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エピローグ1

 スティレオとの激闘から一夜明けた翌朝。

 いつになく、リンリンの目覚めは早かった。


 自宅兼飲食屋であった〈鈴々亭〉は瓦礫と化し、昨日は〈冒極〉支部の一室を借りて夜を明かしていた。

 だが日の出と同時に、彼女はもう瓦礫の山へと足を運んでいた。割れた食器や壊れた什器の中から、まだ使える包丁や中華鍋を掘り出すと、ためらいなく炊き出しの準備を始めたのだ。

 戦いの余波で家や家族を失った者は少なくない。ならばせめて、温かい食事で元気づけたい――その思いから、リンリンは支部に保管されていた食材を使い、大鍋で朝食を振る舞うことにした。


 彼女の看板料理、”餡掛け炒飯”が次々と出来上がっていく。香ばしい匂いが風に乗り、やがて周囲の人々の鼻をくすぐった。

 香りは周囲へと伝播していき、匂いに釣られた民衆が次々と集まり始める。

 復興の只中にあって、こんなサプライズは心の灯火となる。

 ――私にも一皿!

 ――俺も頼む!

 列をなす声に応えるように、リンリンは息つく暇もなく鍋を振り続けた。


「俺もお腹空いたんだけど」

「わたしも」

「お前らはこっち側ネ! さっさと手伝うアル!」


 民衆の波に紛れて姿を見せたのは、昨日の激闘を共にした二人だった。

 ()()()()の身体を引っ提げて現れたディライトと、まだ眠気の残る眼をしながらも、食への欲だけは衰えを見せないサミアである。

 炊き出しに追われるリンリンの姿を目にすると、二人は顔を見合わせた。

 「えー……」と不満げに声を漏らしつつも、結局はしぶしぶ手を貸すことになる。

 やがてディライトは洗い場に回され、皿や椀を次々と片づけていく。雑務を難なくこやす様子に、鍋を振りながらリンリンが声を掛けた。


「もう腕は良さそうアルな」

「ばっちり。リンリンも問題なさそうだね」

「効果覿面ヨ。……何て言ったアルか」

「【変幻自在の雫カメレオン・ポーション】ね」


 ディライトの左腕が再生したのも、リンリンの容態が安定しているのも――すべては【変幻自在の雫】の力によるものだった。

 身体の欠損すら癒すほどの回復を与える秘薬を想像しながら、ディライトは〈冒極〉の敷地にある小さな池へと【変幻自在の雫】を垂らした。

 その瞬間、ただの澄んだ水が揺らぎ、やがて彼の知るどの薬剤よりも高位の効果を宿す液体へと変貌を遂げる。

 もはやそれは、最上位の【回復の小瓶(ライフ・ポーション)】と呼んでも差し支えない代物だった。

 さすがに一滴だけではそこまでの奇跡は生まれなかったが――それでもなお、【変幻自在の雫】は半分以上も残っている。


「依頼の品ヨ。勝手に使っていいアル?」

「バレなきゃ大丈夫でしょ、ギルド長()も使ってたし」

「……ま、言わないアル。むしろ、必要経費ネ」


 そう口にしたリンリンの視線は、炊き出しに集う人々へと向けられていた。

 食事にありつける喜びに顔を綻ばせる者もいれば、家族や住まいを失った悲嘆に沈む者、行き場のない怒りを押し殺す者もいる。表情はさまざまだが、不思議なほどに誰ひとりとして大きな怪我を負ってはいなかった。

 もちろん中には、包帯を巻いたままの腕や、裂けた衣服を身に着けた者もいる。だがその下の肉体は、既に健康そのものへと戻っていたのだ。

 それは、ディライトが支部職員へ命じ、負傷者を池へと誘導させたからである。

 最初は半信半疑で水を口にした者たちだったが――その場でみるみる容態を快復させる光景を目にし、噂は瞬く間に広がった。

 夜が更けても池の前には人の列が途切れず、夜通しで癒やしを求める行列が続いた。

 やがて水は町民たちへと滞りなく行き渡り、ほとんど残らぬほどに消費されていった。最後に瓶へと詰められたわずかな量を残して、夜は明けたのである。

 肉体の痛みだけでも取り除くことができた――それは町を守る戦いに身を投じたリンリンにとって、何よりの救いであった。


「ん」


 食べ終えた食器を回収していたサミアが、ふと気怠げに視線を遠くへと飛ばした。彼女の耳が、ピクリと反応する。

 次の瞬間、〈冒極〉支部の前に集った人混みの奥から、重々しい気配が迫ってきた。

 小綺麗なコートに身を包んだ一団が無言で現れ、群衆を容赦なく押し分けて進んでくる。彼らの背には、誇らしげに刻まれた剣と盾の紋章――威信を掲げる旗印のように輝いていた。

 異様な威圧感に気づいた周囲の民衆はざわめき、やがて吸い寄せられるように左右へと割れていく。自然と空いた道を、一団は迷いなく歩んでくる。

 サミアは片手に積み上げた皿を持ったまま立ち止まり、眠たげだった瞳をわずかに細めた。耳はぴんと張り、獣のように外敵を探知している。

 鍋を振っていたリンリンの手も止まり、熱気に包まれた炊事場にひやりとした緊張が走る。

 そしてディライトは洗い物を切り上げると、設営された炊事場越しに視線を向けた。

 集団の先頭に立つのは、()()()()長髪の男。

 冷ややかな光が放たれ、黒眼鏡(サングラス)越しのディライトの視線と真っ向から交錯した。


「これはこれは。本部の連中共じゃないですか。遅い出勤で」

「救援要請が遅かったものでな。現場判断はもう少し正確に下した方がいい」


 町に突如として現れた三十人ほどの一団は、〈冒極〉本部から派遣された正規職員たちだった。

 ペルニット支部からの要請に応じ、事態の収拾を目的として派遣されたのだろう。その顔ぶれはいずれも手練れに見え、漂わせる気配だけで実力の程が窺えた。

 とりわけ、先頭に立つ男からは群を抜いた魔力の奔流が感じ取れる。

 高慢さを隠そうともしない態度、尖った耳に長い髪――エルフ族特有の風貌を持つその男を、ディライトはよく知っていた。


「デマンド副長(サブマス)が、まさか直々に来るとはね。あっ、もしかして暇?」

「貴様と一緒にするな。魔匠連番(この一件)、私も実情を把握したくてな」


 冒険者ギルド〈冒極〉副長(サブマスター)――ニーズ・デマンド。

 それが、この男の肩書であった。

 青年のように整った容貌に反して、その実年齢は八十八。

 二十年ものあいだ副長の座に君臨し続けてきた歴戦の古強者である。

 その長き経験に裏打ちされた鋭い眼差しが、炊事場越しにディライトを射抜いた。

 わずかな視線の交錯だけで、周囲の空気が一段と張り詰める。


「それよりもこの有り様は何だ。貴様という男がいておきながら。これほどまでの被害の拡大――失態だぞ」

スティレオ・ブラウン(相手)が想像以上に手強くてね。精一杯やったよ」

「言い訳とはな。私と同じランク4が聞いて呆れる。こんな者に魔道具を託すとは、(マスター)も耄碌された」


 どのギルドにおいても、ランク4という高位階へと至るには、苛烈な試練を突破せねばならない。

 〈冒極〉も例外ではなく、その昇格基準は「未知を切り拓く」という、極めて困難な条件であった。

 ニーズはその壁を越え、ディライトと同じくランク4へと至った実力者である。

 ディライトは黒眼鏡サングラスの奥で、僅かに目を細めた。


 ――厄介なのが来たなぁ。


 内心でそう舌打ちしながらも、表情には出さない。

 その沈黙を破ったのは、今度はリンリンだった。ニーズを前に臆することなく、抗議の声を張り上げた。

 

「間に合わなかったくせに、ずいぶん偉そう言うアルな」

「……リンリン女史、だったな」

 

 ニーズは目を細め、低く響く声で応じる。

 

「此度の町の防衛においては、その尽力に感謝する。だが――口を挟むのは控えてもらおう」


 どうやらリンリンの活躍も耳に入っていたらしく、ニーズの口からは一応の労いが告げられた。

 しかし、その声音には明確な拒絶の響きが含まれている。

 確かに――治安維持という役割を担うのは〈冒極〉であり、外部の人間であるリンリンが口を挟むのは筋違いかもしれない。

 だが、ここは彼女が暮らしてきた町であり、守るために命を懸けて戦ったのも自分だ。遅れてやってきた連中に、とやかく言われる謂れなどない。

 再びリンリンが反抗心のままに口を開きかけたその瞬間――。

 ディライトが、二人の間に割って入った。


「で? 実情を把握しに来たんだろ。それとも、炊き出しの順番待ちか?」

「……大まかな経緯は通信で把握している」

 

 ディライトの皮肉にもニーズは動じず、冷ややかに応じた。

 

「だが、詳細は当事者である貴様らから直接聞く必要がある。責任の所在を追及するのはその後だ――まずは場所を改めてもらおう」


 やがて、ニーズの視線はディライトたちから離れ、周囲の聴衆へとぐるりと向けられた。

 ――ここで話すには、あまりにも無関係な耳が多すぎる。

 今回の一件で町に大規模な破壊がもたらされたことは、すでに支部職員を通じ、通信用魔道具によって彼の耳にも届いていた。

 事件の黒幕――スティレオ・ブラウンという男を、ディライト、リンリン、そして獣人族の少女が力を合わせて討ち倒したことも。

 その「少女」が誰であるかを確かめるように、給仕の合間に皿を運んでいたサミアへと、ニーズの視線が静かに止まった。


「あの少女も連れてこい」

「全部お見通しってわけね」


 ぶっきらぼうに指示を口にした後、ニーズは一団へ町民の支援にあたるよう命じ、自らは二名の部下を伴って〈冒極〉支部の奥へと足を向けた。

 肩をすくめたディライトは、リンリンとサミアへと視線を送る。

 軽く目配せを交わし、三人はその背を追って支部内へと歩みを進めた。

明日22:30に投稿します!

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