七撃目 初志貫徹は大事ですが、それより大事な何かがログアウトしました
注意
ちょっと今回、ヤッチマッタナー表現がありますので、ご注意下さい。
レリンクォル王国は、ドナルーテ、ヴェルパ、ウェントスの三国と国境を接している。
レリンクォルを中央として見ると、ドナルーテは南方、ヴェルパは北方、ウェントスは東方に位置し、西方はメオース海に接している。
国土の四分の一が山岳となっているヴェルパ、温暖と言うにはやや高温傾向のドナルーテと比べて安定した気候と、実り豊かな平原を抱えたレリンクォルは、大陸屈指の強国であるウェントスとも友好的な関係を維持しており、現国王ヴァンサン・レアンドル・アリスティド・ディス・レリンクォルのもと、平和と繁栄を享受していた。
また、ケレンディア暦3759年には正妃と側妃がそれぞれ王子を出産し、王太子と王子を同時に授かるという慶事に恵まれた。
レリンクォルでは、正妃・側妃の区別なく、男子は第一子を太子とする習わしがあり、七歳というひとつの節目を迎えると、王太子として国民に披露目られる。
かくして、正妃アイエッタの王子、ジェルヴェ・シルヴェストル・グザヴィエ・ディス・レリンクォル殿下の6時間年上の兄である、側妃マルガレーテのアレクサンドル・エヴァリスト・オクタヴィアン・ディス・レリンクォル王太子殿下の、時の月、白の20日に行われたお披露目の祭礼は、レリンクォルの民の記憶にも新しい。
隠の月となってもなお、国全体に、祭礼の余韻の浮わついた空気が漂っているが、そうした空気と無関係な者もまた、確かに存在していた。
日の暮れ始めた、ドナルーテとの国境に近いルーケム大森林の副街道を行く旅人も、そのうちの一人だ。
副街道を行くにしては随分と小柄だが、かと言って、その能力に欠けているとは一概には言い切れまい。
旅人の纏う、染めにややムラのある、灰白色の軟質皮革を使ったフード付きの上衣はサイズがかなり大きく、上衣と言うより外套に近いようだ。
肩の位置がかなり下にずれているが、幅15メルほどの、無染色の茶色い革帯を肘の下から手首にかけて巻き付け、長さを調整している。
胴の部分も、袖と同じように長さを調整している。
こちらは、肋骨の下から臍のやや下までに、褪せた臙脂色の帯を幾重にも巻き付けているが、それでも裾の長さは太腿の半ばを過ぎていた。
動きやすいようにか、裾は両脇と前後で四つに分かれている。
帯の上からは、刃渡り25メルほどの細刃の短剣と、硬質皮革のポーチがついた幅広のベルトを締めている。
トラウザースも上衣と同じ軟質皮革製だが、こちらはやや濃い灰色をしている。
上衣よりはまだ身の丈に合ったもののようで、膝下まである茶の革長靴の中で調整しているようだ。
斜め掛けした背嚢はやや細長く、一人旅の必要最小限の荷物が入るよう作られている。
目立たないよういくつかの場所に、投擲用の小型の刃物が仕込まれているが、それも含めて、上肢の動きを阻害せず、また障害物にひっかからないよう計算されたものだ。
上衣とトラウザース、革長靴同様、使い込まれたのと同じだけ、手入れが行き届いているのが見て取れた。
よく見れば、左右の腕に巻かれた革帯の間には、柄を手首側に向けた状態で、鞘に収まった細刃のダガーが二本ずつ挟み込まれている。
更に革長靴の内側にも、外からは見えぬよう、左右に一本ずつ、ダガーが仕込んである。
人前に出るのに、服を着るのが当たり前であるように、それらを仕込むのは当たり前のことだと言いたげな自然さは、仕込んだそれらを使うことを、何ら躊躇わないことも示唆している。
日数はかかるが安全な主街道ではなく、危険であっても最短距離で目的地を目指せる副街道での旅を選び、またそれを可能とするだけの能力と自負があるのだろう。
目深に被ったフードの下から覗く頬の線は、若いと言うよりはむしろ幼く、あどけなさすら残しているが、同時に、歳不相応に鋭くもあった。
通った鼻筋と、ごく薄く血の色を透かす唇は、隠された上半分の造形の端整さを想像させるには十分で――つまり、副街道の旅人の財産目当てで出没する輩にとっては、路銀と身代とで二度美味しい獲物と言える。
どこの国でも、表向き人身売買は禁止されているが、抜け道はいくらでもある。
やんごとないご身分の方々が、見目麗しい少女を、将来的には愛人とするため、表向き養子や使用人、修道女見習いとして“保護”するのも珍しいことではない。
同じように、やんごとないご身分のご婦人方が、小姓として侍らせる見目麗しい少年――例えば、この旅人のような――を“保護”するのも、よくある話だ。
ルーケム大森林の副街道での被害は、度々報告されており、人命の被害も少なくないことから、レリンクォルとドナルーテの両国で、ルーケム大森林の副街道に限り、盗賊行為を行う者に対しては、遭遇時これを殺害しても罪に問わず、との触れが出されている。
ただし、あくまで触れが出されているだけで、討伐に積極的とはお世辞にも言えない。
嫌なら安全な主街道を使えばよいのだし、時間を優先するなら護衛を雇えばよいのだから。
主街道の宿場町に金を落とさない――領主や領民に利益をもたらさない旅人のために、金を出してまで盗賊退治など馬鹿らしい、ということだ。
薄情と言うなかれ、人命は尊いが、そこに価値の大小、優先順位が付くのは、この世界においては“やむを得ないこと”として許容されているのである。
薄闇が本格的な闇に変わりゆく中、旅人はただ、黙々と副街道を進んでいた。
† †
晴れて自由の身となりました。
ヴェルヘルミナ改め、しばらくの間はジェーン・ドゥ、そろそろ八歳でございます。
名前って、アイデンティティに密接に結びついてますよね。今後の自分の人生とか諸々含めて考えて、冒険者ギルド登録まではこれで通そうかなー、と。今の自分にはこれが一番妥当っぽいんで、しばらくはこれにしようかなー、と考えてます。
そうそう、平民は、家名はないけど屋号があって、それを苗字代わりにしてるんだとか。
……そう言や私、母の屋号知らんかったわ。
さて、無事に大脱走を果たして只今絶賛南下中です。
伝統的な脳漿なめしで仕上げた兎と猪、鹿の毛皮ぐらいしか換金できそうなものがないんで、ドナルーテまでは必然的に、自給自足推奨の副街道一択です。薬草つっても、私に分かったのはドクダミにオトギリソウ、アマチャ、ゲンノショウコとかの民間療法レベルの薬用植物ぐらいだし。
『ミヅガルヅ・エッダ』で稼いだ金が使えるか分からないし、アイテム類も出所怪しまれたらアウトだしねー。
人目につきにくい副街道だけど、用心するに越したこたないんで、日中は木の上にくくりつけた寝袋にinして、夜間行軍です。
夕暮れ前に起き出して、インベントリの食品アイテムで腹拵えしたら、明け方を少し過ぎるまでパルクールしながら歩くだけの簡単なお仕事ですよ?
内部魔力での制約と強化の並列化とか、色々と器用な運用ができる程には扱いに慣れたんで、おはようからお休みまで重力当社比1.3倍、標高3776増しつつ、視聴覚強化で照明要らず。
内部魔力便利マジ便利。
……だからな? とっくに気付いてんだよオマエらのヘッタクソな尾行。
つうかこっちに先に見付けられてるとか、何なのオマエら、盗賊業舐めてんの、ねえ? ランタン丸出しとかバカなのハゲなの?
それともツッコミ待ちか、ツッコミ待ちなのか? おめーらの尾行ありえねーがらー、なツッコミ待ちなのか? ありえなくね?
……どーすっかなー、制約オフにしてBダッシュで面倒事を回避するか、対人実戦を済ませるか。
悩ましい。実に悩ましい。
いくら何でも、さすがにこの歳で殺人童貞卒業は早杉、せめて年齢二桁行ってからにしません? と、平和な社会で培われた市川鷹の“日本人的常識”は説いてくる。
しかし同時に、脈々と受け継がれた市川家の人間としての本能が囁くのよ……遅かれ早かれヤるこた同じなんだから、YouここでヤっちまいなYo!! と……。
こんな時、じいさまだったらどうするだろう。
ぶっちゃけ四、五人は死合いで殺っちゃってる、って言われても納得できるっつーか、逆に四、五人だけなの? とツッコまざるをえないじいさまなら。
………………。
うん、「よし、死合ってこい!」といーい笑顔で送り出す姿しか思い浮かばない。
死合いじゃねえし、とツッコんでも豪快に笑ってるに1923年レートで10億マルク。
つうか、こーいうとこで追い剥ぐってこた、あちらもあちらでキリングマーク持ちなんだろうし。
身ぐるみ剥いで、それなりに見目のいい女なら売り飛ばし、少々薹が立ったのでも処理に使ってから処分、それ以外なら殺して捨てる。
それなら後腐れないだろうしな。
なら――何を遠慮する必要がある?
ここは日本じゃない。平和で怠惰な、人命が貴重品の世界じゃない。
確かにこっちでも人命は貴重品だが、価値の大小優劣がつけられているのも確かだ。
貴族一人と平民一人の交換レートは、等価じゃあない。
何より、あの日、確かに一度は手の届いた最強を踏み越え、更にその先の境地に到る。
そのために、そのためだけに私は生きているようなものだ。
それを邪魔をすると言うなら――。
「喰って、やるさ」
ああ、そうとも。
何を迷うことがある。
そんなもの、喰って、途の糧にするだけじゃないか。
† †
夜営場所を探しているのだろう、小柄な旅人の跡を尾行ていた二人組の男だが、副街道から少し森へと入った辺りで、肝心の旅人の姿を見失ってしまった。
このままではまずい、と急いで一人を、後方の本隊に返す。
そいつが本隊を連れてくる間に、様子を探ろうとランタンを掲げた時だった。
力が抜けたように、かくりと折れた膝が地面に着いたと思ったら、後頭部の頭頂に近い辺りに柔らかな衝撃が走り――。
「ひぇ?」
盆の窪に、何か冷たいものが触れた感触を最後に、男の意識は永遠に失われた。
男の意識の消失と同時に、地面へと落ちかけたランタンを、暗がりから伸びた手が素早くキャッチする。
ランタンの明かりの中に、上衣のフードを目深に被った旅人の姿が浮かび上がった。
旅人の、ランタンを持たない方の手には、奇妙な形をした刃物が握られていた。
子供が描く葡萄のヘタか、軸の細い茸を縦切りにしたような形だが、手の中に握り込むのに適した持ち手と、両刃の刀身が一繋ぎになった、全長15メルに満たないナイフだ。
握りが滑ったり、刃が手を傷付けないための用心か、黒い革手袋をはめている。
旅人は、ランタンを手にしたまま、頽れ、完全に絶命した男――頭三つ分は背の高い、それなりの体格をした――を片手で肩に担ぎ上げると、軽やかな足取りで木立の奥へと入っていった。
俗に妖精の輪と言われる、森の中にぽっかりと開けた場所まで運び、地面に下ろす。
ぞんざいながら、死者への礼儀は、最低限守った動作であった。
それが済むと、旅人は、男の相棒が戻っていった方向を一度見やり、木立の間に姿を紛れさせた。
寸前、旅人の口元に浮かんだものを先に見ていれば、男は相棒と共にとって返しただろう。
とって返し、アレはやめておきましょう、と告げただろう。
そのせいで、頭領に、顔の形が変わるまで殴られる羽目になったかもしれない。
だが、自分の身の上に何が起きたかも分からないまま死ぬような、そんなことにもならなかったろう。
旅人の、その口元に上ったもの。
それは、鳥の羽のように軽いが、斬られたことにしばらく気付けない刃物のような笑みであった。
旅人が、彼らを狩ると、そう決めてしまったことを示す、何ともこわい笑みであった。
先に狩ろうとしてきたのはそちらなのだから、こちらに狩られても仕方がないだろう――旅人の言い分は、そんなところだろう。
運が悪かった、としか言い様がない。
旅人が、ではない。
旅人を狩ろうとした連中が、だ。
近付いただけで襲ってくるが、大した知恵もない蚯蚓竜や翼竜のつもりで、ちょっかいをかけなければ、基本的に無害な大竜に、手を出したようなものだ。
蚯蚓竜は、時に体長4メールに達することもある、地中に生息する蛇に近い生物である。
体表に粘液を分泌し、退化した鱗を持ち、肉食性で、地面の振動を察知し、動くものが近付くと地表近くに浮上して襲い掛かってくる。
翼竜は、山岳地帯を生息地域にしているが、繁殖期が近付くと山を下り、手っ取り早く餌にできる人や家畜を襲うことで知られている。
前肢と同化した膜翼で飛行――いや、長距離を滑空する巨大な蜥蜴、といった見た目をしており、鼻先から尾末までの体長は4メールが平均だが、7メール近い個体が確認された例もある。
どちらも確かに脅威と呼べるものだが、あくまで大型の動物でしかなく、討伐のための手段も知られている。
辺境であれば、周囲の村の男衆が共同して討伐できる程度の脅威だ。
だが、大竜は違う。
高い知能を持ち、内部魔力と外部魔力を用いて自在に空を飛び、攻城兵器級とも言われるブレスを吐く大竜を狩るのは、ギルドでも腕利きと知られる冒険者であっても、十分な支援と同程度の実力の協力者が複数いなければ、二の足を踏む難事業である。
何より、生半可なことをすれば、大竜による徹底的な蹂躙に晒される。
だから、一度に手を出したら最後、きっちり殺さなければならないのだ。
自分たちが手を出したのが、なりは小さいが、本質的には大竜と同じモノであった、と――そのことに気付いたのは、不幸なことに、旅人に最初に狩られた男だけであった。
† †
……例えば、恐怖や興奮や、そういった緊張状態に陥るのではないか、との不安はあったし、これから行うことへの躊躇いも、絶無じゃなかった。
腹を括ったとは言え、人を殺す、そのことに寸毫も躊躇いを感じないとしたら、それはそれで人間としてのナニカ終了のお知らせだろう。
『ミヅガルヅ・エッダ』時代、PK野郎に粘着されてブチ切れて報復に出た時も、PK返しにならないよう、全身の主要な関節と顎関節外して(脱臼はダメージ入らないけど、時間で回復しない特殊な状態異常扱いだった)から、融通してもらった蟲汁(改)くまなく浴びせて回復持続(小)の札貼って、大不人気エリア“蟲沼”に、フィールド用メッセージボード立てて放置で済ませたし。
あ、蟲汁(改)ってのは“蟲沼”出現モブの中でも殊更見た目がエグい、虫嫌いならトラウマもんの、精神的にキッツいのだけを呼び集めるためのアイテムで、決して青汁的な蟲の汁ではない。
“蟲沼”は初心者エリアだったんで、モブに集られてもダメージ低いから、回復持続(小)の札の効果時間内ならダメージ相殺して死に戻りもできないしで、地獄だったらしい。
あの野郎、SFホラーとかで死体に集ってそうなモブに、喉の奥まで入り込まれてマジ泣き入ってたっけな。
とにかく、市川鷹としては当然だが、『ミヅガルヅ・エッダ』の“仮想としての市川鷹”としても、ダイレクトに人を殺したことはなかった。
それだけに、腹を括っても、最後の最後で躊躇うんじゃないかと、そんな不安があったんだが――。
「……イカレてるにも、程があるだろ……」
背後から膝靭帯を切って跪かせた、最初の一人を前にした時、頭の中にあったのは、握り込んだダガーの刃で、的確に息の根を止めることだけだった。
俯かせることで、頭蓋骨と頚椎の装甲を失った、軟部組織のか弱い守りを貫き、可及的速やかに延髄を――命を断つ。
その思考に沿って、内部魔力による制約を解除した体は、極めて冷静に動いていた。
興奮も恐怖もない、ただ、なすべきことをしている、という感覚。
俗に言う、心理的防御反応故の無感動とか、現実からの乖離ってヤツ? とも思ったが、その割には、本隊来るの遅ぇなさっさと来いよ、つうかランタン邪魔くせえなー、どっかその辺に置いといても山火事の危険があるしなー、どうしよっかなー、火消しときゃそこら置いといてもいいんじゃね? とか思ってるし。
ま、殺ると決めた以上は殺り遂げますけどね? 最後の一人まで、きっちりと。
† †
相方を置いていった男が、本隊を連れて戻ってきた時には、旅人どころか、残していった相方の姿もなかった。
大声を出して、旅人に気取られる訳にはいかない。
いや、尾行られていることに気付いた旅人が、それを撒こうとしたと考えれば、ある程度行動の説明がつく。
旅人の後を追って行ったのなら、ここで待てばそのうち戻ってくるだろう。
木立の奥に、橙色のランタンの小さな明かりが覗いたのは、こちらにあるランタンの明かりを消して、五分ばかりが過ぎてからだった。
幸いにも、今夜は満月――を少し過ぎてはいるが、十分明るい月夜である。
合図をするように揺れる明かりに向かい、木立の中に一団が足を踏み込んだ。
木立の間という地形的な制約から、申し訳程度ではあっても、道としての体裁の整った副街道での隊列そのままには進めず、隊列が分散する。
木々の枝に遮られがちだが、周囲1メール前後の仲間の姿は十分目視で確認できるので、ある程度の連携は可能だ。
あともう数メール、というところで、ふ、とランタンの明かりが、掻き消えた。
全員が足を止め、各自の獲物に手を伸ばす。
さすがに、片手剣のような長物を振り回すような阿呆はおらず、全員が、刃渡り40~50メルの短剣を携えている。
ちょうど人間ほどの重量のモノが倒れるような音は、隊列の最後尾から届いた。
一団が咄嗟に振り向いた先では、膝丈に近い下草を拉くように、仲間の一人が倒れ伏していた。
真上を向いて、俯せに。
首が折れているのは、一目瞭然だ。
自分の身に何が起きたかも理解できないまま、随分と器用な姿勢で寝ている男は、彼らでは手の施しようがない。
男のことは早々に見切り、各自が、男の首を折った“何か”と対峙すべく身構える。
冷やりとした風が、木立の下草を揺らす音に、神経が尖る。
また、一人が倒れた。
夜の空気の中に、鉄錆に似た臭気が立ち上る。
男の首筋から胸元にかけてが、じっとりと黒く濡れている。
首の動脈を掻き切られたのだろう。
潔いほど、殺すことへの迷いがない。
ざ、ざ、と下草が揺れる音がする。
木々の枝葉を透かして落ちる月明かりが、翳った。
雲が、出てきたらしい。
“何か”はそれを好期と見たのだろう、雲に飲まれ、明かりが途切れるわずかな間に、更に三人が倒れた。
肋骨の隙間を縫い、胸骨ぎりぎりの位置から心臓、背後から肝臓と腎臓――急所を一撃で突かれている。
雲が切れ、再び月明かりが差した時点で、一団の数は三分の一まで減っていた
噴き出した厭な汗が、残り少なくなった男たちの額を、背中を流れ落ちていく。
次に欠けるのは、誰か。
互いに目配せしつつ、次に誰が欠けるにしろ、それが自分ではないようにと、自分の背中を守り、かつ、相手を自分の盾にできる位置を探りながら、じりじりと後ずさる。
そこにあるのは仲間意識などではなく、ただの生存本能と利己だけだ。
どこだ。
どこから来る。
このまま、周りでおっ死んでる連中のように、不様に殺されてなるものか。
どこから来るにしろ、俺は――俺だけは死んでたまるか。
追う者から追われる者、狩る者から狩られる者へと転落したことを薄々認識しながら、それでも認められずに、姿すら定まらない捕食者に向かって精一杯の虚勢を張る姿は、いっそ健気ですらあった。
ざ、ざ、と風が鳴る。
流れる雲が、千切れて斑な影を落とす。
ぽたり、と顎の先から汗が落ちる。
と――男たちの頭上から、斑に染まった灰色の塊が落下して、二つの首が、奇妙な角度にぐるりと曲がった。
伸ばした腕で首を抱え込み、同時に頚椎を極め、落下の勢いを加えて一気に折り抜いたのだ。
「な、何だ、何だ、何なんだお前ぇえええええっ!?」
奇声を発し、口角から泡を吹いて喚き立てる最後の一人――奇しくも一団の頭領だ――の前で、斑な灰色の塊が動いた。
それは、男より二周り以上は小柄な、まだ子供と言っていい、後ろ姿だった。
体格というアドバンテージに、それが目の前で二人の人間の首をへし折った、ということを都合よく頭から追い出し、フードに覆われた無防備な頭部へと、手にした短剣を振り下ろす。
粗雑な、一撃だった。
フードの後姿は、低い姿勢のまま身を翻し短剣を回避する。
その勢いを使って地面を蹴り付け、短剣を持つ男の手首を蹴り抜いた。
腰の後ろで結ばれた臙脂の帯と、四つに割れた上衣の裾が、ふわりとたなびく。
小柄な体格と、舞うように優雅な動きからは想像もつかない、重く、鋭い一撃に、男の手首が鈍い音を立て、関節の動きを度外視した角度に曲がる。
軽やかな動きに、外れたフードの下から、いい加減な整え方をされた短い髪が現れ、月明かりに白刃の色を撒いて揺れる。
着地を決めるが早いか、一歩を踏み込み、男の下腹、膀胱の位置に、踏み込みの勢いを上乗せした拳を叩き込んだ。
拳の、中指だけを握り込んだ親指の上に乗せ、出っ張った第二関節が、打撃のインパクトを集中し、雑な作りの皮鎧と筋肉、皮下脂肪をぶち抜いて入った衝撃と激痛に、男のズボンの前が、異臭を放って変色する。
「お゛あ゛っ、お゛っ、お゛っ」
意味を成さない音を口から発し、のたうつ男の最後の記憶は、睥睨する冷え冷えと底光りする双眸の薄蒼さ、高貴な身分の御婦人方が、我先にと金貨を吐き出すだろう、華やかさはないが、剣にも似て鋭利な美貌と――そいつを売り飛ばし、しみったれた田舎暮らしと、飽きの来た女房を捨て、王都の娼館の最高級娼婦の肌に溺れる妄想であった。
† †
最後の一人――ほかの連中と比べて、多少装備のいいそいつの頚動脈をダガーで掻っ切って、作戦終了、ってとこだろうか。
売り飛ばす気だったか、身包み剥いで殺す気だったかは分からんが、こちらの意思と人権と人生を、まるっと無視しようとした連中だ。やり口もそれなりに手馴れているし、少なくとも無辜の民ってやつじゃあないのは確かだ。
酷い目に遭わされたと、あの世で神様とやらに泣き付いたりはしねえだろ。
慄きも震えも恐れも興奮もなく、頭の芯は恐ろしく冷たく凪いでいる。
手に腕に足に、息の根を止めた感触が――人を殺した手応えが残っているにもかかわらず、だ。
強いて言うなら、尻の座りが悪いような、妙な居心地の悪さがある。
いつだったか、訳の分からない理由で襲撃してきた、頭の薄ら悪そうな連中を返り討ちにし過ぎた時の感じと、よく似てる。
喧嘩でも何でもない、ただの弱いもの虐めでしかなかった、そんな居心地の悪さ。
後で聞いた絡まれた理由は思い出したくない。思い出すことを許可しないッ!
だからな忘れようや自分……あ、あかん何か凹みそうな自分がいる。
つか、凹むポイント明らかに違うんじゃね? 普通、ここまで動揺してない自分のありようとかに凹んだり落ち込んだりするんじゃね?
いやでも、殺すという行為自体に興奮しなかった、ってのは、逆に良かったんじゃないだろうか。
血の臭いや、肉を断ち命を絶つ感触に酔っぱらかって、殺すという行為そのものを楽しむ傾向がないってことも分かったし。
殺したり、殺されたりは、あくまで行為の結果だ。
私が心底欲しているのは、そうした結果ではなく、強者との戦いという行為そのものであるらしい。
うん、色々終わってるなーとは思いますよ?
思うけど、仕方ないっちゃ仕方ない。
市川鷹としての現実、『ミヅガルヅ・エッダ』のPCとしての仮想現実、そのどちらでも捨て切れなかったものを、命が無条件に平等じゃないこの世界で――いや、そういう世界だからこそ捨てたんだと思う。
自分が生きたいように生きるために、それを邪魔されないために。
頭悪いんじゃね? とツッコまれること必至の、いつか到った極致を越え、その先の未知に到るという、馬鹿な願いを叶えるために。
いやー、ホント、実に馬鹿だわコイツ。わーコイツ馬鹿の世界チャンピオンだー、ってレベルの馬鹿。
けどまあ、馬鹿でもいいかなーと、そう思っている自分もいる訳でして。
ぶっちゃけ馬鹿の方が生きてて楽しいしな!
……開き直った? うん、そうとも言う。
何か問題が? 大丈夫だ問題ない。大丈夫じゃねえよ。問題しかねえよ。
ハイハイ一人ボケツッコミ乙。流石だな私、ボッチ人生上級職。
で、だ。
まあ、とりあえず、そう言うことなので、これから後始末に入ろうと思います。
盗賊も、死ねば神仏、糞袋。
自然にやさしいリユース・リデュース・リサイクルの3R精神に則り自然に返すその前に、忘れちゃいけない所持品チェック。
VRMMO始める前に、友人に誘われてやったTRPGでも、返り討ちにした敵の懐は探るもの、装備は剥ぎ取るものと相場が決まっておりました。
根城が分かればもっと良かったんだけど、吐かせる前に殺っちまったからなあ。
うん、反省。
ヤッチマッタナー=殺ッチマッタナー、でした☆
ログアウトしたのは、人として大事なナニカだった模様。
主人公さんホンマ修羅やでぇ……。
やっぱワードで書きながら、ようつべのアサ○リOP流してたのが悪かったんでしょうか。
次あたりで、その頃のサヴィニャック伯爵家の人々的なのを書く、かもしれません。
昔の人は言いました、予定は未定! と……。