【16】
気が付くと雨はやんでいた。
椎花は独白が終わると自室へ戻っていった。発熱のためなのか、いつもよりも感情的に話しているように感じられた。
すっかり冷めてしまった紅茶を一口啜るとつばき嬢が、
「淹れなおしますね」
と手際よくティーセットを片付けてラウンジから離れていった。
俺は静まり返ったラウンジに独りでため息を響かせながら椎花のことを想った。彼女が厭世的で傲岸不遜に見えた理由。おそらく、自身に不要なものを削いで己に忠実になった結果なのだろう。それが良いのか悪いのか、好ましいか好ましくないのか、それは次元の異なる別の問題なのだ。他人にどう評価されるのか、どう見られるのかということは、彼女の有限な人生においてはまったく重要ではないのだ。これは万人に共通する真実なのだろうか。一般化し得る知見なのだろうか。どんな人間の人生も有限だ。だとしたら、自分が煩わされている物事はなんだというのだろうか。
そんなことを考えているとつばき嬢が戻ってきて二人分の紅茶を淹れてくれた。
「――さっきのお姉ちゃんの話し。あれは私に向けたものなんです」
ティーテーブルの向かい側に座るとつばき嬢は静かに説明をしてきた。
「どういうこと?」
てっきり椎花は俺に云っているんだとばかり思っていた。
「お姉ちゃんは小さい時から本当に大事にされてきました。……なにせ蛇戸の巫女ですから。それはもうすごいんですよ。どこかの王国のお姫様でもこうはいかないんじゃないかってぐらいです」
まぁ、百年ぶりの巫女だったんだから、さぞやすごかったんだろうな。いろんな思惑を抱えた大人がたくさん寄ってきただろうことは想像がつく。
「私はお姉ちゃんが羨ましかったんです。みんなに優しくしてもらえて、褒めてもらえて、何でも叶えてもらえて。――私がお姉ちゃんになりたかった」
つばき嬢が紅茶にミルクを注ぐと、琥珀色に満ちていたティーカップに象牙色の渦がゆっくりと広がっていく。
「お姉ちゃんは何をしても自由でした。そして、私にはそれが不満でした。あれもダメ、これもダメ、私は制約だらけ……幼い私が不満を募らせても仕方のないことでしょう」
そう云うとつばき嬢は整った顔に薄い笑みをゆっくりと浮かべた。
「そんなある時、お姉ちゃんのわがままが許されるのは七歳までなんだと教えてくれる人がありました。だからそれまで我慢しなさいと。――それからというものの、私はお姉ちゃんが早く七歳にならないかと心待ちにするようになりました。――七歳の意味するところも知らずに」
「でも、お姉ちゃんは七歳を過ぎても何も変わらなかった。そのまま自由で、わがままが許されて……私は許されないままでした。お姉ちゃんは相変わらず大事にされて、優しくされて、何でも思いのまま……」
一瞬の間を置いてから、つばき嬢の桜色をした唇がかすかに震えて再び動きだす。
「だから、そんなお姉ちゃんが大嫌いでした。いなくなればいいのにと思っていました。お姉ちゃんがいなければ私は自由になんでもできる――――でもどうしてもお姉ちゃんが可哀想で……見ているのも辛くて……どうしようもなくて――側にいてあげたいのに……なのにお姉ちゃんが憎くて……」
俯いて小さく肩を震わせるつばき嬢は、道に迷った子どものようだった。
「――そんな自分が……一番嫌いなんです」
つばき嬢は泣き出しそうなところをどうにか堪えながら、きつく唇を引き結んだ。




