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Penrose Story  作者: 小藤沼加
2/2

in URAWA 2

ども、小藤です。

前作で言ってなかったのですが、これにておしまいになります。

最後までお付き合い、お願いします。

あ、無論、恋愛のことではなく俺の小説です。

  Penrose Story 2 in URAWA



  とある作家の話



 山本は、自分が担当する作家から「書き終わったよ」という旨の電話を受け取り、やっとか、とその作家の仕事の遅さに落胆すると同時、また確かな「終わったよ」という報告を受け、安堵感を得て、胸を撫で下ろした。山本は著名な出版会社に勤め二年、更にその会社の著名な文庫編集部へと異動し、とある作家の担当編集として、今日も文字のパソコン出力や誤字の訂正、校正作業などに格闘していた。

 山本が受け持つ作家、燈色とは、同社のライトノベル部門の金賞を受賞し、デビューを飾った作家のことだ。近年の素人に見受けられる下手な遠回しをした言葉遣い、無駄に凝った小難しい漢字などを一切使わず、常に読者のことだけを見つめ、単純な文章構成と言えど簡潔で分かり易い表現を第一とした、純粋な作風で話題を集めた奇才だ。が、編集業界では遅筆家として、毎度締め切り寸前に提出する、遅刻の常習犯で有名であった。

 燈色というのはペンネームかとばかり思っていたものの、担当をして二年経つが、彼の実家の表札も「燈色」と刻まれているのを見、「珍しいがこういう苗字もあるのだな」と納得していた。ついでに彼とは、仕事歴が同い年だな、とも彼の自宅に向かいながら感じていた。


「やぁ、いつも遅れてすまないね、編集さん」

 玄関から顔を出した燈色の最初の切り出し文句は、これだった。齢二四の年齢ではあるが、今の若者のように軽佻浮薄な雰囲気はなく、寧ろ隠居生活をしている老人のような落ち着きがあった。俗に言うスポーツ刈りのような髪型は、実年齢よりも彼を更に若く見せ、まるで元気に外で駆けまわって遊ぶ少年のようなイメージをもたらす。

 山本は彼の家に上がり、居間で原稿が入っているだろう大きめの茶封筒を眺めながら、今作の制作について燈色の口から溢れる言葉の数々を聞いていた。

「何気ない日常を書いていたんだが、それだけだと詰まらないと思ってね、グルグルと廻る時計の長針を見てふと、アイデアが舞い降りたんだ」と椅子に深く腰を落とし、手を顎に当てながら語る姿と語る雰囲気と語っている内容は、どことなく、どこぞの年老いたベテラン一流ロックバンドの作詞作曲ボーカル・ギター担当に似ていた。

「と、言いますと?」

 うん、と一つ頷いて、「変わらない日常が、繰り返されるんだ」と言う。

「ほう。燈色さんは先程、『時計の長針を見てアイデアが舞い降りた』とおっしゃいましたが、具体的にはどのようなものなんですか」

「そうだね。実際のところ、時計は大雑把なアイデアにすぎない。あと二つあるんだが、この二つのアイデアでその原稿が完成したと言ってもいいね」

「では、そのアイデアとは何でしょうか」

 うん、と二度頷きながら、「神によって支配されていることと、ペンローズの階段。この二つによって、アイデアが固まる一打となったね」と話した。

「ペンローズ……ああ、あの階段ですね」

 山本は脳内でぐるりと一周されている階段を思い浮かべた。登っても降りても、辿り着く場所は同じ。脳内で人とその階段を想像し、階段を登る。登る、登る、そして最初の地点へと人は戻る。逆方向から降りてみるように想像する。降りる、降りる、降りる、そして再び同じ地点へ。登っても降りても、一周するとどうしても同じ地点へと戻ってくる。これぞ、ロジャー・ペンローズが生み出した無限階段、不可能図形の一つ――「ペンローズの階段」だ。

 そして、と燈色が右の人差し指を立てて続ける。

「そして、神によってこの世の物は、支配されていることだ」

「ふむ」

 なかなか面白いアイデアだな、とは思った。どれもこれも、先駆者が物語の制作材料として使用しているものばかりだが、これらのアイテムを持ちだして如何に燈色風に仕上げるかが、楽しみでならない。早く原稿を読みたい思いが掻き立てられる。

「そうだな、もっと具体的に言うならば、例えばチェスや将棋などが良い例だね。アレを、実際にあるものとして想像してみると、シュールで面白いんだ。細い銃を持った歩兵も、槍や弓で武装した騎兵も、美しき王妃、逞しき王も、全て神であるプレーヤーの手に勝負の天秤が掲げられている。全ては、神の手によって操作され、支配される」

 更に面白く考えるならば、と右の人差し指から左の人差し指に切り替え、

「例えば編集さんは、今日、僕の自宅へ来て僕が書いた原稿を受け取りに来る、という目的がある。というか、現状がそうだね。しかし、その目的は、もとい意志は、何処から与えられているんだろう」

 どうやら話を振られているようで、さあ、答えてくれ、とでも言わんばかりの表情を燈色は浮かべる。突然のことで反応は遅れたが、

「えっと……そうですね、編集部からではないでしょうか」と何とか言い切る。

「まあ、それが普通だね」では、と更に付け足す。「その編集部からの指示はどうやって生まれたと思う?」

「ええと……編集長からでは?」

「じゃあ、その編集長が……」

「要点をお願いしますよ、燈色さん」

 燈色は自分にとって面白いな、と思ったことは、飽きずにとことんまでやりぬくタチの男だ。話が長くなることを懸念した山本は、制止の声を上げた。

「ああ、ごめんね、編集さん。いつもの癖でね、つい……」

「いえ、慣れてます。二年も貴方と同じ臭い釜の飯を食ってましたから。慣れてますよ」

「ああ。お互い二年前は、今のようにスムーズじゃなくて、四苦八苦してたもんねぇ」

 しみじみと昔話を語り出しそうな燈色を止め、話の正鵠を説明するよう促す。

「脱線して申し訳ない。つまり、僕が言いたいのは、編集さんの意志はどこから来ているだろう、ということさ」

 彼の編集担当となってから二年が経つが、未だに彼は山本のことを「編集さん」と他人行儀な呼び方をしている。しかし、これが燈色にとって、仕事とプライベートを分けるということなのだろう、と理解していた。

「んー……身体の内底、ではないかと」

「そう思うわけだね。しかし、考えを変えてみると、じゃあ、山本君は誰かに操られていると思ったことは、ないかい? そう、例えば神がチェスや将棋のプレーヤーであり、その駒である人間達を一人一人操っている、としたら……? そして編集さんも、そのコマの一人だとしたら、……どうかな」

 神妙とも、相手をからかうようなものともとれる表情で、山本を見つめた。

「……一度として考えたこともありませんでした。まさか、自分が操られているだろうとは、全く」

「プレーヤーが自軍の全ての駒を動かす。プレーヤーである神は、駒である人間達を動かす。編集さんが今日、僕のところへ原稿を受け取りに来るように駒を動かしたんだ、神がね」

「それは……面白いアイデアですね。本当に」

「ああ、自分でもこの考えは面白いな、イケるな、と思った。単純だろうけど、物事というのはあれこれ遠回りせず、一直線に、単純で明確であることが大切なのさ。にしてもだ、本当に神が全人類一人一人を駒のように動かしてたら、本当にシュールだなぁ」

 そう語る燈色の表情は、夢や希望に満ち溢れた純粋無垢な幼い少年のようなものだった。

「つまり、燈色さんは神様ですね。たくさんの登場人物という駒を動かす、プレーヤーですから」

「ああ、そうだね。勝つか、負けるか。ハッピーエンドか、バッドエンドか。その全ては、プレーヤーたる作家の僕に委ねられているんだろうね。けど、僕が本当に神様に操られていて、そんな話を書けと僕の駒を神様が動かしていたとしたら……」

「キリがないですって」

 再び燈色自身の世界を開拓させることを寸止めした山本は、それでは帰りの電車とかでゆっくり読ませて頂きますね、と一言置き、彼の家へ出て、浦和駅へ行く。さあ、編集部に帰って編集と校正作業が待っているなぁ、と萎えつつ、右腕にまかれたデジタル腕時計の時刻を確認する。木曜日の十二時半手前を差していた。編集部を出たのが今日の一〇時半……つまり、燈色の自宅で原稿を受け取り、二時間が経とうとしている。


 五月が終わりを告げ、六月のジメジメとした蒸し暑い陽の下の浦和を歩く山本は、パルコへと寄り、身を回避させた。六月上旬とは言え、なんたる暑さ。地を焦がす日差しは容赦なく浦和に降り注ぐ。その中を歩くのは、槍が降っている中を全裸で突っ込むようなもので、それはあまりにも無謀だなぁ、と思った山本は、最寄りのパルコへと回避した次第である。

 店内の冷房は行き渡っており、真夏のような日差しで著しく上昇した温度を下げてくれる一助となった。壁一枚隔てた先は、ジメジメ熱中地獄だ。まさに喩えるならば、雲泥の差、天国と地獄、マンションの隣室のお方は、レベル99の魔王が住んでいると考えていいだろう。

 丁度スターバックスの店舗があって、そこで抹茶ラテを注文し、廊下側のテーブルへと腰を下ろす。数分後、抹茶ラテを運んできた店員がやってくる。受け取って、早々にストローを口につけた。美味い。冷たい。最高。最早、それ以外の言葉すら浮かばなかった。

 一休みし、原稿を手につけようとしたら、がたん、とテーブルが唸って、その勢いで腰を下ろしていた山本も椅子から弾き出されそうになる。なんとか踏ん張って、椅子にもたれた。ぶつかってきた人影は、山本に詫びの一言もなく、その場を急いで去っていった。

 後ろからで顔は分からなかったものの、髪は黒く、短髪、半袖半ズボンの姿だ。黒を基調とした服装で、服の背のデザインは人間の骸骨を模したイラストが目立つ。歳は十代後半の少年、だろうか。その少年と思しき人物の手に、iPhoneともiPodとも見て取れるものが握られていた。

 全く、最近の若者は……いや、俺も最近の若者か、と肩を竦めつつ、抹茶ラテを胃の中へ吸収しながら、燈色の書いた原稿を読むことにした。タイトルはまさしく、先程会って話した通りの表題で、「Penrose Story in URAWA」と表記されていた。



  浦和駅西口周辺路地 木曜日 十三時



「この世界の人間達は、神様が駒みたいに操っていたら、と思うと面白いよなぁ」

 頭部に髪の毛一本すらもない潔い精神と、丸々と前に突き出た腹を蓄えた不摂生な身体をした、作業着に身を包んだ中年男は、目前の少年に向け、何の脈絡もなしに呟いた。

「んだよ、突然」と目前の中年男よりも対照的な痩身でスマートな体型の少年は、不機嫌そうな顔をする。

 黒を基調とする服装の少年――通称『鴉』は、「売上金」を中年男から貰った直後に、彼が訳の分からないことを言い出すものだから、苛立っていた。仕事が終わった後で堅苦しそうで理解し難い哲学的高説は、まっこと御免被る次第であった。

「まぁまぁ。今日の獲物はiPhoneの初代機で、日本じゃ珍しい型だからね。それに見合うようお金は奮発しといたからさ、少しは僕の話に付き合ってくれたまえよ」

「珍しいとか抜かすなよな。先週のiPhone5sより二千円多いだけじゃねぇか」

「その二千円の差はデカイと思うけどな。チーズのないただのハンバーガーと、チーズハンバーガーぐらいの差があるよ。好みは分かれるだろうが、チーズが入っている、入っていないとじゃ、天と地ほどの差があるわけよね、うん」

「チーズがあろうがなかろうが、どうでもいい。食えるんだったら食うだけだ」

「鴉君。もう少し食べる、ということを楽しんだほうがいいと思うんだけどなぁ……」

「チーズがあるとかないとかで迷っているんじゃないっつーんだよ。急いで食わなきゃ誰かに盗られちまう。食われる前に食う、金もiPhoneも奪われる前に奪う。そうだろ」

「サバイバル思考すぎるよ、鴉君」

 口の悪く、年下である鴉に対しても落ち着いた態度で宥めるように接する。仕事の関係ではあるものの、相手は敬語でもタメ口でも構わない、と規定しているので、鴉はお言葉に甘えて崩れた言葉遣いで、それにさしたる意味や重要性はない。

「んで。突然ワケわかんねぇこと言い出して、何が言いたいんだ」

「それはだね――神様に操られて、鴉君はそういう風に動かされているのさ。さっきiPhoneを盗って僕のところへ来てお金を貰う……いつものように、ね。だけど、それは意志や日常的なことではなくて、神様が君という駒をそういう風に動かしているだけであって、君があれこれ思うよりもまず、動かされているとしたら面白いなぁ、ってことさ」

「んなことあるわけねぇじゃん」

「いやだから……空想というか、妄想というか……」

「んなもんは、脳内だけにしとけよ。俺にまでそんなどうでもいいこと言うんじゃねぇっつうの」

「いや、あの、だから――」

「わーったよ、オーケー。話したいことは以上でいいな? んじゃ」

「ちょっ……鴉君っ……行っちゃった」

 男の制止を聞かず、鴉は薄暗い路地を抜け、浦和へと戻っていった。作業着の男は、溜息を吐いて、

「もう、しょうがないなぁ。……チェス盤通りにしちゃうから。困っても知ーらないっと」

 先程「仕事」で鴉が入手したiPhone1を取り出す。電源ボタンを押し、起動させる。ロック画面が表示。スワイプしてロックを解除、ホーム画面へ。ホーム画面には「アラーム時間設定」というアプリケーションがあるだけで、携帯電話としての機能がある電話、メール……その他、アプリケーションは「アラーム時間設定」をおいて他になかった。

「……二〇年前と変わらないなぁ。結局あのお父さん、使いこなせなかったか。適当な日時を入力して確定するだけでいいのになぁ……こりゃ残念だね。まぁ、取り敢えず鴉君にはお仕置きが必要かな。腹立つから、調子に乗って餌を取り続ける鳥は、一度墜落させないとね」

 作業着の男は、アラーム設定に「2015年 6月11日 木曜日 12:30 繰り返し」と入力、確定ボタンを押した。

 リリリリリリリリリリリ――とアラームが鳴った。



  浦和駅西口パルコ店内 木曜日 十二時半



 リリリリリリリリリリリ――。

「―――」

 鈴のような音がする。瞼を上げる。気付くと、鴉は、浦和パルコにあるスターバックスの店内の、廊下側に位置するテーブルに腰掛けていた。

「………」

 頭がぼうっとする。先程まで自分は、頭の悪そうな若者のiPhoneを盗み、それを換金してくれている場所に行っていたはず……だった。どうしてここへ来たのか、記憶を反芻させて思い出そうとするが、明確には思い出せない。あ、いや――確かその「仕事」は終わったのか。涼みにこちらへ来たのか。記憶が曖昧で、どこか欠落している部分があるような、ないような。いい加減な自分の脳内記憶の性能に苛立ちを覚えて、思わず舌打ちをする。

 本当にただ人工的に作られた涼風を浴びに来ただけらしい。テーブルには、彼が飲み干したであろうグラスの影はなかった。金によるいざこざはなさそうであると判断し、スターバックスを後にする。分厚い書類を読みながら社会人が抹茶ラテを吸っている。上司、部下と思しきスーツ姿のグループが、冷えたグラスを持ち、談笑している。会社の昼休みか何かだ。

 それをすっと横切って、パルコを退店する。熱気と刺すような太陽光が鴉を焦がそうとする。鴉の服は黒色で、余計にその熱さは増す。

「あっちぃな、クソッタレ……」

 ギラギラと輝く光体に向けて文句を言ってみても、灼熱のような熱さは変わらず、健在であった。あー、スターバックスで一服しときゃよかったか……。今更ながら、後悔した。パルコにまた戻るのもシャクではあったので、ミスタードーナッツへ赴くことにする。

 そこでも一息つけるか、と店内へ入ろうとした時、近くに麦わら帽子を被った少女の姿が目に入った。白く透明なワンピースを着ている。麦わらにワンピースって狙ってるのか? そんなにルフィ好きなのかねぇ、と鴉は素通りしようとした――が。

「ん……?」

 どこか、既視感を覚えた。そのiPhoneを弄る少女の姿は、どこか、どこかで、見た――気がした。記憶に欠落や間違いがなければ……そう。この場所で、今と同じ時間でこの少女の手に握るiPhoneを――盗った、はずだ。

「どういうこっちゃ……」

 頭がグラっと揺れる感覚を覚える。どうしてだか、この居る時間は今日が初めてでない――そんな気がする。寝惚けているのだろうか。それとも、暑さで脳がやられたか。いや、きっとそうに違いない。今日はどこか可笑しい。しかし、こういう日にこそ、運が味方してくれる。何かしら記憶上では縁のありそうな少女の持つ手には、iPhoneがある。そう、今日はツイてる。

「俺のツキもまだまだ消えてないってわけだな」

 にしし、と白い歯を見せる。着ているTシャツも、履いている短パンも、思えば真っ黒でその中で白い歯はギラリと光って強調される。獲物を見つけた時の狩人の誰しもが浮かべる表情のようだ。

 その時、浦和駅のプラットホームからリズミカルな音と共に、京浜東北線大宮行きの電車が到着するアナウンスが放送される。それを機に改札の向こうへと急がんとする人達が殺到する。ミスタードーナッツ前に居る鴉の前の通りも、大群衆によって混濁していた。

 大宮行きは京浜だけじゃねぇのに。高崎線もあるだろうが、などと思いつつ、鴉は麦わらの少女の許へと歩み寄っていく。目と鼻の先に、iPhoneが。急に訪れた人混みへ慌てる少女を捉えたまま逃さず、彼女の手の中に抱かれるiPhoneを、すっと、ぬき盗った。



  浦和駅西口周辺路地 木曜日 十三時



「この世界の人間達は、神様が駒みたいに操っていたら、と思うと面白いよなぁ」

 頭部に髪の毛一本すらもない潔い精神と、丸々と前に突き出た腹を蓄えた不摂生な身体をした、作業着に身を包んだ中年男は、目前の鴉に向け、何の脈絡もなしに呟いた。

「んだよ、突然」と目前の中年男よりも対照的な痩身でスマートな鴉は、不機嫌そうな顔をする。

 鴉は、「売上金」を中年男から貰った直後に、彼が訳の分からないことを言い出すものだから、苛立っていた。仕事が終わった後で堅苦しそうで理解し難い哲学的高説は、まっこと御免被る次第であった。

「まぁまぁ。今日の獲物はiPhoneの初代機で日本じゃ珍しい型だからね。それに見合うようお金は奮発しといたからさ、少しは僕の話に付き合ってくれたまえよ」

「珍しいとか抜かすなよな。先週のiPhone5sより二千円多いだけじゃねぇか」

「その二千円の差はデカイと思うけどな。チーズのないただのハンバーガーと、チーズハンバーガーぐらいの差があるよ。好みは分かれるだろうが、チーズが入っている、入っていないとじゃ、天と地ほどの差があるわけよね、うん」

「チーズがあろうがなかろうが、どうでもいい。食えるんだったら食うだけだ」

「鴉君。もう少し食べる、ということを楽しんだほうがいいと思うんだけどなぁ……」

「チーズがあるとかないとかで迷っているんじゃないっつーんだよ。急いで食わなきゃ誰かに盗られちまう。食われる前に食う、金もiPhoneも奪われる前に奪う。そうだろ」

「サバイバル思考すぎるよ、鴉君」

「んで。突然ワケわかんねぇこと言い出して、何が言いたいんだ」

「それはだね――神様に操られて、鴉君はそういう風に動かされているのさ。さっきiPhoneを盗って僕のところへ来てお金を貰う……いつものように、ね。だけど、それは意志や日常的なことではなくて、神様が君という駒をそういう風に動かしているだけであって、君があれこれ思うよりもまず、動かされているとしたら面白いなぁ、ってことさ」

「んなことあるわけねぇじゃん」

「いやだから……空想というか、妄想というか……」

「んなもんは、脳内だけにしとけよ。俺にまでそんなどうでもいいこと言うんじゃねぇっつうの」

「いや、あの、だから――」

「わーったよ、オーケー。話したいことは以上でいいな? んじゃ」

「ちょっ……鴉君っ……行っちゃった」

 男の制止を聞かず、鴉は薄暗い路地を抜けていった。



「どうなってやがるんだ……」

 何とか平常心を保とうとする。どうしてだか、今日はあまりにも――そう、変化性がない。まるで日常が繰り返されているような、そんな気がしてならない。十二時半と十三時の、この三〇分間を、グルグルと巡り巡っているような感覚がある。パルコのスターバックスで寝ていて、起きて駅前のミスタードーナッツの近くでiPhoneを持つ少女からiPhoneをすり盗り、同業の作業着の男に会ってiPhoneを換金して――。それで、それでからは?

 一三時以降の記憶がない。いや、一三時以降へ行くことができない。

「なんなんだよ、なんなんだよマジでっ……!?」

 焦燥、怒り。それらが混沌として、やり場のないもどかしい感情が鴉を襲い、路地裏にひっくり返っているバケツを蹴った。頭毛を激しく掻きむしった。

「どうして……なんでこんなっ――」

 瞬間。まただ。何処かで聞き覚えのある電子音。そうこれは……。

「また、アラームかっ――」

 リリリリリリリリリリリ――。

 それは、容赦なく鳴り響いていった。



  浦和駅西口パルコ店内 木曜日 十二時半

 


 リリリリリリリリリリリ――。

「―――」

 鈴のような音がする。瞼を上げる。気付くと、鴉は、浦和パルコにあるスターバックスの店内の、廊下側に位置するテーブルに腰掛けていた。

「………」

 頭がぼうっとする。先程まで自分は、頭の悪そうな若者のiPhoneを盗み、それを換金してくれている作業着の男のところへ行き、金を受け取り、作業着の男と別れ――別れて――……

「思い出せないんじゃねぇ……その先へ、俺は、行くことができない……っ」

 思えばこの出来事を、何回も、何十回も巡っている感覚がある。気のせいじゃなかった。「思い出せない」のは自分の記憶の所為である、と。そう思っていた。しかし、最早これは「思い出せない」とか脳とか記憶とか、そんなレベルの話ではなく、ただ単純に十三時より先へ行くことができない。

 日常は右方向へ進むどころか、ループしている。「正常」な時間が一方通行であるならば、この現状が「異常」だとすると……山手線のようなものか。電車から降りなければ、山手線上をぐるぐると廻るだけ。上手く表現できないが、そんなものだろう。

 ――神様に操られて、鴉君はそういう風に動かされているのさ。さっきiPhoneを盗って僕のところへ来てお金を貰う……いつものように、ね。だけど、それは意志や日常的なことではなくて、神様が君という駒をそういう風に動かしているだけであって、君があれこれ思うよりもまず、動かされているとしたら面白いなぁ、ってことさ。

 ふと、換金業者の男の顔が浮かび上がった。確か、そんな台詞を言っていた。その時は鼻で嗤いはしたが、まさか、そんなことは――

「信じねぇぞ、俺は。カミサマが俺をそんな風にしてるってか? ざけんなよ……! 進んでも、進んでも、前に進めねぇ……。一歩進んで一歩下がるってか? ざけんなっ……!クソがっ!」

 ギリリ、と歯軋りし、立ち上がってスターバックスから退店する。出口へ行く際、目前で原稿のようなものを手にとっていた男とぶつかるも、詫びの言葉なく、鴉はスターバックスを後にする。原稿を持っていた男は、椅子から転げ落ちそうになったものの、なんとか踏ん張ったようで尻餅をつく、なんてことはなかった。が、詫びの言葉もない鴉の走って行く背を、恨むような眼差しで見ていた。



 パルコを出る。鴉が真っ先に向かった先が、iPhoneを手にする少女のところだ。

 もしかしたら、彼女がこの現状のキーマン、なんてことはないだろうか。もしそうだとしたら、元の日常へ戻れるかも知れない。

「迷ってる暇はねぇ……アイツは居るよな……よし、居たぜ……」

 群衆の中から困った表情をする麦わらの少女の姿があった。何かを探しているようだ。 急いで彼女の許へ駆け寄った。

「おい、そこの女」

 鴉が声を掛けると、

「えっ? あっ……」

 それに気付いて、麦わらの少女は振り向いた。

「お前、お前なんだな? お前が、お前がこんなことをしたんだろ?」

 鴉は一気に麦わらの少女に詰め寄った。彼女の細い華奢な肩を掴む。周囲の目も気にせず、詰問していく。

「ちょ、ちょっと……」

「言い逃れはできねぇぞ。んにゃ、させてたまるか。俺は、進まない日常なんて嫌だ! ガリレオが言ってることは嘘か? 日々は進化しないのかよ!? 進ませろよ!! おい、訊いて――」

「ねぇ、そ、それって……」

「あ!? なんだよ!? ……は?」

 彼女が指差す先には、鴉の右手だった。鴉の右手に、iPhoneが握られていた。

「iPhone……なんで……」

「そ、それ……私の、かも……見せてっ」

 彼女は戸惑う鴉の右手からiPhoneをさっと取って、自らの手に収める。それを彼女は舐めるように見、背面が銀色になっていることを確認すると、彼女はほっと胸を撫で下ろした。

「良かった……貴方が拾ってくれたんですね……本当に有難うございます……」

「は……はぁ? どういうこっちゃ……」

 彼女は深々と頭を下げる。鴉は今の状況を理解できておらず、何がなんだか把握しきれていない。

「このiPhone、実は父が私に託してくれた大事な物なんです。とっても大切な物なんです。これがあれば、自分の運命を変えられる――そう父は言っていました。私にはその、上手く言えないんですが、嫌な未来があって……それから逃れるために、これを使えば運命を変えることができるって、そう信じてここまで来たんです」

「お、おお、そうなん……?」

 鴉は大して興味がなさ気に相槌を打った。運命とか信じちゃう痛い娘だな、と思った。だから本当に見つかって良かった。本当に有難うございます、と何回も頭を下げる少女に、どことなく少年故の気恥ずかしさを覚え、というかこの場所、駅前とか人目につきやすいだろ、と頬を赤らめ、恥ずかしそうにする。

「本当に、本当に……有難う御座いましたっ」

「あーあー、もうっ、いいから! ハズいなぁ……もうこれでいいよな、んじゃ俺は行くわ!」

 と手を後ろ手で振り、背を向けた鴉だったが、くるりと再び彼女の方へ身体を向けた。

「それと一つ、見てて思ったんだけよ、言いたかったんだが」

「はい?」

「麦わらとワンピースって、ウケでも狙ってんのか?」

「は、はい?」

 鴉は彼女の戸惑いを無視し、改めて踵を返して浦和の街へと消えていった。



  二〇一五年 初夏 木曜日 浦和パルコ付近 十二時半



 黒い服の少年が最後に言った言葉の意味が何なのか、全く分からなかったものの、しかし彼のおかげで紛失したと思われたiPhoneは無事手元へ戻ってきた。

「はぁ……良かったよ、本当に。これで、大丈夫……」

 すーっと息を吸って吐く。iPhoneの電源を入れて、「アラーム時間設定」をタップ、開く。

「アレ?」

 アラーム設定に組み込まれているストックには、英字で「2015年 6月11日 木曜日12:30 繰り返し」と「2015年 6月11日 木曜日 一回のみ」と表記されている。一番上から新しい設定を更新したものとなる。「2015年 6月11日 木曜日 12:30 繰り返し」と設定されたのは、今日の十三時となっている。

 一方、その下側にある「2015年 6月11日 木曜日 一回のみ」と設定されたのは、八年前――つまり、「2007年 6月11日 月曜日」と表示されている。

「アレ? 私、こんなの設定したっけ? これに至っては、八年も前だしなぁ……まぁいっか。消しちゃえ。要らないもんね」

 澪は二つのアラーム設定を選択し、「Elimination」をタップした。


 澪はまだ気付いていないが、彼女の胸元に今迄刻まれていた「20」という数字は、いつの間にか消えていた。



  とある作家の話



 燈色は自分の担当編集である山本に電話を掛けているところだった。既に時間は十五時を差している。そろそろ会社へ戻っていて、自分の原稿を読み終わった頃合いかと思い、その感想を聞くためだった。

「もしもし、燈色です。編集さん、読んで頂けたかな? うんうん、そう。良かった。手直しはない、了解です。ではそれで。はいはい、では。これにて」

 燈色は上機嫌で電話を切った。彼はふー、と息を吐いて、

「この世の駒である人間達を、プレーヤーである神様が動かしている、なんていうのもあながち間違ってもいないかもね」

 と独り言ちたあと、

「しかし――昼に原稿を書いていた時、何回も書き直したわけじゃないけど、何回も同じ時間を過ごした気がするのは気のせいかなぁ。まあ、うん。気のせいだろうね」

 などと、これも独り言ちて、自己完結に至った。



  二〇一五年 所在地不明 時刻不明 チェスする男



 埃っぽい、薄暗い部屋で作業着の男は、チェスを嗜んでいるところだった。部屋にはカツンカツンと軽快な音が響いている。

「ふむ……作家に、少女に、編集者に、盗人少年。よくぞ、この世界を変えてくれた。よくぞ抗ってくれた。僕は嬉しいよ」

 ふんふんと鼻歌を始め、チェス盤上には黒色のキング、クイーン、ナイト、ビショップのそれら四つの駒は円を描くようにしている。

「本当にお疲れ様。これでもう、同じ時間は繰り返す必要はないからね」

 キング、クイーン、ナイト、ビショップをチェス盤から外した。

「さあて、と。一先ず鴉君達の件は終わったし、次はだあれにしようかなぁ~♪ 政治家でも総理大臣でもいいなぁ~♪」

 フフンと顔を歪めて、男はまた鼻歌を歌いながら、カツンカツンと軽快にチェス盤をぶつけていった。



 神の悪戯は続いていく。いつまでも。終わることなく。


                             ――END

ども、二度小藤です。

如何でしたか? Penrose Story、ご満足頂けたでしょうか?

俺自身下手くその域を出ていないので、自分でもよくは分かりませんけど、ここまで読んで頂き、有難うございました。

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