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二十撃目 拳祭

 マネトでの宿は、“規格外なローナーさんでもゆったり横になれる頑丈なベッド”の条件でセレクトされているだけあって、縦横ともに大きな宿の扉を抜けるとWWEの選手控え室であった。

いやマジで。ガチで。


 三角筋。

上腕二頭筋。

上腕三頭筋。

浅指屈筋。

外側・内側・中間広筋。

大腿直筋。

大胸筋。

僧帽筋。

胸鎖乳突筋。

その他色々エトセトラ、はちきれんばかりの筋肉がひしめく、まさしくマッスルトリカルパレード。

耐性のない人間には吐血ものの筋肉地獄マッスルインフェルノ筋肉愛好マッスルフィリアには鼻血モノな全て遠き理想郷だったでござる。


 どうやらローナーさんの定宿らしく、同じくこの宿マッスルインフェルノを定宿にしているらしい、アンダーテイカー……によく似たマッシヴが、よう、生きてやがったか、とグラス片手に声をかけてきたりとか、ブルーザー・ブロディみたいな大型巨人に、おう坊主、飴ちゃん食うか、と色々似合わないカラフル&キューティーな飴ちゃんをいただいたりとかありましたが、私は元気です。(混乱)


 こんだけ筋肉無双な宿なのに、店主は、ハリウッドに到った斬られ役一筋の大部屋俳優に似て、鶴のようにひょろりとした痩躯の、いい塩梅に枯れたナイスシルバーとはこれいかに。

私的にはめっちゃ眼福でしたけどね。


 色々濃ゆいですが、どなたも気のいいあんちゃん(リップサービスって大事だよね!)、おっちゃん、アメコミのヒロイン(物理)ばかりで、随分可愛がっていただきました。

頭かいぐりしてくるおっちゃんが思いの外多数で、ポロリするかと思ったわ。首的な意味で。

幸いポロリしたのはフードだけだったけど、おねえさま方のかいぐりが激化したとです。


 まあ、宿代節約に、まるっと出した猪とゴルゴン=クニークルス、獲ったの私って、ローナーさんが店主の爺様にポロリしたせいなんだけどね。

正直、ゴルゴン=クニークルスは出すのめっちゃ迷った。転生してからの人生八年(実質二年)で、ここまで迷ったことはない、ってくらい迷った。

でも、宿ここのおかみさん、めっちゃ料理上手いってローナーさん言うし、何よりインベントリとか地味だけど斜め上のとんでもチート、迂闊に使えないし、旅の荷物は最小限、が鉄則だし、断腸の思いで放出したとですが、おかげで宿代めっさ浮きました。

二泊だけど、ローナーさんと二人で、お値段お一人様一泊分でまあお得!


 ちなみに、料理上手と評判のおかみさんは、上流家庭の裏事情めっちゃ見てる家政婦の方によく似ていらっしゃいました。

むかーしむかし、あるところに、大層貧乏なじいさまとばあさまが住んでおったそうな。とか言ってほしい。傘地蔵とか花咲か爺さんとか聞きたい。超聞きたい。


 まあ、それはそれとして。

繰り返しますが、宿泊客の方々は、皆様実に気のいいあんちゃん、おっちゃんでしたよ?

最盛期のストーン・コールドみたいなガタイとツラしたのが雁首揃えてて、一番ソフトなツラしてたのが、アクション筋王キングザ・ロック似のあんちゃんとかだったりしたけど。

ぶっちゃけ、普通の子供なら単体でもビビり上がってチビりかねないけど。


 だけど私は、市川鷹であった頃、じいさまのお陰で、どこかの死刑囚×5レベルのツラと存在感の、人三化七にんさんばけしちならぬ人一化九にんいちばけきゅうとか、ちっこい頃から普通に見てた訳で……ついでに上司とか、履歴書にアフガニスタンだのソマリランドだの謎の表記が並んでるゴツい系イケメソオヤジ率高かった訳で……だから、別にどうってこともなかった訳で……その、“どうってこともなかった”、というのが大きかった訳で……。(推奨BGM・〇の国から)


 犬とか猫とか子供とか、嫌いじゃないしむしろ好きだけど、見た目でビビられてチビられて泣いて逃げられる方々にとって、ビビらずチビらず逃げない生き物が現れたからには、いつ構うの? 今でしょ! だったみたいです。

ええ、たとえそれが、無口無愛想無表情トリプル役満の可愛げのないガキであったとしても。

やったねツァスタバちゃん、モテモテ王国の到来なのじゃよー!

……あれ? 何か混ざった?


 まあ、そんなこんなで、昨夜ゆうべ猪肉ぼたん祭りでしたが、朝になっても、なし崩し的にスライドしたどんちゃん騒ぎの大酒宴で討ち死にした敗残兵まけいぬ、もとい酔い潰れた酔っ払いのなれのはてが転がってます。

何という最前線の野戦病院。衛生兵メディック衛生兵メディックー!


 かくして、酒くっさい死体安置場モルグと化した、酒場兼飯屋兼タトゥーショップである宿の一階で、ローナーさんと朝飯もすもす喰ってます。


 ……昨夜は気付かなかったんだけど、隅っこにタトゥーショップがあるんですわ。

あちこちに転がってるなれのはてたちの腕にも、個性的かつアーティスティックなタトゥーが踊ってますが、ありゃファッションやのーて、万が一に備えた個体識別票なんだろなー、というのが、薄々察せられます。

ローナーさんにもあるんかなー、とちらちら二の腕見てたら、見てぇか、と聞かれました。

……あーうん、やっぱあるんだ。


 で、肝心の朝飯ですが、猪肉祭りでも思ったけど、おかみさんマジ料理上手。

見ていた家政婦さんなルッキングに、ご飯に味噌汁、だし巻き玉子、鯵の干物にほうれん草のおひたし、糠漬け、焼き海苔、なんてメニューを一瞬期待したけど、出てきたのは、具沢山の分厚いスペイン風オムレツトルティージャにとグリーンサラダ、ポトフ、ブールに牛乳、デザートにリンゴと、大層ボリューミーでございました。


 マッチ棒四本分くらいの拍子木切りのベーコンと一緒に炒められ、ベーコンの旨味を吸いつつも、しっかりと甘味を引き出された玉ねぎ、ポトフの鍋から中途退場したと思われる芋の、スープの滋味を含んでまろやかなホックリ感を、ゴーダチーズに似たセミハードチーズの粗卸しと、声高に自己主張することはないが、各具材に負けない卵が包み込み、チーズのトロトロ&カリカリと卵のふんわりの対比、バジルとパセリが口の中に運ぶ爽やかさが、ボリュームを忘れさせるスペイン風オムレツトルティージャは、そのままでも、薄めにスライスしたブールに乗せても美味い。

“農”の尊さを舌で実感できる、宿の裏手の畑から今しがた摘んできたばかりの鮮度抜群な野菜たちが、ワインビネガーと少量のオリーブオイルに塩胡椒のシンプルなドレッシングをまとうグリーンサラダ。

奇をてらわず、蕪、ニンジン、ポロネギにぶつ切りの鶏肉(骨付き)と王道の具材で直球勝負のポトフは、一見地味だが、澄んだスープと各具材の丁寧な下ごしらえなくてはなせない調和の妙が、真に偉大な王とは、装いが何であれ、人の心に畏敬の念を抱かせるのだと、沈黙のうちに語る。

食材と料理とそれを食べる者への愛すら感じさせる神業に、朝っぱらから感動です。


 世界の料理魔☆改造の美食大国、日出る処の元国民でも、料理の腕前・並風情がRYOURIで俺sugeeeeeしようとか、そんなん一万年と二千年早ぇですわ、うん。

その道のプロの技の前には、屁のつっぱりみたいなもんでございます。

窓と扉を全開にしても、転がってる酔っ払いの成れの果てからは、酒臭さと地獄の二日酔いの言葉にならない諸々のこもった呻きが立ち上ぼり、いたちごっこだったりするけど、そんな環境下でも揺るがない美味さに、しみじみそう思った次第です。


 うまうま完食して満腹になったところで、いよいよこれから本日のメインイベント、よい子の冒険者ギルドしゃかいか見学、な訳でございますが。

そも、冒険者ギルドとは何物やと、その辺のレクチャーが先みたいです。

まあ、寝る前のお話の延長でしか知らない身としては、欠けた部分を補完するいい機会ですけんの。


 が、講師がローナーさんではなく、先ほど二階から下りてきて、向かいの席に陣取った、昨日のアンダーテイカーとブルーザー・ブロディなのでせうか。

俺が説明するよか、こいつらの方がうまく説明できる? まあ、そんなこったろうと思ったけどね!


 二日酔い何それ食えんの美味いの? とばかりに、私の朝飯の二倍以上のボリュームのそれを豪快にかっこみつつ、あれやこれやと、ギルドでは教えてくれないそこん所系のディープな話まで、出てくる出てくる。

いやもう、そこまで言って委員会。ってとこまで。


 そもそも、冒険者ギルドっつーのはあくまで通称で、正式な名称は“ヴェルヴェリア大陸自由傭兵協会”なんだそうな。

国家間での大規模な戦闘行為どころか、小規模な小競り合いもここ何百年は起きていないんで、傭兵仲介業は閑古鳥が巣を作って雛孵して、孵った雛がまた巣を作りに来てる状態だけど、本質はあくまで傭兵仲介業なんだと。


 後見人ヒモ付きなら八つから登録できるのも、壮大な青田刈りの一環。

子供でも、斥候や情報収集・伝達要員として使えるし、一般人に紛れさせれば摘発は難しいから便利だよね。

って、さすがやな異世界。先生助けて!? ジュネーブ緒条約が息してないの!


 段階を追って、依頼内容のハードルを上げていくのだって、ふるい落としを兼ねている。

害獣・魔獣どうぶつ盗賊にんげんとハードルを上げることで、戦争・・に耐えうるか否かを判別し、また、戦闘行動を継続的に行うことで戦闘能力の維持・向上を図る。

……ま、合理的かつ的確な判断だわな。


 今のところ、大陸は百年単位で戦争が起きていない、非常に安定した状態にあるから、傭兵の出番はない。

が、治にあって乱を忘れず。戦争は忘れた頃にやってくる。いつまでもあると思うな治安とインフラ。万一に備えておこう自衛手段の心意気。

うちの社訓て、正しかったんだなー。


 んで、各国各地に支部があるのも、いつ起こるか分からない戦争に備え、付くべきあいてを見極めるための情報収集と有事の際の拠点の確保を兼ねているから。


 ……ググってはいけないシリーズ全力でググっちゃった感ぱないんですが、これってどう考えても、ギルド登録前のガキにしていい話じゃなくね? 明らかに一部限定の準機密情報じゃねーか守秘義務どこいったし。


「……いいのかよ」


 ここまでぶっちゃけて。いや、どう考えてもいい訳ねーだろ。南米で民間人虐殺ヒャッハーこいた消毒モヒカンが副大統領なう、レベルのネタじゃね? ラングレーから来た年金生活者の知り合いなんておらんぞ。情報保全部の部長は七十まで現役宣言してたし。

そんな内心が、オスミウム製のため息と一緒にポロリしても、仕方がないと思うんだ。


 が、現実って容赦ねえですはい。

アンダーテイカーとブルーザー・ブロディは、何言ってんの? みたいな顔して、


「? どうせお前も、そのうち“こっち組”だろ?」

「まあ、はらァくくるなら、早いうちがいいからな」


 HBの鉛筆をバキィッ! とへし折るのと同じくらい、そうなって当たり前、みたいなこの言われよう。

いいよね? これは私、泣いてもいいよね?


 でも、一番泣けるのって、それを否定できないってことだよ!

そういう組織ものだと理解した上で、“そっち組”になる肚くくってる私ガイル。


 そもそも、市川鷹これまでは、内戦紛争絶えない世界情勢の不安定を、そこにある、顔も知らない見知らぬ誰かの生命の危険や、既に生じた誰かの死を飯の種にしてた訳だ。PMCの海外事業部の社員として、そーいう自覚はありましたよ?

それが、これからは、見知らぬ誰かが、見てわかる誰かになるってだけで、生き死にが飯の種、ってことに変わりはないんだよね。


 ツァスタバ(暫定)さんはっさい。

修羅の歴史が、また一頁……。




     †     †




 居あわせた顔見知りに、ギルドについての説明を任せたはいいが、本来なら、D級カエルラの壁――冒険者ギルドの本質を理解し、戦力として運用されることを前提とした選別を受けていること――を乗り越え、C級インディクムに昇格した者に提示される情報まで、さも冒険者の一般常識とばかりに明かしていたのには、人選を誤ったと、ローナーの眉間は、宿を出てからもひび割れっぱなしであった。


 あいつら、敵をぶちのめすこと以外に、ろくに脳味噌使ってねえからな、などと、大層失礼なことを考えるローナーだが、その“あいつら”に、自分が同じ評価をされているとは思っていないらしい。


 ちらりと見やったツァスタバは、少し後ろを、足音も気配も薄く、猫のようにひたひたと歩いている。

いや、猫と言うには少々獰猛に過ぎる。虎か、豹か、単独で狩りをする、大型の肉食獣の仔だろう。


 説明役から出てきたのは、冒険者に、ひいては冒険者ギルドに、何らかの憧れを抱いていたなら、木端微塵に爆砕されるような話ばかりであったにもかかわらず、ツァスタバは、いいのかよ、と言っただけであった。

声と口調は、現時点では部外者でしかなく、G級ヒモつきですらない者に、そこまで踏み込んだ話をしてしまっていいのかと、少しの呆れを含んではいたが、幻滅や嫌悪、怯えや恐れはなく、そういうものかと、逆に納得しているようでもあった。


 これは、ドライゼが気に入る訳だ。

一朝ことあらば、人間同士の殺し殺されに使われることを理解した上で、使われることを納得し、受け入れる肚の据わりようもだが、それ以上に、子供らしからぬ、ある種の覚悟のようなものに、ローナーは、ドライゼの審眼に、改めて感嘆していた。


 次の“仕事”には、“大老グレートオールド”から仕込み中の奴を借りることになりそうだったが、この子供がこのまま居残るなら、そちらを使わなくてもよさそうだ。

そのためにも、腕のほどは見ておきたい――そう考えたところで、ローナーは、違ぇな、と苦笑を浮かべた。


 これは、ただの理由付けだ。

この子供が、今現在どこまでやれるのか。そして、どこまで伸びるのか。

二十年、いや、十年もすれば、あるいは己が今いる場所に至りうるものを、構いたいだけなのだろう。


 やっと歯が抜け変わったぐらいだろうが、ぬくぬく大事に屋敷の中で育てられた猟犬など、鼻歌混じりに喰い殺せる獣の仔は、自分と同じか、自分より強い獣との全力の噛み合いは、まだ、したことがないはずだと、ローナーは踏んでいる。


 思い切り、何の遠慮も躊躇いもなく、全力を出し、それをぶつけることができないというのは、やるせなく、切ないものだ。

誰彼構わず、強そうなのを見付けては、辻で喧嘩を売り付けないだけの分別があるのはいいことだが、同時に不憫でもある。


 辻斬りならぬ辻喧嘩で散々にひとをぶん殴っていた、若かりし日の自分の無分別さと比べ、ツァスタバは実に理性的だ。

だからこそ、ここらで一度、思い切り暴れさせてやったほうがいいだろう。


 辻喧嘩で、記念すべき百人目一歩手前の、九十九人目――若かりし頃のドライゼに、親でも見分けがつかないご面相になるほど、しこたまぶん殴られてボロ負けしたが、憑き物が落ちたようにすっきりした。


 バカやってるほど暇なら、うちのリニエッジに来い。殴り合いなら、死ぬほどさせてやる。ま、本当に死ぬかもしれねえがな。

ローナーほどではないが、それなりにいいを喰らって、そこかしこに青痣をこさえた顔で、にやりと笑ったドライゼの話に乗って、かれこれ二十年は過ぎた。


 ドライゼのリニエッジ――できたばかりの当時は、怖いもの知らずの若造の寄せ集めだったウィルオザワイクスも、今ではいい年の中年揃いだ。

若くして死んだ者もいれば、家族ができて、無理はできなくなったと抜けた者、受けた傷のため、戦えない体になって去った者もいる。

いまだに五体満足で続けていられるのは、奇跡のようなものだろう。


 さて、この子供はどうだろうか。

自分のように、暴れたいだけ暴れさせてやる、と言われて、乗ってくるだろうか。

乗ってくるなら、それはそれで楽しいことになりそうだ。


 どちらにしろ、判断を下すのはドライゼであり、ツァスタバである。

さしあたっては、約束していたギルド見学が先だ。

今も、表情こそ変わらないが、薄い気配には、どことなく楽しげなものが混じっていた。


 八つという年齢を考えれば、随分とリアクションの薄いはしゃぎ方だが、冒険者ギルドがどういうものか、その本質を理解した上ではしゃいでいることを考えれば、どこかズレた反応であるし、それを、初めて行く場所にわくわくと浮かれている仔犬でも見ているような、微笑ましいものを見る目をしているあたり、ローナーも色々とズレているようだ。


 ややあって見えてきた冒険者ギルド――ヴェルヴェリア自由傭兵協会マネト支部の建物は、商業区域の外れの、あまりぱっとしない地域にある。

建物自体は、この辺りには珍しくもない、白漆喰の壁と平らな屋根の、これといった特徴のない三階建てである。

高さを除いて通常の商店六軒分という大きさの他は。


 縦横ともに十分な余裕のある出入口の扉の上には、青銅製とおぼしい、剣を乗せた楯の看板が飾られている。

剣に鞘はなく、刀身には、注意してよく見ればわかる程度の大きさで、文字が刻まれていた。


 フードを持ち上げ、刻まれた文字を、目をすがめるようにして、ツァスタバは一文字一文字を追っていく。


「……わ、我、つ……つる、剣? な、なれ、ば……な、なん? なん、じ……なんじ? 汝、剣の、あ、ある……ある、じ? あるじたるを、し、しめ、せ……?」


 刻まれているのは、ヴェルヴェリア大陸で最も広く使われている、普人族共通言語ヒュームスコモンの原型となったとされる、原典不明の古語――といっても、現在では死語に近い言語である。

普人族共通言語ヒュームスコモンと照らし合わせ、予測、推測を重ね、つっかえつっかえ、疑問符混じりでも、解読できるだけ、大したものといえよう。


 ドライゼのリニエッジでも、頭脳担当であるアストラは、古語のみならず、他大陸の言語――北大陸の獣人族ライカン、東大陸の森人族エルフ岩人族ドワーフの言語にも通じている。

偏屈で子供嫌いだが、知識欲のある者には、比較的寛容だ。

ローナーの次の保護観察官でもあるが、これなら案外、うまくやっていけるかもしれない。


 そういえば、膝をやられてアストラと入れ替わるように去った奴も、見かけによらず頭はよかった。

十年ほど前、自分の足で歩いて去っていった数少ない幸運な男のことを、ふと思い出していたローナーの隣では、ツァスタバが、看板の文字を覚え込もうとでもいうように、出てきた単語を何度も小声で繰り返し、時折頷きながら、視線を文字の上で往復させていた。


 二、三分ほどそうしていたが、満足したのか、フードを下ろし、ちらとローナーを見上げてきた。

フードと、癖のある前髪の間から、枯草色の目が覗く。

好奇心に光る目は、表情や言葉よりも雄弁だ。


「行くか」


 問いに、頷き答えるツァスタバと連れ立って、ローナーは扉を潜った。




     †     †




 午前中ということもあるんだろうけど、中は閑散としてる。つーかほぼ無人。

いや、マジで人がおらんのですわ。


 入って最初の印象は、“想像以上に普通”。

外壁と同じ白漆喰に腰板を打った壁は、時間と煙草でいい塩梅に燻されて、西部劇、特にマカロニウエスタンなんかだと、冒頭でジョン・ウェインがテーブルに足載っけてそうな感じだけど、いるのはギルド職員とおぼしき人物が二名だけ。

しかもうち一名が箒で掃き掃除、もう一名が雑巾で窓拭きとか、普通すぎて逆に驚くわ。


 ……いやね、もっとこう、ね? 賑やかなもんかなーと思ったんよ……。

荒くれどもの溜まり場的な、葉巻の煙とウイスキーの匂いが漂っててナイフ投げてダーツしてるようなの期待したんですけど、そもそも人がおらんとです。


 少々ガッカリしつつ見回す内部は、かなり広いけど、建物全体の三分の二くらいしか使ってないっぽい。

残り三分の一どこいったし、と、更に見回すと、入り口から入って右、窓のない側の壁に、扉があった。

あ、残り三分の一はそっちですか。でも何に使ってるんでせうか。謎だ。


 中の造り自体は、酒場を兼ねた宿に近いけど、そっちならバーカウンターや厨房になってる奥側のスペースが、銀行や郵便局のサービスカウンターみたいに、内側で事務仕事ができるようになっていて、更にその奥の壁には見るからに分厚く頑丈そうな扉が。

金とか帳簿とか表に出したらいけないナニカが詰まってそうだ。失われた聖櫃とかはないよな、さすがに。水晶髑髏とかはありそうだけど。

サービスカウンター部分も丸っと含めて、奥行き的には中の三分の二は占めてんじゃないか?


 で、サービスカウンター自体は、幅七メルくらい。窓側に結構な空きがあって、二階、三階に続く階段になっている。

カウンターには4つの窓口があり、それぞれ左右と前後に仕切りがあって、隣が何を請けてきて、結果がどうだったかが見聞きしにくいようになっている。


 まあ、聞いた話じゃそれなりに個人情報の管理ちゃんとしてそうだし、これなら“驚いたからってついうっかりと生命線ともいえる個人情報を大声で叫ぶ”ような、乳尻顔だけの可愛い空っぽちゃんプリティ・ヴェイカントはいないよね、さすがに。


 残り三分の一のスペースには、六人がけくらいの大きな丸テーブルが4つ。

表面傷だらけで、明らかに刃物突き立てた傷も多数。

うん、やっぱこうじゃないとね!


 で、職員らしき方々である。


 箒持ってらっしゃるのは、アメリカの古いホームドラマ、それもコメディもので、クリスマスにはプレゼントを山と抱えてやってくる、料理上手で優しい“素敵なグランマ”みたいな、中産階級内の富裕家庭出身といった、上品な初老の女性だ。

白髪混じりの豊かなブロンドを高く結い、首もとにカメオのブローチをとめた白のフリルブラウスに、くるぶし丈のピジョングレイのロングスカートと、出で立ちがナゼかビクトリアンエイジ。もしくはジ○リ。


 雑巾片手に窓拭きしてるのは、なぜかサンバイザー(でいいのか?)してる、ド僻地の地方銀行の窓口担当ウン十年で定年カウントダウンといった風情漂う初老の男性で、着古した感はあるが清潔な白シャツに微妙な柄の小さな蝶ネクタイ、チャコールグレイのくたびれたウエストコートにトラウザース、仕上げは腕貫鼻眼鏡とか、もうどうしろと。

つか、その顔で持つならどう考えても雑巾より瓶詰めの海苔の佃煮だろJK。


 違う角度の攻撃力高いわー、と本来ならここ笑うとこなんだろうけど……笑えません。

いや、笑ったらケツをシバかれるとかそーいうことじゃなくて、純粋に笑えねえのですよ。


 一見、シルバー人材とかで年金の足しや孫へのプレゼント代のために働いてます、みたいなばーさまじーさまだけど、アレはヤバい。

そう見える隙を作ってそう見せてるだけで、マジモンの隙とか全然ないし。もっと腕上げれば、多分隙が見えてくるんだろうけど、今の私にゃまだ見えない。

アレか、暇をもて余した達人たちの遊びかゴルァ。いたいけな児童に何なのこの仕打ち。

前言撤回。ここはバケモノどものすくつです。


 ローナーさんの半歩後ろで固まってると、掃き掃除のグランマが、微笑を浮かべてこっちを見た。

こっち見んな。自分おまけなんで。反物質凝縮してクッキー焼いててください。


「よくいらっしゃったわね。今日はどういったご用件かしら?」


 ホームパーティで気の置けない友人を出迎える女主人の、穏やかな微笑みがおっかない。

こげな魔窟だなんて聞いてねーよ。アンダーテイカーもブルーザー・ブロディも、もっと重要な話があるだろ。なぜそれをしなかったし。


「いやなに、このチビにギルドを案内してやることになってな」


 はい、ローナーさんまるで気にしてません。気付いてないんじゃなくて、気付いてスルーしてはります。

あーつまりコレが通常運転と。なにそれこわい。


 それはそれとして、フードの上からぐりぐりと撫でくり回すのはいいんだけど、私の頭サトちゃん人形みたくなってんですけど。

このまま行くとヤバい回転になりそうなんですけど。

ブリッジで階段下りるとかできませんよ? いや頑張りゃできるだろうけど、やりたくないし。緑の反吐とか吐きたくないし。


 何でかわからんけど、段ボールとバンダナが似合うと評判だった市川鷹ぜんせの上司とか、オールバックポニテな社食のオッサンが思い出されて、とぉーい目をしていると、


「あら、そこのおちびさんの登録ではないのね。残念だわ」


 自分の実力過大評価しちゃった僕ちゃんなら、ンだとこのババアとかメンチ切って突っかかってくフラグですねわかります。

玄関開けたら五分で銀シャリどころか、足踏み入れた瞬間からふるい落としですか。


 ……?

あれ? 何この既視感デジャブ。これ、アレだ。前世まえの、転職したときの面接と同じじゃね?

あはははは奇遇だなあー市川鷹ぜんせの勤務先と今世の勤務予定先が被るって。

うん、自由傭兵協会とか冒険者ギルドって思うから緊張するんだよ。PMCなら勤続十年オーバーだったじゃん。

よし大丈夫だ問題ない。


 となれば、社会人の基本、名刺交換……はできないので、当たり障りのないご挨拶から。

相手の得物が不明な場合、長物の間合いのちょっと外側。飛び道具が予測される場合は、踏み込んで出だしを押さえられる距離を取りましょう。

相手の動きを観察できる視界の維持を意識しつつ、失礼にならない程度の角度で頭を下げて、ドーモドーモ。

これぞ正しい社会人のご挨拶ofPMC。


「……本当に、残念だわ。“大老グレートオールド”からの貸し出しレンタルでもないんでしょう?」

「拾いもんだからなあ。モグリの奴か、引退したロートルが仕込んだんじゃねえかなあ」

「それなら“大老グレートオールド”が回収してるでしょ。……支部うち、ここ五年くらいD級カエルラの壁越える子が出ないのよねぇ。支部うちで欲しいくらいだわ、本当に」

「スターバトでもここ一、二年は出てねえしな。ウェントスだと、支部でも年に二、三人は出てるらしいぜ」


 アーアーアー聞きたくない聞きたくない。

その手の話は私がおらんところでお願いしますマジで。いたいけな八歳児こどもに聞かせていい話ちゃいますでしょ明らかに!


 あとその“大老グレートオールド”って。

山の老人的なニュアンスなのは私の気のせいですよねそうですよね! それならそれでマスター目指すのもアリかもだけど、指詰めるのはちょっと。

市川鷹ぜんせじゃ諦めてたけど、今世でまで左薬指の指輪諦めたくないし。


「レリンクォルはもっと深刻らしいねえ」


 おっとここで海苔の佃煮が参入しました。

見ざる言わざる聞かざる決め込む私に、にっこり笑顔で「いい子だねぇ」って……こんな話よそでできる訳ないじゃないですかやだー。


 むずかしいおはなししてるなーぼくにはなんのことかわかんないやー。

と、床板の木目を数えていると、


「悪ぃ、忘れてた」


 ばつが悪そうな顔で苦笑するローナーさんが、頭を掻きつつ、私の頭をぐりぐりと撫でくってきた。

忘れてたんかい。いや、いいけどね別に。


「ギルドには、連れてきて、くれたろ。別に、気にしてない」


 いいけど、オッサンは見た目よりナイーブですからぬ。アフターケアは大事です。


 脳内シミュレーションを繰り返した結果、前より喋りが円滑になり、言葉の量も増えました。

やったねツァスくん会話が増えるよ!


「そうか」

「おう」


 ぐりぐり頭をかいぐるローナーさんが、ふとその手を止めた。

見上げると、友達を遊びに誘う子供のような、だけど少しだけ物騒で、真摯なローナーさんの目と、目が合った。


「……なあ、坊主」

「うん」

「全力で暴れたこと、あるか?」

「……ない」


 野盗相手にしたあれは、全力出す前に、なんですぐ終了のお知らせなってしまうん? になっちゃうもんだから、逆にフラストレーションが溜まりもしたでごわす。


「そうか、ねえか。……じゃあ、全力で暴れてえと、思ったことはあるか?」


 ……。

…………。

………………はいぃ?

全力? 全力で暴れたいか、だって?

持てる力と技術の限りを尽くし、力尽きてぶっ倒れるまで。

思い切り。

全力で――全力で、暴れる。

そんな。

そんなの。


「あるに、決まってる……!」


 頭の中、イメージとしてしか存在しない相手とのシャドーの最中。


 明らかに強いと、今の自分では何をどうしたって勝てないとわかってしまう相手を前にしたとき。


 拳を、技を、思いの丈のありったけをぶつける。

負けて無様に這いつくばり、鼻血垂らして反吐吐き散らかし泥を舐めることになるとしても。

そうしたいと思わないなら、それはもはや私じゃない。


 相手がいないから。

理由がないから。

市川鷹ぜんせと違って、じいさまも上司もいないから。

我慢しなくちゃいけないと理性とか分別とか超頑張ってブラック会社も裸足で逃げ出す勢いで馬車馬のように働かせて我慢して我慢して我慢してきたとゆーのにっ!


 なのに、なんで。

なんで、そんなことを。

そんなことをのたまいやがってくれやがりますかなぁローナーさんはッッ!


 それとも。

全身全霊全力全壊フルスロットル、理性と分別投げ捨てて、暴れさヤらせてくださるとでも?

まあ、ローナーさんに勝てるとか、んな身の程知らずなこた、これっぽっちも思っちゃねーですけど?


 でも。

そんなことを言っちゃうってーことは、さ。

理性わたしころした責任、取ってくれるんでございますんでしょうか。

ねえ。




     †     †




 ローナーとしては、何気なく問いかけたつもりであったが、返ってきた反応は、劇的なものであった。


 見上げてくる枯草色の目の中に、潮が満ちるようにひたひたと、こわいものが満ちてゆく。

薄い気配がべろりと剥がれ落ち、狂おしく身をよじらせるかつえたけものが、姿を現す。


 長く押し込められていたであろうけものが、身をよじり、腹の底から切なげな声をひしり上げ、がちがちと歯噛みするのを、ローナーは、慈愛すら感じさせる眼差しで見下ろした。


 随分と、我慢していたんだなあ。

お前、暴れたくて暴れたくて、仕方なかったんだなあ。

サコーもシグも、強えからなあ。

ずっと、堪んなかったんだろう?

偉いなあ、よく頑張ったなあ。

よく、我慢してたなあ。


 このけものが、可愛くて可愛くて仕方がない、とでもいうように目尻を下げ、笑う。


「隣、空いてんだろ」


 今にも喉の奥で唸り出しそうなツァスタバの頭を撫でているローナーに、苦笑を浮かべた老婦人が、小さな鍵を渡す。


「……全く。幾つになっても、殿方は子供なんですから」


 言いつつも、老婦人は何か微笑ましいものを見ているような、そんな眼差しを向けている。

実際、老婦人にしてみれば、ツァスタバは、歯の生え代わり時期に入り、むず痒さにあたりのものをかじりたがる仔犬のようなものだ。傍目には餓えに牙を打ち鳴らし、唸りを上げるやまいぬにしか見えないとしても。


「こっちだ、坊主」


 ぐりん、とツァスタバの頭をひと撫でし、顎をしゃくって壁の扉を示す。


「……?」


 訝しげに首を傾げるツァスタバに、ローナーは、笑みを深める。


「まあ、なんだ。遊び場だ、遊び場」


 暇をもて余した馬鹿同士が、半ば以上本気で殴り合うのが“遊び”であるなら、確かに遊び場といえるだろう。


 微妙な言い回しから、含む意味を拾ったのであろうツァスタバの、枯草色の目が喜色に潤み、上気した頬が血の赤を淡く透かして薔薇色に染まる。

引き結ばれた唇は甘やかな笑みに綻び、まるで知り初めた恋に胸踊らせる少女のようだが、その身から滴るのは、鬼気にも等しい闘争への渇望だ。


 頭から手を放し、扉へ向かうローナーの後を、今にも踊り出しそうな小走りでツァスタバが追う。


 鍵が外され、開いた扉をくぐる。


 建物の残り三分の一は、扉の先の空間に使われていた。

天井は高い。

あるはずの二階を取っ払い、吹き抜けにしているのだから、高くて当然だ。


 床板も張られていない、剥き出しのままの土の床の中央には、縦六メール、横四メールの長方形の四隅を、角から左右に七十メルの辺りで切り落としたような、変則的な八角形の囲いがあるばかりで、他には何もない。


 囲いは高さ九十メルほどの、丸木を組んだ武骨な代物で、刃物の傷やらどす黒い染みやらがあちこちに散らばり、実に物騒な装飾を施しているが、その内側に敷き詰められた砂は、輝かんばかりに白い。


 無造作に囲いに歩み寄り、巨体からは想像もつかない軽やかな動作でひょいと囲いを飛び越えたローナーの手招きに、ツァスタバが地を蹴った。

囲いを足場に、全身をバネにしてローナーへと跳びかかる。


「シィッ」


 尖らせた唇の隙間から鋭い呼気を吐き、脇腹めがけて蹴りを放つ。


 鞭のようにしなり、風切り音を立てる脚は、ローナーの掌に柔らかくいなされ、描く弧の軌道を逸らされた。

その力の流れに逆らうことなく体ごと回転し、蹴りを放った脚を軸に、回転の勢いを上乗せして振り上げた踵を、ローナーの側頭部――こめかみへと叩き付けるが、それも、首を後方に引いただけの、最小限の動作で避けられる。


 対象こめかみに当たることなく振り抜かれた踵はしかし、ローナーの顔を通り過ぎたあたりで、軌道を横から縦へと跳ね上げるように変え、鎖骨へと襲いかかった。


 脇腹を狙った蹴りも、こめかみに放たれた踵も、大振りしたのはこのためだろう。

だが。


フンッ」


 素早く頭を引き戻し、直立よりやや前傾した姿勢を取ったローナーの、分厚い肩の筋肉がうねるように盛り上がり、ツァスタバの踵を受け止める。


 予想以上に、重い。

重く、鋭い。

この体格、この年齢で、これだけの重さと鋭さを持った一撃を放てるとは、たいしたものだ。


 外部魔力マナの変化は観測されていない。ということは、使っているとすれば、内部魔力オドによる身体活性ということになる。


 面白い。

にっ、とローナーの口元がゆるむ。


 鎖骨を折りにいくための、避けられることを前提とした蹴りも、お座敷剣術で強くなったつもりのお貴族騎士様おぼっちゃんなら、あばらの二、三本は持っていかれただろう。

踵に至っては、もろに喰らえば、頭蓋骨がぶち割れるくらいの威力はあったはずた。


 そんな技を、捨て技にする。

人間を壊す――殺しうる技を、殺せる技を放つことに、全くといっていいほど、ためらいがない。

しかも、自分の技が、そういうものだと自覚した上で、だ。


 もっとも、ツァスタバにしてみれば、この程度でローナーが壊れてくれるなど、これっぽっちも思っていないのだろう。

ローナーの強さを信頼しているからこその、ためらいのなさかと思うと、少々照れ臭いものがある。


 その間も、ツァスタバは止まることなく動き続けていた。


 捨て技二つで鎖骨を折りにいった踵は、分厚い肩の筋肉で止められた。

ならば、そこからまた、技をつなげばいい。


 踵に重心を移し、宙へと跳ね上げた体をひねり、遠心力を加えて延髄へとくり出した回し蹴りも、わずか半歩の移動でかわされる。


 背後に向きなおり、引いた半歩を越えて大きく踏み出したローナーが、初めて放ったのは、無造作な前蹴りであった。

無造作だが、重い。

手加減はしていても、当たれば無事では済まない。そんな蹴りだ。


 さあ、どうする。




     †     †




 まともに喰らったら、意識が頭蓋骨ん中から成層圏までかっ飛んで、どえらく気持ちいいことになりそうな前蹴りだ。


 やっぱ、すごいわ。


 けど、まあ、まだまだ全然、遊び足りない。

素直に喰らうわけにはいかないよなあ。


 どうしようか。

……よし。


 回し蹴り空振って伸びた体を丸めるように縮め、ローナーさんの前蹴りを踏み台にして、後方に跳ぶ。

うっわあ、ちょっと当てただけなのに、足がびりびりしてる。


 さて、次の手は?


 脇腹とこめかみ、鎖骨狙って出した中で、当てられたのは、鎖骨狙いの踵が一発。

しかも不発。

打撃の衝撃を筋肉だけで分散吸収とか、何それチートじゃね?


 組みにいっても、力で外されて終了のお知らせ確定だわな。

投げにいくにも、前提の重心崩せる自信絶無だし。

華拳繍腿そのまんまな打撃技一択とか、あらやだ詰んでる。


 だけど。


 ……楽しいなあ。


 尾てい骨のあたりから、背中の産毛がさわさわと逆立つような心地よい痺れが、ひっきりなしに脳に昇ってきている。


 唇が乾く。


 着地。

そのまま、姿勢をうんと低く。

昔の人は言いました。

――Don't think, feel.

ですよね李先生!


 そもそもだな、圧倒的な格上が、わりと本気出して遊んでくれるとか、セリエAのエースが少年サッカーに突然来ました的な状況でだな。

あれこれ考えてても、その時間がもったいないジャマイカ。

バカの考え休むに似たり。

いいじゃない玉砕上等、当たって砕けてなんぼのもんじゃい。


 全身をバネにして、走る。

這うほど低い姿勢のまま、一気に距離を詰める。


 肩口。

脇の下。

膝。

脛。

喉。

鳩尾。

下腹部。


 貫手。

掌底。

一角打ち。

肘打ち。

足刀。

踵。

膝蹴り。


 全部が本命で、全部がほかの一発のための捨て技だ。


 パーリングされただけで、腕が、足が、びりっと痺れる。

普通なら、肘を合わせて壊し・・にいくところを、掌で弾くだけとか、めっちゃ手加減されてるよなあ。


 手加減されてるのは、私が弱いから仕方がない。

悔しくないわけじゃないけど、ローナーさんは、手加減しているのであって、手抜きはしていない。

その程度には、本気で遊んでくれている。


 ああ――たまらない。


 内部魔力も大フィーバー絶賛回転中だ。

生み、練り、末端の細胞に至るまで、飽和するほどに行き渡らせる。

朝あれだけ摂った熱量カロリーが、猛烈な勢いで消えていく。


 乳様突起を狙って出した爪先が弾かれる。

間髪いれずに接近して、真下から突き上げた顎狙いの掌底はスウェーでかわされた。

掌底を出して延び上がった体を思いっきり後ろに反らし、バック転しながら顔面、顎を狙った蹴りも空振り。


 手も足も出ないけど、楽しくて楽しくてたまらない。

口角が吊り上がる。

声をあげて笑い出してしまいそうになるくらい、楽しい。


 私のすべてを使おう。

市川鷹かつてのわたしが得たもの。

今の私が積み重ねたもの。

サコーの父ちゃんとシグのおっさんから、見よう見真似で盗んだもの。

全部、使う。


 回転速度を上げる。

緩急をつけ。

直線と曲線の動きを織り交ぜ。

かかる負荷に、肉がみしりときしむのを無視して、軌道をムリクリねじ曲げて。


 心臓が弾む。

吐く息が熱い。

寝る時以外は年中高地トレーニングwith濡れマスク状態のお陰で、少々テンポは上がったけど、力強く安定したリズムを刻んでいる。

体に熱がこもりだしてるけど、まだ許容範囲内だ。


 気持ちがいい。

脳内物質で脳味噌しゃばしゃばになってんだろうなー、ってくらい、やばいくらいに気持ちがいい。

手を、足を出すごとに、恍惚感がガンガン上がってく。


 唇を舐める。


 まだ、出していない技。

あっただろうか。

ああ、あった。

だけど、できるだろうか。


 ……『できるだろうか』?

何を寝ぼけてる。

そうじゃないだろう。

やるしかないだろう。

まだやっていないなら、やればいい。

それだけのことだ。


 よし。

やろう。


 懐に飛び込む。

距離はほぼ0。

額が分厚い胸筋に当たるくらい、近い。

アレをするのに、距離はむしろ邪魔になる。


 踏み込みのエネルギーを加え、全身の力を左の拳に集める。


 大きなモーションは必要ない。

拳を前に押し出すだけでいい。


 この距離なら――


「チィッ」


 外された。

かすっただけで、ダメージはろくに入ってない。

すごい腹だったなあ。

岩をぶっ叩いたみたいだったな。


 けど、これでいい。

本命はこっちじゃない。


 奥歯を打ち合わせ、スイッチを入れる。

とっておきの奥の手だ。


 音が消えた。

髪の先から飛んだ汗の玉が、スーパースローで飛んでいく。


 リミットは一秒。

再び距離を縮める。


 尺骨と橈骨を振動、共振させる。

筋繊維がぶちぶち千切れてくが、知ったことか。


 音が戻る。

秒速一マイクロメートルで落ちていた汗が、急降下する。


 振動に全身の力を上乗せして、触れさせた右拳から、脇腹にブチ込む。


「ぎっ」


 脳が焼ける。

前に比べれば、多少はマシかな。


 手足の力が抜ける。

だめだ、まだ立ってろ。

倒れるな。


「やるなぁ、坊主」


 低予算のフィクション仕様ホラームービーみたいに視界がガッタガタだ。

その中で、驚いたようなローナーさんの顔だけが、妙にクリアで笑える。

ちょっと痛そうな苦笑を浮かべて、左脇腹を押さえてる。


 入ったのか。

透ったのか。

ぶっつけ本番一発勝負の奥の手が。


「っは」


 届いたんだ。


「ははッ」


 どうしよう。

嬉しすぎて、頭おかしくなりそうだ。


「はははははッ」


 鼻の穴からW鼻血垂らして大笑いとか、アホの子以外の何者でもないわな。

けど、一度入った笑いのスイッチはなかなか切れない。

頭のネジがまとめて十グロスくらい弾け飛んだみたいに、ハイになってる。


 未完成の加速の最中、何となくイケんじゃね? で無茶な大技、しかもぶっつけでやらかしたおかげで、四肢の末端がどえりゃーことになってるっぽいけど、怖くて見れない。

爪の隙間から生暖かい液体がぽたぽたしてるとか、気のせいだよねきっと!


 だけど。


「ははははははははははははははッ」


 ああ――気持ちがいいなぁ。

どうも! 異世界太腕漂流記本編の主人公のほう、ツァスタバです。

肉離れイター!

あら、次の保護観察官はインテリ元ちゃんなんスねー。

次回異世界太腕漂流記。

ふぇあ いず おぶ てーぇ……英語忘れてんだよ悪いか!

とりあえずシーユー!




……拳祭、めっさ楽しかったわ。

やっぱガチが一番。

虎○は殺し技だし、まだ出せないけど、未完成の加速装置に無○波、ツメの甘い○砲は出せて満足。ぐふ。

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