004 再会
窓の外がぼんやりと明るくなりはじめる頃、俺は屋外からの喧騒に叩き起こされた。
現在時刻は――部屋に時計が無い上、端末をまだ受け取っていないのでよく分からない。
が、窓の外の明るさを見る限りでは6時前後といったところだろう。
こんな時間に何事だろうかと、俺は窓から外を見渡す。
ちなみに、この部屋の窓は寮の裏手側にしかついていない。
「そういえば、結局昨日は窓の外もロクに見てなかったな。」
言ってから俺は口調を繕い忘れていることに気づく。
まぁ、周りに人がいない時の独り言くらいは良しとしよう。
窓の外の様子だが、見える景色の大半は学園の外に広がる街並みであり、当然、時間が時間なので人通りは皆無だった。
足元には寮の裏口から伸びる小道と裏庭が広がっているが、こちらも1人の学生が歩いているのみである。
「確かに人声は窓の外から聞こえてきているんだが・・・。」
首を傾げながら、俺は耳を澄ませて声のする方向を探る。
―――どうやら喧騒は野外演習場の方から聞こえてくるようだ。
「早朝の能力訓練か、部活動の朝練といったところか?ということは明日以降も続くと考えた方が良さそうだな。」
俺は内心で溜息をつく。
流石に毎日のように起こされては堪ったものではない。
「機会があれば誰かに対策を訊いておくか。」
さて、喧騒の正体が分かったのは良いが、こんな時間に目を覚ましてもやる事がない。
学園の始業は8時30分からで、俺の感覚が正しければまだ2時間半も余裕ある。
朝食を長く見積もって往復込みで1時間としたところで、1時間半はどこかで時間を潰さなければならない。
「散歩でもしてくるか。」
俺はそう呟いて窓から外に歩み出た。
寮の裏口には各部屋の窓との間を往復するエレベーターが設置されている。
さっき窓から外を覗いた時に偶然それを見つけたので、早速使ってみたくなったのだ。
裏口に降り立った俺は裏庭を鑑賞しつつ、小道を右手に進んで表通りに出る。
ところで、冷静に考えると今の俺は「早朝から窓伝いに部屋を抜け出して裏道を女子寮の方向に向かって歩く男子学生」に見えているのではなかろうか。
野外演習場の方から回るべきだったか?
「もっとも、今から戻るのもそれはそれで挙動不審か。」
一瞬だけ立ち止まって考え、結局そのまま進むことにした。
表通りに出たところから時計周りに構内を回ると、右手には巨大な別館校舎が、左手には駐車場、記念館、研究棟、文武館(図書館棟と体育館が併わさった建物のようだ)、実技演習棟などが立ち並んでいた。
人気は殆ど無かったが、唯一、文武館の1~2階部分だけは運動系のサークルが朝から活動しており、賑わっていた。
ちなみに、図書館棟部分はまだ開館していなかった。
残念。開いていればそこで時間を潰そうかと思っていたのだが。
一回り(厳密には半回りと言うべきか?)して生活棟の前まで来ると、早くも生活棟は営業を始めていた。
流石に入っている全ての店舗が営業しているわけではないようだが。
「いい機会だ。どんな店があるのかくらいは見ておくかな。」
そう言って俺は正面入り口から中に入る。
昨日は往復とも屋外エレベータを利用したので、正面から入るのはこれが初めてということになる。
どうやら、1階部分は食料品や生活雑貨を扱うスーパーマーケットのようだ。
例によってこの建物は堂々たる洋風建築なわけだが、中に入るとどこにでもある日本のスーパーマーケット・・・そのギャップは最早、海外にある日系スーパーのそれである。
「なんだかなぁ。」
俺はそう呟きつつ、俺は品揃えをチェックしていく。
「当然のように生鮮食品類も売られているが・・・寮に自炊できる設備なんてあったか?」
レストランが無料で使えるので、仮に調理スペースがあったとしてもさほど需要は無いように思える。
少なくとも、昨日見た限りではプライベートスペースや部屋の共用スペースには見当たらなかった。
フロアに1つか寮全体に1つくらいの割合でどこかにあるのだろうか。
「ま、帰りにでも探してみるか。」
何せ時間は有り余っている。
「他も・・・まぁ、良くも悪くも普通のスーパーの品揃えだな。」
残念ながら特に面白そうなものは見当たらなかった。
ただ、品揃え自体は良いので何か必要になればここに来れば大抵のものは揃うだろう。
1階をあらかた見終えた俺は、階段を昇って2階から順にフロアを見て回った。
どうも、2階~5階までは専門店が集められたフロアらしい。
服飾店、靴屋、電機店などの生活必需品を扱う店、病院、床屋、娯楽施設などのサービスを扱う店など、生活に必要そうな施設はあらかた揃っていそうだ。
なるほど、学園内だけで生活が完結する生徒が居るというのも頷ける。
ただ、このあたりの店はまだ営業を始めていないらしい。
閉まっている店を眺めていても面白く無いので、早足に見て回る。
当然、時間潰しという当初の目的は果たされていない。
「ま、朝食だけ摂ったら、帰って寮の探索でもするか。」
そう思って6階に向かって階段を昇ろうとしたその時、階段の横に妙な空間があることに気づいた。
一見、壁に見えるのだが――。
「これは・・・光学迷彩能力?」
光学迷彩能力とは、言葉通り光子制御によって光学迷彩を施す能力である。
振動数制御によって外に出る光を調整することで、例えば今のように店を壁に見せ掛けたりすることができる。
「でも、制御が甘いね。べったり同じ色を敷き詰めるとか、明らかに不自然だと思うよ。」
人がいることを意識して口調を繕いつつ、俺は光学迷彩の解除を試み・・・出てきた店に絶句した。
「なんで銭湯?」
わざわざ隠す意味が全く分からない。
「まぁ、営業はしてるみたいだし、時間潰しには丁度いいかな。」
部屋にはシャワーしかなかったのだが、俺は基本的に風呂派だ。
朝風呂と洒落込むことにしよう。
俺はドアを潜って店に入ることにした。
「いらっしゃいませ、滝川温泉へようこそ。男湯は右手奥になっております。」
中に入ると、1年の制服を着た女子学生に何事も無かったかのように迎えられた。
軽く巻いた癖毛がチャームポイントの小動物的な可愛さを感じる小柄な女の子だ。
「ああ、親切にどうも。タオルとか借りれる?」
「はい。脱衣所の中にスタンドが設置されておりますので、ご自由にお使いください。」
「脱衣所のスタンドね。ありがとう。」
「ごゆっくりどうぞ。」
・・・
・・・
・・・
「いや、そうじゃないよね。」
あまりにも自然な遣り取りに、思わず流されそうになってしまった。
「はい?」
「いや、案内するより先に説明することがあるよね?何ででただの銭湯に光学迷彩なんて掛けてるの?何で何事も無かったかのように接客しようとしてるの?そもそもこの学園ってアルバイト禁止だよね?」
俺は一息で捲くし立て―――息が切れた。
「???・・・先輩は、先輩ですよね?」
女の子はなおも状況が掴めない様子で、意味の通らない質問をしてくる。
「えっと、俺がこの学園で君の先輩にあたるか?という意味ならYesだよ。」
「Hidden Facilitiesのことはご存知ですよね?」
「Hidden Facilities・・・隠された施設?」
「はい。」
どうやら、この学園では誰もが知っていることらしい。
「実は、今日から転入なんだよね。」
「そうだったんですか。では、僭越ながら概要を簡単にご説明させて戴きますね。」
――彼女の説明を要約すると、この学園の一部施設は何らかの能力によって隠蔽されており、それを見破ることによってのみ利用可能になるらしい。(解除までする必要はなかったらしく、俺がやったことは徒骨だったようだ。)
これらの施設は学習の一環として学園の指示で設置されているようだ。
隠蔽に使われる能力は多岐に渡っており、水中や地中に施設が存在することもあるらしい。
ちなみに、地瀬学園では原則としてアルバイトを禁止しているが、学内施設の運営に関しては申請を出せば能力の有無を問わず許可される場合が多く、この銭湯でも彼女以外に浄水、清掃、空調、警備などを担う学生が数名、働いているとのことだった。
「なるほどね。ちなみにこの・・・Hidden Facilities?これを使う条件って、能力者でない学生についても同じ扱い?」
「能力者でなくても、研究者コースの皆さんは地瀬学園が誇る優秀な能力研究者の方々ですから。Hidden Facilitiesに到達するのは、むしろ研究者コースの方々のほうが早いくらいでして・・・。」
「確かに、見破るだけで良いならそうかもね。ちなみに一般の方は?この施設なんかは、一般の方が使ってもおかしくないと思うけど。」
「積極的には公開していませんね。ごく稀に、存在に気づいて入ってこられる一般のお客様もいらっしゃいますし、学生の紹介でいらっしゃる方もおられますが。」
「紹介はアリなんだ。」
「あ、学生同士は禁止ですよ。施設の情報を遣り取りしたりするだけでも罰則があるので、気をつけてくださいね。」
まぁ、それは当然の措置だろうな。
「よく分かったよ。ありがとう。」
「いえいえ、どういたしまして。ごゆっくりどうぞ。」
気になっていたことを一通り訊き終えたので、俺は彼女に礼を言って浴室に向かう。
それなりに長い間話し込んでいたので、期せずして良い暇つぶしにもなったように思う。
ちなみに、「ところで、代金は?」ということに気づいたのは、既に脱衣所に入った後のことだった。
「そんなに広くはないんだな。もしかして、Hidden Facilityにしてるのは公開すると人が入りきらないからか?」
――というのが、服を脱いで浴室に入った俺の素直な感想(邪推?)だった。
もっとも、Hidden Facilitiyであるせいか早朝であるせいか、幸いにして俺以外に客はいなかったので、特に不満を感じることはない。
浴槽は縦に長い岩風呂になっており、川を模しているようにも見える。
「滝川温泉ってまさか、名前の由来は崇徳院の俳句か?」
それにしては川に分岐と合流が無いのが解せないが、その辺はスペースや予算の都合なのだろうか。
「ま、そのうち訊いてみるか。」
寮にシャワーしか無い以上、かなりの頻度で世話になるだろうからな。
そんなことを考えながら、俺は存分に温泉を堪能するのであった。
温泉を出て(ちなみに利用料金は学園生については無料とのことだった)階段を昇り、レストランで朝食を摂り終えると、時刻は8時になろうとしていた。
「そろそろ丁度良い時間かな。」
俺は一旦寮に戻って鞄を持つと、事務棟で端末を受け取ってクラス教室に向かった。
転校が頻繁にある現代では転入日にそのまま教室に直行することが普通になっている。
余談だが、転出する際も特に本人が公開しない限りは最終登校日に何食わぬ顔で帰っていつの間にか居なくなることができる。
いずれの場合も、転入・転出の日を以って初めて情報が公開され、しかも転出先・転入元の情報は辿ることができないようになっている。
情報管理の観点からは当然の措置のように思えるが、法制定時には企業連合から猛反発があったらしい。
明言はされていないが、未だに学歴を頼りにした新人採用を続けていた化石のような企業が相当数あり、様々な理由をでっち上げて反対していたらしいというのが通説だ。
閑話休題。
「さて、ここだね。」
俺は転入する予定の2-Bクラスルームの前に立って扉を開け、適当に一番奥の席に腰掛けた。
さりとて、することもないので手持ち無沙汰に先ほど受け取った端末を操作し、地瀬学園のイントラネットにアクセスしてみる。
「うん、問題ないみたいだね。」
落ち着いた色調の上品なトップページが目の前に浮かび上がる。
・・・使われている画像がこの学園の建築物だとは到底思えない。
俺はコンテンツの中から『学園生活の手引き』と書かれたもの選び、目を通していく。
「構内図はもう大体覚えたし、Hidden Facilitiesについてはさっき説明してもらったからいいや。講義概要は来る前に目を通して既に科目を選択してあるし・・・お、生活棟と図書館棟の営業時間表があるな。」
――そうこうしているうちに、5~6分くらいが経過しただろうか。
周りに人が増え始め、騒がしくなってきた。
それだけでなく、心なしか視線が俺に集まっているような気がする。
気になった俺は端末を一旦スリープさせて顔を上げる。
すると、隣の席で昨日会ったばかりの少女が手を振っていた。
「やっと気づいたね。おはよう矢島君。」
なるほど、やけに視線が集まっていた原因はこれか。
「おはよう神野さん。まさか、本当に同じクラスになるなんてね。」
「私も吃驚したよ。」
昨日はフラグめいたことを言っていた彼女自身も、まさか本当に同じクラスになるとは思っていなかったらしい。
ところで、俺が挨拶を返した瞬間に冷たい視線が突き刺さったように感じたのは気のせいか?
そう思って目で周囲を伺うと、神野さんを挟んで俺と反対側の席からショートボブの小柄な女の子が俺を睨んでいるのが見えた。
目線を返すと、その子はさっと神野さんの影に隠れた。
――???
どうも、嫌われているというよりは警戒されているように思える。
「ところで、後ろの子は知り合い?」
互いに無言で様子を窺っていても仕方ないので、神野さんに聞いてみる。
神野さんの横から再び顔を覗かせた女の子が「余計なことを・・・」とばかりに睨みつけてくるが、気にしないことにする。
「あ、七海のこと?中学の頃からの友達で寮のルームメイトだよ。七海、この子が昨日話してた矢島君。」
「十倉七海。」
神野さんの紹介を受けた女の子は不承不承といった感じで名前だけを告げ、机の方に向き直る。
「あ~・・・気を悪くしたらごめんね。七海って人見知りが激しいから。」
「大丈夫、気にしてないよ。」
初対面の女の子ならそんなものだろう。
それに、前に向き直った後も横目でチラチラとこちらの様子を窺っているのが分かると、微笑ましく思えて怒る気も失せようというものだ。
俺はその様子を観察しつつ神野さんと談話していたが、少しすると1限の講義が始まり、朝の会話はそこまでとなった。
始まらない学園生活ネタは流石にやめておきました。w