第15話
静けさが戻り、ディライトはようやく一息を吐く。
視線を巡らせば、そこにあるのは異形の死骸と人間の亡骸、そして無惨な破壊の跡。訪れる前とはまるで別世界の景色だった。
結果だけ見れば、他者に犠牲は出たものの、ディライト自身は無傷。
それどころか、魔弾として新たな魔法を手中に収めてもいる。
待ち伏せが失敗に終わったことに、ディライトは口角を吊り上げ、嘲るように吐き捨てた。
「で? 俺の命に手が届いてないわけだけど、どうすんの?」
「――やるじゃあないか」
その挑発に応じる声が、辺りに低く響いた。
視線を巡らせたディライトは、音の出所を捉える。
コツ、コツ、と規則正しい靴音が螺旋階段を下ってくる。やがて姿を現したのは一人の男。
巷で「スーツ」と呼ばれる正装に身を包み、整髪料で固めた髪は生え際がM字を描くほどに後ろへ撫でつけられている。無駄のない所作と隙のない佇まい――きっちりと、そんな言葉が似合う人物だった。
コイコイが語っていた通りの姿。
ディライトが探し求めていた人物が、ついに目の前に現れたのだ。
「予想していたよりも、随分と早い決着だったな」
「想定外だって? 登場初っ端から言い訳かよ」
「いやいや、そういうことじゃあない。もう何体か損害が出ると思っていたが……君は思ったよりも他人想いだな」
「……何?」
一階へと降り立った男に、ディライトは訝しげな視線を向けた。
胸に引っかかったのは、その言い草だ。
落伍者たちを利用して、魔法生物をさらに数体生み出すつもり――そこまでは読める。
結果として、魔法生物の出現は一体だけに抑え込めた。それにもかかわらず、男の不穏な言葉の真意は依然として掴めない。
まるで別の前提を抱いているかのようなその発言に、ディライトは警戒を深めざるを得なかった。
ディライトの疑念をよそに、男はゆっくりと口を開く。
その声音には、高揚と陶酔が滲んでいた。
「敵前で言うことではないが……実は五分五分でね。この状況を作り出すのに、確信なく挑んだのだよ。駒が少なければ、私は退いていただろう」
「もう勝ったかのような台詞だな。だから一人でのこのこと出てきたんだ?」
「それもある。……ところで、私は喧噪が嫌いだが、君はどうだ?」
「……」
スティレオの問いかけに、ディライトは口を閉ざした。
唐突な話題の転換に言葉を失ったのではない。――その裏を探るために、あえて沈黙を選んだのだ。
だが、そのわずかな空白が、逆に場の異常を伝えるきっかけとなった。
――音だ。
あまりにも静かすぎる。
小鳥や虫の囀りといった自然の音ではない。
逃げ出したはずの者たちの声が、一切聞こえないのだ。
命からがら廃教会を抜け出したなら、恐怖からの解放に歓喜や悲鳴の1つでも漏れるはず――にもかかわらず。
(まさか――)
脳裏に過った最悪な展開。
それを否定したくて、ディライトは出入り口である扉へと振り返った。
無慈悲。
あまりにも無慈悲な光景が、ディライトの視界を侵した。
「――自信の在り処は、これか」
出口へと向かっていたはずの五人の落伍者――いや、もはや“落伍者だったもの”だ。
彼らは例外なく魔法生物へと変じていた。
その姿は、火傷の男が堕ちた異形と同じく、水筒と融合したかのような醜悪な造形。
人間の面影などほとんど残っていない。
そして今、敵意に満ちた5つの砲口が、一斉にディライトへと狙いを定めていた。
「何、悲しむことはない。彼らは誠実ではなかった、ただそれだけだ」
「会話できないのか? 意味不明なんだよクソ野郎」
「理解は求めていない。まずは自己紹介といこうか」
正面へと顔を戻したディライトの鋭い眼光が、男を捉える。一般人であれば、竦み震え上がりそうなほどの殺意を向けられてもなお、スティレオは飄々とした態度を崩さなかった。
近場の長椅子へと腰を下ろした男は、悠然とした姿勢のままに口を開いた。
「私の名は、スティレオ・ブラウン。長い間か短い間かは君次第だ。宜しく頼もう」
「頼まれねぇよ。M字ハゲオールバック野郎で十分でしょ」
「……言葉には気をつけたほうが良いぞ、ディライト・ノヴァライト。身体に4つも穴は開けたくないだろう?」
スティレオ・ブラウンと名乗った男が、なぜこれほど自信満々なのか――ディライトは理解した。
背後に控える魔法生物は五体。すなわち、最大で五本の『水ノ噴流』が同時に襲いかかってくる。
初速は尋常でなく、もし一斉に放たれれば、グレッグで吸収できるのはせいぜい一本。
状況だけ見れば、圧倒的にディライトが不利。
これまでの戦闘を観察していたスティレオが、そう結論づけたのも無理はない。
――だが、それは正面から愚直にやり合えば、の話だ。
ディライト・ノヴァライトは冒険者。
どんな窮地にも適応しなければ生き残れない。状況、地形、敵の性質――環境すべてを掴み、利用してこそ冒険者だ。
その術を磨き続けてきたからこそ、彼は今もこうして立っている。
「もしかして、1つしか防げないと思ってる? 事前に俺の事調べておいて、それはさ――舐めてるっつーんだよ」
「舐めている、か。それは事が起きれば分かるだろうよ」
強気の姿勢を崩さぬスティレオに、ディライトは漆黒の銃身を突きつけた。
銃口の先はスティレオの額。右手の指に力を込めさえすれば、一瞬で命を刈り取る水線が放たれる。
――だが、それでも男は眉ひとつ動かさない。
むしろ余裕を誇示するかのように、懐から櫛を取り出すと、髪を丹念に撫でつけ直してみせた。
「私は戦闘開始でもいいが……聞きたいことがあるんじゃないか、ディライト・ノヴァライト。ちなみに、私はある」
「……いいよ、乗った」
状況が状況であり、いずれ互いの雌雄を決することは避けられない。
それでもスティレオは、まだ対話を望んでいた。
捕らえて拷問するより、向こうから自ら語ってくれるのなら――ディライトにとっても願ってもない展開だ。
だが、即座に戦闘が始まると踏んでいたグレッグは、この唐突な話し合いを受け入れられなかったらしい。
ディライトの右腕に収まった銃器が、不満げにビクリと跳ねた。
『オ゛ォイッ! おっ始めるんじゃねェのかよッ。オレサマのッ、昂りをッ、返せッ!』
「悪い悪い、もうちょっと待ってよ」
「……ほぅ」
独りでに銃器が動き、まるで人間の如く意思表示をしている。
物珍しい光景に、スティレオは瞳を瞬かせた。
「喋るのか、それは」
『喋っちゃ悪ィのかよ? オ゛ォン゛? 喧嘩売ってんのかァ!?』
「なるほど、これは鬱陶しい。私の魔道具に、意思が芽生えなくて良かったよ」
「そこに関しては、俺も同意するよ」
『ア゛ァン゛!?』
憤るグレッグを軽く宥めながら、ディライトは背後に控える魔法生物たちへと、左の親指をぐいと突き出した。
何故、彼らは変異してしまったのか。
火傷顔の男が魔法生物に堕ちたときと照らし合わせても、条件が一致していないように思える。
その違和感こそが、ディライトの胸に最初の疑念を芽生えさせていた。
「変異条件ってさ、遠隔じゃないよね。何かしら一定の条件に触れれば、って感じでしょ? 例えば、アンタに不利な言動をする、とかね」
「そう複雑なことではない。私は条件を2つ設定しただけに過ぎない」
そう述べたスティレオは、腰に提げていた小柄な箱を取り外すと、ディライトへと見せつけるように掲げた。
宝箱の形状をしているそれは、手を模した彫刻に上下から包みこまれているかのような造形であり、異様な存在感を放っている。
一体、どんな代物なのか。最初にその正体へ触れたのは、ディライトやスティレオでもなかった。
自身の銃器から腕を伸ばして、ディライトの右手をポコポコと殴っていたグレッグが、宝箱を認識した瞬間にその動きを止めた。
『……おいおい、同郷じゃねぇかァ』
「その通りだ、奇怪な魔道具よ」
グレッグの反応を目にして、スティレオは口端をゆるく吊り上げた。
1つの魔道具で国を滅ぼす。
荒唐無稽に聞こえるその言葉を、現実のものとして可能にする存在がいる。
魔匠――その名で世に知られる伝説の創造主だ。
【黒喰ノ銃】が魔匠によって生み出されたことを、スティレオは知っていた。
そして、今まさに自分の手中にある、奇妙な意匠を備えた宝箱もまた、その同じ出自に連なるものだった。
「【互酬匣】という。どういうものかは……君ならもう理解しているだろう?」
「魔道具を生む魔道具、だろ」
コイコイに変異が生じた時点で、敵方に魔匠の魔道具を所持する者がいるのではないか――ディライトはそう勘繰っていた。
そして、火傷顔の男が変異した瞬間、その疑念は確信へと変わった。
仕掛けを備えた魔道具に、同類の匂いを嗅ぎ取ったグレッグ。
だが、それらを魔匠自ら生み出したというには、あまりにも凡庸で、粗雑ですらあった。
ならば導かれる答えは、ひとつしかない。
「ご名答。伝説と謳われる製作者が、魔道具に魔道具を創らせるとは、随分と滑稽だと思わないか」
「案外、魔匠ってのは怠け者なんじゃないの」
「怠け者、か。そいつは実に――不誠実だな」
【互酬匣】を再び腰へと引っ提げたスティレオは、長椅子の背もたれへと深く身を預けた。
視線はディライトの更に奥、魔法生物たちが鎮座している場へと向けられている。
「私が折角譲渡したというのに、彼らは投げ捨てただろう?」
スティレオが指した言葉。
魔道具を手放す――それこそが、人が魔法生物へと変異する条件のひとつ。
ディライトはそう結論づけた。
だが、なお疑問が残る。
落伍者たちが変異したのは、魔道具を放棄してからしばらく経ってからのことだった。
しかも、出口を塞ぐかのように並んだ魔法生物の配置は、偶然で片づけるには不自然すぎる。
訝しげに眉を寄せるディライトの表情を見取り、スティレオが口を開いた。
「あぁ、君の推測は半分当たっていたぞ。ただ捨てただけで、変化させてしまうような強制力はない。この場合、必要条件が満たせたということになるな」
必要条件。つまり、それは魔法生物へと何時でも変化が可能になったということだ。
起動できるのは、唯一人。
スティレオの笑みが、醜悪に歪んだ。
「要は、彼らに直接手を下したのは私だ」
「……もう1つの条件は?」
「そう憤るな。銃口の狙いがブレるぞ」
『おいディ。次に黙ってんなら、オレサマ自らが引き金を引くからなァ』
「安心しなよ。もう俺の指は軽いから」
道理に背いた言葉を平然と口にするスティレオに、グレッグが憤りを隠さなかった。
ディライトと共に積み重ねてきた日々は決して短くない。その時間で培った経験と記憶が、無骨な外見に似合わぬ正義感を彼に宿していた。
一方のディライトも、これ以上井戸端会議のように会話を引き延ばすつもりはなかった。
多くの情報を握るスティレオから無理に聞き出すより、まずはその余裕を打ち砕くことが肝要だと悟ったのだ。
怒気を纏った一人と一丁――その様子を前に、スティレオは心底愉快そうに口元を歪めた。
「長年の主従は似るというが……その通りだな――」
スティレオが軽口を叩いた瞬間、生命を刈るための水線が迸った。
ディライトが引き金を引いたのだ。
補填していた『水ノ噴流』が、瞬く間もなくスティレオへと襲い掛かる。
「――ッと、危ないじゃあないか。どうした、話はもういいのか」
スティレオの身を貫くと思われた死の水線は、突如出現した白い傘によって防がれた。
攻撃への警戒を怠っていなかったスティレオは、瞬時に【互酬匣】から傘を取り出して広げ、椅子に座った状態のままで、その身を守り抜いたのだ。
殺傷性の高い魔法を正面から浴びてもなお、傷1つない様から見るに、ただの傘でないのは明らかだ。
「やっぱ防がれるよなー」と落胆を隠そうともせず、ディライトは銃器のグリップで頭の掻痒感を誤魔化した。
「長い。アンタへの損得勘定で測ってないってことは、大方本人次第ってとこだろ。……感情、とかね」
「素晴らしい。ヒントを出しているとはいえ、そこまで言い当てるか。その通りだ、罪悪感と呼ばれる感情を切っ掛けとした」
「あっそう」
心底どうでもよさそうに呟いたディライトへと、背後から一本の『水ノ噴流』が迸った。
既に感知していたディライトは、迫りくる危機へと振り返ることなく、右手に握った銃身を背後へと向けて、その脅威を消滅させた。
前触れなく凶行に走ったスティレオへと、ディライトは依然視線を向けている。
「危ないな。怪我したらどうすんの」
「聞け。その気がないのなら、最初から聞くんじゃあない」
「聞かせる努力をしろよ。俺はもう戦り合ってもいいんだけど?」
「まだだ。私の質問が終わっていないだろう」
広げた傘を掲げたまま、スティレオは長椅子からゆるりと立ち上がった。
次話は明日22:30投稿です!




