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ソーダバー・ストラット  作者: 藍澤ユキ
10/24

【10】

 我々は隣の七座邸へと向かった。門を抜けてテラスへ廻って行くと、椎花が最後に見た時と同じようにテラスの椅子で文庫本にかじりついていた。

「お姉ちゃん、ただいま」

 つばき嬢が声をかけるとめずらしく顔を上げた。いや、妹にはちゃんと反応するというのが正解か。そのまま我々一行に胡乱な視線を投げかけてくる。

「なんだ、ぞろぞろと賑やかだな」

 声の調子からは迷惑がっているのか、面白がっているのかよくわからなかった。顔にはどちらとも取れそうな薄い笑みを浮かべている。

「実はね、お姉ちゃん……」

 つばき嬢は少し躊躇いがちに事情を説明し始めた。

 ひと通りの事情を聞き終えると椎花は「ふうん……」と云って両腕を頭の後ろへ回し、宙に視線を泳がせた。

「蛇戸のお参りじゃダメなのか?」

 宙を眺めたまま呟く。「巫女に固執するわけでもあるのか?」

 椎花は姿勢を変えずに眼だけを下田茜へと向ける。

「ご神託をいただきたいのです」

 ごくっと小さく喉を鳴らしてから下田茜が答えた。「すべき行動を型人形が示してくれるとおばあちゃんから聞きました」

 椎花をじいっと見つめる。カタニンギョウって何のことだろうか。

「御祖母はかなりお詳しいようだ」

 見つめられた椎花は下田茜の方へ身体ごと向きなおして続ける。

「しかし、残念ながらここにはもう巫女はいない。型人形に言霊を吹き込める人間もいない。習わしは途絶えてしまった」

 今度は椎花が眼を眇めてじいっと下田茜を見つめ返す。

「……そうですか。おばあちゃんの力になりたかったんですが……」

 下田茜は睫毛を伏せながら頻りに頬を右手で撫でていた。

「まぁ、しかし、関連する文献がウチにいくつか残っているはずだから、少し調べてやってもいい。とはいえ巫女がいないことには変わりはないのだがな」

 尊大に振る舞う椎花に一縷の希望を提示された下田茜は、藁にもすがるといった感じで前のめり気味に喰い付いた。

「本当ですか!? よろしくお願いします!」

 そう云うと勢い良く頭を下げた。

「あぁ、だが少し時間はもらうぞ」

 云いながら椎花の眼はもう文庫本に戻っていた。

 そんな二人のやり取りを落ち着かなさげに見守っていたつばき嬢は安堵した様子で、

「お茶をお持ちしますね。みなさんそちらへ掛けていてください」と中へ入っていった。

 行きがけ、椎花に「ありがとう、お姉ちゃん」と声をかけていたが、椎花は「あぁ」と気のない返事をするだけだった。


「辰巳屋ぁ、そういや、おまえはなんでいるんだ?」

 つばき嬢がお茶の用意をしている間に椎花に絡まれた。

「いや、行きがかり上ね……」

「ちょっとこい」

 椎花が手招きをしている。下田茜と一緒に座っていたテーブルを離れて椎花の側までやってきた。椎花は更に手招きをする。

「耳を貸せ」

 中腰になって椎花の近くへ寄ると、彼女は勢い良く身を乗り出して耳打ちしてきた。その動きに合わせて椎花のほのかに甘い匂いが香ってくる。瞬間、無意識に小さく息を吸い込んでしまった。

「おまえ、下田茜を送ったらもう一度戻ってこい。いいな」

 湿った熱を含んだ椎花の吐息が耳を擽り、抑えられた声は妙に艶めかしく鼓膜に響いた。背筋にはぞわっと電流が走り、全身の毛穴が一気に広がる。

「ん、あぁ」

 どうにも違うことばかりが気になって生返事になってしまった。


 その後、つばき嬢が出してくれた冷茶を飲み終わると、俺と下田茜は七座邸を辞した。下田茜は例の急坂の下に住んでいるそうで、坂下まで一緒に行くとそこで別れた。

 俺は自転車で少しだけ道なりに進んでみてから、素早くUターンをすると一気に急坂を駆け登った。


「家の近くまで送ってきたよ」

「あぁ、ご苦労」

 椎花がテーブルの横にある椅子を指し、そこへ座るように促してきた。

 テーブルへ着くとつばき嬢が淡い水色のグラスに氷を浮かべたソーダ水を出してくれた。グリーンのストローに白のコースター。眼にも涼やかといった色味だ。

 椎花はソーダ水を一口飲んでストローから唇を離すと、おもむろに話しを始めた。

「蛇戸の巫女は百年前にはもう廃れていた。だから、下田茜の祖母も直接巫女を知っている訳ではないだろう」

「廃れた?」

「そう。後継者がいなかった。七座には巫女の条件を満たす女児が絶えたのさ」

「巫女は血族じゃないとダメだったのか?」

「……まぁ、そういうことだ」

 椎花は一瞬言い淀むように間を開けてから答えると、ソーダ水をもう一口飲んで続ける。

「ところで、人が神仏に頼るのはどういう時だと思う?」

「そうだな……最終的な段階にある時じゃないのか? できることはすべてやりきったとか、もうどうにもならないとか、人知が及ばないとか……」

「最後の望みを託すといったところか」

「――じゃないのか」

「では、確実性の疑わしい迷信に嘘までついて頼らざるを得ないのはなぜだと思う?」

「嘘?」

「下田茜はおそらく嘘をついている。人間は嘘をつくとバレないように表情や言葉、声のトーンに注意を払うようになる。それと同時に、そうした行為に対してうしろめたさを感じて、無意識的にごまかそうともする。そしてその葛藤はボディランゲージとなって表に出てくる」

「ボディランゲージ……?」

「あぁ、それなりにサインを発していたよ。想像するに、神託を求める理由に嘘があるんじゃないのか。きっと別の理由がある」

 そう云いながら椎花がグラスに刺さったストローをくるくる回すと、カランとグラスの中で氷が鳴った。

「あのさ、ちょっと聞くけど、そもそも神託ってどういうものなんだ?」

「あぁ、そうだな。まず蛇戸の巫女が型人形という紙で作った憑代に『神の声』と云われる言霊を吹き込む。そして、その型人形を枕に敷いて眠ると、夢見に神託を授かることができるとされていたんだ。蛇戸の巫女は一般的な神降ろしを行うシャーマンとは異なり、自身で神託を伝えるということはなかったんだ。あくまで『神の声』の媒介役なんだ」

「つまり下田茜は、その『神の声』が吹きこまれた型人形がほしいということなのか?」

「そういうことだろうな」

 右手に持ったストローを並びの良い前歯で噛んだり離したりしながら椎花は答えた。

 ここでひとつの疑問が湧いてきた。

「問題を具体的に巫女に明かさなくても神託は得られるのか?」

「良い質問だ。なかなか鋭い」

 椎花がほんの少しだけ口の端を釣り上げた気がした。

「具体的に明かさなくても神託は得られた。ただし、すべの人が神託の意味を理解できたわけじゃないから、巫女が神託の解釈を助けるということはあったようだ」

 椎花の指先で踊っているストローの先はもうぼろぼろだった。

 すると、それまで傍らで黙って話しを聞いていたつばき嬢が小さく漏らす。

「ごめんね、お姉ちゃん。そんなことだとは思わなくて……」

「別に気にするな」

 椎花は軽い感じで返す。

 なんだかここの妹は姉に気を遣いすぎな気もする。

「それより、下田茜の理由、知りたくないか?」

 独り言のように空中の一点を見つめながら椎花が呟いた。

「でも、嘘をつくってことは、知られたくない理由なんじゃないのか? 詮索するのは何だか気が引けるような……。ってか、なんでそんなに関心を持つんだ? ちょっと意外な感じがするけど」

 おそろしく整った椎花の横顔を見つめながら尋ねると、なんともいたずらっ子のような笑みを浮かべて答えを返してきた。

「いやなに、ちょっと日々の娯楽が足りていないんでね」


 それから三人で話して(つばき嬢はオブザーバー状態だったが)まずは下田茜の祖母がどういった状況にあるのかを、確認することになった。

 ――――俺が。

 有無も言わさぬ高圧的な態度で椎花から強制的に役務を与えられてしまった。やはり『自己中心的で傲慢なやつほど世の中は棲みやすくできている』というのは人生の真理に他ならないようだ。

 しかし、下田茜の祖母のことをどうやって調べたものか。そんなことを考えながら自宅へ帰ってくると、この問題はいとも簡単にあっさり解決した。

 母親に下田家の祖母を知っているか尋ねたところ、普通に知っていたのだ。なんでも三ヶ月ほど前に確かに足を痛めたらしいのだが、今は全快していて元気に家庭菜園に勤しんでいるらしい。最近はトマトに嵌っているとか。気落ちしているような素振りは全然ないらしく、『下田のおばあちゃんは喋り出したらそりゃもう止まらない』そうな。あと、訊いてもいないのに下田茜が学校で成績上位の優等生だけど、おとなしくて運動がいまいち得意ではないこと等など、余計な情報も一緒に提供されてきた。

 なんでも、これらの情報はこの辺のコミュニティでは普通に共有されているらしく、母親が特別に詳しいということでもないらしい。恐るべし田舎ネットワーク。この調子じゃ、俺もどんなすてきな話題を周辺のご家庭に提供しているのかわかったもんじゃない。そう考えたらぶるっと身震いがした。

 まぁ、とにかく田舎ネットワークの恐ろしさを思い知ると同時に、椎花の下田茜に関する見立ては正しいことがわかった。

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