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第3話

 依頼よりも、今ディライトの意識を強く引きつけていたのは、ローテーブルの上に置かれたままの小瓶だった。


「――で、魔道具を集めろって依頼と小瓶(コレ)。どう関係してるワケ?」

「なんじゃ、興味出てきおったか」

「小瓶はね。依頼は……まぁ、考えとくよ」

「はぁ……せからしいのぅ」


 ディライトが指し示した先、卓上にはぽつんと小瓶が置かれていた。

 華美すぎず、しかし簡素ゆえの整いを見せるガラスの蓋。その中には、無色透明の液体が閉じ込められている。

 ギルド長自らが持参した品だ。相当な代物であることは疑いようもない。だが、その正体についてディライトには皆目見当がつかなかった。

 

 バンギッシュがケインに目配せする。合図を受けたケインは部屋の片隅に歩み寄り、調度品として飾られていたティーセットをローテーブルへと運ぶ。

 ティーポットと白磁の容器が2つ。豪奢な装飾が施され、高価な気配を纏ったそれらは、素人の目にも「決して割ってはならない品」と映った。

 ケインは慣れた手つきでティーポットを傾ける。淡い茶色に染まる透明な液体が、細い流れとなって器へと注がれ、立ちのぼる湯気とともに茶葉の芳しい香りが場を満たしていった。


「【冷水知らずの茶壺(ティーポット)】、いいよねーそれ。頂戴よ」

「無理です。高いんですからコレ」

「お主、経費じゃろ」


 内部には動力源となる魔石が収められ、外装には精緻な魔法陣が刻まれている。

 そのティーポットは魔道具であり、数日間飲料を入れっぱなしにしても、注ぎ口からは湯気を立てたまま注がれる――そんな便利な代物だった。

 獲物を狙う冒険者のような眼差しを向けるディライトを前に、ケインは【冷水知らずの茶壺】をそっと元の場所へと仕舞い込んだ。


「ここからが本番じゃな」

 

 卓上の小瓶をつまみ上げたバンギッシュは、好々爺のように柔らかな笑みを浮かべた。

 新しい玩具を与えられた子供のような――そんな幼げな顔だ、とディライトは思う。彼がこうした表情を見せるのは、決まって魔道具に触れているときだと知っていた。

 バンギッシュは小瓶の蓋をキュポッと開け、閉じ込められていた無色の液体を一滴、紅茶へと垂らす。

 こぼれぬよう慎重に蓋を締め直し、再び卓上に置くと、ソーサーに乗せたカップをディライトへと差し出した。

 それは液体を混ぜていない方のカップだった。では、もう一方を自ら口にするのかと見ていたが――バンギッシュは手を伸ばすこともなく、ただ静かに残されたカップを放置していた。


「ほれ、飲んでみろ。ギルド御用達の茶葉で拵えたものじゃ」


 ごくっ、と一口。

 

「……紅茶だね、普通の」

「ええぃ! 味の分からん奴め。次はコレじゃ」


 次に勧められたのは、正体不明の液体が混ざった紅茶だった。

 どうやら2つのカップを飲み比べさせたいらしい。ディライトはその意図を察し、素直に従うことにした。

 混ぜ物が毒だなどとは、露ほども疑わない。

 バンギッシュに促されるまま、一口――口へと含む。

 たった一滴。

 それだけで何が変わるというのか。せいぜい、魔力や体力を補う回復薬の類だろう。

 ――ごくり。

 静まり返った部屋に、嚥下の音がひときわ響いた。

 そして数瞬後、ディライトの瞳が大きく見開かれる。


「これはッ――」

「気付いたか。そう、お前さんが飲んだのは”マカカジュース”じゃ」


 イタズラに成功した子供のように、バンギッシュがニヤリと口角を吊り上げる。

 

 マカカジュース――マカカと呼ばれる果実から絞られる飲み物だ。

 その実は血を思わせるほど濃い深紅で、「血の実」との異名さえ持つ。

 当然、そこから生まれるジュースも血液と見紛う色合いをしていた。

 だが見た目に反し、その味は甘美。

 近年は品種改良によってさらに洗練され、極上品として扱われることも多い。市井でも広く流通し、特に子供たちから絶大な人気を得ていた。

 家庭ではおやつ時に供されることが多く、〈鈴々亭〉でも子供向けメニューの定番として並んでいる。

 そうした共通認識を抱くディライトは、バンギッシュへと厳しい面持ちを向けた。


「大丈夫だ、爺。俺は口が堅い。街で、いや、この国で一番と自負してるんだ。だから漏れることはないよ」

「……儂がそれを好物として出したと思っとらんじゃろうな」

「え、違うの?」

「違わい! カップの中の色を見てみろバカたれ!」


 長のイメージダウンはまずいよね、と茶化したディライトは、改めて自分の手にあるカップへ視線を落とした。

 茶色がかった透明の液体が、手の動きに合わせてゆらゆらと揺れる。

 おかしい、と最初に覚えたのは違和感だった。

 確かに舌にはマカカジュースの味が広がった。だが、そこにあるべき深紅の色はどこにもない。

 そもそもケインが注いだのは、2つのカップに分けられた同じ紅茶のはずだ。

 なのに――なぜ、味が違う?

 ディライトの視線は自然と卓上の小瓶へと吸い寄せられる。

 先ほどまでは、液体の詰まったただの【回復の小瓶(ライフ・ポーション)】にしか見えなかったそれが、今は正体の知れぬ不気味さを漂わせていた。


「コレ、魔道具? ヤバいね」

「かの”魔匠”が生み出した傑物、【変幻自在の雫カメレオン・ポーション】じゃ」


 ディライトは小瓶をつまみ上げ、頭上へとかざした。

 中には無色透明の液体が揺れているだけで、小瓶そのものからは特異な気配は感じられない。

 仕掛け(ギミック)めいた造りもない。ならば――魔匠が創り出した【変幻自在の雫】とは、この液体そのものを指すのだろう。

 冒険者とは、未知を追い求めることにこそ悦びを見いだす存在だ。

 ましてや、正体すら掴めぬ魔匠の手による至高の一品。興奮せずにいられるはずがない。

 ディライトの意識が完全に小瓶へと注がれたのを確かめ、バンギッシュはゆるりと口を開いた。


「ほんの一雫じゃ。たった一滴で、水の性質そのものが変わりよる。石化といった状態異常を付与することも可能じゃ」

「使い方は?」

「使用者が想像をするだけでよい。そして加えても、見目が変わらん」


 ディライトはバンギッシュの言葉に従って、【変幻自在の雫】が混入したカップの中を見た。茶を基にした透明色、事情を知らない者は間違いなく紅茶もしくはその一種だと判断するだろう。


「万が一、じゃ。悪意を持つ者の手によって、それこそ”水の都”にでも行ってみぃ」

「――ヤバいね」


 ディライトは再び同じ言葉を口にした。

 だが、先ほどとは違い、その声には緊迫した響きが宿っていた。

 もし――【変幻自在の雫】が生み出す味に限りがないのだとしたら。

 一口含んだ瞬間、喉を掻き毟りたくなるような激痛に襲われ、人目も憚らず地をのたうち回り、その果てに命を落とす――。

 そんな毒を想像しながら雫を垂らしてしまえば、どうなるのか。

 最悪の筋書き(シナリオ)が脳裏に浮かび、ディライトの胸を冷たいものが這った。

 そのとき、バンギッシュが声をかける。

 しかし、それは肯定でも否定でもなく――ただ、責任を放棄するかのような曖昧な相槌にすぎなかった。


「まあ。そんなことはどうでも良いんじゃ」

「おい、俺の緊張を返せ」

「起きる可能性のない話をしても仕方なかろう。【変幻自在の雫(コレ)】はもう儂のじゃ!」

「……ギルド、ひいては国の所有物です」


 バンギッシュの呆れた主張に、ケインは深いため息をつきながら首を振った。

 国家の支柱の1つたる冒険者ギルド――その長がギルドの財を私物化するなど、あってはならない。

 たとえ長といえど一員にすぎず、優先すべきは常に組織の利益である。それこそが、ギルドに属する者の当然の帰属意識だ。

 しかし、この場ではケインの言葉こそが少数派だった。

 ディライトは反論するどころか、むしろバンギッシュの考えを後押しするかのような言葉を投げかけたのである。


「飲み比べしようよ」

「それは良い案じゃ。儂の”黒城麦酒”はトブぞ」

「俺の”竜の嘶き”には負けるよ」

「ちょっと!? 国宝に匹敵するような代物なんですよ! お二人とも分かってますか!?」


 バンギッシュとディライトが口にしたのは、いずれも各地方で名酒と称される銘柄だった。

 名ばかりの大仰さではない。確かな旨味と深いコクを備え、現地に足を運ばねば滅多に味わうことのできない逸品である。

 ――だが、【変幻自在の雫】さえあれば話は別だ。

 手間をかけることなく、今この場でその味を再現できてしまう。

 ケインは焦燥のままに、卓上に置かれていた【変幻自在の雫】を素早く掴み、懐へと押し込んだ。


「【変幻自在の雫】は私が責任を持って本部へと送り届けます」

「なんじゃお主、儂がせっかく持ってきたっちゅうに。実は欲しかったんじゃろ」

「まじかよケイン。強欲だね」

「ちがっ……誰が何と言おうと私が管理します!」


 独占しようなどとは欠片も思っていない。

 根拠なき主張に反論したい気持ちは募るが、支部長として長年場数を踏んできたケインには分かっていた――この二人に言葉を尽くしても無駄だ、と。

 だからこそ彼は、毅然とした態度を貫くしかなかったのであった。

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