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ソーダバー・ストラット  作者: 藍澤ユキ
3/24

【3】

 目的の届け先は鎮守の杜のすぐ横だった。重厚な鉄扉を備えた大理石積みの門柱に表札があった。

七座ななくら

 この辺りでは誰もが知っている名前だ。所謂地主というやつで古くから続く旧家だ。町の人たちはこの旧家を親しみをこめて『紙屋さん』と呼ぶ。この旧家の屋号は「紙屋」といって、元々は和紙づくりとそれに必要な一切合財の管理を家業としていたらしい。

 しかし、この紙屋さん。近年は本拠を東京へと移していて此処は使われていないはずだった。なので母親から「紙屋さんに配達行ってきて」と言われた時は理解するのに数秒かかった。俺が物心ついたころからずっと此処は空き家だったのだ。

 門柱を見回してみても呼び鈴のようなものはなく、どうしたものかと思案しながら鉄扉を押してみると、ギーっと鈍い音がしておもむろに開いた。

 断りを入れる相手もいないので勝手に入ることにした。

 

 中へ入っていくと向こうに白い洋館が見えてきた。歴史を感じさせる威厳のある佇まいは、空き家の間もきちんと手が入っていたことを物語っている。大正浪漫、そんな言葉が連想された。といっても大正も浪漫もよく知らないのだが。まぁ、なんとなく。

 館の正面まで来てみても相変わらず呼び鈴の類はない。そもそも客ではないので正面玄関から入るのは違う気がする。あの三河屋のサブちゃんもお勝手口から「ちはー」って云ってたはずだ。

 なるほど。「ちはー」って云うためには勝手口が必要だな。裏手に廻ればあるんじゃないのか。とりあえず行ってみることにしよう。


「こんにちはー」

 ――「ちはー」はカジュアルすぎる気がしてきたのでやっぱやめた。サブちゃん、あれで結構やり手なんだな。やつの対人スキルの高さに負けた気がする。

「こんにちはー」

 もう一度云いながら奥へと足を進めて行く。

 洋館の右翼の棟を廻りこむように進んで行くと、庭に面したテラスへ続くガラス戸が開け放たれているのが見えた。

「こんに……」

 云いかけてそのまま言葉を飲み込んだ。

 開け放たれたガラス戸の奥、籐椅子に少女がもたれ掛かるように座っていた。膝の上に置かれた手には読みかけの文庫本が今にも閉じてしまいそうに軽く握られている。きっと読みながら眠ってしまったのだろう。ノースリーブの白いワンピースの肩が浅く上下している。

 濡れたように艶やかな黒髪が頬にかかり、白磁を思わせる蒼いまでに白い素肌がコントラストをなしている。閉じられた目蓋に揃う長い睫毛は綺麗な曲線を描き、形の良い小さな鼻と薄く開いた薔薇の唇が浮かぶ。白昼夢。彼女の眠る真夏の昼下がりは幻想的ですらあった。音も時間も白の世界でとまる。

 あどけなさを何処かに含みながらも、その端正な顔立ちは美しく、彼女の寝顔に完全に心を奪われた。意識が白色に占領されていく。

 古代人類は巨石に神秘を見出していたが、女性にもアニミズム的な概念を見出していた。生命の始まり、豊かさと美の象徴。今ならその一端が実感としてよくわかる。俺に湧き起こってきた感情はたぶん信仰心と同種のものだ。

「神々しい」

 そんな言葉が浮かんできた。それが一番ふさわしい気がする。

 瞬きすらできずに見つめていると『神』に目覚めの気配があらわれた。きっとその瞳が見開かれたら俺は戻れない気がする……。


「おまえ……だれだ?」

 冷たく咎めるような鋭い響きを含んだ声が発せられた。

 一瞬、どこから聞こえてきたのか理解が追いつかなかった。

「おまえ、聞こえないのか?」

 明らかに苛立ちが織り込まれている。はっと気がついて目の焦点を声の主に合わせると、そこには細められた刺すような双眸があった。

「変質者の類か?」

 いえ、違います。ってか、また変質者か。いや、今度は被害妄想ではなくリアルに言われている。

「あ、あの、伊勢町の辰巳屋です……」

「たつみや……?」

「ご注文の品をお届けに伺いました」

 それを聞くと彼女はふんっと軽く鼻をならして視線を外した。

「お小夜がいただろう」

 もう面倒くさいといった感じで右手をひらひらさせる。

「おさよ……さん?」

「あぁ、あとはお小夜と話せ」

 そう云い捨てると彼女は籐椅子へ座り直し、さっさと文庫本を読みだした。

 なんとも感じが悪い。さっきの神々しさも雲散霧消だ。もはや跡形も残っていない。そこにいるのはただの感じの悪い女だ。――美人だけど。

 呆気にとられて思わずじっと見つめるが、こちらには一瞥もくれずに文庫本を片手に持ったまま、背中へ届く長い黒髪を細い指ですき下ろしている。

 見下ろした黒髪少女の鼻に付く尊大な態度に憤りを感じていると、籐椅子の向こうから声がしてきた。

「お小夜さんは郵便局へ行っていますよ」

 部屋の奥から別の少女がゆっくりこちらへ近づいてくる。歩くたびに光沢のある深い栗色の髪が肩で揺れ、淡いブルーのワンピースの裾が踊る。そこには華やいだ、やわらかい空気が漂っていた。

 ――己の誤りを認めることのできる実直さは称賛されるべき美徳だ。そう、俺は間違えた。神と云うべきは彼女の方だった。

 素直さを感じさせる大きな二重の瞳、細い鼻梁に形の綺麗な薄めの唇……先ほどの少女にも引けをとらない抜けるような肌の白さ。その整った容姿からは幻想的な印象さえ受けた。

「こんにちは、辰巳屋さん。ありがとうございます。いつも配達してくださっているのはお父様ですか?」

 その親しみやすさを感じさせる声に、少しどぎまぎしてしまった。

「あぁ、えぇ、親父は今日は急用があったみたいで……代わりに俺が……」

 顔が上気しているのが自分でもわかる。

「……荷物……どこに置きましょうか?」

「あぁ、じゃ、あちらへお願いできますか」

 そう云って彼女は屋敷の奥を指し示した。

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