第25話
「――と、こちらを追い詰めたと思い込んでいるだろう」
「ホントにー? ランク4の彼がそんな温い思考するかな」
「奴の意思と組織の動きは、また別だ」
ケインたち〈冒極〉側が血眼になって探しているスティレオ・ブラウンの居所は、町中のとある珈琲店にあった。
冒険者が集うような酒場とは異なり、喧噪からは程遠い店内で、スーツに身を包んだスティレオがカップへと口を付けて、いかにも苦そうな黒い液体を口内へと含んでいく。
隣に座したトリニティ・バウマンが、仮面の下に隠した表情を歪めた。信じられないものを見るような目で、味わい深く嚥下するスティレオの姿を捉えていた。
「偏見だけどさ。珈琲飲める人って、頭可笑しいよね。あと、こだわり強そう」
「貴方に言われたくはないな。無糖以外のものを珈琲とは認めなくないが……加糖を飲めばいいではないか」
「一緒じゃん」
トリニティは、スティレオの珈琲論を一刀両断すると、ズズズ、とカップに口をつけて中に入った果汁を飲んでいく。
戦端を開くことに熱意を高めたスティレオへと、トリニティは疑問をぶつけた。
「戦う意味、ある?」
「その質問の意図は、戦わずとも魔匠連番を奪取できるのではないか、ということで合っているか?」
「ご丁寧にどうも、その通りです」
「可能か、不可能かと問われれば――可能だろうな」
その一言に、トリニティは飲んでいる途中のカップをテーブルへと置いた。
思わぬ回答に、仮面に覆われたトリニティの顔がスティレオへと固定された。
「じゃあ、その方向でやろう。すぐやろう!」
「落ち着け。確かに労せずして得るに越したことはない。だが――」
スティレオは迫りくる仮面を片手で抑えながら、もう片方の手で珈琲を一口飲んだ。
ギルドから下された命令は、〈冒極〉が所有する魔匠連番の奪取だ。トリニティが主張する通り、戦闘を避けて魔道具のみに狙いを絞ることが、正しい選択なのだろう。当初、スティレオもそのつもりであった。
だが、その選択肢が正解ではあっても、最善ではないことをスティレオは理解した。
何故魔道具を奪取するのか、何故狙いが〈冒極〉なのか。
ギルドが下した命令の、更に奥の意図を汲み取れば、スティレオが取る選択肢は1つしかなかった。
「――ディライト・ノヴァライト。戦って分かった。奴の存在は、私たちにとって必ず障害となる」
スティレオは、確信をもってディライトの名を呟いた。その瞳には、決意の表情が宿っていた。
「それは……そうなんだけどさぁ。レオがやる必要あるかって僕は言ってんの」
「あるさ、トリニティ。貴方の地位を盤石にするためだ。部下の功績は上司の功績、だろう?」
「……上司想いで助かるよ」
ギルドに所属する者全員が、同じ方向を向いているわけではない。規模が大きくなるにつれ、それは顕著となる。所謂、派閥争いというものだ。
ギルド幹部に位置するトリニティが、更に組織の上へと食い込むには、より大きな功績が必要となる。
〈冒極〉から魔匠連番を奪い取れ、という命令に加えて、ランク4を1人抹消できたとなると、ギルド内においてその評価は莫大なものとなるだろう。
そんな偉業を成し遂げた暁には、スティレオだけでなく上司であるトリニティへの評価も変わってくるというものだ。
部下の健気な想いを受け取ったことで、これ以上の反論をすることができなくなったトリニティは、代わりに建設的な話を進めていくことにした。
「【互酬匣】最大の強みは、その生み出せる魔道具の数にある。廃教会のは、一か所で纏まってたから負けたんだよ?」
「それも要因だが……魔法生物を増やしたところで、そう簡単に囲って殺すのは難しいだろうな。こちらの手の内を知った奴ならば、その状況には持ってこさせまい」
トリニティが述べた【互酬匣】の利点は、所有者であるスティレオも勿論把握している。
魔法生物という手駒を増やすことで、戦力増強は図れるだろう。だが、ランク4という存在の前では、雑兵に過ぎない。
廃教会でのディライトの戦いっぷりは、目を見張るものがあった。
魔銃の特性上、事前に魔法弾を生成して戦闘に臨むことができたというのに、魔法生物が放った魔法を利用しただけで、その場を凌ぎ切ったのだ。
その適応能力の高さの前では、どれだけ数を仕込もうが対応されるのは目に見えている。
それに、ディライトを地下へと追い込んだ際に生じた、建物全体を揺るがすほどの衝撃。魔法を防ぐ手段は、魔銃だけではないはずだ。
町民を魔法生物に変えディライトへとけしかけることは容易いが、結果は廃教会と同様のものとなるだろう。
スティレオの否定的な意見に、トリニティの口がへの字に曲がる。
「じゃあ、どうするのさ」
「質だ。数より、質をぶつける。魔力量の乏しい一般人よりも、経験豊かでより素体に優れた者たちがいるだろう?」
魔法生物の強さは、素体とする人間の魔力量に起因する。魔力や量が大きければ大きいほど、比例して魔法生物の力も強大なものとなるのだ。
廃教会に住んでいた浮浪者たちを魔法生物に変えた際には、壁や床を裂くほどの威力を持つ魔法が放てていた。
襲撃を依頼したコイコイは大した魔力を備えていなかったが、魔の道に通ずる者を魔法生物に変化させることができれば、強力な戦力となることに違いない。
ディライト攻略の糸口をスティレオが提示した時だった。
珈琲店の出入り口となる扉が、勢いよく開けられた。
喧噪のない店内へと、三名の男が入店した。正装を纏った背中には、剣と盾の交錯した紋章が付いている。
「見つけたぞ、スティレオ・ブラウン! 〈冒極〉だ、身柄を拘束させてもらう!」
「あー、なるほどね」
「やっと来たか」
突如として現れたのは、〈冒極〉の職員であった。
町の治安維持も兼任している職員たちは、スティレオ捜索の任も相まって、各々得物を武装している。
慌ただしく店内を進んだ彼らが、スティレオとトリニティが座る席を中心に陣形を組んだにもかかわらず、二人の表情や仕草に緊張した様子は見られない。
〈冒極〉のギルド職員の姿を目にしたことで、トリニティは納得した表情を仮面の下に浮かべ、待ちわびたといわんばかりにスティレオは溜息を吐いた。
スティレオに加え、仮面を付けた仲間らしき存在も動かない姿勢に、先頭に立った職員が再三の警告を告げる。
「既に、この建物は包囲してある。暴れるなよ? そこの仮面を被った女もだ。報告にはあがっていないが、念のため貴様も拘束する」
「仕込みはもう済ませてあるんだ?」
「この町に来てからすぐにな。地方特有の杜撰な管理だった」
「そういう君の用意周到さを、僕は買ってるんだよ」
どうやら種は既にまかれているようだ。
長期戦を見越したスティレオの動きに、トリニティは舌を巻いた。ギルド内で、【互酬匣】の所有者を誰にするかと話があがった際に、多少強引にでもスティレオを推薦して正解だった。
今、【互酬匣】を誰よりも正確に扱えるのは、スティレオを除いて他にいない。
自身の選択が間違っていなかったことに口元を緩めながら、トリニティは再びカップへと口を付けた。
そんな悠長な姿に、警告を無視された職員たちは、腰に帯びていた得物を抜剣した。
先頭にいた男が、怒気を強めてスティレオとトリニティへと言葉を投げ掛ける。男にとっては、それが最後の警告であった。
「何を訳のわからんことを……! さっさと両手を挙げて、膝を床につけ!」
「来て早々、誠意がないんじゃないか? まずは、自己紹介だろう?」
「ふざけるな。貴様に教える名などない」
「ならせめて、ギルドランクを教えてくれないか。新米に捕まったとなれば、情けなさのあまり自害するかもしれん」
「……”3”だ。さっさとしろ」
座ったままに椅子を回転させて相対したスティレオは、ようやく職員へと反応を返した。
その余裕の表れに、問答をしていた職員は眉間に皺を寄せていく。
スティレオの返答は、ふざけた内容ではあったが、予想以上に聞き分けが良い姿に、態度を軟化させた職員は自身が有しているギルドランクを吐露した。
そのギルドランクは、3だ。
5階級に分けられた中で中間的な位階となるが、それでも辿り着くには相応の功績が必要である。
〈冒極〉で組まれた捜索隊の中で、男はランクが最も高く、支部長であるケインから現場の指揮を任されていたのだった。
男が吐いた情報を耳にした途端、スティレオは嗤った。
「ふむ、丁度か。素晴らしい」
「何をい゛っ――」
スティレオの呟きに、職員が不審な目を向けた瞬間に、それは起こった。
先頭に立っていた男の顔がぐちゃぐちゃ、と様々な形に変わりながら膨張していく。
突如として生じた顔面への異変は、身体全体へと広がっていき、男が手にしていた直剣が肉の波に覆われた。
男の身体が肉塊にまで膨張しきると、急激に収縮していき、魔法生物へと変身したその姿を現した。
人間のような姿を保っているが、その存在は人間からは程遠い。
全身を構成する皮膚は、肉と肉が絡み合った様相であり、二本の脚は異常なまでに太くなっている。上半身においては、ありとあらゆる臓器を削ぎ落としたかのごとく、細くまとまっており、生来の顔は判別がつかないほどに醜く歪んでいる。
特筆すべきは、その腕だ。両腕が絡まって構成された一本の腕が、得物であった直剣と繋がっていた。
魔法生物に変異した男の姿は、まるで剣を振ることに特化したかのような造形であった。
異形の誕生に、スティレオの拍手が場に鳴り響く。だが、それは新しい戦力獲得への喜びではなく、自身の予想が的中したことによる喜びを表したものだった。
「検証成功だ。実に……実に良い結果をもたらしてくれた! ――これで作戦実行に踏み切れる」
「せ、先輩ッ! どうし――グアァ゛ッ!」
「やめろッ! バカや――」
同行していた他の職員二名を、一瞬の内に魔法生物は斬り捨てた。
一名は戸惑いのままに腹部を。もう一名は鍔迫り合いに発展することなく剣を折られながら、頭部を切断された。
目前で起きた凶行を目の当たりにしたにもかかわらず、スティレオの意識は今後の動向へと向けられていた。
ディライト攻略の一環で、どうしても不確定な要素があった。
それは【互酬匣】により生み出した魔道具が、一定の魔力を有した者へと効果が及ぶのか、ということである。
利のある魔法効果は除いて、身に備えた魔力が強ければ強いほど、害意のある魔法効果へと抵抗することができる。万が一、魔道具を所持させていても、その効果が抵抗されるのであれば、せっかくの事前準備が無駄になってしまう。
それどころか、作戦の肝となる根幹部分のため、失敗すれば敗北は必至だ。
スティレオが捜索隊に見つかるまでに、ディライトへと仕掛けるタイミングを見計らっていたのは、懸念材料を確定的なものにしたかったからだった。
魔法生物へと変異した素体は、実力に相応した魔力を備えていた。つまり、職員が魔法生物に変異したということは、ランク3に至る実力者でも魔道具の効果対象内であることを証明している。
席から立ったスティレオが、未だカップに口をつけて果汁を飲むトリニティへと振り返った。
「では、手筈通りに」
「おっけー。上司想いも大概だけどさ、レオはやっぱりこだわり強いよ」
トリニティの言葉にスティレオは手を挙げて応えると、魔法生物たちを連れたって店外に続く扉へと向かう。
会計のために、スティレオはカウンターテーブルへと硬貨を弾くが、受け取る者はいない。
店主は珈琲を入れ続けるだけの、物言わぬ魔法生物と化していたからだ。他の客もまた同様に、魔法生物へと変異していた。
「ディライト・ノヴァライト。今度こそ、私の誠実を受け取ってくれ」
両開きの扉を両手で押したスティレオの顔に浮かんでいた表情は、闘志溢れたものや破壊への期待感ではなく、屈辱に塗れた怒りそのものであった。
明日22:30投稿します!




