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第14話

「ちッ」


 突如として現れた『水ノ噴流』は、実際の水ではなかった。

 肌を粟立たせるこの感覚――魔力から直接生み出されたものだ。

 ディライトは舌打ちを漏らしながら、咄嗟に身をひねって回避する。だが死の水線は獲物を逃すまいと、執拗に軌跡を描きながら追いすがった。

 横薙ぎに奔った水流が老人の首を跳ね飛ばし、そのまま縦横無尽に暴れ回る。荒れ狂う水刃が古びた床板を切り裂き、建物全体が今にも崩れ落ちそうに軋む。

 そして長椅子。寝台代わりに使われていたそこには、うつ伏せに休んでいた者がいた。

 『水ノ噴流』は容赦なく木材も肉体も同時に断ち割り、椅子は半ばで崩れ、切断面から赤い液体がじわりと滲み出た。


(これ以上の被害は、流石に看過できないな)


 次々と増えていく犠牲者に、ディライトは足を止めた。

 待ち伏せが確定した今、無闇に手札を切りたくない状況であるが、人命を犠牲にしてまで優位に立ちたいと思うほど、ディライトは冷血漢ではない。

 迫り来る水の刃を、紙一重で身を翻し避けながら、ディライトは叫んだ。


グレッグ(【黒喰ノ銃】)!」

『遅ェ! さっさと呼びやがれ!』


 ネックレスが淡く脈動し、淡光が弾けた。

 瞬く間に漆黒の銃器が形を取り、ディライトの右手に吸い込まれるように収まる。

 頭上を掠めていった水線が、再び彼の命を刈り取らんと迫ってきた。

 初動の射出は目にも留まらぬ速さだが、追尾そのものは荒削りだ。左右へとしつこく食らいついてくるが、狙いを合わせるくらい造作もない。

 引き金が絞られ、銃声が魔法の発動音のように鋭く響いた。

 直後、喉元へ迫っていた『水ノ噴流』は霧散し、空気に溶けて消える。

 脅威を退けたはずの一瞬――ディライトの手にある黒い銃は、勝手に“腕”を生やした。

 黒い影のような掌が銃身から伸び、ぷるぷると揺れて抗議するように震えている。


『オレサマを早く呼べや! 焦らしか、焦らしプレイなのかァ⁉︎』

(ちげ)ぇよ。お前を使う展開にさせられてるんだよ。馬鹿だから気付かないかな」

『んなもん全部ブッ飛ばしちまえばいいだろうがァ! 日和ってんのか? オ? オ?』

「……それもそうか。さっきも会話に入ってこなかったし、案外分別あるよね。お利口さんでちゅねぇ〜グレッグちゃんは」

『おい、幼児(エイジ)プレイはオレサマの趣向じゃねェ』


 老人の喉を貫いた初撃には間に合わなかった。

 だが、後に襲いかかってきた『水ノ噴流』なら――グレッグを起動していれば容易に対処できた。

 辺り一面を破壊に塗れさせることもなく、巻き添えを食らった落伍者たちを救うこともできただろう。

 それでもディライトがすぐに相棒を呼ばなかったのは、まるで「使え」と誘導されているかのような不快な感覚を覚えたからだ。

 策に嵌ったところで敗北する気は毛頭ない。だが、仕組まれた筋書きに従う気もさらさらない。

 結果、後手に回らざるを得なかった――その判断が受け身だったことを、グレッグは無言の抗議で突きつけてくる。

 ちらりと、ディライトの視線が周囲を走った。

 足元の木製の床は幾度も水線を浴び、今にも崩れそうに軋んでいる。

 破片と化した長椅子が散らばる混乱の中――ごろり、と転がるものが目に留まった。

 それは、つい先ほどまで孫を自慢する好々爺の顔を浮かべていた老人の「頭」だった。

 呆然とした表情のまま固まり、その瞳には生者が宿すべき光がすでに失われている。

 ディライトはギリ、と奥歯を噛み締めた。

 その重苦しさを和らげるかのように、右手の黒き銃――グレッグが、にやりと茶化すような気配を返してきた。


『……おいおい握り過ぎだっての。ったくもうオレサマのこと好きすぎなんだから!』

「ハッ。何言ってんの、逆でしょそれは」

「ひ、ヒイィッ! 化物ッ! 化物ぉぉッ!」

「……おっさん、情けないね」


 ディライトへ食ってかかっていた無精髭の男。

 攻撃地点に近かったにもかかわらず、かろうじて無傷だったが、恐怖に腰を抜かし、這いつくばって出口へと逃げようとしていた。

 先ほどまでの勢いが嘘のような醜態に、ディライトは憐れみにも似た感情を覚える。

 だがその一方で、再び襲いかかってきた『水ノ噴流』へと引き金を引いた。

 初撃の異常な速度には躱すことでしか対応できなかった。だが今は違う。

 すでにグレッグを手にしているディライトにとって、それを撃ち抜くことなど造作もない。

 銃口がとらえた水線は瞬時に霧散し、水霧となって空気に溶けていく。

 漂う霧の奥。

 そこには、もはや先ほどの男の姿はなかった。

 火傷痕の目立つ男は消え、代わりに現れたのは異形の存在。

 手足と胴体が融け合い、地面から突き出した肉塊のような体躯。

 極めつけは顔だった。水筒と融合したかのような異様な造形。正面を向いた飲み口の付近で、ギョロギョロと人の眼だけが不気味に動いている。

 天辺から伸びた髪――それだけが、かつて人間だった痕跡をわずかに留めていた。

 魔道具と融合した人間。

 もはや魔法生物と化したそれと、言葉を交わす余地はない。

 口に集まる魔力が、次の一撃の兆候を告げていたからだ。

 ディライトは辟易とした表情を浮かべ、銃口を魔法生物へと向ける。

 

「しつこいな」

「――さ、さっきは突っかかって悪かった! 助けてくれ!」

 

 這う這うの体で避難してきた無精髭の男が、ディライトの足元にしがみついた。

 絶体絶命の状況でなお飄々と構える彼の姿は、男にとって闇を照らす松明にも等しい。

 藁にも縋る思いで助けを求める言葉を吐いたその瞬間、ディライトは無造作に男を足蹴にした。

 だが、突き放すだけではない。短くも鋭く、今最優先でなすべきことを告げるのだった。


「助かりたかったら、持ってるその水筒捨てなよ」


 火傷の男が魔法生物へと変じた原因――それは間違いなく、彼の所持していた水筒にあった。

 起動方法は定かではない。だが、魔道具そのものを持たなければ、あの邪悪な力が発動することもなかったはずだ。

 それにもかかわらず、無精髭の男は致命的な勘違いをしていた。

 ディライトが水筒を欲しているのだと思い込み、恐怖に駆られるまま、そのまま差し出してしまったのだ。

 

「やる! 水筒でも何でもアンタにやるから! だから頼むぅ!」

「違う、そういう意味で言ってるんじゃ――」


 誤解を正そうとしたディライトの言葉を、魔法の発露が遮った。

 魔力を充填し終えた魔法生物が、口から再び水線を迸らせる。

 ディライトは即座に引き金を引き、その奔流を掻き消す。

 三度目のやり取り。だが、今度はそれだけでは終わらなかった。

 照準を外さぬまま、彼はさらに引き金を絞る。

 銃口から放たれたのは、弾丸ではない。敵が幾度も振るった『水ノ噴流』だった。

 圧縮された水線が一直線に走り、魔法生物の頭部を貫く。

 致命の一撃に、異形は支えを失ったかのように首を傾け、そのまま動きを止めた。


『Fu‼︎ 今日もオレサマの弾丸は冴えてるぜ! どうだってんだよ、オレサマの鉛玉を喰らった気分はよォ!?』

「弾丸じゃなくて、魔法ね」


 魔法生物を斃した直後、グレッグは銃身から黒い手を伸ばし、得意げにガッツポーズをしてみせた。

 その様子に、ディライトは冷ややかにツッコミを入れる。

 【黒喰ノ銃】――彼の相棒たる魔道具は、魔法を「消す」道具ではない。

 正しくは、魔法を吸収し、己の内部に留めることで任意に撃ち出すものだ。

 言わばアンチマジックでありながら、同時に簒奪者でもある。引き金を引けば、吸収した魔法や魔術を魔弾として撃ち出すのだ。

 先ほどの『水ノ噴流』も、その機構を用いた結果に過ぎない。

 グレッグの誇らしげな態度とは裏腹に、ディライトは冷静そのものだった。


「おいおいおい、なんじゃこりゃぁッ! どうなってんだァ!」

 

 静まり返った空間に、声が響いた。

 物陰に身を潜めていた落伍者の一人が、恐怖と安堵の入り混じった大声をあげたのだ。

 その叫びを合図にしたかのように、次々と潜んでいた者たちが物陰から姿を現し始める。

 

「ひいぃいぃぃッ! 化物! 化物がいるぞ! ……倒れてんのはじじいか!? あ、頭がねぇ……」

「アイツ、さっきまであそこで寝てたんだ。……半分ッ、体が半分になっちまってるよォ!」

「逃げるべ逃げるべッ! なんか知らんがもうここはやべぇべ!」


 惨劇の跡と無残な破壊痕を前に、口々に言葉を漏らしたのは四人だけだった。

 茫然と立ち尽くす者。必死に這ってでも逃げ出そうとする者。反応はそれぞれに違えど――胸の奥に渦巻くものは同じだ。

 恐怖。

 それが心を支配した瞬間、人はもはや正常な思考を保てなくなる。


「アンタらも水筒を捨てろ!」

 

 全員に聞こえるよう声を張り上げたディライトだったが、恐慌状態へと陥った者に言葉は届かない。


「水筒なんて今どうでもいいだろ!」

「地下室のヤツらはどうなってんだ! 無事なのか!?」

「もう終わりだ。オレたちはもう終わりだよォ」

「おいどうすんだべ! 逃げるべ! えぇッ!? 逃げるんだべ!」

 

「クソッ……もったいないけど――」


 あまりに話が通じないことに、ディライトは眉根をひそめた。

 倒れ伏した魔法生物を見て、落伍者たちは状況が収束したと早合点したのだろう。だからこそ、隠れるのをやめて姿を現した。

 だが、その認識は致命的な誤りだ。

 この惨禍を引き起こした元凶は火傷の男ではなく――彼を魔法生物へと変えた水筒の魔道具。

 それを放置すれば、再び別の者が異形へと変じ、同じ惨劇が繰り返される。

 危険を抱えたまま見過ごすより、ここで手札を切ってでも根を断つ――。

 そう考え、彼はグレッグを掲げ、銃口を天井へと向けた。

 突如としてのその行動に、無精髭の男は唖然と声をあげるしかなかった。


「な、なにすんだよ」

『うるっせェ! 黙って見てやがれ弾なしインポ野郎ッ!』

「ひっ」


 未だ水筒を握りしめたままの男へ、今度はグレッグが鋭く睨みを飛ばした。

 未知の存在に射すくめられ、男は腰を抜かす。だが、その醜態にかまける余裕は、ディライトにはない。

 彼の狙いは別にあった。

 銃口が捉えたのは、天井から吊るされたシャンデリア。その接続部だ。

 轟音とともに銃声が響き、銃口から迸った水線が根元を正確に撃ち抜く。

 支えを失ったシャンデリアは落下し、砕け散った灯具が室内に乾いた音を響かせた。

 誰かを狙ったわけではない。ただ光源を壊しただけ――そう見えるかもしれない。

 だが、魔法の残弾を1つ費やしてまで敢行したディライトには、明確な狙いがあった。

 けたたましい破砕音に、場の空気が凍りつく。

 静寂が戻った今なら――彼の言葉は確実に落伍者たちの耳へ届く。


「いいか、よく聞け! 全ての原因は持ってるその水筒だ! まだ生にしがみつきたいってんなら、潔くさっさと捨てろ!」

「……」


 ディライトの言葉に、落伍者たちは互いに視線を交わした。

 水が尽きぬ魔道具――飲食の自由を持たぬ彼らにとって、その価値は計り知れない。

 簡単に手放せるものではなかった。

 だが、すぐ傍らに転がる異形の屍が、答えを突きつけている。

 あの水筒こそが惨劇の元凶であり、持ち続ければ自分たちも同じ末路を辿る。

 一人、そしてまた一人と、地面へ水筒が投げ捨てられていく。

 最後に、無精髭の男も震える手で水筒を放り投げた。

 まだ怯えの色を残しながらも、その表情には確かに安堵が滲んでいた。


「その……なんだ、色々とすまねぇな」

「いいから、さっさと避難しなよ」

「おう」


 短く言葉を交わしたのを合図に、落伍者たちは次々と出口へ向かっていった。

次話は明日22:30投稿です!

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