第1話
敷き詰められた路線の上を、一台の列車が走り抜けていく。
先頭の煙突から立ち上るのは、煤ではなく淡く光る青い煙――燃えた魔石の残滓である。
魔導回路を組み込んだ車体は、石炭や油ではなく魔石を燃料とする。
結晶を砕き、魔力を絞り尽くした後に残る澱みが、こうして蒸気のような煙となり空へと吐き出されるのだ。
その軌跡は、近年の魔導文明の飛躍を示す象徴でもあった。
青い尾を引きながら疾走する魔導列車は、やがて1つの小駅に滑り込む。
到着を告げる汽笛が構内に鳴り響き、各車両の扉が次々と開いた。
そのうちの1つから、深緑のローブをまとった老人が姿を現す。
豊かな白髭を湛え、背筋を伸ばした歩みには、ただならぬ威厳が漂っていた。
老人を迎えるように、眼鏡を掛けた白髪交じりの壮年の男が一歩前に進み出る。
周囲に人影はまばらで、出迎えと言うにはいささか寂しい光景だが、それでも彼は深々と頭を垂れた。
「お待ちしておりました――テルヲ長」
「出迎えご苦労。急にすまんの、ニールデンや」
片手を軽く振り、労いを返す老人。
その名はバンキッシュ・テルヲ。
冒険者ギルド――通称〈冒極〉。
その巨大組織を束ねる現ギルド長その人であった。
自然と文化が共存する小さな町、ペルニット。
ここにも〈冒極〉の支部は存在し、男――ケイン・ニールデンが支部長として治めていた。
だが、バンギッシュがわざわざ地方の一支部を訪れた理由は、視察ではない。
彼には会うべき人物がいた。
「して、ディの奴はどこじゃ」
白髭を撫でながら問うバンギッシュに、ケインはわずかに言葉を濁す。
「……ギルドの近くにはおります」
「なんじゃ、歯切れの悪い」
バンギッシュの眼差しが鋭くなる。
それを受け止めたケインは一礼し、静かに口を開いた。
「テルヲ長は支部でお待ちを。私が呼んでまいりますので」
「いや、よい。時間が惜しい。案内せい」
短いやり取りののち、バンギッシュはローブを翻し、改札口へと歩みを進める。
ケインはその背を追いながら、小さく呟いた。
「……私は、精一杯やりましたよ」
懺悔にも似た吐息。
それが諦めか後悔かは分からない。
だが、ケインの感情の矛先が、バンギッシュの探す「ディ」と呼ばれた人物にあることだけは確かだった。
香ばしい匂いが漂う、とある料理店の店内。
「餡掛け炒飯ってやつ? これめっちゃ旨いね。リンリン料理向いてるよ」
「料理人に言うセリフじゃないネ。食ったらハヨ帰れアル、ディ」
厨房には、リンリンと呼ばれた女性が一人立っており、コック帽を身に着け堂々としている様は、この空間を提供している主と言われても納得がいく。
対して、厨房の正面に位置するカウンター席には、一人の青年が丸椅子に腰を下ろしていた。
肩口まで伸びたアッシュにくすんだ髪、薄暗い透過性をもった黒眼鏡をかけている。
ディ、と呼ばれた勝ち気な印象を与える青年――ディライト・ノヴァライトは、卵とご飯を和えて炒めてから餡を乗せた料理を前に舌鼓をうっていた。
こう見れば、気の知れた店主と客の何気ない日常に見えるが、料理を提供したリンリンは、何故かディライトを早々に追い出そうとしていた。ディライト以外には客が一人も見えない、閑古鳥が今にも鳴きそうな店内の状況。本来ならば、少しでも長く居てもらい、客寄せを担って欲しいはずである。
利があるとは思えない行動をとるリンリン、その理由はすぐに告げられた。
「ワタシの休憩削って出してるんダカラ、二倍は請求するヨ」
壁に掛かった時計へと指をさして主張するリンリン。
時計の短針は三と四の間を指し示しており、一日三食という規則正しい生活を送る者にとっては、昼時で口にしたものを消化している頃合いだ。
飲食店にとっては、利益を最も出しづらい時間帯である。普段ならば、リンリンは自身の城である料理屋〈鈴々亭〉の扉を閉め、店内のカウンターに座ってお手製のにんじん茶をシバいている。
「いいよ、俺金持ってるから」
「お前ホント鼻にツクネ。やっぱり三倍ネ」
「暴利だ暴利ー」
「うるさいネ。ワタシはこの店の王女ヨ」
「独裁者じゃん」
普段とは異なる展開を繰り出す店内、どうやらディライトは無理を言って入店したようだ。
リンリンが嫌がっていることは間違いないが、腹を空かせた者へと料理を提供せずに追い返すのは、料理人としての沽券に関わる。それにディライトとは旧知の仲であり、多少の融通は利かせてあげてもいいだろう。
「売り上げに貢献してるんだからサービスウェルカム」
「お前来なくてもウチは繁盛してるネ。寧ろワタシの業務妨害で出禁するヨ」
「あ、これエビ入ってんじゃーん、いいね」
「次は絶対、営業前に入れないネ」
「んだよ聞いてるって。通常料金の五倍は出すから」
「デザートもあるネ。ゆっくりしてくといいアルよ」
「態度代わりすぎでしょ」
リンリンの変わり身の早さに突っ込みをいれつつも、ディライトが食事の手を止めることはない。
提供された食事が舌を唸らせるほどの一品であることを加味しても、ディライトには食を急ぐ理由があった。
時計の短針が「4」の数字を間もなくさす頃合いだったからだ。休憩を終えた〈鈴々亭〉の扉が開くのは、夕方の四時。
ディライトたちが拠とするこの町に、リンリンが作り出す料理と似通ったものは1つもなく、その味の特異性や旨さから営業時間内に行列を絶やすことはない。ゆえに、営業時間の開始は、ディライトにとって店内を独り占めできる至福の時間の終わりといえた。
カウンターの隣席に仕事終わりの汗だくのオヤジが座るなど、考えたくもない。
早々と飲食用具を口内へと運ぶディライトに、リンリンは店主として当然のことを告げた。
「営業中もいていいヨ。勘定は五倍だけど」
「嫌だよ。想像してみてくれ。隣にむさ苦しいおっさん共が腰を掛けて――そうだな、ラーメンを啜っているとする」
「ウン、良い光景ネ」
「最悪でしょ。飛び散ったスープの雫、額の汗を拭った手で水の入れ物を持つ! あぁ、嫌だ嫌だ。考えただけでも怖気がする」
「お前大衆向いてないネ、ハヨ帰れ」
「だふぁらいほいへんの。んぐっ――第一、ギルドの隣ってのがいただけない。客なんか大勢来るに決まってるだろ、立地を考えろ立地を」
「お前は来る時間を考えるネ」
片手で飲食用具を握って飯を喰らい、もう片方の手で自身の身を抱いて身震いするディライトを器用だなと思いながら、リンリンは店の外を眺める。
ディライトの言う通り、〈鈴々亭〉は冒険の名を冠するギルドの建築物の隣に位置しており、その恩恵は計り知れない。
――冒険者ギルド〈冒極〉。
その名の通り冒険を担うギルドであり、主に魔物討伐や未知の踏破を目的とする営利組織だが、代金を支払って依頼をすれば、大体のことならば受理される。それゆえに、何でも屋の面も大きく、町役場並に人波が途切れることはない。
〈冒極〉へと問題の解決を依頼する側も遂行する側も、飯時になればお腹は空く。そういう時、食の嗜好がよほど尖っていなければ近場の飯屋へ足を運ぶのは当然だろう。
〈鈴々亭〉は、小さな二階建ての建物だ。
外装に派手さはなく、利益よりも味や通いやすさを優先するような質実剛健とした店である。飲食店としての立地が最高とくれば、繁盛しないわけがなかった。
店の外で行列をなして開店時間を待つ客からカウンターに座るディライトへと、リンリンは視線を移した。
がむしゃらに口内へと飯をかきこむ姿からは、威厳など微塵も感じ取れない。
「こんな男が支部長より偉いなんて、世も末アル」
「コラコラー。口に出てるよ」
「ランク4がここで油売っていいアルか」
「ランク5がとやかく言ってこない限りは、休暇中。言われても無視するけど」
「ランクの概念が息してないネ」
この国において、ギルドランクは五段階に定義されている。それは冒険者を総括する冒険者ギルドだけでなく、他の分野を専門としたギルドも例外ではない。
ディライトのギルドランクは「4」。
最高到達点であるランク5に次ぐ位階であるが、〈冒極〉だけに絞っても、その位階まで到達している者は、十名もいない。
この数字は冒険者にとって実力を示す絶対的な指標であり、数が高ければ高いほど優秀と見なされる。そして、ギルド職員とてランク制度の例外ではない。
冒険者と職員では昇格の条件は異なるが、それでも支部長クラスには「3」の位階が与えられる。
支部長であっても一冒険者であるディライトより、組織としての位階は低い位置づけであり、そう簡単に動かすことはできない。
ディライトは汗ばんだ前髪を左手でかきあげつつも、右手で口内へと飯を入れ込む。
「誰であろうと俺に意見は言わせないよ。――ひめるのはおえだ」
「喋り終わってから食えヨ。店はいつも通り開けるからネ」
「あほちょっと――」
「開けるからネ」
「はひ」
有無を言わせぬ言葉の圧に、下手な抗議は逆効果だと覚ったディライトは、最後に頼んだ餡掛けチャーハンを時間内に食べ終えれるよう、飯を口に入れては咀嚼せず嚥下していく。
――リィン。
店内へと鈴の音が鳴り響いた。これは入店の合図であり、店内へと誰かが入ってきたということである。
壁付けの時計の針は、まだ営業時間開始の時刻を指していないが、リンリン自らが扉を開けるまで数分の誤差だ。夜の部の営業を再開しても問題ないだろう。
洗い物を途中できりあげながら、リンリンは支部長と思わしき者へと声をかけた。
「いらっしゃいネ。すぐ伺うからテキトーな席に座っててほしいアル」
「すまんの、長居はせん。秒で終わる用事じゃて」
「……えっ」
随分と年季の入った声に、リンリンは思わず視線を向けた。
その瞬間、驚愕の声が漏れる。
白々とした髭を立派に蓄えた老人が、扉の前に立っていたからだ。だが、ただの老人ではない。
この町に留まらず――いや、この国全土に名を轟かせる存在。
リンリンもまた、その威名を耳にしていた。
喉からかすれるように絞り出された声が、老人の正体を告げる。
彼こそが、冒険者ギルド〈冒極〉において唯一無二、代わりの利かぬ存在であった。
「ギルド長……!」
「嬢ちゃん、ちょっとすまんの。おいディ、話がある。ギルドに顔出さんかい」
「…………」
「なんじゃその顔は。苦虫でも噛み潰しよってからに」
「……なんで〈冒極〉のランク5がいんだよ」
「お主に依頼じゃ。だからはよ来んかい」
突如として現れた人物は 冒険者ギルド〈冒極〉の総括者、ランク「5」を冠する存在、全ての冒険者の頂点に立つギルド長その人であった。
ディ、とディライトを愛称で呼んだ冒険者ギルド長――バンギッシュ・テルヲは、挨拶がてらにディライトの頭部へとアイアンクローを決めた。掴んだ箇所からミシミシと音が鳴り始め、少しでも痛みを緩和しようとディライトの足が踵から徐々に上がっていく。
やがて椅子から完全に立ち上がり、引きずられるようにして店外へ連れて行かれるディライトの表情は、苦悶に満ちていた。
「いででっいでっ」
「引きずられながら飯食ってるネ……」
それでもなお、皿と飲食用具を両手から離さない様に、リンリンはディライトの食への執念深さをみた――意地汚いとも言えるが。
扉の開閉を告げる鈴の音を皮切りに、「クソ爺離せー!」という声も次第に遠ざかっていく。数十秒もすればいつも通りで、開店前の静寂な店内へと元通りである。
嵐のように過ぎ去った冒険者ギルド一行に面食らっていたリンリンだが、ポツリと呟いた一言が、今の出来事をただの徒労であったと認識させた。
「食い逃げアル……!」
憤懣やる方ない思いであるが、事故にでもあったのだ、とリンリンは無理やり自身を納得させた。
ディライトのいたカウンター席を片付けるために、濡れた布巾で卓上を拭いていく。皿から落下していたご飯粒も一緒に拭き取ったようで、伸びたご飯粒が鬱陶しく布巾に絡みついている。
――二度と、店の敷居は跨がせないネ。
そんな些細な不快感が、リンリンの決意を後押ししたのであった。