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第28話

 路地を徘徊していたのは、ゴブリンのようでありながら、人の面影を歪に残した異形だった。

 口元も手も血に濡れ、すでに何人もの命を奪ったことは疑いようもない。

 このまま放置すれば、犠牲はさらに増える――そんな確信すら抱かせる。

 さらなる獲物を求めて、魔法生物がぎらついた目を巡らせた、その瞬間。

 ――頭上から、その全身をすっぽり覆うほどの巨大なフライパンが振り下ろされた。

 悲鳴を上げる暇もなく、異形は地面に叩き潰され、動きを止めた。

 血飛沫すら寄せつけぬように、リンリンはフライパンをひょいと振り上げる。

 するとその巨躯はみるみる縮み、彼女の手の中には、いつもの調理器具ほどの大きさに戻っていた。

 リンリンはそれを軽くクルリと回し、満足げに腰へと収める。


「これで13体目ネ。……いつ終わるアル」


 魔法生物を倒すということは、〈冒極〉の職員を倒しているという事。そして、その存在を前に犠牲となった町民もいる。

 町の安全を維持するために働いていた職員たちが、敵の手により真逆の行為をさせられている。

 余りにも無情な現実に、リンリンはただ、やりきれなさを溢すしかなかった。


「違う――14体目、だよ」

 

 そんなリンリンの背後へと、二足歩行のネズミのような魔法生物が路地裏から忍び寄っていた。

 しかし次の瞬間、サミアの得物が一閃し、異形は無惨に地へ伏した。

 倒れた魔法生物を見下ろしながら、サミアが冷ややかに数を訂正する。

 リンリンは小さく肩をすくめた。もちろん気づいてはいたが――それよりも彼女の目を引いたのは、錆びたはずの刃でありながら、まるで研ぎ澄まされた名刀で断ち切ったかのような切り口だった。

 あの少女が体内に取り込んだ魔匠連番(シリーズ)――【アヨングの魔法石】。

 やはり、異常だ。


(戦闘経験の全くなかった子が、これほどまでに……。やはり魔匠連番は危険ネ)


 リンリンの胸の奥に冷えた感覚が走る。

 【アヨングの魔法石】にしても、人を魔法生物へと変異させる【互酬匣】にしても、いずれも魔匠の手によって生み出されたものである。

 それらは強大な力を宿す反面、所有者のみならず、その周囲すら滅ぼしかねない。だからこそ、危険そのものと断じるほかなかった。

 ――それでも、目の前の少女の力を否定することはできなかった。


「やるアル……頼もしいネ。その調子でいくヨ」

「……うん」


 返事の割に、サミアの顔には陰が差していた。

 リンリンは、その理由を察した。


「心配アルか? ディライトのこと」

「……」


 サミアの浮かべる渋面は、きっとディライトを一人残してきたことへの負い目ゆえだ。

 二対一の構図では、誰が見てもディライトの方が不利に思える。

 加えて――スティレオは、かつてサミアが世話になっていた老人を殺した相手でもある。各地に点在する魔法生物を無力化するため仕方のないことだとしても、仇を放置するなど、心穏やかでいられるはずがない。

 そんな彼女の負の感情を宥めるように、リンリンはそっと声をかけた。


「フフ。大丈夫ヨ。アイツ、めちゃくちゃ強いネ。ランク4は飾りじゃないアル」


 コートを羽織り、黒眼鏡(サングラス)をかけて飄々と笑う青年の姿が、リンリンの脳裏に浮かんだ。

 戦闘力において、ディライトの右に出る者はいない。同じランク帯にある自分でさえ、勝ち筋を想像できない――それほどまでに次元が違う。

 ギルドごとに昇格の基準は異なる。なかでも、探索と戦闘に重きを置く冒険者ギルド〈冒極〉は、戦闘力を最重要視する。

 その〈冒極〉で、ランク4に昇格する条件はただ一つ。

 ――未知という存在を、切り拓くこと。

 人の知が及ばぬ領域――未踏の地や未解明の現象を、己ひとりの力で切り拓けるかどうか。

 ディライトは、それを可能とする存在なのだ。


「昔、未踏破の迷宮(ダンジョン)1つ目の巨人(サイクロプス)が群れをなして外に溢れ出したコトがあったネ。もし放っておけば、近くの町は全滅していたアル」

「……」

「それを全部、一人で片づけて迷宮も踏破したのがディライトの奴ヨ。数十体の巨人の屍が山みたいに積もってたって話。有名な武勇伝ネ」


 あの惨状は、今も語り草だ。

 冒険者だけでは到底手に負えぬと判断され、近隣ギルドに緊急依頼が発令された。誰もが死地へ赴く覚悟を固め、帰還の保証など微塵もなく、それでも進軍せねばならなかったほどの大事である。

 だが、いざ蓋を開けてみれば――巨人の屍が山のように積み上がるその中心で、悠然と立っていたのはただ一人の青年であった。

 その光景を目にした者たちは言葉を失い、やがて畏怖と共に彼の名を広めていった。


 “巨災狩りジャイアント・ハンター”――それが彼に与えられた異名。冒険者たちの間では、もはや知らぬ者はいない。


「……巨災狩り」

「ワタシ実際見てないから、ホントの所、どんな戦いをしたかは分からないヨ。でも、バカみたいな強さを持ったアイツは――」


 リンリンの視線がサミアへと向く。

 その瞳には、ディライトへの絶対的な信頼感が宿っていた。


「――絶対、負けないネ」

 

 そう言い切るリンリンの笑みには、一遍の疑いもなかった。

 リンリンの表情を見て、サミアの尻尾がわずかに揺れた。顔立ちは依然として乏しいままだが、先ほどまで漂っていた陰りは、もうどこにも見えなかった。


「さ、この調子でどんどん無力化していくヨ。今頃、支部チョサン泣いてるアル。――背中に活入れてやるネ」

「うん」


 このまま悠長に言葉を交わしている暇はない。

 魔法生物を野放しにしておけば、その分だけ犠牲は増えていく。

 何より――この状況下で、自らの手で身内を斬らねばならないケインが、一番苦しいはずだ。今頃、失意の底に沈んでいるであろうその背中を、叩き起こさねばならない。

 リンリンとサミアは、戦火に呑まれた町を駆け抜けていった。



 

 一方その頃、ディライトとスティレオの戦場は、辺り一帯を荒廃に変えるほど戦火を広げていた。

 瓦礫と化した建物群の前に、もはや野次馬の姿はひとつもない。


 廃屋を突き破って現れた巨人化した魔法生物が、咆哮とともに巨腕を振り下ろす。

 破壊の権化とも言うべき一撃。だがディライトは、避けもせず片手を差し出した。


 卓越した魔力強化をもってすれば、巨人の拳など造作もなく受け止められる。

 ――だが、今回は違った。


「あれ? 通るね――急ごしらえになってんじゃないの!」


 その瞬間、ディライトの身体から鏡面のような“もう1つの巨腕”が突き出し、巨人自身を殴り返した。

 ディライトの固有魔術――【反触ノ域(ドンタッチミー)】。

 魔力を欠いた接触は、この術式が許さない。触れた瞬間、必ず反射されるのだ。

 巨人は、自らの拳を喰らった衝撃にたたらを踏み、体勢を崩す。

 なおも間違いを疑うように右脚で蹴りを放つが、結果は同じ。

 跳ね返った衝撃が自らの脚を挫き、巨躯は建物を巻き込みながら地へと沈んだ。

 隙を逃さぬディライトは、大きく跳躍し、巨人の顔面へと渾身の拳を叩き込む。

 強化された拳が果実のように顔を潰し、地鳴りのような轟音が広がった。

 

「やはり、粗末な素体では有象無象だな……」

 

 その光景を物陰から見ていたスティレオの額に、冷たい汗が一筋流れ落ちる。

 先ほどの巨人は、とある一家を素材に無理やり寄せ集めた急造の魔法生物――ディライトの言葉通り、肉塊を縫い合わせただけの欠陥品だった。

 魔力を欠いたそれは、どれほど巨体でも烏合の衆にすぎない。

 周囲に広がるのは、瓦礫に沈む街並みと、幾重にも折り重なる魔法生物の死骸。

 次の手を探ろうとしたその瞬間、影がスティレオを覆った。


「隠れてんなよ」

「なっ――ぐあッ!!」


 いつの間にか、背後の瓦礫の上にディライトが立っていた。

 気づいた時にはもう遅い。退避しようと身を翻したスティレオに、渾身の拳が叩き込まれる。

 瓦礫ごと吹き飛ばされ、転がるスティレオ。しかし、追撃を恐れて必死に立ち上がった。

 だが、左腕は不自然な角度に折れ曲がり、吐き出した血が地を染める。

 その姿は、満身創痍そのものだった。

 

「ハッ……ハッ、化け物め……!」

「その化け物を起こしたのはそっちでしょ。さっさと降参したら? ま、殴るけど」

「だがッ――」


 荒く息を吐き、折れた左腕を押さえながらも、スティレオの瞳にはなおも炎が宿っていた。

 ディライトが訝しげに目を細めた瞬間、スティレオの全身から魔力の奔流が噴き上がり、空気が震える。

 次の刹那、戦場の空間を埋め尽くすように、無数の光球が浮かび上がった。

 ひとつひとつが黒く濁った光を宿し、内側には灼けつくような魔力が渦巻いている。

 圧迫感に満ちた光景の中で、スティレオは血を吐きながらも、口元に残忍な笑みを刻んだ。


「――やはり“巨災狩り”、噂に違わぬ実力だ。誇るがいい、その両手を血に染めてきた数を」

「お前――」


 周囲を浮遊する光球が、不気味に脈動した。

 それはただの魔力の塊ではない。スティレオの魔法――死者の魂を強引に魔力へと変換し、怨嗟と共に形を与えられたもの。

 ひとたび標的を認識すれば、地の果てまでも追い続ける呪いの弾丸だった。


グレッグ(【黒喰ノ銃】)ッ!」

『もうしゃべっていいのかァ!』

「何一人でサイレントしてんの!」

『テメェが黙っとけって言ったんだろがァ!?』


 ディライトの叫びに呼応し、黒いネックレスが脈動した。

 瞬く間に鎖が解け、黒金属の塊へと形を変える。

 本来の姿である魔銃――魔道具【黒喰ノ銃】がその手に収まった。

 右手に構えた瞬間、銃口が黒く輝き、迫り来る光球を吸い込む。

 魔力は弾丸として圧縮・装填され、内部から脈打つ鼓動が伝わってきた。

 グレッグは引き金を立て続けに引き、次々と光球を吸収していく。

 だが数はあまりに多く、処理しきれぬものがディライトを襲う。

 回避を余儀なくされる中、ディライトは相殺を狙って魔弾を撃ち放った。

 ――その瞬間、銃口から放たれた黒い閃光は軌道をねじ曲げ、まるで意思を持ったかのようにディライトへ襲いかかる。


「なッ――!?」


 思わぬ裏切りの一弾に、ディライトは身を捻り、間一髪で回避した。

 吸収した魔法を撃ち返したはずが、なお自分を追ってくる。異常な光景に、銃そのものが悲鳴をあげる。


『ア゛ァ゛ッ!? 何だァ゛!?』

「……闇魔法の一種か、つくづく屑野郎だな」


 ディライトの視線が鋭く光り、この魔法の理を悟った。

 町内で繰り広げてきた戦闘で、スティレオがけしかけた魔法生物は二十を下らない。

 数がいかに多くとも意味はない。ディライトの前では、結局は烏合の衆に等しい。

 だが、その一体一体は、もとをただせば人間を歪め変じた存在である。

 スティレオの魔法は、死者の魂を糧に変える。

 その結果、ディライトへ殺到する闇色の光弾は、まるで犠牲者の数を数えるかのように、倒された魔法生物の数と一致していた。


「気付いたか。この魔法は消えない、当たるまでな。そして、その標的はただひとつ――自分を滅ぼした相手だ」


 闇光の群れに巻き込まれぬよう、瀕死の身を引きずりながら距離を取るスティレオ。

 しかし、その眼光は退路を求めるものではなく、なおも獲物を狙う獣のようにディライトを見据えていた。

 

(そして、使え。貴様の奥の手を。あの時、確かに使ったはずだ)


 スティレオの脳裏に蘇るのは、廃教会での一幕。

 魔銃では防ぎきれぬ状況――魔力の壁に四方を囲われ、押し潰されかけたディライト。

 それでも奴は切り抜けた。何か、自分の知らぬ手段によって。

 知らなければ、作戦の最終局面が崩れてしまう。

 だからこそ再び、同じ盤面を整えた。

 今度こそ、ディライトに隠された手を暴くために。

 確信めいた笑みが、スティレオの口端をわずかに歪めた。


『ディ! さっさと()()使えよォ!』

「……」

『おいディ!』

「うるさいな、分かってるよ」


 もはや回避以外に術がなくなった状況で、グレッグが焦りの声をあげた。

 ディライトもまた、それが唯一の選択肢だと理解している。

 だが同時に、その「選択」を敵に強いられていることにも気づいていた。


 ――視られている。


 距離をとったスティレオが、虎視眈々と動きを観察していた。

 魔法がディライトを葬ることを期待する眼差しではない。

 なおも勝利を諦めず、相手の奥の手を暴こうとする者の目だ。

 それでもなお、ディライトに奥の手を封じておく選択肢は残されていなかった。


「くそッ――『衝咆(インパクト・ロア)』」


 ディライトは固有魔術を展開したまま、右手でグリップを握り、左の掌をその側面へと叩きつけた。

 術式同士が触れ合えば、相反する力が反発し合う。

 その矛盾は肥大し、やがて収束することなく暴走的に膨張し、莫大なエネルギーを生み出す。

 それは魔術【反触ノ域】の極地。

 ディライトを中心に衝撃波となって解き放たれた。

 襲い来る闇光の弾は次々と砕け散り、瓦礫と砂塵を巻き込みながら周囲一帯へと弾き飛ばされる。

 脅威は一掃された。だというのに、ディライトの顔は晴れない。

 対照的に、満身創痍のスティレオが浮かべるのは、確かな満足の笑みだった。

 互いの視線が正面からぶつかり合う。


「奥の手は……魔術由来か。そうか、そうか……ハッハッハッ!」

『……おいおい、あのオッサン笑い出したぞ? 頭可笑しくなったんじゃねェのかァ?』

「いや――」

 

 距離を隔ててなお、ディライトの耳に届くスティレオの笑い声――それは嘲りの響きだった。

 グレッグは、その笑いを「打つ手を失った末のもの」と受け取った。

 だが、ディライトは違うと直感していた。

 あれは敗者の声ではない。むしろ、描いた勝利へと一歩近づいた安堵の吐息。

 そしてその確信を裏付けるように、スティレオが言葉を放つ。


「――舞台は整った。中央区大聖堂で待っているぞ、ディライト・ノヴァライト!」


 それは勝利を確信した者の捨て台詞――まるでこの場から姿を消すことを予告するかのような台詞だった。

 スティレオは折れていない右腕を掲げる。

 次の瞬間、上空から巨大な影が覆いかぶさった。

 鳥の姿をしていながら、輪郭の端々に人間の名残をとどめた魔法生物。

 無数の手の形をした翼をバサバサと羽ばたかせながら、スティレオを掠め取るように滑空してくる。

 スティレオはその怪鳥の足を巧みに掴み、宙へと舞い上がった。

 しかし――。

 ディライトとてその逃走劇を悠長に見守っているわけではない。地を蹴り、みるみるうちに距離を削っていく。


「逃がすとでも」

「だから言っているだろう、戦略的撤退だと。それに――魔道具を気にした方がいいんじゃないか?」

『デ、ディ……オレサマ、もう限界だァ!』


 スティレオの言葉に、ディライトがグレッグへと目を向けた瞬間。

 銃口が震え、黒光の呪詛弾が7つ、堰を切ったように吐き出される。

 吸収して魔弾へと変えてもなお、攻撃性は失われていなかった。その凶弾を7つも抑え込んでいたグレッグは、ついに限界を迎えたのだ。

 容赦なく迫る魔弾に対し、ディライトは先ほどと同じく『衝咆』を放つ。轟音と共に闇光の塊は粉砕され、脅威は一掃された。

 だが、視線を戻したときには、スティレオの姿はすでに上空、遥か彼方。

 今から追撃するのは不可能だと悟ったディライトは、銃器型のグレッグを静かにペンダントへと収めた。


『すまねェ……』

「いいさ。謀略は気になるところだけど……グレッグ自分で言ったこと覚えてないの?」

『……オレサマ何か言ったかァ?』

「全部ブッ飛ばしちまえばいい、だろ?」

『……ハッ! そりゃオレサマの流儀だァ!』


 復活したグレッグと共に、スティレオの待つ大聖堂へ。ディライトの足取りは、確かな決意を刻んでいた。

明日22:30に投稿します!

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