第2話
冒険者ギルド〈冒極〉、その支部の一室。
「だーかーら。やらねーって!」
皮張りのソファに深く身を沈めたディライトは、傍らのローテーブルへと無造作に踵を落とした。
理不尽な衝撃は卓面を走り、最初の犠牲者は中央に置かれた蓋付きの小瓶だった。小さな器は重心を失い、コトリと音を立てて横倒しになる。
それすら意に介さず、ディライトはテーブルの上で足を組み直した。年長者を前にしての態度とは到底思えぬ――まさしく傲岸不遜の一語に尽きた。
「長命令じゃ。やってもらわねば困る」
横倒れになった小瓶を正位置に戻すと同時に、バンギッシュはローテーブル越しに鋭い視線を送った。正面に座るディライトの傍若無人な態度を、黙って咎めるかのように。
組織の長たる自分が直々に出向いているというのに、この無礼――本来なら椅子から叩き落としてやりたいところだ。しかし今回に限っては、立場の上下を振りかざすわけにはいかない。こちらこそ下手に出るほかないのだ。
長年育ててきた雪のような顎髭を指先で愛でながら、バンギッシュは思索に沈む。目の前の青年から、どうやって「YES」を引き出すか。
当初の想定では、既に話は通っているはずだった。ただ正規の依頼を口にすれば済む――そう高を括っていたのだ。
「冒険者よ自由たれ、ギルドの言うことはぜったーい」
「社是か、屁理屈こねよって。……ケイン、今回の件は定例会で通達したはずじゃが? ランク4の者にも伝えるようにと」
〈冒極〉の理念を引き合いに出して反論したディライトに、バンギッシュは呆れを隠さず、もう一人の同席者へと事実確認を求めた。
ケインと呼ばれた人物は、長すぎず小綺麗に仕立てられた紺色のコートをまとい、背にはバンギッシュと同じく剣と盾の紋章を掲げている。非難めいた声音を向けられても眉ひとつ動かさず、ただ肩をすくめて見せただけだった。
その落ち着き払った態度と白髪の混じる髪が、彼が積み重ねてきた経験の厚みを物語っている。
――ペルニット町、冒険者ギルド〈冒極〉支部の支部長。ケイン・ニールデン。
その肩書きは、ディライトやバンギッシュと肩を並べても決して引けを取らない重みを持っていた。
その煮え切らぬ態度に、バンギッシュは先程よりも語気を強め、詰め寄るように問いかける。
「ケイン」
「私は伝えましたよ、テルヲ長。そして断られました、きっぱりと」
「ふぅむ」
眼鏡のブリッジを指先で整えながら、今度ははっきりと言葉を紡ぐケイン。
ギルド長であるバンギッシュの名を口にしつつ、自分に落ち度はないと明確に示す。
直々の指令――それはランク4の者だけに与えられる、箝口令つきの依頼を伝えることだった。組織幹部や各支部の長といった限られた者しか知らぬ秘匿の内容を、確かにケインはディライトに伝えている。
だが返ってきた第一声は、「興味ねーわ、俺パスで」。淡白な拒絶だった。説得の手は尽くしたが、ことごとくはねつけられた。これで自分の責任を問われるのは、理不尽としか言いようがない。
顎髭を撫でながら思案するバンギッシュが、一拍置いてケインに視線を戻す。その瞳には「もう一度説明せよ」と言外に刻まれているようだった。
悟られぬよう心中でひとつ溜息を殺し、不満を飲み下す。ケインは改めてディライトへと向き直り、これまでで最も力を込めた説得を始めた。
「ディライト君。近年で目覚ましい発展を魔導は遂げてきましたが、その中でも――」
「ケイン。俺、依頼、受けない。オーケー?」
始めようとして、幼子をあやすような調子で遮られた。
2回りは年の離れた若造に、いくらランクが上だからといって、ここまで小馬鹿にされては支部長の面目が立たない。
込み上げる怒気を抑えきれず、ケインの額に青筋が浮かぶのも当然だった。
「……クソガキめ」
「支部長にあるまじき暴言が聞こえてきたけど」
「気のせいです。答えはいいので、ひとまず聞いて下さい」
切り替えるように1つ咳払いをすると、改めてケインは依頼の本筋に触れた。
「この間も言いましたが――”魔匠”。魔の道に通じる者なら誰でも知っている存在です。ディライト君が知らないはずはない」
「――初耳だね」
神妙な顔をして言い切るその態度に、ケインは思わず眉をひそめた。
「神妙な顔で言われても説得力がありません。この前は『あーはいはい、魔匠ね』って言ってたじゃないですか」
「いーや、『あっ、あの魔匠様ですね』だろ。謙り感が違う」
「……君からそんなものを感じたことは一度もありませんが」
「――お゛ほんっ」
ディライトとケインの言い合いを仲裁したのは、バンギッシュの低い咳払いだった。
ケインは小さく息を吐き、眼鏡のブリッジを整えながら話を本筋へ戻した。
――魔匠。
魔道具を作る者は魔導技師と呼ばれ、志す者は年々増えている。そんな数多いる中で、ただ一人にのみ与えられる伝説的な称号がこの名だ。読んで字のごとく魔の叡智を宿し、数ある技師の中でも群を抜いた実力を誇る。
彼が手がける作品はいずれも伝説級と称され、ひとたび世に出れば人々の注目を集め、オークションに掛けられれば一生遊んで暮らせるほどの額で落札される。
その傑物を生み出す存在――それこそが、今回の依頼に深く関わっているとケインは語った。
「とある筋から入手した情報ですが、魔匠側で秘匿していた魔道具が、何者かによって盗み出されたそうです」
「とある筋って何よ」
「お答えできません」
「そもそも魔匠って誰よ」
「不明です」
「そこなんだよ」
ディライトは指をパチンと鳴らし、足を組み直す。
ケインやバンギッシュを見据える目には、明らかに不信感が浮かんでいた。
「情報が不明瞭すぎる。信憑性の欠片もない話を鵜呑みにして、依頼を受理するバカがどこにいますかっていう話だよ」
「他のランク4の方々は、依頼を受け入れましたよ」
「バカしかいねーのか〈冒極〉は」
ギルドがディライトを含む高ランク冒険者を欺く――その線は断じてない。冒険者なくしてギルドは存続せず、欺いて得る利もない。
依頼者が虚偽を流す線はどうか。十分にあり得る。誤情報に踊らされ、命を落とした冒険者をディライトは何人も知っている。もちろんギルドが精査はするが、それでも「絶対の信頼」には届かない。
結局、最終判断を下すのは冒険者自身だ。危惧がひとかけらでもよぎるなら、受けないのが鉄則。そんな当然に至れないランク4の情けなさに、ディライトは天を仰いだ。
通常の依頼なら、彼は正しい。冒険者として満点の構えだ。
――だが今回は違う。緊急であり、依頼主の前提が最初から狂っている。
「なんじゃお主、依頼そのものを疑っとったんか」
「そりゃそうでしょ。まず依頼主って誰よ、魔匠か?」
「国じゃよ」
「……は?」
バンギッシュの予想外の言葉に、ディライトは思わず口を大きく開け、間抜けな表情を浮かべた。
彼の予想では、依頼の裏にいるのは魔匠本人か、その近しい人物、あるいは虚偽を弄する者のはずだった。だが現実はまるで違う。
依頼主はなんと――国そのものであった。
ソファに沈めていた身体を勢いよく起こしたディライトは、話が違うとばかりにケインへと詰め寄った。
「初耳だけど」
「言いましたよ、私は……。説明の度に上の空で聞いていたのは、一体どこの誰ですか」
「興味を持たせる努力をしない話し手が悪いよね」
「ランク4じゃなかったら、ぶん殴ってますからね」
開き直ったディライトに対し、ケインは両の拳を鳴らして応じた。
二人のやり取りを黙って見ていたバンギッシュは、大きく「ハァ」とため息をつき、なお憤りを抑えきれないケインに代わって会話の舵を取った。
「国からの認可された正式な依頼じゃ。ほれ、これほど信頼に足るものはあるまい」
「んー、まあね」
「かの”魔匠”が制作した魔道具は、そのどれもが奇特で破格の性能をもつという。その世にも奇妙な魔道具を蒐集する依頼、そう起きるものではないぞ。どうじゃ、血湧き肉踊らんか」
「魔道具蒐集が趣味なんて変態は、爺しかいねぇんだよ。俺は普通なんでね、魔道具なんて一個で十分だよ」
「魔道具の美しさが分からんとは、なんと嘆かわしい。魔導技術が紡ぎ出した産物こそが魔道具であり未知の結晶だというに。師から教わらなんだか」
「生憎、クソ師匠は、俺を途中で見限ったんでね。それにあの人は、同じ種類の魔道具を複数抱える主義だ」
「複数愛主義か! クソッ儂の教えが行き届かんかったか変態め」
「爺にだけは言われたくないと思うわ」
依頼主が確定し、依頼内容そのものに信憑性が生まれたことで、ディライトの胸中には「受けてもいいかもしれない」という思いが芽生えた。
だが、それよりも、ディライトの意識は別のものへと向いていた。