【9】
名前を呼ばれた七座つばきはこちらを向いて眼を凝らしていた。
「龍之介さんじゃないですか。こんにちは」我々を認めるとつばき嬢は手を振って寄こした。
つばの長い麦わら帽子、白のブラウスとデッサン画のような花のモチーフがあしらわれた水色のハイウエストスカート。品があって夏っぽい装いは彼女をより明るく見せていた。
「こんにちは、さっき配達に伺いましたよ」
「お姉ちゃん、寝てませんでしたか?」
「いや、相変わらず本を読んでたよ。珍しくラフな格好をしてた」
「涼しそうでいいですよね。ああいうお姉ちゃんも私は好きなんですよ」
ダークブラウンの髪を白い手で軽く撫でつけながら、つばき嬢は屈託のない笑顔を返してくる。本当に良くできた妹だ。そしてかわいい。あの姉の妹とは思えない。そういえば、お小夜さんと出かけていたのではなかったか。きょろきょろと通りの前後を見渡してみるがそれらしき人物は見当たらない。
「どうしたんですか?」
「お小夜さんと出かけたって聞いたんだけど」
「あぁ、お小夜さんはお支払いだとかで龍之介さんのお宅へ寄らせていただいていますよ」
またもやご尊顔を拝めず……。よりによってウチとは。普通に店番してれば遭遇できたな。
「ところで龍之介さん。そちらの方は?」
そうそう、本題はこっちだった。
「えぇっと、こちらは……。ごめん名前訊いてなかったね」
『こちら』の彼女へ向き直って尋ねた。
「下田茜です」短くそう答えるとぺこっと頭を下げた。後ろでまとめた髪束がぴこっと背中で跳ねる。
「はじめまして、七座つばきです。よろしくね」首を軽く傾げて天使のような満面の笑みを見せる。
「あ、俺は久慈龍之介です」
下田茜に名乗っていなかったので二人に続いた。
「やだなぁ、知ってますよ龍之介さん」
つばき嬢が笑いながら腕を軽く叩いてきた。いや、あなたに名乗ったわけではないんですがね、つばきさん。
なんとも間の抜けたやり取りに下田茜が笑い出した。彼女の笑い顔をこの時初めて見たが、笑顔も掛け値なしに完璧な可愛らしさだった。
場がくだけた所で、先ほどの下田茜の話しをつばき嬢にしてみた。
「確かに七座はその昔に大岩と関係がありました。この杜は元々七座の敷地の一部だったんです。ですが、だいぶ昔に管理団体に寄進をしていて現在では特に関係がありません。それと巫女さんの方は……ううん」
つばき嬢が云い淀んだので俺は目で続きをお願いする。
「遠い昔に七座の女児にそういった役割を務めた方がいたようですが、いまには引き継がれていないですね」
つばき嬢はそこで一旦区切ると、下田茜の茶色がかった瞳を見つめながら詫びた。「ごめんなさい。お役に立てなくて」
「いえ、そんな……。ありがとうございます」
そうは云うものの下田茜の落胆ぶりは見ていて気の毒なほどだった。
その様子を見ながらつばき嬢は何やら困ったような迷っているような落ち着きのない表情をしている。そして、何かを決めたように下田茜に尋ねた。
「何か困っていることがあるの?」
「えぇ、実はおばあちゃんが足を悪くしてしまい、いくつか病院にもあたったんですがなかなか良くならなくて、それでだいぶ気落ちしているんです。私がしてあげられることは、おばあちゃんの代わりにお参りしてあげるぐらいなものですから、『蛇戸の巫女』にお願いをすることができればおばあちゃんも少しは喜んでくれるんじゃないかと思ったんです」
下田茜は控え目な身振り手振りを加えながら少し早口気味にそう言った。
するとつばき嬢が大きな眼をさらに大きく見開いて勢い込んだ。
「お姉ちゃんに訊いてみましょう。この話しは私よりも詳しいはずですから」
めずらしく力んでいるつばき嬢は、なんだか迷いを無理やり吹っ切っているようにも見えた。