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ソーダバー・ストラット  作者: 藍澤ユキ
21/24

【21】

 朝のさらりとした空気がまだ残っている午前中、椎花は七座邸のテラスに下田茜を呼んでいた。

 今日の下田茜は制服姿ではなく、格子柄の白いオールインワンにサンダル履きという、夏の日差しに映えるカジュアルでちょこっとフェミニンな装いだった。私服だと少し大人っぽく見えて、髪を耳にかける仕草にもどことなく艶かしさが含まれていた。

「わざわざ来てもらって悪いな。蛇戸の巫女の話しをしようと思ってさ」

 片膝を立てて椅子にのけぞり、悪いだなんてまったく思ってなさそうに云う椎花は、黒のトップスに白いキュロットパンツ姿。むき出しの白い肌は太陽の光を浴びて滑らかに輝いている。

 テラスに二組あるテーブルには俺と下田茜、椎花とつばき嬢の七座姉妹が集まっていた。亜美も来たがったのだが、椎花が今回はやめた方がいいと諭した。まぁ、この件で下田茜とは接点がなかったから仕方がないだろう。顛末については後で亜美にも伝えることを約束させられている。

「いえ、私がお願いしたことですから」

 下田茜は椅子に浅く腰を掛けて綺麗に背筋を伸ばしている。

「この間も云ったが巫女はもういない。だが、神託ならあたしが授けてやろう。なに、これでも蛇戸の巫女の末裔だ。安心しろ」

 行儀悪く椅子に座っている椎花は、なんとも不敵な笑みを浮かべている。ちょっとした新手の詐欺みたいでぜんぜん安心できない。

「――集団の中で孤立することは怖いか?」

 唐突にそう椎花に尋ねられると下田茜は一瞬びくっとしてから、何かひどいことを云われて深く傷付いたというように顔色を変えて、大きく眼を見開いた。

「他人に認めてもらうことで手に入る居場所なんて制約だらけだ」

 椎花はすらっと伸びた白い足を組み替えながら、まっすぐ下田茜を見つめて云う。

「いまが永遠に続くわけじゃない。ルールは変わっていくんだ、狭い世界がすべてじゃない、」

「そんなこと、知ってますよ!」

 淡々と続ける椎花の台詞を遮るように下田茜の尖った声が被せられた。

「知ってて出られないからみんな苦しいんじゃないんですか!? 出られないから狭い世界のルールを守らなきゃいけないんでしょ!? 安全圏から悟ったようなこと云わないでくださいよ! 美化された過去を思い出してアドバイスなんてしないでください! いらないんですよ、そういうの!」

 唇を震わせながら堰を切ったように下田茜が感情をむき出しにする。椎花にというよりは、もっと漠然とした何かに対して苛立ちをぶつけているような、そんな感じがする。

「同調圧力に抗えとか、流されるなとか、自分の人生を生きろだとか、たくさんなんですよ! 私たちは手の届く範囲にある世界でアップアップしてるんです! それを可愛そうだとか同情してほしくない! 間違っているだなんて責められたくない! だって、それが現実なんだから! 自分たちが手にできなかった理想を押し付けないで!」

 一気に吐き出した下田茜は、膝の上に両手をつっぱらせたまま深く俯くと、肩を小刻みに震わせた。

 下田茜は自分たちの世界が狭いことなど十分すぎるぐらい知っていて、その上で諦めて不合理なルールに従っているのだ。知らないのでも、外れるのが怖いのでもないのだ。非力な自分を見限って、関わらないように決めてしまったのだ。

 爆発した下田茜の勢いに気圧されながら横目で椎花の様子を伺うと、意外なことに彼女は口元を少し緩めて、温かい色をした瞳を下田茜に向けていた。

「血まみれになってのた打ち回れ。傷を抱えて生きるしかないんだから。どれだけ傷つけられても自分で選んで進んで行くしかないんだ。いつまでも他人のせいにしてはやっていけない。受け入れろ、それがおまえの世界だ。別の世界なんてない。逃げられないんだ。――できることは、広げること。世界を広げることだけだ」

 そう云う椎花の声は口調とは違って、これまでに聞いたことがないぐらいに柔らかくて優しかった。

「説明されたことなんてないし、見たこともない。賛成も同意もした覚えなんかない。でも、ルールはしっかり存在するし、みんなが互いを縛っている現実は毎日続いている。仕方ないじゃん! うまくやり過ごすんじゃダメなの!? 時間が経つのを待ってちゃいけないの!? そんなにみんな強いの!?」

 下田茜は瞳をめいいっぱい潤ませて、いまにも雫が零れ落ちそうに戦慄いている。そんな下田茜の俯けた頭を優しく抱き留める白い腕があった。

「誰だって傷つきたくない……そうでしょ? ただね、それだけでもダメなの」

 つばき嬢は下田茜の髪をゆっくり撫でながら、噛んで含めるように囁く。

「傷ついても働きかけないといけないの。誰かに伝えないといけないの。だって、あなたも世界の一部なのだから」


 世界は残酷で優しくなんてない。

 でもそれは、誰にとっても同じことで、誰もがみんな生きづらさを抱えて毎日を繰り返している。それが死ぬまで続いていくと絶望するのか、どうにかしようと動いてみるのか、少しの姿勢で見え方は変わっていく。

 もちろん、それだけですべてが劇的に変わるだなんてことはない。ほんの少ししか変わりはしない。それでは満足なんてできないかもしれない。心が折れそうになるかもしれない。でも、少しずつしか進めないのだ、我々は。

 その過程で傷つき、傷口からは血が流れ続けるかもしれない。けれども、世界に働きかけていれば、手を差し伸べてくれる人がきっといるだろう。誰かがきっと見つけてくれる。そして、誰かをきっと見つける。

 だから狭い世界を乗り越えるその一歩が必要なのだ。本当に勇気のいる一歩で、痛みを伴う一歩かもしれない。でも踏み出す時が必ずくるのだ。


 下田茜は完全に泣きじゃくっていた。人目も憚らずにつばき嬢の胸に顔を埋めて声をひきつらせている。つばき嬢はそんな下田茜の髪に頬を載せるようにして彼女の肩を抱きしめていた。


 しばらくして落ち着きを取り戻した下田茜は、何かが吹っ切れたような小さな笑みを唇に浮かべ、まだ赤みの残る大きな瞳に新たな色を映していた。

「時々此処を尋ねてくるといい。話し相手にならいつでもなってやる。これだっていままでにない世界だ」

 椎花はつまらなそうにそう云ったが、その声音には違う感情が見え隠れしていた。

「……はい。ありがとうございます」


 下田茜の何かが変わって、世界は少し広くなる。


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