第26話
夜間、〈鈴々亭〉。
冒険者ギルド〈冒極〉支部長ケイン・ニールデンからの情報も一区切りし、店は束の間の安らぎに包まれていた。
皿を積み上げたサミアの手が止まったとき、扉が荒々しく開く。
駆け込んできたのは〈冒極〉の正装を纏う職員だった。
「支部長!」
「見つかりましたか」
「南地区にて発見しました。ですが……」
「ですが、何ですか。報告しなさい」
スティレオ・ブラウンの行方を追わせていた捜索隊。その報告を携えて駆け込んできたと見たケインは、進展を期待した。
だが職員の口から出たのは、最悪の一言だった。
「それを包囲した捜索隊はか、壊滅――捜索対象であるスティレオ・ブラウンは、再び行方をくらましましたッ」
「何!? 職員の中でも武闘派を派遣したんですよ!?」
「隊を指揮していた次長は、行方が知れず……!」
「この一瞬で――一体、どうやって……?」
――スティレオ・ブラウン捜索隊の壊滅。
最悪の報せに、ケインは目眩を覚えた。
派遣したのは歴戦の職員ばかり。冒険者上がりの実力者を揃え、次長――ランク3の男まで隊長に据えていた。
【互酬匣】の情報も事前に共有していたはずだ。
それが三時間足らずで、一人の男に潰された。
信じ難い現実に、ケインは眼鏡を押し上げるように目元を覆う。
動揺を隠せぬ上司へ、言葉を探しながら職員が一歩踏み出した――その瞬間。
「支部ちょっ――」
「支部チョサン!」
風船のように、職員の身体が内側から膨れ上がる。
カウンター越しに異常を見たリンリンが悲鳴じみた声を上げたが、ケインはすでに動いていた。
「一日にそう何度も――」
席を飛び出したケインの拳が、異形へと突き刺さる。
「――喰らうわけがないッ」
頭部を撃ち抜かれた職員は、床を抉る衝撃とともに崩れ落ちた。
動かなくなったその姿へ、ケインは失意と憐憫の色を宿した瞳を向ける。
「すまない……ッ」
この職員は、一体どうやって【互酬匣】の影響を受けたのか。
そもそも、何故このタイミングで魔法生物へと姿が変異しそうになったのか。
疑問は尽きず、自責が胸を締め付ける。
だが――変異しきる前に終わらせられたのは、せめてもの救いだ。
そう思い込まなければ、部下を自らの手で殺めた事実に心が折れてしまう。
「まだだケインッ」
ディライトの焦りを帯びた声が空間を震わせた。
ケインは、部下を失った痛みに沈みながらも――変異する前に仕留めたと考えていた。
膨張したまま倒れ伏す姿を「完全変異の失敗」と。
だが、それは誤りだった。
歪に止まったその姿こそが魔法生物の本態であり、変異はすでに完了していた。
骸の隙間から幾重もの光が漏れ出す。
生体機能が途絶えるより先に、魔法は発動していた。
――――轟ッ!!!
〈鈴々亭〉の店内を爆炎が呑み込んだ。
グレッグの起動が間に合わないと悟ったディライトは、食事中のサミアを抱え、外へと飛び出す。
ケインとリンリンも同時に退避し、爆発の魔の手を逃れていた。
店内を吹き飛ばすほどの威力だったが、さすが高ランク帯。誰一人として傷は負っていない――肉体的には。
粉々の窓、吹き飛んだ扉、燃え盛る店内。
それを前にした店主の瞳には、憎悪が宿っていた。
逃げ腰のディライトに、ドスの利いた声が突き刺さる。
「修理代、お前に請求するからネ」
「ははっ……イイヨ」
乾いた笑いも、リンリンの濁った視線の前に崩れ去る。
敵の攻撃であったとしても――密談の場に〈鈴々亭〉を選ばなければ、この惨事はなかったのだ。リンリンの追及は当然だった。
ギルドに押し付けようと現実逃避するディライトをよそに、リンリンの視線はサミアへ。
爆炎を逃れた今もモグモグと口を動かす食欲に呆れつつ、手に握られた鉈へと目を留める。
半ばで折れたその刃は、ケインがグツヮを退けた際に接収した魔道具。
すでに機能は失われているそうだが――どうやらサミアが炎に呑まれる直前に持ち出していたらしい。
「サミアチャン、それ」
「ん。まだ使える」
「使えるって――」
リンリンの言葉に視線が集まると、小脇に抱えられたサミアは、なぜか誇らしげに折れた鉈を掲げてみせた。
この鉈は魔導技師の鑑定によれば、特定の所有者にしか効果を発揮せず、今や刀身も折れてただの鉄塊にすぎない。
だからこそ、ケインにはサミアの態度が理解できなかった。問いただそうと口を開いた時――。
野次馬と化した群衆の中から、一人が進み出た。
髪をオールバックに撫でつけ、スーツと呼ばれる正装に身を包んだ姿が視界に入った瞬間、四人は同時に戦闘態勢へと移った。
「これは豪勢だな。ランク4の冒険者に料理人、〈冒極〉の支部長まで」
「まさか――スティレオ・ブラウンか!?」
姿を現したのは、襲撃の首謀者その人だった。探索隊を出してまで探していた相手が、自ら姿を現すとは――。
驚愕するケインをよそに、真っ先に動いたのは一匹の獣だった。
サミアは獣人特有の跳躍で一瞬にして間合いを詰め、左手に鉈を握ったまま、右手のナイフを閃かせた。
「お爺の、仇ッ」
どんなに錆びた刃でも、【アヨングの魔法石】を取り込んだサミアの手にあれば脅威と化す。
だが、刃はスティレオには届かなかった。
突如出現した魔法生物が直剣で受け止め、返す一閃がサミアの首を狙った。
咄嗟に身を仰け反らせ、続けざまに後方宙返りで仲間のもとへ退くサミア。
「獣の躾がなっていないな、飼い主の自覚はどうだ、ランク4」
「俺は放任主義でね。どこかの誰かさんみたく負け犬に育てる趣味はないんだ」
「……依然、口ばかりは達者だな」
先制のつもりの挑発を、倍返しで返され、スティレオは怒りを通り越して呆れを見せた。
その応酬に、リンリンが静かに割って入る――。
「お前アルか?」
「主語が見えんな。何がだ?」
「ワタシの店を爆破したのは、お前か、と言っているアル」
「身に覚えがないな……支部長なら、何かご存知では?」
「貴様――」
〈鈴々亭〉を吹き飛ばした爆発。
報告に来た職員が魔法生物と化し、起爆剤となったのは明らかだ。
その元凶が平然と白を切る姿に、ケインの血は煮えたぎった。
額に青筋を浮かべ、今にも殴りかかろうとするその刹那――視界の端に、魔法生物の直剣が映る。
透き通るように薄く鋭い刃。奥の景色が透けるほど、常識を逸した材質。
鉄鋼ではありえない、あの素材。
ケインは、それを知っていた。
(”魔剣”……?)
制作過程で魔法や魔力を織り込んだ剣――通称”魔剣”。
振るえば炎を纏うような派手な品もあれば、見た目だけでは効果の程が分からぬものもある。
魔法生物の直剣は、後者だった。
紙のように薄い刃。だが、訓練場で一度だけ握ったときの記憶がある。
鉄鋼に劣らぬ強度と、何倍もの軽さ。
――ペルニット町〈冒極〉支部が誇る秘蔵の一振り。確かに、次長へ支給されたはずの剣だ。
「まさか、次長なのか……?」
枝のように痩せた上半身。獣のように肥大した下肢。歪な肢体。
面影などどこにもない。だが、その魔剣だけが彼の存在を物語っていた。
職員から次長の失踪を聞いたときは、信じ難い話だと思った。
だが今は――。
怒り、悲しみ、憎悪。胸中を渦巻く感情が、全て負へと集約していく。
……そのとき、ケインは踏みとどまった。
(あの次長が……こんな容易く? ランク3に至るまで鍛え上げた男が?)
ランク3は才覚も努力もなければ到達できぬ領域だ、とケインは誰よりも理解している。
その実力者が、罠に嵌まり、無抵抗に魔法生物へと堕ちるだろうか。
〈鈴々亭〉で爆発した職員。そして今、魔法生物と化した次長。
一本の線が脳裏で繋がり、ケインの背を冷気が走った。
「もしや……既に、職員は魔道具を――」
呟きと同時に、爆ぜる轟音。
〈冒極〉支部の建物から、黒煙が立ち昇った。
視界に広がったその光景で、ケインは確信する。
「リンリンさん、サミアさん! ペルニット町〈冒極〉支部支部長として、正式に依頼します。どうか、受諾していただきたい!」
「ギルドの爆発と関係あるアルか?」
「……何?」
呼ばれて駆け寄ったリンリンとサミア。
リンリンは〈冒極〉での爆発に言及し、サミアは戦闘中に呼ばれたせいか気怠げな表情を浮かべている。
「【互酬匣】の影響化にある魔法生物が、既に町で暴れています。数は――30体ほど」
「何で数が分かるアル?」
「それは……素体が〈冒極〉の職員だからです」
告げられた一言に、リンリンもサミアも凍りついた。
店での爆発。続いてギルドでの爆発。無関係ではないと察してはいた。
だが――まさか〈冒極〉の職員たちがそのまま化け物に変えられていたとは。
「……確かネ?」
「間違いないでしょう。何、遠慮はいりません。町民の安全が第一ですから」
「支部長サン……」
魔法生物に変えられたからといって、彼らはすでに死んだわけではない。だが――生かしておくこともできない。
次の瞬間には、スティレオの命じるままに無辜の町人を斬り裂く姿が目に浮かんだ。
彼らを斃す。それはすなわち、ケインが自らの部下を葬ることにほかならない。
その苦しみは、心を削るに十分だった。
本当に、それでいいのか――。
リンリンは問いかけるように彼を見た。
だが、ケインの顔に浮かんでいたのは、迷いではなかった。深い苦悩を宿しながらも、それでも決して揺らがない覚悟だった。
〈冒極〉支部長としてのその決意に、リンリンもサミアも、静かに頷いた。
「では、二人は南から西へ。隊の半数がその辺りに散らばっているはずです。私は北から一掃します……もし、余裕があれば――」
「大丈夫。痛みは感じさせないネ」
「……」
「後生です……ッ」
ケインの意図を察したリンリンが答え、サミアも頷く。
魔法生物に堕ちても、彼らはかつての部下だ。せめて苦しまずに逝かせたい――ケインの願いを、二人は黙って引き受けた。
南へ駆ける二人の背を見送り、ケインは視線をスティレオへ移す。
敵と、その隣に佇む魔法生物は沈黙を保ったまま。仕掛けてこないのは、ディライトの睨みが利いているからだ。
「任せる」――その一言が、どうしても喉を通らない。
迷うケインに先んじて、ディライトは仕草で応えた。
背に親指を向ける――行け、の合図だった。
「――任せます!」
堂々とそう告げ、ケインはリンリンたちとは逆方向へ駆け出した。
各地へと散っていく姿を見ても、スティレオは微動だにしない。
その様子に、ディライトが眉をひそめた。
「妨害しないの?」
「実を言うと、貴様らを切り離すのが目的でな。今の状況は、むしろ好都合だ」
スティレオ自らが戦場に姿を見せたのは、ディライトの意識を自身へと向けるためだ。同時に、各方面で魔法生物を暴れさせることで、ケインやリンリンら実力者たちの注意を巧みに逸らした。
ディライトを孤立無援の状態に追い込む――それこそが、スティレオの当初からの狙いだった。
「あっそ。ま、お前が考えてる通りの展開には、ならないんじゃないかな」
そう言うやいなや、黒眼鏡を外して、ディライトは準備運動をし始めた。
敵前にもかかわらず、悠長なその様子に、スティレオは嘲りの表情を浮かべる。
(せいぜい、油断しているがいい。その怠慢が、貴様の首を絞めるのだ)
建物の影や、遠巻きに眺める野次馬の中に、複数の魔法生物を配置している。
数の有利に任せて戦端を開けば、廃教会の時と二の舞になるが、前回と異なる点は、ランク3という強力な素体を魔法生物にできたこと。
この魔法生物をディライトにぶつけ、更に複数の魔法生物による多重の魔法で畳み掛ければ、あの飄々とした態度にも綻びが見えるはずだ。
未だ魔銃をペンダントの姿にしたまま、首に手を添え、小さく骨を鳴らすディライトへと、抱かれてしかるべき疑問をスティレオは口にした。
「どうした。魔銃は出さんのか」
「一個、勘違いしてるけどさ――」
緩やかな伸びのあと、ディライトは一言だけ告げて姿を消した。
一瞬で間合いを詰めたディライトが、魔法生物の懐へと潜り込む。
反応した魔法生物が魔剣を振りかぶるより早く、ディライトは魔剣を左手で掴み、魔力を帯びた腕力でそのまま折り砕いた。
魔剣が硬質さと軽量さという相反する特性を両立できていたのは、その材質の大半が魔力で構成されていたからだ。
だが、その魔剣を失った今、ディライトに抗う術を失った魔法生物に、もはや成すべき手立ては残されていなかった。
狂気じみた笑みを浮かべ、ディライトは右拳を魔法生物の胴へと振り抜いた。魔力で強化された拳が肉を裂き、深く食い込む。
地を割るほどの衝撃と共に、魔法生物は崩れ落ちた。
「――グレッグはあくまで、手段の1つだから」
「貴様あの時、本気ではなかッ――がはッ」
ディライトの実力を見誤り、至近まで接近されていたスティレオは、まともに殴り飛ばされた。
魔力で強化した腕で防いだにもかかわらず、衝撃は鈍く重く、全身を揺さぶる。
スティレオの身体はそのまま、近くの家屋の壁へと叩きつけられた。
壁に叩きつけられた瞬間、肺の空気が一気に押し出され、スティレオは息が詰まるような苦しみに襲われた。
喉を押さえながら数度むせるように咳き込み、ようやく浅く息を吸い込む。
ディライトが、逃げ場を奪うように歩み寄ってくる。
「どうしたよ、負け犬。復讐しに来たんだろ?」
「……想像以上の化け物だったのでな」
「さっきは休暇明けで鈍ってただけだから」
廃教会で戦った際、ディライトの強さは、特殊性の高い固有魔術にあるとスティレオは見ていた。
魔力を伴わない物理攻撃を反射し、魔銃で魔法を防ぐ――受けに回りながら対応していく戦法だと。
勘違いしていた。注視すべきは、洗練された魔力強化術。
最小限の魔力で最大限の効果を引き出すその効率こそが、ディライトの真の強み。
魔力強化によって底上げされた身体能力こそが、最大の脅威だったのだ。
自身の見立てが甘かったと気付き、スティレオは背筋を冷たい汗が伝うのを感じていた。
「今更、止めますとか言うなよ?」
「安心しろ。計算が狂っただけだ、少しな」
スティレオがそう言った瞬間、背もたれにしていた家屋の壁が爆ぜた。
中から姿を現した異形が、壁を破壊しながらディライトへと飛び掛かる。
その姿は蛇に似ていたが、常識的なサイズではない。人間を丸ごと飲み込めるほどの巨体で、顔は人面だった。
大部分が魔力で構成された魔法生物の突進に、ディライトはわずかに後退しつつも、素手でその顔面を受け止めた。
「人面蛇の一本釣り、いってみようか!」
掴んだ人面の顔を軸に、ディライトは腕に血管が浮き上がるほど力を込める。
魔法生物の巨体が、地を引き裂くような軋みと共に宙へと持ち上がった。
次の瞬間、せーの、と呟きディライトは半壊した家屋を狙いすまして、その質量を振り下ろす。
轟音。衝突と同時に家屋は粉砕され、魔法生物は全身から血を噴き出して動きを止めた。
舞い散る土煙が晴れると――そこに押し潰されているはずのスティレオの姿は、なかった。
「逃げんなよ。受け止めてあげてよ」
「……ハァ……ハァ、中々――」
――骨が折れる。
荒い息遣いを繰り返しながら、スティレオは次の策を巡らせる。
計画は狂った。だが、全体の進行に支障はない。
想定していた余裕が削がれ、常に死地と隣り合わせになった――それだけのことだ。
勝利のために覚悟を刻むと、スティレオは周囲に控えていた魔法生物たちを起動させた。
明日22:30投稿予定です!




