第13話
遠く夕日が沈みゆく頃合い。
町外れの丘の上に、聳え立つ廃教会。
役割を全うして、御役御免と化したその建物へと、一人の訪問者の姿があった。
「すげー古いね。幽霊とか出るんじゃない?」
『ぷぷっ! 馬鹿だなディ! 幽霊とかいるわけないだろーがァ』
「幽霊みたいな存在が言ってると信憑性に欠けるね」
ケインと別れてディライトは、一人で廃教会へと赴いた。
いや、正確には一人と一丁。魔道具であるグレッグが、銃器を模したネックレスの姿をしたまま、ディライトへと異議を唱える。
『誰が幽霊だこのヤロウ! オレサマは――ヒィィッ今そこ動いたッ』
「心霊的存在に恐怖心抱いているのマジ笑うんだけど」
廃教会は、見るからに古い外観をしている。
巷では、食い扶持を失った浮浪者たちの住処として忌み嫌われている場と聞く。それ以前に幽霊といった類のものがあると言われても信じるくらいには、朽ちていく建造物から不気味な印象を受けた。
一見すれば、意思を持ったアクセサリーという霊性の代表者とでも言えるようなグレッグが、子供さながらの臆病心を発揮していることにディライトは笑いをこらえつつ、建物の入口へと近付いていく。
『なーにを言ってやがる、オレサマがそんな存在如きにビビり散らかすわけねェだろーが! ここは異常なさそうだ、よし帰ろうぜ。帰って銃油塗ってピカピカにしてくれ』
「帰ったらね。大丈夫大丈夫、俺がついててあげるから……くっ」
『おい笑うんじゃ――ああ゛ァ゛! 扉を開けるんじゃねェー!』
グレッグの悲痛な叫びを無視して、ディライトは扉の持ち手を握って手前へと引いた。
ギギッと音を軋ませて扉が開くと、正面からディライトを出迎えたのは、夕日に照らされ幻想的に輝く巨大なステンドグラスであった。
窓の機能も併用するステンドグラスに陽光が重なることで、色とりどりのガラスが色彩の美しさを主張している。
場には、破損したいくつかの長椅子や燭台が雑に散らばっている。荒廃した状況と合わさって、凋落した雰囲気を演出していた。
思わず見入ってしまうほどに美しい光景であり、一人であるならばその雰囲気に浸っていたであろう。
残念ながら、その場にいるのはディライト一人だけではなかった。
「何か用ですかな、お若いの。見ての通り、寂れた教会。……特にめぼしい物はないと思いますがの」
しゃがれた老人の声が、おそるおそるといった具合でディライトへと投げ掛けられた。
声がした方へ視線を向けると、白髭を無精に伸び生やした老人が、胡乱な目つきを携えて佇んでいた。
ディライトを捉えていた眼光は1つだけではない。
長椅子を端へと押しやり、広くスペースができたところに枝木を積み重ねて火を熾している。その焚き火を囲うようにして、見窄らしい格好をした二人の男が座っていた。
突然の来訪者に、少なくとも歓迎的な雰囲気でないことくらいは伝わってくる。
「あー、アンタらに用はないよ。そのまま寛いでてもらって大丈夫」
目的は、オールバックが特徴の男。先の戦闘を仕向けた張本人であり、戦闘中に観察していたことから敵情視察を行ったつもりのはずだ。
だが、ディライトはその視線を逃しはしなかった。視線を感じた先は廃教会からであり、ディライトの勘ではまだこの場にいる。
捕らえるなりして、魔匠の製作した魔道具について情報を吐き出させなければならないが、その経緯を老人へと語る必要性も、義務もない。
用はないと老人を手で制して、辺りを見回すディライト。焚き火を囲う三人以外にもちらほらと人の存在を感じるが、長椅子へと横になったり、壁際で寝転んでいる。
髪型しか特徴を把握していないディライトは、一体どれがオールバック野郎か判別がつかなかった。
一人ずつ顔を拝むしかないか、と考えていた時だ。
ディライトの発言が癪に障ったのか、座っていた一人の男が立ち上がって怒気を露わにした。
泥棒のような無精髭を生やした男だ。小汚い印象に拍車が掛かるように、ディライトへと向かって唾を飛ばした。
「おい! 勝手に入ってきて何様だテメェ! オレらの家から出ていけ!」
「家、ね。勝手に棲み着いてる奴が何言ってんだか」
「なんだと!?」
「こら止めんか!」
ディライトの反論に今にも飛びかかりそうな男を老人が抑える。このグループのリーダー格であるのか、老人に止められたことで男は攻撃性を弱めるが、未だ眼光は鋭いままだ。
核心を突かれると人は動揺する、などと言われるが男の反応はまさにその典型例とでもいうべきものであった。
図星かよ、と呆れているディライトに、男は荒く鼻を鳴らすと老人の手を振りほどいて踵を返す。
元々居た場所へと戻り、腰をドカッと降ろすと、懐から水筒を取り出して乱暴に口内へと水を流し込んでいく。
先程の態度とは一変して、口端を拭った男はご機嫌な様子を浮かべた。
「はッ。まぁ勝手にしやがれ、オレは今気分がいいんでな」
「申し訳ない、お若いの。此奴はどうにも短気でしてな。ただ儂らには、もうここしかないのです。どうか大目に見ていただけると」
「じーさん謝んなって。んな奴放っといて、飲めるだけ飲もーぜ。こんな澄んだ水はよォ、久しぶりだぜ」
「水?」
たとえ老人の静止を振り切って男が暴力に出たとしても、男を無力化することはディライトにとって、朝飯前どころか赤子の手を捻るくらいには容易いことであった。
ゆえに、男の乱暴さや老人の懇願混じりの謝辞には、露ほども興味を抱かなかったが、男が口にした水という言葉が気になった。
生物である以上、水分補給という行為から逃れることはできない。それは、ディライトも目前の落伍者たちも同様に該当する。
ディライトが注意を向けたのは、行為自体ではなく、その方法であった。
男が手にしているのは、冒険者の間でも普及している鉄材でできた丸型の筒であるが、同様のものが老人の腰にぶら下がっている。ここまで、ずっと黙して座ったままである他の男たちの懐にも、全く同じ物が見て取れた。
1つのグループが結束を高めるために同じ物を所有することがあるが、今回の場合そうではないだろう。
確信にも近しい思いを、ディライトは老人へと向けた。
「爺さん、その水筒ってさ――魔道具だよね?」
「よう分かりましたの」
ディライトの質問を肯定しながら、老人は腰に提げた水筒をひらりと撫でた。
一見、ただの道具に見える水筒を魔道具だと看破できたのには、理由がある。
それは、水筒に収まる水量と男が飲んでいる量が合致していなかったからだ。明らかに、男が身体の中へ、無造作に流し込んでいる量の方が多いのである。
考えられる可能性は、男たちの持つ水筒が魔道具である、ということだ。
異空間に大容量の水を封じ込めるという手法が取られており、原理としては【道具袋】と同じである。制作方法がかなりの難易度を誇ることから、普及はほとんどしておらず、存在としては貴重だ。冒険を生業とする冒険者にとっては、喉から手が出るほど入手したい魔道具の1つであった。
男が持っている魔道具と同様の形状をしていることから、他の者たちが持っている水筒も魔道具だろう、と推察したディライトは、老人へと入手した経緯を尋ねた。
「手に入れるには、結構な額が必要だと思うんだけど、それも複数。一体どこから?」
「おいおい、その辺から生えてきたとでも思ってんのかよ。めでてぇ頭してやがるな」
「お前程度が持つには不相応だっつってんだよ、盗人野郎」
「誰が盗人だテメェこの野郎!」
「止めんか!!」
ディライトの質問は老人へと向けたものであったが、憎まれ口に近い答えを男が返した。
応酬する形で、心底面倒くさそうにディライトが発した言葉。それは、2つの可能性のうちの1つであった。
一介の冒険者でも手を出すには難しいほどの値が張る代物である。廃教会を根城にしなければならないほど、生活が困窮している者にとっては、手にし得ることができないはずである。
ディライトの疑いの目に、男が再び立ち上がって詰め寄ろうとするも、先程よりも勢いの増した喝が男の身動きを止めた。
はぁ、と一息吐いた老人は、疑念を晴らすように答え始めた。
「盗品と思われるのも無理はない。我々の身でこれほどの高価な物など、持てるはずもないですからな」
「じーさん、そいつに言う必要なんかねーって!」
「黙っとくもんでもなかろうが。……これらは頂いた品です。そうですな、貴方よりも少し年上の方でした。見ず知らずの儂らにこんな素晴らしい物をお恵みくださって、まさしく天の使者ですな」
「なるほどね」
夕陽に照らされたステンドグラスへと振り返って、老人は語る。まるで、この場に相応しい敬虔な信徒であるかのようだった。
ディライトが導き出した可能性のもう1つは、誰かから譲り受けたということ。
こちらの線が高いと睨んでいたが、老人の語った内容を聞くに、どうやら的中したようだ。
老人にとっては、神の御使いにも等しいような存在であっても、裏を覗けば悪逆非道の性がきっと棲み着いているはずだ。
疑念を確信へと変えるため、ディライトはさらに踏み込んでいく。
「オールバック、M字ハゲ、三十から五十代のおっさん、そいつの容姿だ。違うか?」
「年齢的には、それくらいだったかと思われますがの――」
「――ソイツで合ってるぜェ」
老人の言葉を遮ったのは、焚き火の近くに座ったもう一人の男だった。
他の者と同様に薄汚い印象を受けるがそれ以上に、右側の首から顔にかけて負った大きな火傷痕に痛々しさを感じる。
男が浮かべていた感情は、老人とは真逆の怒りであった。
「アンタ、あの野郎の追っかけか? だったら、さっさと連れて行ってくれよォ!」
「……随分と怒り心頭じゃん」
「ったりめぇだろォがよ!? 見ろ、この腕を!」
憤りを表わした男は、袖口を捲って左腕を掲げた。
一目見て、それが異常だと分かった。
手首の辺りが、ドス黒く腫れ上がっているのだ。額にビッシリと汗をかいた男は、痛みに耐えるように苦悶の表情を浮かべている。
階段から転げ落ちてできるような傷ではない。あらぬ方向から力を加えられた結果の炎症反応であり、明らかに故意によるものだ。
誰に危害を加えられたのか、男の反応を見るに一目瞭然だった。
「あの野郎ォ! 絶対許さねぇ……オイラの腕を折りやがってよォ!」
「はっ! どうせテメェの意地汚さが発揮されただけだろ? 自業自得じゃねぇか」
「んだとォ!?」
「すまんが儂も擁護できん。お前さん、サミアの飯を二日も分捕ったじゃろ」
「ぐっ……! そ、それはアイツがくれるって言うからよォ!」
「黙らんかい! 今頃、あの娘が腹を空かせてると思うと……儂はいても立ってもいられん!」
火傷の男が非難を浴びることで、二対一の構図が出来上がる。
どうやら普段の行いが悪いようで、既に信用は失墜していた。
成り行きを傍観していたディライトからすれば、至極どうでもいいことだが、探している人物の話が有耶無耶になるのは困る。
ディライトが会話に加わったことで、結果的に火傷の男の窮地を救うことになった。
「んで、どこ居んの。そのオールバックM字ハゲ野郎」
「それ以上話す義理はねぇな。ましてや、恩人。どこの馬の骨かも知れねぇ野郎にぺちゃくちゃ喋るほど、落ちぶれちゃいねぇんだよ」
先程からディライトに食って掛かっていた男が、冷淡な言葉を返した。
どちらかといえば、探し人を引き合いに出してディライトの思惑を阻止したい――そんな考えからきた発言だった。
どうやら老人も男の考えには賛同なようで、明確な拒絶の意を示す。
「そもそも貴方は何者で? どうやらあの方をお探しのようですが、言葉を聞くに友好的な存在とは思えませんな。どうぞお引き取りを」
「あー……そんな感じね」
予想外な反感に、ディライトは「面倒くさ」と呟いて頬をぽりぽりとかく。
オールバックの男は、ディライトにとっては”魔匠の魔道具”を手繰るきっかけとなる存在であり、捕縛して情報を吐かせる必要がある。
反対に、老人たち落伍者にとっては、水を、それも魔道具の形で支給してくれた恩人にあたる。
思惑はどうであれ恩人を貶す言葉を吐くディライトに、敵意とまではいかずとも好ましくない感情を抱くのは当然であった。
建物中を虱潰しに探せば見つかるかもしれないが、その労力をかけることが非常に面倒くさい。
ディライトは瞳を数度瞬かせた後、視線を左手へと向けた。
露店で購入した”霜降り蛙”の串焼きが入った紙袋。先の戦闘中もずっと掴んでおり、戦闘後には数本食したが、それでもこの場にいる三人分くらいはある。
郷に入っては郷に従え、だ。
オールバックの男がそうしたように、ディライトもそれに倣った。
「これ、アンタらの人数分はあるから。これと交換で、どうよ」
「ハァ? 見くびるのもいい加減にしやがれ。そんなんで言うわけ――」
「ふむ、良いでしょう。では、ありがたく」
「じぃさん!? なんでコイツの言う事なんか聞きやがる!」
「もうそろそろサミアが戻ってくるじゃろ。きっと腹を空かせとる」
「大食い娘か」
「あの子は儂の生きがいなんじゃ。……申し訳ないが、儂は恩義よりも子供の一食をとらせてもらう」
「……ったく、しゃあねぇな」
ディライトの提案を呑んで、老人が紙袋を受け取る。
あれほど恩義を感じていた老人が急に意見を変えたことに、男は訝しんだ。だが、老人がサミアという子供のためであると言うと、男は納得を見せた。
どうやら廃教会を住処とする集団に子供も含まれているらしく、老人にとっては何よりも子供が重要であるようだ。
男は乱暴に頭を掻きむしると、火傷の男へと顎をしゃくった。「話せ」という合図だ。
その高圧的な態度に、火傷の男は舌打ちをしつつも、ディライトへと向き直って天井へと指をさした。
ニヤついた笑みを浮かべているのは、自身の腕を折った人物の、これからの不幸を願っているからだろう。
早速、ディライトへと件の男の居場所を教えた。教えようとした。
火傷の男が人間として生きることができたのは、そこまでだった。
「お前が探してる奴は、上にゐル゛ッ」
「爺さんどけッ!」
「え?」
老人の意識はディライトに向けられていた。
ゆえに――火傷の男の身に走った異変を捉えられなかった。
次の瞬間、一本の細い水流が目にも留まらぬ速さで迸り、老人の喉を貫く。
それはまるで光線のごとき輝きを帯びた、極限まで圧縮された『水ノ噴流』。
勢いを殺さぬまま、一直線にディライトへと襲い掛かった。
次話は明日22:30投稿です!