第11話
ディライトが引き金を引いた直後、魔道具に呑み込まれたコイコイの成れの果て――魔法生物の顔面中央に、大穴が穿たれた。
向こうの景色が覗けるほどに抉られた傷は、誰が見ても致命的だった。
事実、宙に浮いていた魔法生物は重力に従って沈み込み、鈍い音を立てて地面へと崩れ落ちる。
ただし、安心はできない。
相手は正体不明の存在であり、コイコイを吸収したからといって生物と断定できるわけでもない。
再び起き上がる可能性は残っている。いっそ、跡形もなく消し去るべきか――ディライトがそう考えた矢先だった。
路地の奥で、木箱が爆ぜるように吹き飛んだ。
振り返れば、そこには拳を振り抜いたまま立ち上がるケインの姿。
どうやら力任せに殴りつけ、その衝撃で積まれた木箱を吹き飛ばしたらしい。
服装こそ乱れていたが、怪我といった異常は見当たらない。
それどころか額には青筋が浮かび、むしろ昂ぶった気配すら漂わせていた。
「……惹き付け役は私が務めます。ディライト君はその間に――って、もう決着したんですか?」
「多分ね。大丈夫?」
「ええ、問題ありません。かすり傷程度です。それよりも……コイコイは何と形容すべきでしょうか」
「暴走じゃないね。恐らくは故意だ。コイツらに魔道具を渡したM字ハゲのオールバック野郎が何か仕掛けてたんだろ」
「……なるほど。遠隔操作、あるいは“トリガー”ですか。元の所有主に背いた場合に発動するとか。そう考えれば腑には落ちますね」
思い返せば――魔道具を渡した男についてコイコイが言及した直後、異変は始まった。
一方で、路地の端に倒れていたグツヮには、目立った変調は見られない。
とすれば、魔道具そのものに「起動条件」が仕込まれていた可能性が高い。
特定の行為を取った時のみ発動する――まるで起動装置のように。
ケインの思考が1つの結論へと収束しかけたその時、ディライトが口を開いた。
それは肯定とも否定ともつかない、曖昧な響きを持つ言葉だった。
「うーん、両方かな」
「というと?」
「視られてる感じがしてたんだよね――あ、今じゃないよ。ってか遅すぎ」
慌てて周囲へと意識を巡らせるケイン。
だが――すでに敵の視線は感じられない。
その様子を横目に、ディライトはいつもの調子で小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
正論ゆえに反論もできず、ケインは黙り込むしかない。
ふと、その時だった。
ディライトがかける薄暗い黒眼鏡に、自分の姿が映っていないことにケインは気づく。
レンズに映り込んでいたのは――町並みの切れ間から覗く、町外れの丘。
正確には、その頂に建ち、遠目にも異彩を放つ建造物だった。
「あれ廃教会?」
「……例の集合場所とやらですね。時間も聞いてませんし、黒幕がそこにいるかは分かりませんよ」
「いや、いる。廃教会から視線を感じた。絶対とっ捕まえてM字から完全なハゲにしてやる」
「ディライト君。歳を重ねてから気付くと思いますが、髪の毛は家族と命の次に重要ですからね」
髪の重大さを理解していないディライトへ苦言を呈しつつも――ケインは、彼の「感覚」という主観的な言葉を全面的に受け入れていた。
ランク“4”という存在の能力に関しては、もはや疑念の余地がない。
町中から数キロは離れている廃教会から視線を感じ取るなど、常人では決して及ばぬ領域だ。
可能かと問われれば、ケインはこう答えるだろう――ありとあらゆる物に頼れば、と。
確かに、感覚を増幅する魔法や魔術、あるいは魔道具の補助を挟めば再現は不可能ではない。
だが、それは探知のみに集中している場合の話。
戦闘中に、補助も介さず自力だけでとなれば――不可能だ。
〈冒極〉の新米冒険者たちはよく、ランク4や5を目標に掲げている。
支部長という立場ゆえ表立っては言わないが――その無知で怖いもの知らずな夢を耳にするたび、鼻で笑いたくなるほどだ。
それほどまでに、ランク3と4の間には絶望的な乖離がある。
だが今、ケインが注目していたのはディライトの力ではなかった。
普段は飄々とした態度を崩さぬ彼から、珍しく――怒気を孕んだ気配が滲んでいることに気づいたのだ。
「珍しいですね。怒るなんて」
「実際、ムカつくでしょ。襲ってきたコイツらの顛末なんて知ったこっちゃないけど、安全圏から石を投げ込んでるのが気にくわない。目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅ぐ、それ即ち――」
「冒険者の鉄則、ですか。確かに〈冒極〉の論理からは外れた行いだ」
ディライトの怒りの矛先は、コイコイらに接触したあのオールバックの男に向けられていた。
もし魔匠が製作した魔道具を奪取したいのなら――裏で暗躍するのではなく、正面から挑んでくればいい。
卑怯な策に頼るという時点で、その性根は歪んでいる。
人物像として比べるなら、まだ真正面からぶつかってきたコイコイの方が幾分マシだ。
すでにディライトの中に、敵へ容赦するという選択肢は存在していなかった。
「檻の外から投げつけた石が、跳ね返ってくるとは思わないのかな」
『――落ち着けよディ! ぐっすりしてたのによォ、朝っぱらから急にぶっ放されて怒りたいのはこっちだぜ!』
突如、その場に意気揚々とした声が響き渡った。
ディライトでも、ケインでもない。
それは重低音を帯びた壮年の男の声――だが同時に、子供のような明快さを孕んだ奇妙な響きだった。
声の主が見えない状況で、ディライトの右手に握られた黒い銃器が、独りでに《・》動き始めた。
『刺激的な目覚ましだな!』
「もう夕方だわ、いつまで寝てんだよバカタレ」
『WOW! もうそんな時間かよ! オレサマってばお寝坊さんだぜ☆』
「……よくずっと持ってられますね」
声の主は――漆黒の銃器、グレッグと呼ばれる魔道具だった。
銃身には口と眼が浮かび上がり、まるで嘲笑うかのような表情を形作っている。
常人なら理解を拒むほど不気味な光景。
だがディライトの近しい者にとっては、すでに見慣れたものでもある。
ゆえにケインは、銃が軽快に紡ぐ言葉を耳にして――「なるほど、不愉快にもなるな」と思った。
この軽薄な調子が毎日続けば、自分ならとっくに手放しているだろう、と。
「慣れだよ慣れ。俺はもう何も思わなくなった」
『なんだァ? 十年以上付き合ってるくせして照れんなよ、このっこのっ』
「おい止めろグレッグ、分解すぞ」
声が響くたび、漆黒の銃器がぶるりと揺れた。
銃身からは同色の両手が伸び出し、持ち主であるディライトを肘でつついてくる。
鬱陶しげにそれを払い除けたディライトが「戻れ」と一言呟く。
すると銃器は淡い光に包まれ、やがて銃器型のネックレスへと姿を変えた。
グレッグと呼ばれたその魔道具は、ネックレスとなってなお健在だった。
銃器型のペンダントトップに眼と口を浮かべ、不気味な笑みを形作りながら、その存在を主張していた。
『分解すのはいいんだがよォ。地面に倒れてるアノしみったれた奴、同胞の臭いがすんぜェ』
「っ! ということはあれも魔匠が作った魔道具ですか?」
『いんや違うなァ。オレサマ達と決して同じじゃないんだが、なんつーか……子供って感じだな』
「子供? 成長すんの?」
『あー、子供ってよりは分身って言った方が分かりやすいかもなァ。随分と力は劣ってるが……なんにせよ、オレサマと同じ存在から生まれ落ちたのは間違いねェな』
既に事切れたコイコイを見下ろしながら、グレッグはそれを「同胞に近しい存在」だと告げた。
すなわち――グレッグ自身も、“魔匠”の手によって創られた魔道具であるということだ。
ケインが【変幻自在の雫】を所持していたにもかかわらず、コイコイがディライトの方へ魔道具の匂いを嗅ぎ取った理由。
それは、ディライトの傍らにグレッグが存在していたからに他ならない。
だが、だからといって――魔匠の魔道具四十九点が国中に散逸した事件、その中の1つがグレッグだという証明にはならない。
何故なら、この大事件が起こるより遥か以前から、グレッグはすでにディライトの手にあったのだから。
そしてグレッグは、人間さながらに――いや、人間以上に優越感を誇示するように声を上げた。
『ま、ま。オレサマよりも年季は落ちるだろうがな。なんたって、オレサマは十二年モノだからよォ!』
「時々思うんだけどさ。魔匠って何歳だろうね」
「私の幼少期から既に名を轟かせていましたから、ギルド長より上かもしれませんね」
「ありえるね。下手し〈恒魔〉の婆さんより上じゃねーの」
「……それは二世紀以上ということになりますが、最早人間の域ではないですよ」
『おォい! 今はオレサマの年季の話だろーがァ!』
「年季は上だろうけど、自分語りばっかしない方がいいよ。格が落ちるから」
『ア゛ァ゛!?』
魔匠の年齢をめぐって、ディライトとケインは憶測を重ねていた。
話題の流れで、魔術ギルド〈恒魔〉のギルド長の年齢が引き合いに出される。
――実に二世紀近いという、とんでもない実年齢を、二人はさも些末なことのようにさらりと流していった。
その横で、ネックレスとなったグレッグがガタガタと暴れ、憤りをあらわにする。
ディライトはそれを片手で押さえつけながら、まるで散歩にでも誘うかのような気軽さでケインに言った。
「んじゃ、行ってくるから。あとよろしく」
「ディライト君、私も……いや」
「うん?」
私も行く――そう喉まで出かかった言葉を、ケインは飲み込んだ。
先ほどの突発的な事態に、ディライトは即座に対応できた。
一方で、自分は何もできなかった。
結果だけ見れば無傷に等しい些細なダメージで済んだ。だが、もしあれが致命打となる一撃だったなら――。
力量差は歴然だ。
黒幕と相対するには、たった一度の攻撃で不覚を取った自分では力不足。
無理に同行すれば、かえってディライトの足を引っ張る。
ランク3と4の間に横たわる絶対的な“差”を知る者として、ここは託すのが正解なのだろう。
それでも、「任せる」という言葉が喉を突いて出てこない。
――ディライトの姿に、娘を重ねて見てしまったからだ。
年齢はまるで違う。
ディライトと自分の差も、せいぜ1回り。
だが、1回り――十年以上はケインが年上なのだ。
危険な場へ送り出すことが、どれほど無責任な行為か。
父として、よく理解している。
だからこそケインは、せめてもの行いとして――警戒を促す言葉だけを残すしかなかった。
「魔法主体の攻撃だ。君の魔術は対策されているでしょう。廃教会にいるというなら誘い待ちの線も高い。だから――」
「ケイン」
ケインが敵の狡猾さを、待ち伏せされている危険性を伝えようとして、ディライトはそれを止めた。
呼ばれたケインが改めてディライトの顔を見ると、そこには若人と思わせる雰囲気はなく、ランク4として絶対的な自信を抱いた不敵な笑みが浮かんでいた。
「過保護かっつーの。もう27だぜ? 勝てる勝てないの算段くらいつくよ」
「ですが」
「くどーい。魔術対策されたからってやり方はいくらでもあるし、実際そういうのは何度も乗り越えてきた。それに――」
『オレサマもいるしな!』
「そゆこと。心配いらないって」
子供が親を安心させるように、ケインの心配をディライトが払拭させていく。便乗するようにグレッグも存在を示すが、それでもケインの不安は拭えきれない。
敵の強さは未知数であり、ランク4という実力者とて無敵ではない。もしこのままディライトが帰ってこなければ、ケインはこの先後悔を抱えて生きていくことになるだろう。
その不安が顔から見てとれたのか、これは何を言っても解消されないな、とディライトは肩をすくめてその場を後にする。
ケインを追い越し際に、ディライトが最後に一言声を掛けた。
なんてことない自信の表れからくる言葉であったが、その一言でようやくケインは、ディライトへと責任を渡す気になった。
ランク4としての圧倒的な傲りが、誇りが、貫禄でさえ感じ取れたからだ。
「全部、跳ね返してやるよ」
傲慢とは違う、矜持とも言える精神を、ディライトは心に宿している。
こうまで堂々とした態度を見てしまうと、心配しているこちらが馬鹿らしくなる。ケインはフッと笑うと、遠ざかるディライトの背に向かって声を張り上げた。
「【変幻自在の雫】使いすぎてしまったら、申し訳ないですね!」
中指を立てた返答が返ってきた。
ディライトのいつも通りの飄々さに、ケインは肩を竦めた。
問題ない。きっとディライトならば、問題ないだろう。
敵の不透明さに怯えていたのは自分だけだったようで、現役を退いたとはいえ、冒険者にあるまじき姿には恥さえ覚えてきた。
冒険者の枠組みにおいて、国内に十人とはいないランク4の身を、それも実力が劣る下の者が案じるなど烏滸がましいものだ。
「焼きが回りましたかね……さて」
去りゆくディライトの姿を見送ったケインは、惨状と化した辺りを見渡した。
一人は地面で伸びており、もう一人は異形の骸となって地に伏している。
先の戦闘で轟音が鳴り響いたせいか、周囲の住居人の姿もちらほらと見えだした。
ケインはこの場から離れるよう住民らへと声掛けを行いながら、腕時計を見て溜息を吐く。
「これは応援が必要そうだ。勤務時間の延長、残業確定……ハァ。また部下たちに嫌われるな」
日中勤務者の、ギルドが規定した退勤時間は過ぎているが、それでも何人かはまだ残っているはずだ。
上司が招集すれば部下は従わざるをえない。残業代が発生し月の給与は上がるが、目では見えない好感度というものが下がるだろう。
机上で書類とにらめっこする上司よりも、肉体労働に勤しんでいる方が好かれるのだろうか、とケインは真剣に悩み始めるのであった。