眠れぬ夜の昔話
宿に着くと、ハルはすぐに眠ってしまいました。しかし、リーフはなんだか眠れず、窓際の小さな椅子に座って空を眺めていました。
ケニスが自分を森の外に出した理由は、なんとなくわかります。あの森には狼しかいません。リーフは人間なので、きっとそのせいです。人間の住む世界に出して、ハルといろんなところに行って、いろんな人間に出会って、そしていつかは、森を出なくてはならないのです。そしてそのいつかがもうすぐなのかもしれないことだって……。
「眠れないのですか?」
「あんたは、えっと……黒なんとか」
「黒塔守です。リーフさん、寝ないと身体によくありませんよ」
そういいながら、ハルに毛布をかけると窓を少し開けました。涼しい風が髪を撫でます。
「わかってるけど、寝つけないの。黒は寝ないの?」
「あなたが寝つけないのなら付き合いましょう。それに、きちんとした自己紹介もまだでしょう?」
「そうね、あたしはリーフ。ケニスの森に住んでたわ」
リーフはそれだけ言うと、窓の外に目をやりました。星は優しく輝いています。
「私は黒塔守……夜の妖精です。夜の王国から来ました。私はもともと一人で旅をしていて、王都までしかお二人とはいられません。それまでよろしくお願いします」
「……妖精ってことは長生きなのよね。昔の話とか、わかるの?」
「ええ、一通りは把握していますよ」
「興味があるわ。話してみてよ」
リーフは椅子の向きを変えると、黒塔守を見つめました。では神話を少々、と黒塔守は月を仰ぎ見ると語り始めました。
……もともとこの世界は、朝の神様がおつくりになりました。出来て間もないころの世界は、全ての種族が仲良く暮らし、朝の神様は夜の女神様とこの大地で過ごしていたそうです。
ですが、人間たちはふたつにわかれ、ある宝をめぐって争うようになりました。朝の神様の血から生まれた朝の人間族と、夜の女神様の血から生まれた夜の人間族。争いは全土に広がりました。
「宝とはなんだと思いますか?」
「……宝? わからないわ。神樹とかじゃないかしら」
「その通りです。人間たちは永遠の神樹の所有権をめぐって争いました」
これをご覧になった神々は、広大な大地を割り、神樹の果実のことを忘れさせました。そして命の掟によって妖精をみっつにわけ、精霊は姿を消して暮らすようになりました。そして竜は人間を避けるように生きるようになりました。
「命の掟は、人間にもあるのですよ」
もとはといえば、争いをはじめたのは人間たちです。神々は命の掟によって、昼の人間族を疑似的に作り出したのです。
「昼の人間族? そんなのいないじゃない」
「ええ、いませんよ。神々がそう呼ぶだけですから」
昼の人間族、というのは、朝でも夜でもない、ということです。
「たとえばリーフさん。あなたはご自分が朝か夜か、わかりますか?」
「……わからないわね。でも、朝か夜かっていうのはそんなに問題なの?」
「いいえ、本来それを知っているのはほんの一握りでしかありません。どちらなのか、ということはさほど問題ではありません」
昼の人間族というのは、自分がどちらなのかを知らない人間族のことなのです。
自分がどちらなのかを知っている一握りの人間族は、その役割を果たさなくてはなりません。朝と夜は対立する可能性がありましたが、この役割のために争いは今のところありません。
「なんなの、それ」
……朝の人間族の役割は、王の神樹を守ります。詳しくは朝の国でわかるのではないでしょうか。朝の国と夜の国はあまり関わりを持っていないようですから、どうにも……。それに、役割はあまり歴史には残っていません。伝承に残る程度です。
夜の人間族は、時計塔を守ります。これは、夜の女神様からさずかったものです。私たち塔守が常に見回っていますね。加えて歴史を記す書記官がいることくらいですか。
「その書記官というのが……おや」
気付くと、リーフは寝息を立てています。黒塔守は静かに窓を閉めると、彼女をベッドに運び毛布をかけます。
「おやすみなさい、またあした」
そっと椅子に腰かけ、月を眺めながら、口ずさみます。
「眠れや、わが子。かわいや、わが子。陽がのぼり、朝が来るまで、静かな夢を」
月明かりの下、黒塔守は巻物を開きました。何度も紙を継ぎ足した巻物。その途中までは、不思議な文字で埋め尽くされているのでした。