斧の振り下ろされる音。ロープが切れる音。

 刃が下りてくる。そして首が押し切られ、飛んでいく。

 錆び付いた刃でちゃんと切れるのか心配だったけど、しっかり切れてくれた様で、とても安心できた。

 

「英雄さん、貴方は間違っていなかった。貴方は本当に間違えていなかった。だけど、やっぱり、人の心は分かっていなかった。英雄さん、物語に出てくるような、英雄さん」

 俺は彼女の体から落ちた頭部を眺めて、誰に聞かせるでもない独白を、こみ上げてくる悲しさを抱えながら、ただ呟いた。

「貴方は英雄です。そして何処までも、狂者でしたよ」


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