第4話 ハアト 下
遅くなりました。
白磁の家々が立ち並ぶ界隈、夜の帳が転々と続く青色の街頭の下薄暗さを増長させる。日々の営みが作る喧騒も共に静寂さに溶け込む。
石畳を叩く音は次第に泥を撥ねる音へと変わる。
天候は雨から快晴へと変わる。
一足界隈を抜けた先にある古びた宿屋の窓から光が漏れていた。青白い光を背後に、ハアトは外を眺めていた。その目の先には未だに降り止まない雨が見える。だが、手を伸ばしても雨は感じない。
手先一本分の境界が天気の境目とは中々に面白いと、ハアトは思った。次に、ハアトの視界は遠くの景色を捉える。大凡普通の人間には不可能な距離まで遠視したハアトは「面白いと」一言感想を述べた。
ハアトの訪れたこの都の名はイデアシエロ。原始の人類が手掛けた世界唯一の人間のみで構成された都である。世界に隔絶された環境柄、独自に進化した技術は流石人類と感嘆する。もっとも、技術の根底に魔法ありきなのは世界共通のようだが。
宿の一室を照らし出すに足りる青白い光は、外を見れば漏れ出す光に一貫性を見出すに容易い。
要は使用者の魔素を原料にする為、魔素の持つ属性によって色が変化するのだろう。豊かに彩色された夜は見事と言える。
但し、魔素の種類は四大元素。火・水・土・空から成り、主に其々の四大元素に対応した赤・青・茶・緑に分類される為、夜空に彩られる色は大まかにその4種類が大多数だ。
――ふっ、と。蝋燭の火が吹き消されたかの如く部屋の色彩が分断され、夜の空間へと流れる。
いや、違う。部屋を彩る色彩そのものが闇に戻ったのだ。原因は直ぐに知れた。
宿屋の二つあるベッドの一つに横たわらせた意識無き少女へと、忍び寄る影が見える。それは宵闇の如く溶け込みそうな闇を纏い、少女の元へ降り立つ。部屋を映し出すその身は透き通る白、黒髪から覗く琥珀の瞳は眼下の少女へと注がれていた。
俗に言う幽霊は森でハアトに見せた神秘的な姿は一切無く、その瞳は憎悪に満ちていた。絹のような薄い手が少女の首元へ伸びていく。目的は明らか。理由の知れぬハアトも流石に看過せず、警告の為己の魔力を解放する。
魔力の本流が濁流となって幽霊を襲い、その姿を霧散させる。
――次の瞬間、驚いたのはハアトだった。
「なに!?」
横たわる少女がハアトの魔力を受け、胸を激しく上下し始めたからだ。
ハアトは驚愕した。その間にも少女の動きは激しくなり呼吸も荒くなっていく。ハアトは慌てて力を抑え込んだ。その様子に、透けてゆく女の姿は妖艶に笑い、消えた。
その様子に、ハアトは頓着する余裕が無かった。
何故なら依然、少女の動悸が収まる気配がないからだ。ハアトがどんなに魔力を諫めても、少女の容体は悪化するばかり。ハアトは己を律せぬほどぬるい人生を送ってきたつもりはない。そこでようやく思い出した。昔、故郷で獣人の友人に助言された言葉を。
「巨大な力は大いなる危険を孕みます。貴方という特異な存在は生命の渦でさえ消してしまえるほどに。世界の加護を得た貴方には脅威と呼べる存在は限りなく少ないでしょう。けれど心して下さい。光に影ができるように、力には裏が付き纏います。決して飲まれないように」
当然、力に溺れるような愚鈍な行いは無かった。一度、あの地獄を除いて。しかし、今までのは他者を害するほどの魔力を受け、問題ある者がいなかったお蔭かもしれない。だが、ここにきて初めて彼女の言葉の意味を目の当たりにした。
原因は少女の髪色で氷塊した。
魔力への耐性が少ないのだ。だからハアトの魔力をまともに受け、身体的活動を阻害するまでに陥っているのだ。ならば・・・・致し方ない。
ハアトは一つの指輪を取り出す。それは蛇がのたうつ異様な物であったが、ハアトは躊躇することなく指に嵌める。すると、指輪の蛇がハアトの指に噛みついた。
「――ッ」
痛みに耐えるハアトから、魔力がみるみる薄れていき、最後には無くなってしまった。
魔力とは己を守る免疫の役目もあり、突然の素の淀んだ空気にハアトはたまらず嗚咽する。脂汗を掻くハアトとは反対に、少女の動悸は収まっていく。
ハアトはホッと一息つく。体調は戻らないが、暫くの辛抱だと己に言い聞かせる。
森とは違う都の空気にようやく慣れだした頃、少女の木漏れ日のような声が漏れたことで意識の覚醒を知った。
布団を押しのけ、自前の髪色と同じ瞳を瞬き、ハアトと目が合う。
――瞬間、困惑、恐怖驚愕。矢継ぎ早に齎される感情に整理が付かないのか悲鳴を上げようとする少女に、ハアトは素早く近寄りその唇を手で覆う。
「余計な手間を増やすなよ。分かったか?」
威圧的な態度を取った事は申し訳ないと思う。他に方法を思いつかなかったし、何より面倒事は御免だ。
だが、少女はハアトに意図に反し半狂乱になり余計に暴れまわる。仕舞いには机の上に置いてあったナイフに手を出し、躊躇なく振り回し始めたのだ。
「まったく!」
ハアトも流石に一日に2度も刺される気はなく、覆った手と逆の手で振り回す手首を抑え捩り上げる。
「いッ!!」
たまらず悲鳴を上げる少女に構わず、そのまま肩でベッドへ押し倒し少女に馬乗りなり身体全体を押さえつける。それでも暫く抵抗を続けたが、ハアトの腕力に耐えかね次第に勢いは無くなっていった。
しかし、それでも抵抗を意思は萎えること無く、涙目で睨みつけてくる。
ハアトは少女の敵意に相対する気もなく、鋭く視線を一室の入り口へと向けた。
――瞬間、閃光が室内を満たす。と、同時に爆音が轟く。それは入り口のドアが破壊された音だった。
粉々に粉砕された扉を乗り越え、三つの影が姿を現した。
いずれも黒装束で身を包んだ者達であった。誰何する間もなく、その者等の手にオレンジ色の光が灯る。次いで紅蓮の炎が一直線に二人へと迫る。
「ッ!」
ハアトは一瞬の判断で少女を抱き抱え、ベッドごと床を蹴り抜いた。バラバラと重力に従い中心から折れ曲がったベッドと共に下降し、下の階に着地。と同時に床を蹴った。今度は破壊ではなく加速のため。その判断は間違っておらず、一瞬の間で先程まで立っていた場所が火に包まれる。ハアトはその勢いのまま窓ガラスを突き破り、外へと脱出を果たしていた。
「クソッ!」
ハアトが聞くであろう襲撃者の声はハアト自身から漏れていた。四人目。空中に浮いていたもう一人の敵は下の窓から出てきた標的に迷わず狙いを定める。
閃光、痛み。同時に来た出来事にハアトは身を捻って少女に伝わらないよう庇った。しかし、思わぬ攻撃にハアトは飛び出した勢いを殺せず路面を転がる。少女を抱きかかえているせいで受身もできずに。ハアトが苦しげに呻いていると。これを好機と少女がその拘束から逃れた。
その結果――
「え?」
自分に向かって来た光に、少女は知覚することも叶わずその身を焼かれる。少女はそんな様子を幻視した。眼前の自分を庇った者の末路でもあったからだ。しかし、その者は倒れなかった。膝を折り、何かの魔法の効果なのかその者の纏う衣服が炎を弾き飛ばしたのだ。
「おい大丈夫か?俺の後ろにいろ!」
また、その言葉。少女は未だに意味を理解することができなかった。ただ、どうしようもなく胸が苦しくなるのだ。どうするべきか分からない。
少女は苦しげに胸を掻きむしる。意味ある言葉を発したくてもできない、もどかしさに苛まれる。
そこに闇を照らす熱風が少年を捉える。
少女の眼前に、炎上する建物を背景にその姿が初めて映し出された。
「――!・・・・・・・・・」
少女は、ただ見惚れた。綺麗だと思った。夜空を模したような黒髪と、黒真珠の瞳を前に。
彼は、少女を一瞥だけした後、眼前の敵へと視線を移した。腰に吊るした剣を抜き放ち、少女を守るように立ち塞がった。
ご観覧ありがとうございました。
やっぱりノープランは駄目ですね。
先は色々出来ているんですが、繋ぎが・・・
しばらくこのような進行率10%の回が増えていく事かと思いますが。
出来れば、これからもこのシリーズを最後までお楽しみ頂けたらと切に思います。