001 出会い
超能力―その実体が念波と呼ばれる波であり、粒子の運動や化学反応を制御することで様々な物理現象を引き起こす能力であることが発見されてから60年。
"超能力"という単語はもはや死語となり、単に"能力"と呼ばれるようになって久しい。
今や、能力者は人々の生活の中に溶け込み、その能力を用いて様々な恩恵を齎している。
例えば交通、今や公共交通機関は陸海空の全てにおいて、窒素分子を制御して揚力と推進力を得るものが主流であり、能力文明が開化する前まで使われていた電車、飛行機、船、タクシーといった言葉はその役割を指す概念へと形を変えて久しい。
例えば電力、従来のエネルギー保存則を無視しているかのように見えるその現象は、日々莫大なエネルギーを生み出している。
かつては昼夜の電力使用量差を利用した蓄電装置でしかなかった揚水式水力発電は、揚水部分を複数人の水分子制御能力者が担うことによって非常に効率の良い発電装置となった。
例えば製鉄、鉱石や廃棄物から純度の高い金属を精製することは、能力によって特定の金属分子を一箇所に集めるだけの作業であり、大掛かりな設備が必要なものではなくなってしまった。
能力者の数はどの国でも全人口の8~10%程度であり数が多いとは言えないが、その影響力ゆえに社会からの期待は大きい。ここ日本においても、所得税の軽減や高等学校までの学費免除など、様々な優遇措置が採られている。
もっとも、学費免除に関しては"国立の能力者学園に通う限り"という制限が付くわけだが・・・。
とはいえ、当然のことながら全ての能力者が社会に貢献する勤勉な人間という訳ではなく、能力犯罪は増加の一途を辿っているし、例えば今、俺の目の前に3人ほど居るのだが、能力を喧嘩に悪用する、いわゆる不良と呼ばれるタイプの能力者学園生も居たりするわけだ。
「おい、聞いてんのか?」
「先輩を前にだんまりか?あぁ?」
「返事はどうした?」
どうやら、モノローグが長すぎて彼らの不興を買ってしまったらしい。
そういえば路地裏で迷っている間にこの3人の不良学生に絡まれて、どうやって逃げようか考えていたところだった。
そして困ったことに、考えている間に何か言われていたようだが、聞き流していて何も覚えてない。
「あ、先輩だったんですか?通うのは明日からなんですが、よく俺の学校知ってますね。」
覚えていないので、僅かに耳に入った部分から無理矢理話題を逸らしてみる。
が・・・どうやら誤魔化し方を間違えたらしい。
「あ?馬鹿にしてんのか?」
余計に怒らせてしまった。
3人の真ん中にいるサングラスを掛けた大柄の不良が凄んでくる。
「右手にその鞄提げてりゃ誰にだって分かんだろうが!」
向かって左のひょろ長い男が補足する。
ああ、そういえば明日から通う能力者高校の制服と鞄を受け取りに行った帰りだったか。
「まさか、適当なこと言って時間を稼いで逃げようなんて思ってねぇよな?ま、能力者3人を相手に逃げられるわけなんてないんだけど?」
更に、向かって右の小柄な男がポケットからいくつかの金属球をちらつかせながら、俺の考えを言い当てる。
困ったことに、その指摘の半分は当たっている。
今の状況に戦争を持ち出すのは大げさだが、一般に、戦争における能力者同士の戦闘は1対2までなら能力の相性次第で数の不利を覆すことができるが、1対3になると勝利はほぼ絶望的と言われている。
この基準は各国の軍隊でも採用されており、作戦策定の指標として用いられることも多い。
無論、相手が全て同一系統の能力者であれば単独で対応できる場合はあるし、圧倒的な実力差があればより多人数を捻じ伏せることもできる。
また、逃げるだけであれば可能な場合もないわけではない。
現状はどうだろうか。
まず、彼らのボスらしき大柄の男、彼は恐らく身体制御能力者だ。
身体制御能力者とは、筋収縮に必要なエネルギー物質であるATP(アデノシン三リン酸)を能力によってADP(アデノシン二リン酸)とPi(リン酸)から合成し、莫大な運動能力を得るタイプの能力者の通称だ。
身体制御能力者は、能力の影響を受けて体付きが良くなるため、見た目から能力を判断しやすい。
だが、能力が分かったところでその瞬発力が脅威であることに変わりはない。
この場から逃げることを考える上では彼が最も厄介な障害になるだろう。
次に、右の小柄な男、彼は物質転送能力者だろう。
物質転送能力者とは、操作対象の金属原子を飛ばして遠隔地で任意の形に再構成する能力者だ。
能力者によっては金属でないものを転送する場合もあるが、再構成の速度や精度を考えると金属原子に軍配が上がる。
なお、原子単位で飛ばして再構成するのではなく、塊を弾丸のように飛ばす試みも過去に行われたが、全ての原子の足並みを揃えることは能力者にとって非常に負担が大きく、理論上は可能だが実現は限りなく難しいとされている。
実験によれば、低速な移動やスプーン曲げ程度が精々で、「ユリ・ゲ○ーは何故こんな手間のかかることに執着していたのか?」という当時の研究者の疑問は、今も能力者七不思議の一つとして語り継がれている。
閑話休題。
このタイプの能力者は、常に操作用の物質を携行していることが特徴的だ。
先ほど彼がポケットからちらつかせていた金属球がそれだろう。
足元にワイヤー等を構成されることによる動きの阻害や、頭上に物質を転移させる攻撃には気をつけなければならない。
最後に、左のひょろ長い男、残念ながら彼に関してはこれといった特徴がなく道具を持っているわけでもないため、能力の予想がつかない。
この場にある粒子を操作することだけは確実なので、空気中の分子か、地面や壁の素材になっている粒子を操る類の能力者だろうという漠然としたことが分かるのみだ。
さて、彼らの能力と俺の能力および周囲の状況を考えると・・・"彼らに重傷を負わせずに"逃げることは難しいと言わざるをえない。
せめて、軽傷に抑える方法はないものか―再び考えを巡らせようとしたその時、凛とした女声が響き渡った。
「あなた達、そこで何やってるの!?」
思わず声のした方、不良達の背後に目を遣ると、そこに同い年くらいの黒いフィンガーレスグローブを嵌めた女の子が立っていた。
動きやすそうなカジュアル系の装いが綺麗なセミロングの黒髪にとても良く似合っている。
可愛い子だな・・・などと、俺が状況を忘れて見入ってしまったのも無理なからぬところだろう。
が、それも束の間、彼女はおもむろにボス(勝手にそう呼ぶことにした)に向かって走り出し、右拳で殴りつけた。
「は・・・?」
その光景に、思わず間抜けな声を上げてしまう。
身体制御能力者を相手に10代(推定)の少女が素手で殴りかかるという暴挙の前には、「急襲するなら声を掛けない方が良いのでは?」とか、「相手の言い分も少しくらいは聞いてあげようよ・・・」とか、「美少女のイメージが一瞬で崩壊した・・・」とか、そんな当たり前の思考は吹き飛んでしまった。
通常、身体制御能力者を相手にする場合、殴るという行為は何ら意味をなさない。
非能力者(無能力者という呼称は差別的な意味合いが強いため忌避されており、このように呼ぶことが一般的である)であれば、よほど格闘技に精通した者でない限りは拳を痛めるだけの結果にしかならないし、能力者であれば他にいくらでも方法がある。
無論、彼女が身体制御能力者である場合は話が別だが、体付き(いや・・・変な意味ではなく・・・)から判断するにそういった気配は皆無だ。
もしかすると、彼女のグローブには鉄板などが仕込まれているのかもしれないが、仮にそうだとしても、能力によって収縮させた筋肉の壁はそう簡単に破れるものではない。
彼女の拳は筋肉の壁に阻まれ、逆に拳を痛めつける結果に終わるだろう。
・・・その場の誰もがそう思っていた。
が、拳がヒットする瞬間、ボスとグローブの間が青白く光った。
「「「な・・・まさか・・・電子制御能力者!?」」」
思わず、彼らと一緒に俺まで叫んでしまう。
電子制御能力者―読んで字の如く、能力によって電子を制御する者のことだが、歴史上この能力を有した者は唯一人しか確認されていない。
米国陸軍所属レオン=サート少佐、18年前まで続いていた世界初の能力戦争でその才能を遺憾なく発揮し、敵国を震え上がらせた能力者だ。
"電子の悪魔"の異名をとり、近接戦闘においては電撃による感電を、遠距離戦闘においては電磁投射砲による砲撃を得意としていた。
単独で一個旅団を撃破したという噂もある。
なるほど、だから接近して殴ろうとしたのか。
俺の中で、一瞬のうちに全ての謎が解けていく。
人体に直接能力を作用させるには、極めて強力な能力と高度な技術を要する。
自身の放つ念波は距離によって減衰する一方で、相手は人体から常に念波を発しており、その干渉を大きく受けるためだ。
だからこそ、殆どの能力者は戦闘においては間接的な方法で攻撃を行う。
その方法は多種多用だが、自身の強化、頭上への物質転送、慣性による衝突、周囲での爆発・発火などが代表的だ。
無論、これらの方法を用いる場合も、なるべく相手に近い位置で能力を発動させた方が良いことは自明であり、人体からどれだけ近い距離で能力を発動させることができるかは能力者のレベルを測る1つの指標になっている。
少女がレオン少佐レベルの能力者ならいざ知らず、電子制御のように精確な制御を必要とする能力を人体近傍で発動させることは非常に難しいだろう。
だが、方法が無いわけではない。
距離による減衰を減らす―すなわち接近することがその解の一つだ。
勿論、相手の能力もより威力を増すようになるし、身体制御能力者の瞬発力にも対応できなくなるので、普通ならば無意識に排除される選択肢だ。
彼女のような電子制御能力者であれば、200年前の古典SF作品にあったように、コイン等の金属を弾丸にしたレールガンによる攻撃を試みるだろう。
だが、相手の油断と一瞬の思考停止の隙を突いて繰り出されたその攻撃の結果は見ての通りだ。
「ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」
電撃攻撃を真正面から受けてしまったボスは声ならぬ声を上げて痙攣し、少女が拳を戻すと地面に崩れ落ちた。
その音で俺達(不良学生達と一緒くたにされたくはないが・・・)は我に返った。
俺はドサクサに紛れてその場を離れようと逃走を試み、不良学生達は意外にも彼女に向かって能力を放った。
十中八九、彼らは逃げると思っていたのだが・・・。
何の気まぐれか、俺は結末を見届けようと振り返ると、そこにはワイヤーに足をとられて転ぶ彼女の姿があった。
・・・ぇ?
少女が残る2人をコテンパンにする展開を予想していた俺は一瞬、自分の目を疑った。
それはワイヤーを張った男も同じようで、目を瞬かせて彼女を見ている。
あ・・・起き上がろうとしてる・・・。少し涙ぐんでる・・・。
とりあえず分かったことが三つ。
一、電子制御能力者の少女は近接せずに使える喧嘩向きの能力がないのだろう。
二、彼女は遠距離から能力を行使する相手に滅法弱いらしい。
三、彼女の下着の色は水色。
お約束なら白なのに・・・いや、そこは重要な所じゃない・・・。
重要なのは、このままでは彼女が不良少年達にリンチにされるのは必至だということだ。今はまだ、彼らは呆気にとられているが、もう少しして正気に戻れば怒りを思い出すだろう。
流石に、助けに入ってくれた少女を見捨てて逃げるのは格好悪いことこの上ない。
「ま、ボスを何とかしてくれたから、俺の能力で一緒に逃げる時間くらいは稼いであげられるかな。聞きたいこともあるしね。」
ポツリと呟くと、俺は右腕に意識を集中させて能力を起動させる。
能力は少女が起き上がるよりも早く発動した。
彼女の頭上に目を焼かんばかりに眩い光源が現れ、2人の不良学生達を襲う。
同時に俺は彼女の元に走り寄り、小声で
「今のうちに逃げるよ」
と声を掛けるや、状況が呑み込めずにいる彼女の手を取ってその場から走り去った。
背後からの妨害は・・・ない。
物質転移にせよ、気体操作にせよ、物質操作にせよ、相手を視認できない状況下で能力を行使することは非常に難しい。
また、今回のように仲間が居る場合には誤って同士討ちになってしまう危険もある。
一応、ボスが倒れた時に逃げなかった程度には仲間意識の高い連中だけに、同士討ちを覚悟で能力を行使してくる危険は無いだろうという公算はあったが、ひょろ長い男の能力が分からないだけにリスクのある行動だと思っていた。
賭けが成功し、うまく逃げ切ることができたことに、俺は心の底から安堵した。
ところで、俺は道に迷っている間に彼らに絡まれたわけで・・・今もよく分からない道を適当に逃げてきたわけで・・・。
当然の帰結として、彼らから逃げ切れたとしても道が分からない。
少女の息切れが落ち着くのを待ってから聞くしかないのだが、彼女には他にも聞きたいことがある。
さて、どう切り出したものか・・・まずは助けてもらった礼を言わないとな。
考えながら様子を見ていると、彼女の方から話しかけてきた。
「えっと・・・さっきはありがと。」
・・・うん、なんというか予想外だった。
不良学生達を相手に放った第一声の印象からは掛け離れた控えめな礼だ。
ワイヤーに足を取られて涙ぐんでいる姿もそうだったが、第一印象とのギャップがありすぎる。
だが決して不快ではない、これが古典で言うところのギャップ萌えという概念だろうか。
何でも200年くらい前に使われていた言葉らしいが・・・。
驚きつつ、俺も礼を返す。
「それは俺の台詞かな。ボスを止めてくれて助かったよ。」
・・・頭の中でずっと呼んでた呼称がつい口に出てしまった。
「ボスって・・・私が感電させた身体制御能力者のこと?うん、分かりやすくていい渾名ね。」
同意が得られるとは思っていなかった。
あと、発言が早くもサバサバして遠慮が無くなってきた。
やはりこちらが素なのだろう。
さて、そんなことよりも確認しておかなければならないことがある。
「そう、そういえばあの感電攻撃。君は・・・電子制御能力者なのか?」
もし彼女が電子制御能力者だとしたら・・・心中の緊張を悟られないようにさり気なく流れに乗って聞く。
が、彼女の答えは俺の期待したものではなかった。
「あ~、私、能力者じゃないんだ。さっきの電撃はコレ。」
そう言ってグローブを外して俺に見せる。
グローブの内側には電子回路が組み込まれており、スタンガンと同様の機構が見てとれた。
「へぇ・・・こんな小さな装置であれだけの電力が出るんだ。」
内心では胸を撫で下ろしつつ、何事もなかったかのように驚いて見せる。
実際、その機構は大したものだった。
「護身用に、って友達が作ってくれたの。」
そう言って、彼女は大切そうにグローブを撫でる。
・・・これはツッコミ待ちなのか?
「さっきみたいな厄介ごとに首を突っ込まないのが一番の護身だと思うんだけど・・・。」
判断がつかないまま、思わず本音が口に出てしまった。
「アハハ・・・」
彼女に苦笑いが浮かぶ。
どうやらツッコミを期待していたわけではなかったらしい。
「それはそうと、ここから地瀬学園の学生寮ってどう行けばいいか知ってる?」
話が途切れたので、とりあえず帰り道を尋ねることにする。
が、道を訊いただけでオーバーに驚かれてしまった。
「君、地瀬の生徒だったの!?」
「明日から・・・だけどね。」
そう言って、右手に持っていた鞄を軽く持ち上げる。
同時に、「あれ?そういえばさっきの不良達はこれを見て気付いてたのに・・・この子は意外と鈍いのか・・・?」などと、失礼なことを考えてしまう。
同じようにとぼけた発言をしていた過去の自分のことは棚に上げて。
失礼なことを考えてる間に彼女は俺の鞄に目を遣った。
そして、さり気なく意外なことを呟く。
「緑の鞄ってことは・・・私と同じ学年か~。もしかしたら同じクラスになるかもね。」
・・・同じ・・・クラス?
「君、地瀬の生徒だったの!?」
さっき彼女が全く同じ台詞を言っていたような気がする。
確かに、地瀬学園は能力者学園だが、能力者しか入れないというわけではない。
純粋な能力者養成機関である翔戸学園や光練学園とは異なり研究色の強い地瀬学園は、超能力の原理や利用法の研究を志す非能力者が1/3を占めている。
それゆえ、能力者でない彼女が地瀬学園の生徒であることには何の問題もない。
問題はないのだが・・・どう見ても彼女は研究者というタイプではないように思う。
「あ、似合わないと思ってるな~?」
じっと見てると、ずばり思っていることを言い当てられた。
「顔に出てたかな?」
苦笑して返すしかない。
幸い、彼女は気分を害した様子もなく、
「いつも言われてることだからね~。」
と流すだけだった。
「ま、学園に行くなら私も帰り道だし、案内するよ。ついてきて。」
そう言って彼女は歩き出す。
「ありがとう。えっと・・・」
ここまで来て、重要なことに今更気付く。
「君の名前、まだ聞いてなかったね。俺は光一、矢島光一。」
「私は神野一子。よろしくね。」
最後の最後でようやく主人公とヒロインの名前が出てきました。
2話からはいよいよ学園生活が始ま・・・るといいな。