in URAWA
ども、小藤です。オリジナル小説となります。まだまだ下手くそですけど、是非とも読んで頂いて批評して貰えれば幸いです。
宜しくお願いします。
Penrose Story 1
とある村についてのレポート
鬱蒼とした木々、薔薇のようにチクチクと鋭利な刺のある深い茂み、辺りを覆い尽くす深い、深い霧。それらの風景が外界の全ての流れを受け付けず、隔絶し、全てが遮断された一つの、深緑に包まれた世界。
流れ、情報、エネルギー……それすらも、科学という分野が発達、根深いところまで浸透したこの世界を遮る、闇のように深い緑、そして堂々たる姿で屹然と聳え立つ大きな山々に囲まれたその中に、小さな村が一つ在った。
科学が異様なまでに発達を遂げた世界の中でも、その世界の侵食ともとれる変化を自然が拒ませ、西洋のファンタジーを彷彿とさせるような、日本文化とは完全に隔絶された世界こそが、その村である。
その村の家屋は一〇、二〇の連なりほどで、中でも立派な豪邸が伺えるが、村長や地位の高い者が住んでいるだろう大きな家宅が一つ。他は馬小屋など、家畜を飼育する場所が三つ四つあるだけだ。しかし、どの建築様式も日本文化とは乖離したもので、レンガ造り、複合住宅など、古来日本家屋に見られる様式ではなかった。
また、どの基準から「小さい村」と定義するかがわからないものの、ただ極端な話、ビル群が連なる駅周辺の都市と比較すれば、確かに規模的に「小さい村」というのは正しいかもしれないし、しかしこれは極端な話に過ぎないので、把握が間違いであるかも知れないが、専門的な知識がなくとも誰だって地図の上から見れば、日本という島国は中国やアメリカ、ロシア等に比べたらちっぽけなものであることは、相違はないだろう。つまり、先程の話に戻るようだが、都市と比べれば、特に目立った発展すらもない鬱蒼の木々に囲まれたこの村を、「小さな村」と定義するのは、正しいと言うべきか、私的にはそう捉えるのは良いのかもしれない。
しかし、小さな島国の、誰も見たことのない小さな村に、何故調査団が派遣され、その場所を調査したのか――それはきっと、「呪い」というワードに、興味心と好奇心がくすぐられたのだろう。
『西欧の文化』特集掲載 三五〇ページ「日本人も知らない、西欧文化が主流の深い森に覆われた不思議な村」適当な文章を抜粋
一九九七年出版
二〇一五年 とある男の研究レポート←→暇潰し
どうやら日本には、隠された大地があるらしく、それは非常に小さな村であるという。なんだかその村には、周りの情報から隔絶された、誰も知らない、見たことも聞いたこともない呪われた村……だという。
気になった私は、その村について事前に様々な地理的文献を読み漁ったものの、この村の記述について書かれたものは、何処にも存在しなかった。ただ、それらしい内容が記載された項目を見つけた。まあ、それらしいというのはつまり、その村と断定できたわけではない。それはある時、暇潰しがてらに英字で書かれた厚めの本を読んでいる時のことだ。因みに西欧で書かれたらしく、オランダやスペイン、ドイツの著名な場所を紹介もとい掲載している書物なのだが、ある時ふと、気になるものが書かれていた項目を見つけた。
英字でそのページには、「日本人も知らない、西欧文化が主流な深い森に覆われた不思議な村」と書かれてあった。気になって読み進めてみると、どういうわけか、その場所は地理学者でさえも知り得ない人跡未踏の大地である、とされている。この本が世に出たのは一九九七年だが、実際にこの村を調査し、調査結果をまとめたレポートが学会で発表されたのが、一九一四年、つまり一〇〇年も前のことだという。
しかし、学会では発表されたもの、あまり日本や各国列強諸国の専門学者や研究者、研究機関等に伝えられなかった大きな理由は、一九一四年の近代戦争の幕開けとされる、第一次世界大戦の勃発が原因とされている。第一次世界大戦の勃発と同時に、軍事的情報が漏れてしまうことを恐れ、さらに何気ない情報から軍事的な機密情報が流出するケースがある懸念もされたため、連合国は全ての文献や文書に検閲を掛け、流通を阻止したのではないかと、この記事を書いた筆者はそう推測している。
さて、少々正鵠より脱線はしたが、その村の文化がどのようにその村に伝わったのか、またいつ頃に西欧文化を伝えた者がその村を訪れたのか、などについては、詳しい年代や日付などは、不明であるという。
そして、その村にはある「呪い」がかけられており、西欧文化の伝道者がそれを伝染させたのだろうとも言っているが、更に読み進めてみると、どうやらその呪いというのは、「その村の若い娘は、二〇歳の誕生日が来た際に呪いによって死ぬ運命となっている」らしい。
西欧やその村の歴史等の経緯から推測するに、因果関係を証明することは極めて困難である、とも記されていた。
仮に、その呪い諸々が有り得るとするならば――この世界と、この世界に棲む全ての生物達を創造した神の悪戯に違いないだろう。神から見れば人間なぞ、さながらチェス盤で滑稽に争う駒のようなものだ。
二〇年前
屹立と聳え立つ山々、深い緑が生い茂るその木々の隙間に、その村はあった。深く、濃い、霧に覆われた一つの、小さな村。霧のベールは村全体を包み込んで、その景観を望む者には、幻想的な何かを与えさせる。
その村の面積もとい規模と言えば、指で数えられる程度の家屋や家宅があるだけだ。ただその中でも一際大きな家、いや、もっと言うならば、豪邸とも見て取れる邸宅がある。邸宅の様式は、白塗りされた西欧式のもので、周囲の深緑には到底似つかわしくないその白色は、深緑の中で大きく目立つ。外観は横長に広がってその邸宅にはいくつかの窓とドアがあり、集合住宅かと思えるそれは、イタリア風の建築様式、ヴィラを思わせた。
いつもは静謐さで覆われたその村は、しかし今はその様相を崩していて、村の野次馬が邸宅に寄せ合っていた。老若男女、彼等の着込んでいる服装は、近代西欧文化の匂いを漂わせていた。男性はスーツ、女性はドレスが一般的であるようだ。
その野次馬の中を分け、邸宅へと急ぐ一人の男の姿があった。身長は高く、体型は痩身である。顔は童顔で、年齢は体型から見積もるに、二〇代後半あたりであることがうかがえる。少年のような顔立ち、青年のような力強い身体、といったものだ。
彼は急いで向かうも、ドアの前に立つ、白いエプロンを身に纏った若い女性に行き先を阻まれる。どうやら邸宅の使用人らしく、子供が通せんぼするように、彼女は華奢で細長い腕を左右に目一杯伸ばし、何人たりとも通さないようにする。
「いけません!」
その彼女の一言で、誰も彼もがその先へ入れない、いや、入ってはいけないのだ、と瞬間理解したことだろう。しかし彼は、そんな彼女の言葉を無視し、
「どいてくれ、早く!」
大きな一声を上げて勢いよく、その先へ進もうと突進するように足を強く前へ踏み出す。表情には焦燥の色が滲み出ていて、額には多量の汗水が吹き出しており、それらいくつかが頬を伝った。
「だ、だめですっ……」
何とか使用人の彼女は通すまいとするが……
「俺は彼女の夫なんだ、行かせてくれっ!」
彼女の抵抗も虚しく、バンッという乱暴な音が響き渡った頃には、男はその邸宅の中へと姿を移していた。
ある邸宅の一室。ベッドの上に女性が眠っている。その隣、ベッドで横たわる女性をどこか苦い表情で黒いスーツを着込んだ白髪の老人が見下ろしていた。老人が握りしめている拳に汗が湧いて、更に拳は握る強さを増す。
「何故、なのだ……呪いが何故、再発したのだ……」
若い女性の右手には、小さな赤子が眠っている。羊水やら何やらがまだ身体にいくつか残っており、その女性が出産して間もないことを物語っていた。しかし、その赤子の胸部より上、首より下の位置に、「20」と記されていた。白髪の老人が見ていた先は女性ではなく、女性が抱えるように手の平で眠る赤子だった。
「どうして……、どうしてだ。九〇年前に始まった呪いも、その数年後にはなくなっていたのに……どうして、このような……」
両手で顔を覆い、嘆く。膝が落ちて床にぶつかった。いずれその両手は、顔を埋め尽くすことよりも、手を合わせ、祈るような姿勢をする。いつもどの時代も命の誕生とは美しく、喜ばしいことだが、その固定されたイメージとは裏腹に、老人は苦しそうに狼狽の姿をしていた。
「神は……どこまで我々を弄ぶのだ……」
「どういうことだよ」
その時、若い男の声がした。白髪の老人が後ろを振り向くと、同じく黒いスーツを纏う男の姿があった。先程、使用人ともめていた男だ。息は絶え絶え、呼吸を落ち着かせることなく、間髪入れずに白髪の男性へと詰め寄った。
「なあ、おい村長。どういうことだよ。呪いって……どういうことなんだよ!!」
「お、落ち着け……」
「落ち着いていられるか!! なんで、なんでだ!! 呪いはもう、消滅したんじゃないのかよ!!」
村長と呼ばれた白髪の老人は、襟元を強く男に掴まれ大きな声で叫ばれるが、苦虫を噛んだような表情を浮かべたのち、やがて男は生きる希望を失ったように足元に崩れ落ちた。この事態を、彼を詰問したところで何もないことに気付いたのだろう。
「………」
村長は項垂れる男にどう声を掛けていいかわからず、暫く沈黙が流れた。やがて、沈黙を裂くように男は立ち上がり、ふらふらとした足取りでベッドの上で眠る女性――つまりは彼の妻――と、彼女の腕の中で眠る小さな一人の赤子のもとへ行き、今迄とは打って変わって優しそうな瞳を浮かべ、そっと我が妻と我が子を手でさっと撫でた。妻の柔らかな栗色の髪が、手の感触をくすぐった。また、小さな自分の血を分けた我が子の生の暖かさも手を通して彼に伝わった。
「村長」
妻と子を撫で、後ろ向きのまま、白髪の老人に話しかける。
「仕方ないよな。こういう運命なんだから。この娘が一生懸命生きようとしても、二〇歳で死ぬのはしょうがないこと、だろ。でも、だからこそ、親である俺にとっては辛いことだけどさ、頑張って、この子が死ぬまでの間、俺も頑張って生きなきゃならないよな。この子が元気に生きる姿を見守りながら、二〇歳の死を、見守ってあげなきゃならないよな」
こくこくと頷きながら、白髪の老人は応える。
「……お前さんが、そう思うなら、きっとそうなんだろうな。儂も出来うる限りのことはしよう」
「ああ、助かる。でも大丈夫だ。俺は大丈夫だ……。この子が無事にこの世界に生まれ出でたこと……それだけでも、俺は嬉しいぜ」
「そうか……」
「ああ、ありがとう。そして二〇年間宜しくな、我が子よ」
若い男の瞳から、小さな涙が零れた。彼の想いに応えるように、彼の子の頬に落ちて弾けた。その落ちた涙が嬉しいものなのか、はたまた二〇歳という齢でこの世を去ってしまう哀しみなのか。それは男以外、知る者はいなかった。
二〇〇七年 六月 初夏
初夏。六月。燦々と容赦なく照り付ける太陽が、大地を焦がすように燦然と陽光を輝かせる、ある日の月曜日。十二歳になった娘の誕生日を男が祝っていたときのことだ。
「どうか、これで運命を変えてみせることだね」
灰色の作業帽と作業着を身に纏った、一人の中年男性が居た。体型はお世辞にもスマート、と言えないのは、前身に突き出た丸い腹部が如実に物語っていた。その作業着に身を包んだ男は、目前の三十代後半と見える男性に、一つの、白色の紙袋を突き出していた。この男に見覚えはなく、また会うことを取り付けたこともないのにも関わらず、大事な娘の誕生日に、突然の訪問に来た。男は無論、不審な目をして警戒する。
「これは?」
懐疑心にも似た何かを持って、男は睨むように作業着の男と、作業着の男の手から下げられている紙袋を警戒する。が、彼の警戒心に気付くことなく、作業着の男はどこか愉快そうに語り続ける。
「これは携帯電話……あー、いや、この村じゃ携帯電話は知らないか……。えっと、そうだな……これは、未来の機械さ」
「未来の機械……どんなものなんだ?」
「それ一つで、自分の見える景色が変わる、いや、変えられる。景色も変えられるなら、自分や周囲の人間にまつわる出来事も変えられる。それ一つでね。神は失敗しても、何度も同じ時間を与えてくれる。使い方は説明書がそこにあるから、見て弄って覚えることだね」
それだけだ。それじゃ、期待してるよ、と馴れ馴れしい態度を改めることなく、男に紙袋を渡し、男の方へ背を向ける。男は紙袋の中身を取り出し、手に取る。白色を基調とした、小さな長方形の箱だった。男にとって見たこともないので、なんだかよくわからない、というのが正直なところだ。英字は西欧人が一〇〇年前に伝えてくれたので、全て英字であることにさしたる違和感はなかった。その箱には、かじりかけのリンゴのデザインと「iPhone」と書かれた文字が記されてある。
「なあ」
男は、立ち去る作業着の男を制止した。
「ん?」
「俺が……俺がこれをつかえば、娘を救えるのか。いや、娘の運命を変えられるのか……?」
戸惑いながら、男は何か焦るような面持ちで問いかける。作業着の男は、男を憐れむように、にっと笑みを浮かべ、
「ああ、無論さ。以前友人が周囲の人々に、『遠くない未来、大洪水が地を襲う』と神の忠告を話したんだが、誰も信じようとしなかった。しかし、神の忠告を受け入れた彼と彼の家族たちは大洪水を免れて、神の忠告に聞き従うことのなかった人々は、荒波に飲み込まれていった。彼は箱舟の中で窮屈な思いをしたが、しかし、水が引いた頃には、二度と洪水をしないように神から約束の証である虹が空に架かり、彼はその地で幸せな生活を送ったのさ。
――つまり、信じれば救われる。いや、そうじゃないな。信じれば、変えられるのさ。自分の、最悪な状況をね。最初は箱舟のように窮屈だが、いつかは、水は引き、その広い大地で幸せに暮らせるだろうさ。リンゴをかじった過ちの種族が、過ちの道具で、どんな風に物事を解決するのか――それが見たかっただけのことだよ」
滔々と話し、彼は茂みの方へと姿を消していった。
包装を取り出し、iPhoneを手に取った。ガラスのように男の覗く顔を映し出すディスプレイと水銀に覆われた背面。薄い体型ながらも、ずしりと手の平に重量感を感じる。これ一つで運命を変えることが出来るのか不安だが……なんだかよく分からない男と、なんだかよく分からないこの、iPhoneという機械じかけ。何をしても娘の運命を変えられなかったのだから、いっそあの男と、この機械じかけに賭けてみよう――男は、娘の運命を変えられるのだと信じて。
二〇一五年 春
麗らかな暖かい春の陽射しが、霧を晴らすように差す。が、しかし、何十年も依然と何もかもを断絶させる分厚い霧のベールは、地球よりも何十兆倍も強大にして巨大な太陽の力でさえ、それを払い除けることはできない。優雅且つ堂々と、周囲の山々を守るようにその深く、濃い、暗々とした霧が滞留する。
幾世紀も経った現在にしても、その村の進化は文化が伝えられた当時のままと相も変わらず、人々の服装も、人々が住む家屋にしても、数世紀前の西欧文化のような形式は、進歩することも後退することもなく、当時のありのままの姿形を保持して、今に至る。文化の正しさも間違いもなければ、文化の遅延に違和を感じる者、不平や不満を漏らす者も居なかった。
さて、このようにその村の特筆すべき変化があったわけでもないのだが、一世紀程前に消滅したはずの「呪い」も、二〇年前に再発され、今日、二〇一五年に至るまでの間、「呪い」によって呪殺された娘は、悠に二〇人を越え、遂にその村で二〇歳を迎える前の娘が居るのは、とうとう一人だけとなってしまった。
「……今年で、お前も二〇歳だな、澪。立派になったな」
黒い髪に混じる白髪の初老の男性は、目の前の少女に向けて笑みを浮かべた。老人ほど深くはないが、浅いながらも顔に刻まれた皺が目立ち、笑みを浮かべると皺が横へと伸びる。
「ありがとう、お父さん」
長く艶やかな黒髪が整った少女は、父である初老の男性に向かって笑顔を向ける。今年で齢二〇歳を迎えるものの、顔立ちは少女のように幼く、可憐なものだったが、彼女の落ち着いた雰囲気がそれを打ち消し、大人びた印象を与え、シルクに包まれた薄い生地のドレスを纏う風采も相俟って、凛とした雰囲気も醸し出している。
因みに少女の名前についてだが、「澪」という日本和名なのは、一つの愛称の形式だった。
西欧文化の言葉では、正しい発音に近しいものだと「ムィオーヌ」とかなんとか――であるが、言い難さもあって、また一時的なものではあったが、日本文化の交流が少なからずここ最近であったため、「澪」という愛称に落ち着いた。
さて、今年の夏に二〇歳を迎えることとなる澪であったが、しかし父親である男からすれば、それは苦痛でしかなかった。シルクに包まれた澪の胸より上――そこに、「20」の数字。二〇年間ずっと、その忌々しい数字は消えることなく、澪の身体に刻まれていた。一九九五年夏生まれ。今年で地球は二〇一五年を迎える。つまりは、今年の夏で澪の身体は、塵へと帰すこととなるのだ。
「……ッ」
「どうしたの、お父さん」
二〇年間、何も変わらなかった。彼女の身体に刻まれた「20」という数字ばかりが痛々しく、また忌まわしく想う。いつの日か、ある男からiPhoneとやらを託されたものの、しかしイマイチ使い方が分からぬまま、容赦なく時は二〇年という時間の針を進めた。一通り説明書は読んだものの、iPhoneの機能が「アラーム時間設定」という、現時刻の確認と、時間設定で通知音が響く――程度のものしかなく、せめて死ぬことはあるにせよ、これで娘の命を一秒、一分でも先延ばすこと――など、到底不可能であった。
娘の心配する声すらも男の耳には届かない。ただ、数カ月後に襲い来る娘の死という確定された大きな不安だけが、どうしても気に食わなかった。いつか、そう、娘が大きくなったら村を出ようと思ってた。数年前に妻が亡くなり、男手一つで彼女を育ててきた。生活の苦しさもあったが、なんとかして大事な一人娘を、短い命でも楽しませてやりたい――そう思っていた。
しかし、あれよあれよと時間は経ってしまい、それを叶えることも出来ぬまま、男は老体寸前の肉体となり、若き日の頃よりも身体が融通を利かなくなっていった。日常生活で精一杯であり、無念ながらも娘と一緒に何処か旅をするということは、叶わぬ夢となってしまった。
――もう何も変えられないのであれば、私と一緒に居る意味は無い。ふと男は、あることを思っていた。澪は訝しんだ表情でこちらを見ている。男は娘の表情に気づかぬまま、ズボンのポケットへ手を滑らせる。ひんやりと鉄の冷たさが伝わった。すっとそれを取り出した。背面は、かじりかけのリンゴのマーク。言うまでもなく、それはiPhoneだ。「アラーム時間設定」しか機能がないが、説明書を読んでも謎に包まれたiPhoneは、男にとって便利とも不便とも分からない珍品であることに相違はなかった。
娘の前に、それを差し出す。受け取ってくれ、という意思表示に相違はない。
「お父さん、これって……」
「――以前、お前が幼い頃にね、とある男からもらったものだ。『これで未来を変えてみることだ』と言われてね。何分、上から目線なのが気に食わなかったが、しかし澪、お前の運命が変えられない以上は、何に頼っても救ってやると思ってね、その男と、この、なんだかよく分からない、iPhoneとやらに賭けてみようと、そう思ったんだ」
「お父さん……」
「しかし、何年かコイツを弄くりはしたが、まるで使い方が解らんかった。この機械を起動させるところまでは出来たが――もう年寄りなのかな、ジジイには何一つ理解できないものだったよ」
ハハハ、と乾いた笑いをする。澪からして、父である男のその姿は哀れなものであり、父の今迄の苦悩が、垣間見れたような気がした。
「それをお前にやる。私が持っていても何の意味も成さないのでね。しかし、若いお前にならきっと、使いこなせるだろう」
iPhoneを澪の開かれた手の平に乗せる。窓から差す陽光が反射して銀色の背面は、キラリ、と光る。
「お父さん……」
「澪。お前は此処に居ちゃいけない。この村こそが呪いなのだ。その呪いから解き放たれるためには、この村を出なくてはならない。もうお前は、幼い少女ではない、二〇を迎える立派な大人なんだよ。この村に居ても決して運命は変わらず、お前の手足に執拗にまとわりつく枷でしかない。その枷は、直ぐにでも外すのだ。自由を得るために。精一杯、何十年も生きるために。
――さあ、行くんだ澪。籠の鳥も、いずれは格子を破り、自由の空へと旅立つ。さあ、行っておいで」
滔々と話し終えた父の姿。何がなんだかすぐには理解できず、棒立ちする澪。目を閉じて、開く。瞬きを終える。静かな木々に包まれた静謐は切り裂かれ、騒然と鳴り響く喧騒が戻っていく。
二〇一五年 初夏 木曜日 浦和パルコ付近 十二時
現在地浦和駅東口前通り。近くにミスタードーナッツ、ファミリマート、その中でも一際目立つ巨大な建造物、パルコも向こうにある。六月、月曜日。今日も人々は自分らの目的地へと行くため、三々五々に広がって散っていく。
「………」
つい先月のことを思い出していた。父との、突然の別れ。旅立ち。――自由への、旅立ち。今迄のことを反芻して思い出す。ああ、今月に死ぬのだな、と。呪いによって、死ぬのだな、と――。
「………」
その運命が変わらぬものであることを理解しつつ、しかし父は諦めずに澪を育ててくれた。今日、この日まで。生半可な気持ちだったら、ここまで育ててくれない、いや寧ろ、出産の瞬間に深い山の何処かに無残にも棄てられていたに違いない。このような境遇だからこそ、父はたった二〇年しか生きられない身体を持った澪であるからこそ、一生懸命育ててくれたのではないだろうか。そう思えば思うほど、父に対する感謝は数え切れないものであった。
「………」
しかし、その父の苦悩は無駄に終わってしまう。
今月、澪は二〇歳を迎える。それは父からも散々言われた、呪いの所為だ。二〇年という年月は長いものではあるが、それが経ってみれば無残にも「あっという間だった」というような感覚だ。そう、時間の経過とは長く、速いものだ。どうしようもないまま、澪の身体は呪いによって死へ近づく。
「………」
感謝と同時、また申し訳ないものでもあった。あまりにも、あんまりな結末となってしまう。このままなんて嫌だ。ここまで育ててくれた父が報われないではないか。どうにかしなきゃ――そう思い立った時、澪の右手にiPhoneが握られていた。
すかさず電源ボタンを押した。ロック画面が表示されるが、父が言うにはロックをしていないとのこと。指定されている矢印をスライドさせて、ホーム画面へ。このiPhoneにあるたった一つのアプリケーション「アラーム時間設定」。それをタッチし、起動させた。
「これで、何か変わるのかな……」
アラーム時刻に、澪の誕生日が設定されていた。指定された時間が訪れるまで、あと数十秒、数秒、と次第にカウントされていき――気がつけば、カウントは終わって、リリリリリリリリリリリ――とアラームが辺りに五月蝿く鳴った。
二〇一五年 初夏 木曜日 浦和パルコ内スターバックス 十二時半
リリリリリリリリリリリ――。
「―――」
鈴のような音がする。瞼を上げる。気付くと、髑髏の刺繍がほどこされている黒い服を着た少年「鴉」は、浦和パルコにあるスターバックスの店内の、廊下側に位置するテーブルに腰掛けていた。
「………」
頭がぼうっとする。先程まで自分は、頭の悪そうな若者のiPhoneを盗み、それを換金してくれている場所に行っていたはず……だった。どうしてここへ来たのか、記憶を反芻させて思い出そうとするが、明確には思い出せない。あ、いや――確かその「仕事」は終わったのか。涼みにこちらへ来たのか。記憶が曖昧で、どこか欠落している部分があるような、ないような。いい加減な自分の脳内記憶の性能に苛立ちを覚えて、思わず舌打ちをする。
本当にただ人工的に作られた涼風を浴びに来ただけらしい。テーブルには、彼が飲み干したであろうグラスの影はなかった。金によるいざこざはなさそうであると判断し、スターバックスを後にする。分厚い書類を読みながら社会人が抹茶ラテを吸っている。上司、部下と思しきスーツ姿のグループが、冷えたグラスを持ち、談笑している。会社の昼休みか何かだ。
それをすっと横切って、パルコを退店する。熱気と刺すような太陽光が鴉を焦がそうとする。鴉の服は黒色で、余計にその熱さは増す。
「あっちぃな、クソッタレ……」
ギラギラと輝く光体に向けて文句を言ってみても、灼熱のような熱さは変わらず、健在であった。あー、スターバックスで一服しときゃよかったか……。今更ながら、後悔した。パルコにまた戻るのもシャクではあったので、ミスタードーナッツへ赴くことにする。
そこでも一息つけるか、と店内へ入ろうとした時、近くに麦わら帽子を被った少女の姿が目に入った。白く透明なワンピースを着ている。麦わらにワンピースって狙ってるのか? そんなにルフィ好きなのかねぇ、と鴉は素通りしようとしたものの、数年間養ってきた鴉の「仕事」の目には、「獲物」がある。その少女の手元には、iPhoneが握られていたのである。
「……おおっと」
店内へ入るのをやめて、獲物を狙うとする。少女は鴉の存在に気付いていない。何処か焦燥に満ちた表情で、iPhoneを操作している。しかし、少女が使用しているiPhoneの型は、あまり見掛けないものだ。背面が銀色。つまり3GSタイプだろうか。古い。汚れや傷が少なければ、今のiPhone5s以上に取引金額は高い。これは僥倖と見た。クソ暑い中「仕事」を頑張る鴉に対して、運が暑中見舞いの品を送ってくれたに違いない。
少女はまだ気がつくことなく、視点をiPhoneのディスプレイに落としている。最近の若者ってのは、どんだけ親しい仲と連絡取りたいんだかね。携帯中毒ってのは、こういうことを言うのかね。呆れと獲物を見つけた時の喜びの両方を持ち、少女に近寄る。しかしまだ盗らない。急いては事を仕損じる、とは誰が言った言葉だったか。大怪盗ドン・キホーテが残した言葉、「好機は、それが去ってしまうまで、気付かれないものだ」という台詞は覚えているのだが。やっぱり、今日の俺の脳ミソは調子悪いかもな、と鴉は自嘲する。
その時、京浜東北線大宮行きが出発するチャイムが鳴った。それを機に、ミスタードーナッツ前の改札口へと行く通りは、一時的に大群衆へと変貌を遂げる。少女はそれに気付くことができず、荒波に呑まれた船乗りのように、右へ左へともみくちゃにされている。突然のことで、状況が理解できずに居るようだった。大宮行きのラッシュの大波だ。
「よし、まさにこれぞ好機――今だ!」
鴉は人混みの中でもまれる少女の許へ行き、そして、少女が握っていたiPhone軽やかにさっとすり盗った。手から伝わる鉄の冷たさとiPhoneの輪郭を確かめながら、人混みを利用して改札口の方へ流れるように進んでいった。
よっしゃ、よっしゃ! 目を落とせば高価な3GSタイプ。手の感触はiPhone。喜びのあまりつい声に出して叫んでしまったが、皆自らの目的地へ赴くのに必死で、はしゃぐ鴉のことなど誰も気にも留めていなかった。
鴉はそれを握り締めたまま立ち去っていく。伊勢丹やイトーヨーカドーなどが点在する西口の方向だ。早速知り合いの換金業者のところまで向かう。
二〇一五年 初夏 木曜日 浦和パルコ付近 十二時半
突然の人混みに何が起こったか分からなかった。手から鉄の感触がふっと消えた瞬間に気付く。
「iPhone、どこ……?」
右手にあったはずだ。左手には無論、その感触もなければ姿もない。
ポケットに入れてただろうか。いや、ずっと手元にあったはず。バッグの中だろうか。念の為確かめるが、iPhoneはない。もう一度ワンピースのポケットに手を突っ込むものの、空振りに終わる。
「……うそ」
紛失、した……? 何処かに落としたか。それとも――盗まれたか。
「そんなっ………うぐっ――」
その瞬間、澪の視界がグラグラと揺れた。胃が重く、肺と口を繋ぐ気道に異物が詰められたようで、うまく呼吸ができない。声も出ない。身体に痺れも感じる。四肢が凍ったように動かない。身体から一気に吹き出す汗。
「――あぐっ」
たまらず、澪は倒れた。喉元を苦しそうに藻掻く。瞳は腫れ、酷く充血している。通行人の多くが彼女を囲むようにした。誰かが叫ぶ声が微かに聞こえる。視界は徐々に暗く、聞こえる声は遠ざかって、身体は鉛のように重く、動かない。ぼんやりとしていって、意識が飛びそうになる。
――澪。
ふと、父の声が聞こえた――ような気がした。その声に、申し訳無さが生まれる。
ごめんなさい、お父さん。本当に私――今日で二〇歳になるけど、死んじゃうみ、たい、なん、だ――。
口を動かそうとするが、それは声にならない声になって響く。呪いからは逃れられなかった。あの村から出ようとも、澪の身体から呪いは依り憑いたままで、そして遂に、呪いによる「死」が発動された。
澪、澪――と続く父の声が、やがて聞こえなくなっていき、澪の意識は、この場を持って消滅した。
二〇一五年 所在地不明 時刻不明 チェスする男
埃っぽい、薄暗い部屋だった。廃工場の一室だろうか――部屋の各所には、ネジやナット、ドライバーやらの工具が乱雑していた。様々な工具が置かれている机には、一人の、作業着を着込んだ男の姿があった。健康的とはお世辞にも言い難いのは、突き出た丸い腹部が物語っていた。その作業着の男は、チェスを嗜んでいるところだった。部屋にはカツンカツンと軽快な音が響いている。
「ふむ……さて、と。作家に、少女に、編集者に、盗人少年。プレイヤーであり、神であるこの僕に抗えるか、楽しみだ」
ふんふんと鼻歌を始め、黒色のキング、クイーン、ナイト、ビショップを順に動かす。しかし、チェス盤には黒色の駒しかなく、それら四つの駒は円を描くようにしている。
「おっと。君達は今回、あまり出番はないよ」
輪の中からキングとナイトを外し、外側へ置く。クイーンとビショップは互いに逆向きで背中合わせにされる。キングとナイトの視線の先には、クイーン、ビショップがある。まるでキングとナイトがその様を見物しているかのようだ。
「まぁ、こんなもんかなぁ。さあ、自らの意志で繰り返される輪から抜けてみせてくれ。さあ、さあ……」
フフンと顔を歪めて、男はまたカツンカツンと軽快にチェス盤をぶつけていった。
神の悪戯は続く。時は同じ時間を繰り返す。
ども、二度小藤です。
Penrose Storyは如何でしたか?
是非評価のほどが頂ければ、と思います。
読んで下さり、有難うございました。




