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ソーダバー・ストラット  作者: 藍澤ユキ
18/24

【18】

 件の自宅カフェ『リトルブルーバード』は文武学校の近くにあった。俗にいう白亜の豪邸といった感じの建物の一階半分を、カフェスペースとして利用しているようだ。

 ガラス扉を開けるとチリンと控えめにベルの音が鳴り響いた。そのまま中へ入って行くと、音楽スタジオのような空間にクラシカルなピアノが一台と、そのピアノを囲むようにテーブルが十五席ほど並んでいた。仄暗い間接照明と、窓からの採光が絶妙なバランスで共存していて、なんとも上質で温かみのある雰囲気を醸し出していた。

 そんな店内に薄く流れているBGMの緩いグルーヴに俺は聴き覚えがあった。『The Skatalites』レゲエの基礎を創った偉大なジャマイカンバンドだ。

「いらっしゃいませ」

 頭に大きなお団子を結った店主と思われる女の人が出てきた。カッターシャツに黒のパンツを合わせて腰にギャルソンエプロンを巻いている。

「好きなトコにかけてくださいねー」

 二十代半ばぐらいだろうか、ナチュラルで親しみやすそうな印象の、かわいらしいというよりは綺麗といった感じの人だ。

 亜美は早速メニューブックに手を伸ばすと、なにやらモゴモゴ云いながら熱心にページを繰っている。

「――パフェにしようと思ってたけど、こっちもいいなぁ…いや、これもなぁ……んー……」

「今日のオススメはアップルパイですよー」

 そう云いながら店主はお冷をテーブルに置いていく。

「地元産の紅玉をたっぷり使っていてホントに美味しいんだからっ!」

「あ、じゃあ俺はアップルパイと水出しコーヒーお願いします」

「はーい。では、お嬢様はどーされますか?」

 そう尋ねられ亜美はピクッとすると、にへらぁっと相好をくずした。うん、『お嬢様』がツボったんだな。わかりやすいやつだ。

「あ、あたしはアップルパイパフェとアイスティー」

「了解了解。少しお持ちくださいねー」

 お嬢様はやっぱりパフェをご所望のようだ。


「お待たせしました、アップルパイと水出しコーヒーでーす」

 和モダンのプレースマットが広げられたテーブルの上に、北欧風デザインの平皿に盛りつけられたアップルパイがやってきた。木製のカトラリーも一緒に並べられる。

 甘い林檎の香りとバターの風味を豊かに漂わせるパイのピースには、生クリームとバニラアイスが添えられている。皿の余白にはデザートソースで模様が描かれ、ミントの葉が鮮やかに全体の印象を引き締める。

 見るからに美味しそうな完璧なアップルパイだった。

「「おぉーっ」」

 思わず声をあげると亜美とユニゾンでハモっていた。

「これはパフェも大期待ですねー!」

 亜美がいまにもヨダレを垂らさんばかりに締りのない口をパクパクさせている。


「どーぞー、アップルパイパフェでーす」

「うひょーきたー!」

 亜美は小躍りする勢いで奇声を上げると、パフェグラスを忙しなくいろんな角度から眺め始めた。

 まぁ、喜んでいるようなのでとりあえずは良かったか……ん? パフェグラスの盛り付けはこうで――自分の皿を見てみる。もう一度パフェグラスを見る。

「あのさぁ……亜美」

「っんぐ?」

 既に口いっぱいにパフェを詰め込んだ亜美は、スプーンを持った手を止めて眼をぱちくりさせながらこちらを見る。

「そのパフェとさぁ……俺のアップルパイって同じじゃねぇ……? 載ってる皿が違うだけで……」

「はぐぅ?」

「いや、だって生クリームとバニラアイスだろ……同じだよな。まぁ、ちょっとフルーツ載ってるけどさ、そっちは……」

「ぼなじゅじゃにゃいでずじょ」

 口にもの入れたまましゃべるんじゃない。って、ばあちゃんによく云われたな。

 亜美は口を数回もぐもぐさせてからアイスティーを勢い良く飲むと、

「同じじゃないですよ! パッケージングと魅せ方を変えれば、それはもう別物ですよ! ヒレカツ定食も丼に載せちゃえばソースカツ丼ですよ!?」

 口角泡を飛ばしながら力説を始めた。

 うっ、なんか否定できない気もする……そーっすよね。


「ところでネタってのは何だったんだよ?」

 アップルパイにフォークを刺しながら亜美に尋ねる。

「いやさー、昨日、学校の図書室に行ったんだよね」

「図書室?」

 夏休みにわざわざ学校の図書室に行くなんて、意外に亜美は読書家なのか?

「借りてた本を返してなくてさー。さすがに三ヶ月も過ぎちゃってると返しに行きづらくて。ははは、ウケるでしょ!? 夏休みにこそっと返しておけば被害が最小で済むかなーっと」

 なんのことはない、ただのズボラだった。

「そんなに面白い本だったのか?」

「面白いよー、『世界の蛹大図鑑』稀に見る良書だねアレは」

「――それ見て楽しいのか……?」

「楽しーいよー! だって芋虫が蛹の中でまったく別の形になっちゃうんだよ!? すごくない!? 意味わかんないよねー」

 確かに意味がわからんな、マニアック過ぎて……将来は昆虫学者の適性か。

「ネタってまさか『この蛹がスゴい!』とかじゃないよな……」

 一抹の不安を感じながら恐る恐る聞いてみる。

「――んなわけないでしょ。ってか、蛹バカにしてない? まぁ、龍ちゃんみたいな凡人にはあの素晴らしさはわからないだろーけどさ。って、そーじゃなくて、学校から帰る時にさ、茜っちを見かけたんだよね」

「あかねっち、って下田茜?」

 勝手にあだ名を付けたのか……こいつホントに自由だな。

「そうそう、んでさ、茜っち友達といたんだよね。アタシも見たことある子でさ、茜っちとは違うクラスの子だよ。でも、仲良しグループの子じゃないんだよねー。えらく親しげでさー。こりゃ、なんかあるんじゃなかろーかとビビっときたんだなー。んで、コソッと尾行なんぞしてみたわけよ」

 ふふん、と得意げな様子で亜美は顎を少し突き上げる。

「そしたらさ、途中でね、なんと仲良しグループの面々に遭遇したんだよね。んで、そこで事件が起こったんだよ。いやー、まさかあんなことになるだなんてねぇ……」

 亜美は途中から声を潜めると、意味ありげに視線をテーブルに落とした。なんとも非常にわざとらしい……。

「で、何があったわけ?」

 俺はつまんない感たっぷりに片肘ついて顎を支えながら訊いてみた。

「かぁー、これからだってのにもーこの人は! 情緒に欠けるねーまったく。もっと喰い付けよ! 前のめりにガツガツこいよっ!」

 演出を理解しない大根役者に熱く演技指導をする舞台監督みたいなことを云ってくる。今日も外連味絶好調だな。

「まぁ、いいか。話して進ぜよう。何が起こったかというと、なんとお二人さん、仲良しグループに肉眼で目視される前にパッと別れたんだよ」

 仲良しグループは肉眼意外の何かでも目視ができるんだろうか。みなさんセンサーでも搭載してんのか?

「で?」

「で? じゃない。重要でしょ、これは」

 亜美が呆れたようにため息混じりに云う。

「どのへんが?」

「学校のグループって序列もあるし対立もある。グループ内の順位だってある。ダサいグループの子と連んだらランクが落ちるし、グループの誰かが好きな男子と勝手に仲良くしたら全員から無視される。もちろん、そんなことした子と仲良くしてもダメ。そんなの今に始まったことじゃないでしょ?」

 まぁ、確かに俺の時にだってその手の不可視なルールはあったと思う。これって学校という集団の必然なんだろうか。

「茜っちはたぶんだけどさ、グループ内の立ち位置は微妙なんだと思うよ」

「そうなのか? なんで?」

「だってさー、可愛い子は基本、嫉妬の対象じゃん? 少しでも勝手なことすると次の日から弾き出されちゃうよ、きっと。妬み嫉みに突き動かされた女子の仲間はずれは怖いからねー」

 ちょー陰険だからねーっと亜美は平坦な抑揚で付け加える。

「じゃあ、下田茜はグループの連中にはその子と仲良くしてるのを知られたくなかったってことか?」

「でしょう。きっとバレると面倒くさいことになるんだろうね。あーやだやだ。そのへんの居心地の悪さってのはバッチリ悩みの原因になるんじゃないの? ってか、なるっ!」

 自信たっぷりに言い切ったよ、この人。

「でも、それって誰にも知られたくない種類の悩みなのか? 誰にも相談できないのか? そこまで重い話じゃないような……」

「ホントわかってないよねー、椎花さんが云ってたじゃん。中学生は世界が狭いって。そーいうことだよ」

 急にトーンを低めて亜美が呟くように云う。

「ホント狭いんだわ、世界が」

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