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第10話

 ペルニット町の外れに広がる丘は、町並み全体を一望できる絶好の場所だった。

 その丘の頂に、老朽化の進んだ建物が1つ――屋根にはアンクを象った装飾が取り付けられ、かつて信仰を象徴した場所であることを示していた。

 それは、教会――だったものだ。

 正面の大扉は荒んで黒ずみが目立っており、点在する窓ガラスは砕け落ち、外壁は伸び切った蔦に覆われている。

 人の手が何年も加わっていないことは明らかで、本来の役割を失った今、この建造物はただの廃屋にすぎなかった。


「ギルド長直々の運搬とは、どうなることかと思ったが――上手く事が進んでいるな」

 

 その廃教会に、一人の男が姿を現していた。

 三角屋根を基調とした一階建ての教会には、小さな見張り場が屋根の上に突き出すように設けられている。

 内部の螺旋階段から通じるその場所に、男は佇んでいた。

 落下防止の縁に肘をかけ、片手で双眼鏡を覗き込む。

 もう片方の手には包装紙に包まれた食べ物――それを無造作に掴んでは口に運んでいる。


「――んっ!? 佳境だな、さぁどうなるか……んぐっ」


 男の名は――スティレオ・ブラウン。

 髪の根元から整髪料をべったりと塗り込み、後頭部へときっちり撫でつけたオールバックが特徴的だった。

 背広――巷でスーツと呼ばれる衣服に身を包んだその姿は、街中に紛れれば新進気鋭の商人としか見えないだろう。

 だが今、彼が一人で佇む場所は廃教会の屋上。

 夕刻、働き盛りの男がわざわざ人目につかぬ廃屋に籠る光景は、傍目には心身を病んだかのように見える。

 しかしスティレオがここを訪れた目的は、黄昏に耽るためではなかった。

 ――この町を、そしてあの場所を見下ろすのに、ここが最適だからだ。

 双眼鏡のレンズが捉えていたのは、町の通路。

 そこではコートを纏った男と、醜悪に肥大化した異形が対峙していた。

 果たして生命と呼べるのかも怪しい塊から、歪んだ空気の塊が弾丸のように放たれる。

 だが、それは男の目前で見えぬ壁に衝突したかのように、音もなく霧散していった。


「一見して無敵――がその実、魔法は反射できないという対物理特化の反射魔術。致命的な弱点はあるが……あの銃が対策手段というわけか。クク、良いものを見られたな」


 スティレオの双眼鏡が追っていたのは――ディライトと、魔道具に呑み込まれたコイコイの成れの果てだった。

 〈冒極〉が所有する魔匠の魔道具を奪取せよ――その指令が下ったのと同時に、スティレオのもとには障害となりうる人物の情報も届けられていた。

 対象の戦闘スタイル、固有魔術、所持する魔道具……すべて頭に叩き込み、対応策を練り上げてある。

 当然、〈冒極〉の主力の一人であるディライトの情報も網羅済みだ。

 今や障害として目の前に立ち塞がる以上、考え得る対策を実行に移さねばならない。

 コイコイたちを差し向けたのも、作戦の成功を確実にするための小手調べにすぎなかった。

 廃教会に腰を据えるスティレオは、露店で買った食料を再び口に運びながら、双眼鏡越しに光景を凝視する。

 ディライトが銃器を構え、発射の反動で銃口がわずかに揺れた、その瞬間――。

 魔法生物の中心に、大穴が穿たれた。

 

「……殺った、殺ったな! さすがは、ランク5に最も近いと評される男だ」

 

 スティレオは双眼鏡を机に置き、ディライトの異名を小さく呟いた。

 コイコイを変異させた張本人は、他でもない自分だ。

 その存在をディライトへとけしかけたのもまた、自分。

 それにもかかわらず、コイコイが敗れ去った今も、スティレオの顔には満足の色が浮かんでいた。

 こちらが失ったものは、落ち合うはずだった集合場所と、魔道具が2つ。

 だが――コイコイやグツヮに与えた程度の魔道具なら、いくらでも調達できる。

 居場所を悟られた? むしろそれこそ狙いだ。

 ディライトを打破するための仕掛けは、すでにこの廃教会に張り巡らせてある。

 先ほど覗き見た戦闘で、ディライトは攻略可能だ、とスティレオは確信していた。

 障害を取り除けるなら、早いに越したことはない。


「コイコイよ、貴様には”誠実さ”が足りなかった。誠意を見せる――ただそれだけが貴様の生き残る道筋だったというのに」


 不要となった双眼鏡を無造作に脇へ置く。

 スティレオは再び食品を口に運び、隅々まで味わうようにゆっくりと咀嚼した。

 それは芋を元に調理された“芋練り”と呼ばれる品。

 安価な材料で作れるため家庭の食卓にもしばしば並び、露店でも気軽に買える庶民の味だ。

 薄く伸ばされた芋を香ばしく焼き上げただけのものだが、噛み切った瞬間、ほのかな甘みと芋特有の風味が口いっぱいに広がる。

 質素で、単調。だが想像通りで裏切らない。

 ――この安定した味こそ、スティレオにとって何よりの好物だった。

 そのひとときを楽しむ彼の耳に、ふと慌ただしい音が届く。

 廃教会の階下から続く螺旋階段を、誰かが乱暴に駆け上がってくる足音。

 バタバタと響くその音には、品性の欠片もなかった。

 やがてスティレオの視界に入ったのは、首元から顔にかけて火傷痕が目立つ男の姿だった。


「旦那ァ! めぐ、恵んでくれるってさっき言ってたよな。オイラもう待ちきれなくて待ちきれなくてよォ。……なぁ、分かるだろォ?」

「……ああ、そんなに息を切らさなくても恵むとも! この教会に立ち入った詫びはしないとな」


 見晴らし場へ、息を切らしながら駆け上がってきたのは、この廃教会を住処とする落伍者だった。

 襤褸同然の服に、数日は洗っていないであろう脂ぎった髪。鼻を刺す刺激臭が漂い、社会から弾かれた者の末路を、その姿は雄弁に物語っていた。

 スティレオは、人の良さそうな笑みを浮かべて振り返る。

 右手には芋練りの紙包を、左手は腰に提げた小ぶりな箱へと添えた。

 それは宝箱を模した木箱――だが、箱そのものを包み込むように「手」の彫刻が貼り付いた、異様な造形をしていた。

 スティレオが箱の蓋を開き、片手を突っ込むと、取り出したのは携帯用の丸形水筒だった。

 しかも1つではない。2つ、3つ――5つ。

 水筒はいずれも片手で持てる大きさだが、その数は明らかに箱の許容量を超えている。

 学のない落伍者であっても、目の前で起きている現象の正体くらいは理解できた。

 ――魔道具。しかも、最も有名な部類に数えられるものだ、と。


「【道具袋(アイテムボックス)】ってやつか! ははっ、すげぇ!」

「まぁ、そんなところだ。ここは川から随分と遠い。これで当分水には困らないだろう?」

「あぁっああっ、感謝するぜ旦那! ……んだが、いいのかァ? 小道具一個でも、オイラたちにとっちゃ高級品だぜ」

「なに、数はあるのでね。それに救われない者がいるというのは、寂しいものだろう? 是非、他の者にも渡してきてくれ」

「アンタってやつは……きっと神のご加護があるだろうぜェ!」


 落伍の道を歩む者は、この男だけではない。

 職を失った者、家族に絶縁を叩きつけられた者、さまざまな理由で住処を追われた者たちがいる。

 かつて教えを布教する場であった教会は、その役割をとうに失っていた。

 だが今なお、社会からこぼれ落ちた者たちを受け入れることで――廃墟と化した後も、人を救うという別の役割を担っていたのである。

 男は礼を口にしながら、複数の水筒を抱えた。

 そして螺旋階段を降りかけて――ふと、その足を止める。

 スティレオの方へと振り返った男の顔には、何かを言い忘れたような、気まずさが滲んでいた。

 遠慮がちにも見えたが、結局は欲望に負けたのだろう。

 次の瞬間、不快感を誘うようなニヤついた笑みを浮かべた。


「……そ、そいつもよォ、くれねぇか旦那。オイラいまちょうど腹が減っててよ」


 男は抱えていた水筒を足元に下ろすと、遠慮もなくスティレオの手元を指差した。

 そこにあるのは、薄く焼かれた芋――先ほどまでスティレオが口にしていた好物だった。

 

「これか? そうか、飯もいるな。分かった、少し待っ――」

「へへっ、すまねぇな! ありがとよ!」


 水だけでなく食料も必要か――そう考え、スティレオは再び腰の奇妙な箱へと手を伸ばした。

 物品を漁ることに意識を割いていたせいか、男が至近まで迫っていたことに気づいたのは、目と鼻の先に迫った時だった。

 拒む間もなく、芋練りを持つスティレオの右腕を男が掴む。

 他意はなかった。

 恵んでくれた相手が逃げるとは思わなかったし、紙包を取りやすいように腕を押さえたのかもしれない。

 要するに、それは害意ある行動ではなく――「獲物を逃すまい」という欲望に突き動かされた、衝動的な動きに過ぎなかった。

 だが次の瞬間。

 紙包に伸ばそうとした男の手首を、今度はスティレオが掴み返す。

 栄養不足で骨ばった腕に、異様な圧力が加わった。

 ぎちぎちと骨の軋む音が、静かな見晴らし場に生々しく響き渡る。

 

「おい」

「いでッ! いでで、いでぇッ旦那離してくれッ! なんでッ」

「こいつは駄目だ。貴様にとってはただの芋で、一食料かもしれないが、私にとっては違う。大事な思い出が詰まった一品なのだよ」

「わかっ、わかったァ! わかったから、頼む! 旦那離してくれェッ」

「――誠意だ。全ては誠意で成り立っている。私は誠意を見せたぞ、貴様はどうかな?」

「そうだよなっ。誠意が大事だよなっ! オイラも誠意を見せる、だからッ――」


 バキッ。

 男の細腕から、あり得ない音が響いた。

 本来なら決して鳴るはずのない、骨の悲鳴。

 スティレオが手を離した箇所は、瞬く間に赤黒く腫れ上がっていく。

 右手で左腕を押さえ、男はその場に蹲った。

 そして、堪えきれぬ痛みに突き動かされるように――絶叫が辺りをつんざいた。


「ぐああああッ」

「だったらとっとと失せろッ! 媚びるしか能がない物乞い野郎がッ!」


 男の手首を折ったにもかかわらず、スティレオは悪びれる素振りすら見せなかった。

 追撃とばかりに腹部へ蹴りを叩き込み、男の身体は後方へと吹き飛ぶ。

 床に転がり、痛みに悶えながら嘔吐き、咳き込み――しばらくは呼吸すらままならない。

 それでもなお、男は苦しい身体を無理やり起こし、床に散らばった5つの水筒を必死にかき集める。

 折れた手首から走る激痛に顔を歪めつつ、千鳥足のようにふらつきながら螺旋階段を降りていった。

 その背に、スティレオは心底軽蔑の眼差しを向けた。

 物乞いに対して、特別な感情はない。

 家がなく可哀想だとか、食料がなく困っているだろうといった同情心は、微塵も湧かない。

 現状を作り出した原因は当人自身にあり、不遇な人生を歩むのであれば、それを解決できるのも当人だけだ――そう考えていた。

 それでも水筒を与えたのは、慈悲からではない。

 スティレオの()()と、男の欲望がたまたま合致したに過ぎないのだ。

 だからこそ、看過できない欲には罰を与えた。

 己の利益だけをむさぼり、等価の敬意を示さぬ態度には、不快感すら覚えた。

 ――貪るなら貪るで、それに見合う敬意を示すべきだ。


「誠意こそ、人を人たらしめるというのに。……いや、これもまた誠意と言えるか」


 スティレオは常に“誠意”という言葉に従って行動していた。

 もはやそれは信念と呼んでも差し支えないほど、彼の根幹に染みついている。

 誠意を示されたなら、相応の誠意で応じるべき。

 そうして互いに律し合えば――魔物のように害意そのもので成り立つ存在は別として――人間同士、ひいては国家同士でさえ争いなど起こり得ないはずだ。

 スティレオは一息吐いた。気怠げで、諦念が滲む溜息。

 自分でも分かっている。そんな理想は絵空事にすぎないことを。

 公園に植えられた花が、子供たちの無邪気な足に踏み荒らされるように。

 他者に向けた誠意もまた、踏み躙られるのが世の常なのだから。

 

 だから彼は考えを改めた。

 誠意とは、他者に示すものではない。

 己の意思、思念、欲望に嘘をつかず、貫き通すこと。

 たとえそれが、世間一般で“悪”と呼ばれるものであったとしても。

 そうすれば、望む結果は必ず現れる。


 ――己に誠実であれ。さすれば与えられん。


「さて、お前は誠意をみせてくれるかな。ディライト・ノヴァライト」


 先ほどまで双眼鏡で観察していた人物の名を、スティレオは低く呟いた。

 それは同時に――これから抹殺すべき標的の名でもある。

 呟きを終えると、彼は迷いなく踵を返し、螺旋階段を降りていった。

次話は明日22:30投稿です!

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