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ソーダバー・ストラット  作者: 藍澤ユキ
15/24

【15】

 その後、ばたばた出入りしているつばき嬢から来客用の寝間着を借りて、俺も濡れた服から一応着替えることができた。しかし、なんだか非常に落ち着かない。まぁ、乾燥機を使わせてもらったので、すぐにでも乾くだろう。それまでの辛抱だ。

 洗濯室で乾燥機を仕掛けてから隣のリネン室の前で待っていると、椎花の着替えが終わったらしく中から声が掛かった。


 着替えの済んだ椎花を二階の部屋へ背負っていく。背中からは柔らかな感触と、尋常じゃない熱と湿度が伝わってくる。椎花はさっきからうわ言を繰り返していて、たいぶ辛そうにしていた。

 二階へ上がり椎花の部屋へ入ると、かなりの広さにも関わらず室内にはあまり物がなかった。簡素なクイーンサイズのベッド、アンティーク調のデスクとドレッサー、それとよく整理されている本棚ぐらいだった。

 ベッドの上に椎花をゆっくり下ろすと、つばき嬢が上掛けでそっと包んだ。

 つばき嬢によると、背中の跡には痛みなどはないらしく、仰向けに寝かせても問題ないということだった。

「こういうことはよくあるの?」

 椎花の顔をじっと見つめているつばき嬢に尋ねた。

「時どき発作が起きます。そんなに頻繁にあることじゃないんですが……」

「療養ってこのために……?」

「ええ……」

 いろいろと尋ねたいことは浮かんできたがやめておいた。

「他になにか手伝えることある?」

「いえ、もう大丈夫ですよ。ありがとうございます。お小夜さんがもう少しすれば帰ってきますから」

 つばき嬢はこちらを向いてゆっくりと微笑んだ。

 少しの沈黙が訪れる。

 静まり返った室内に雨音と一緒に椎花の寝息が聞こえ始めた。

「眠ったみたいですね。一休みしましょうか。お茶、淹れますね」

 寝入ったことを確認するようにつばき嬢は姉の頭を優しく撫でるとそう云った。


 

 二階にあるラウンジのティーテーブルに座るとつばき嬢が紅茶を用意してくれた。

 雨に濡れて少し身体が冷えていたので、紅茶を口にすると全身が弛緩していく感覚があった。

「雨、やまないね……」

 俺は窓の外を見ながら、なんとなく間が持たなくなって口を開いた。

 正面に座ったつばき嬢も窓の外へ視線を向ける。

「昔からなんです。お姉ちゃんはいつも周りの人に優しくされてきました。みんなお姉ちゃん――みんなが見ているのはお姉ちゃんなんです」

 どこか遠い目をしながらつばき嬢は淡々と続ける。

「過去、七座の女児には同じように発作を起こす者が度々あったそうです。それにならえば――お姉ちゃんの今は余生なんです」

「――余生……?」

「ええ。記録によれば、背中に蛇のような跡が浮き出た七座の女児は全員が七歳までに亡くなっているんです。なので、お姉ちゃんも長くて七歳までしか生きられないと思われていました。でも、そうはならなかった。お姉ちゃんは七座の歴史で初めての例外なんです」

「……例外?」

 何を云ってるんだ。理解が追いつかない。

「――お姉ちゃんはあとどのくらい生きていられるかわからないんです」

 つばき嬢は長い睫毛を伏せながら俯いた。ちょっと待ってほしい。

「えっ、そ、それは病気が……なんで……?」

「――近親交配による先天性遺伝疾患だ」

 唐突に後ろから声がして振り返ると、そこには寝間着姿の椎花が立っていた。顔は上気していて足元も覚束ない様子だ。

 椎花は俺たちの側まで歩いてくるとラウンジのソファーへ緩慢な動きで乱暴に座った。

「――聞いたことぐらいあると思うが……近親交配を繰り返すと血族特有の異常疾患が発生しやすくなる。人間は昔から経験的にそのことを知っていたので、共同体によっては同姓不婚などの近親交配が起こらない仕組みを導入していたんだ。……しかし、七座とここ一帯の村落は近親交配を意図的にやっていた」

「……意図的に? どうして!?」

「――『蛇戸の巫女』だ。背中の蛇は巫女の証し。そしてそれは遺伝疾患だ。そのことを十分にわかっていて人為的に生み出そうとしたんだよ。遺伝疾患を発現させるために、伝承や習わしとして近親交配を強要してきたのさ……」

「……そんな。そうまでして巫女が必要だったのか!?」

「巫女が本当に異能の力を持っていたのかどうかはわからない。しかし、そうした信仰が深く共有されていたのは事実だろう。共同体を維持していく手段のひとつとして、呪い(まじない)が有効に機能することは世界中の歴史が証明している」

「そ、それっていつ頃の話なんだ? 今はそんなこと許されないだろ?」

 今は近親婚が法律で制限がされているはずだ。

「――百年前までは続いていた。この慣習によって生み出された最後の巫女は……自分の名前も自分では認識できず……歩くこともままならなかったそうだ」

 淡々と続く椎花の声を聞きながら、吐き気がこみ上げてくる気配を感じた。人間が自分たちの都合で同じ人間を蹂躙するおぞましさ。

「あたしの病は勝手な幸せを願った人々のエゴと、それを叶えてきた先祖の罪なのさ」

 そう云うと椎花はソファーの背もたれに頭を預けて天井を仰いだ。

「そんなの理不尽じゃないか……」

 そう云いながら、俺は手のひらを載せている自分の両膝が震えていることに気が付いた。

「その……どのくらい生きられるかわからないって云ってたけど、治ることはないのか?」

「原因だってハッキリわかっていない。……おそらく遺伝疾患だと考えられるってのが限界なんだ。年々、体力や抵抗力は低下してきている。今はゆっくり進行しているが……この先どうなるかの保証はない」

 椎花は天井を仰いだままじっと睨みつけるようにしてそう云った。


「…………」

 なんと云えばいいのかわからなかった。同情を示せばいいのだろうか。一緒に嘆けばいいのだろうか。励ませばいいのだろうか。はたまた、世界を呪えばいいのだろうか。俺は今日まで身内の死にも立ち会ったことがない。父方の祖父は亡くなっているが、物心つく前のことで記憶には残っていない。後付の知識としてしか死を知らないのだ。なので、日常にいきなり切りだされた死の身近さをどう理解して扱えばいいのかがわからない。死は常に隣に存在していて必ず訪れる未来だというのに。

 そんな俺の戸惑いを見透かしてか、椎花は軽口を叩くかのような調子で続けた。

「あぁ、悪いな。こんな話しを聞かせて……でもな、これは全然たいしたことじゃないんだ……あたしは自分の境遇を嘆いたり絶望したりなんかしてない。健全な他人を羨んだり妬ましく思ったりもしていない。そういうのはもう終わってんだ。そもそも、そんなくだらないことに費やせる時間……あたしにはないんだ」

 椎花は天井からゆっくり視線を下ろしてくると、最後にしっかりと俺の眼を見据えてそう云った。熱で上気した顔をしているが、彼女の眼は生気に溢れ、力強い光を湛えていた。

 俺はそんな彼女の眼を直視していられなかった。彼女の言葉にも激しく動揺を覚えた。絶望していない? 他人を羨んでいない? 彼女の状況であれば許されることじゃないか。誰も責めたりなんかしないはずだ。なのに彼女は絶望していないと云う。――それは困る。俺は既に絶望してすべてを諦めているんだから。惰性で生きているんだから。彼女がそんなんでは、俺が許されなくなる――。

「なんでそんな風に云えちゃうんだよ……」

「――苦しんだから」

 椎花はため息を吐き出すように云った。

「――人間ってのは至極残念な生き物でね。知識や知恵を蓄積して共有する手段を持っているのに、それを自分のモノとして血肉にすることがなかなかできない。実際に自分自身で経験しないと……本当に理解することはできないんだ。他人の経験や知識だけでは絶対的に足りないのさ」

 唇を人差し指でなぞりながらソファーの上の少女は続ける。

「――自分で苦しみもがき、傷ついて血まみれにならないと次へ進めない。可哀想な生き物なんだ。人間は」

 一旦言葉を区切ると椎花はゆっくりと窓の外を見やった。

「誰も避けることはできない。みんなのた打ち回るのさ。自分だけが苦しいわけじゃない。いつまでも被害者ではいられないのさ……」

 そう云いながら椎花は俺の眼を見ると次につばき嬢の方へ視線を向けた。

「――などと云ってみたところでお前たちには伝わらないだろうな……これはあたしが自分で苦しんで理解したことだ。お前たちも自分自身で対峙しない限り苦悩から開放さることはないだろう」

 椎花は唇を少し舐めると更に付け足した。

「――いや、解き放たれることはないのかもしれない。煩悶し続けながら折り合いをつけていくのが生きるということだから」


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