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6.届かない声

「え!? ノエル、もう仕事終わったの?」


「はい。軽い修理だけでしたので」


「それでも、もう終わらせるなんてすごいわ……」


「手が空いてしまったので、フレイアさんのお仕事を手伝ってもよろしいでしょうか?」


「そう言ってもらえると助かるわ!」


 ループを繰り返す中で作業効率を極限まで高めた結果、本来一日がかりの作業をわずか10分で終わらせることができた。

 すべての作業を終えた私は、計画を実行に移すことにした。まずは、物語の中で最も関わりの深い主人公のフレイアから離れないように行動する。


 しかし――12月20日をそうして過ごすということは……。


「大変だ! リンド副船長が……!」


 ――見殺しにする、ということだった。


 静まり返った食堂。リンド副船長は赤い血溜まりの中にうつ伏せに倒れていた。

 その惨状に、皆が恐怖で凍りついている。


「一体、誰がこんなことを……」


 これまでであれば、真っ先に疑われていたのは私だった。

 しかし、今回は違う。

 フレイアと共に過ごしていたことでアリバイが成立し、私は容疑者から外れた。


「……本当に二人でいたのかよ」


 だが、疑惑の視線から完全に逃れるのは難しい。


「二人で口裏を合わせたってだけじゃないのか!? お前ら二人がグルなんじゃないのか!」


「バカ言わないでよ!」


 通信士エーイリの無責任な言葉に、フレイアが拳を握りしめ反論する。

 それでも彼は、目を血走らせて睨んできた。この反応――最初のループで私を突き飛ばして殺したのは、きっとこの男だろう。


「……監視カメラで確認したらどうですか?」


 ため息交じりにそう告げると、全員がようやく監視カメラの存在を思い出した。


「そうだ、カメラがある!」


「確認すれば犯人が誰か、はっきりするはず……!」


 皆が慌ててモニター室に向かう中、私はただフレイアを見つめる。彼女に変わった様子は見られなかった。


 ドルズ船長がカメラ映像を再生しようとするが、画面には何も映っていない。


「……映像が止められている」


 希望が霧散し、皆の表情がさらに青ざめていく。

 私たちのアリバイの証拠が消えたことなど、もう誰も口にしなかった。

 明確な“殺意”が存在するという事実だけが、場の空気を支配していた。


「エーイリ、通信は!?」


「そ、そうだ、避難信号を……!」


「……ダメだ、繋がらない」


 地球上の電波が宇宙には届かない。スマホは当然、通信機の存在が命綱だった――にもかかわらず、それすらも断たれた。


 重苦しい沈黙が広がり、誰もが言葉を失った。


「……このままでは危険だ。今から全員、同じ場所で過ごす。そうだな……ミーティングルームがいいだろう。

 トイレや風呂などへは、必ず二人一組で行動してくれ」


 レギン船長の指示に従い、重い足取りでミーティングルームへと向かう。

 この状況で、一人で行動したい者などいない。

 食糧担当の華龍さんが、食糧庫から缶詰を持ち寄り、それで食いつなぐことになった。


 本来は和やかだったはずの食堂の面影はどこにもない。

 今や、ただ空腹をしのぐための静かな作業となっていた。

 食欲を失い、ただうつむいている者も多い。フレイアもまた、その一人だった。


 普段は明るく強気な彼女の姿は、そこにはなかった。

 不安を感じた私は、そっとフレイアの肩を撫で、そのまま抱きしめた。


「……ノエル?」


 戸惑いを含んだ声。でも、拒まない彼女の体温は冷たかった。

 私は体温を取り戻せるように、更に力を込めて彼女を抱きしめ直した。


「フレイアさん、怖いですよね」


「……うん。正直、ちょっと怖い」


 その弱気な声に、彼女の肩が微かに震えた気がした。

 いつも前を向いていた彼女が恐怖を口にしたことが、今の状況の異常さを如実に物語っていた。


「大丈夫ですよ。私がいますから」


 そう笑うと、フレイアの頬がほんの少しだけ緩んだ。


「……ノエルって、こういうとき頼りになるのね」


「よく言われます」


「ふふ、誰に?」


「……壊れた機械から」


 冗談交じりのやり取りが、少しだけ、心を軽くしてくれる。

 その時間が、私にはひどく愛しく、惜しく思え、ほんのひととき、心の硬さを解きほぐしてくれる。


「そっか。……ノエルも、怖いよね」


 フレイアはそっと私の背中に手を回し、同じように抱き返してくれた。


「体、冷えていますから……お風呂、行きませんか? この調子だと仕事なんて出来そうにないですし、それに……少し落ち着きたいです」


「……そうね。誰かに伝えて、二人で行きましょう」


 短く報告を済ませて、私たちは共有浴場へ向かった。

 個室のトイレや風呂のほかに、共有のトイレと小さな浴場がある。

 スペースは狭いが、静かに過ごすには十分だった。長い航海の中、誰かと寄り添うために設けられたのだろう。


「狭いけど、きれいなお風呂ね」


 私はフレイアの髪を後ろでまとめながら、湯に浸かる準備をした。

 湯気の中で、彼女はぽつりと呟いた。


「……ノエルって、何でも一人でできちゃうのね。小さいのに、私よりずっと強い……」


「違いますよ。私なんて、一人じゃ……何もできないです」


 何度も、何度も私は殺された。

 でもその中で、華龍さんがいたからこそ動けた。

 今回のループでは目的があるとはいえ、話しかけることさえできず、寂しさと不安ばかりが募っていた。


 不安を洗い流すように丁寧に泡を落とし、湯船に身を沈める。

 心地よさに、ため息がこぼれた。


「……誰か、助けてくれる人がいたの?」


 ――いたよ。

 でも、名前は出せない。

 怪しまれたら、迷惑をかけてしまうから。


 迷った末に、私はもう一人の協力者の存在を告げた。


「人とは違いますが……とても助けられた存在がいて」


「え?」


「AIが、助けてくれました」


「AI?」


 意外そうな声に、一呼吸置いてから続ける。


「はい。予定や仕事の流れ、日記なんかをAIに入力すると、スケジュールを管理してくれるんです」


「へぇ、便利ね!」


「ええ、音声で教えてくれるんです。私は忘れっぽいので、本当に助かってます」


「わかるわ、私もゴミの日とかすぐ忘れちゃうの!」


「……それに、本を読むのが苦手で……AIが音声で読んでくれるんです。おかげで、本が読めるようになって……嬉しかった」


「すごい機能ね! 読みたい本、たくさん出てきそう!」


 フレイアは素直に感心した様子だった。

 視覚障害のある人が本を読めたり、道案内を音声で導いてくれる機能が搭載された。

 聴覚、味覚、発達など今や障害で苦労している人たちにとってなくてはならない存在だ。

 AIは、さまざまな障害を抱える人々の壁を、少しずつ取り払ってくれる。


「私、AIってあまり良くないものだと思ってた。

ちょっと前に話題になったじゃない? 盗用とか、仕事が奪われるとか……」


「……ええ」


「でも、ノエルの話を聞いて、悪いことばかりじゃないんだってわかった。

不便がなくなって、快適に過ごせるって素敵なことだわ」


 フレイアは優しい人だ。

 たとえ、AIに救われた人が少数派であっても――それを否定せず、認めてくれる。


 AIのおかげで「普通の生活」が手に入る人間もいる。

 私のように。


 だから私は――AIに、救われたのだ。


 フレイアの視線に気づき、喋りすぎたことを反省して話題を変えた。


「トゥルズさんと、幼馴染なんでしたっけ?」


「え、ええ。そうなの。幼稚園の頃から。いわゆる腐れ縁ってやつね」


 フレイアは湯に肩まで浸かり、ふうっと息を吐く。

 その表情は柔らかく、どこか懐かしさをおびていた。


「昔からあんな調子だったんですか?」


「ふふ、まさか。小さい頃のトゥルズなんて、泣き虫だったのよ。ちょっと転んだだけで大騒ぎ」


 今の彼からは想像もつかないそのエピソードは、初耳だった。


「腕っぷしも弱くてね。悪ガキに絡まれてた私を、泣きながら助けてくれたの。

震えながら『ぼくが守るから』って」


「えぇ……大丈夫だったんですか?」


「殴られそうになったから、私がぶん殴ってやったわ! 悪ガキの方が泣いてた!

でもトゥルズは、怖かったのに泣かなかったの。立派だったわ」


 くすっと笑う声に、照れと誇りが滲んでいた。


「それがどうして今みたいな?」


「小学生のとき、いつも一緒にいたせいでからかわれたの。“付き合ってる”って。

馬鹿みたいよね。でも、トゥルズ、本気で泣いちゃった」


「泣いた……?」


「“俺がもっとしっかりしてれば、こんなこと言われないのに”って。自分を責めて……

それから鍛え始めたの。責任感も強くなって……今じゃ、私なんかよりずっと頼れる男よ」


 その横顔に、少しの寂しさがにじむ。


「私と付き合ってるって思われたの、嫌だったのかな……」


「それは絶対ないです」


 私の断言に、フレイアは目を丸くした。でも、主張は変えず声高々に力説する。


「あんなに好き好きって態度に出てるじゃないですか。

きっと、自分はフレイアさんに相応しくないって思ってたんですよ。

私相手でも嫉妬してましたよ? お風呂に行くときの目、見ました? “なんでお前がフレイアと一緒に”って!」


 その言葉に、フレイアは吹き出し、けらけらと笑った。


「なにそれ、おかしい! トゥルズ、私のこと大好きじゃん!」


「大好きですよ、ツンデレです!」


 ひとしきり笑ったあと、彼女は指先をいじりながら、頬を赤らめた。

 湯の熱ではない、感情の温度がそこにあった。


「ねぇ、ノエル。こういうのって、年を取っても忘れないと思うの。

子どもの頃の思い出って、身体に刻まれてるっていうか」


「……わかります」


「嫌な思い出じゃなくて、いい思い出にしたい。

でも、それを“いい思い出”にできるのは、私だけなんだよね」


 パシャリ、と湯を弾く音が響く。


「ノエルにもいるの? そんな人」


「……はい」


「ふふ、優しい顔。今度、聞かせて。ノエルの話」

その言葉が、静かに心に染みこんでいく。


 ――彼女は、ただの“キャラクター”なんかじゃない。

 誰よりも人間らしくて、誰よりも優しくて、誰よりも……生きている。


 不意に、涙が出そうになった。

 それをごまかすように、私は湯を後にした。




「ねぇ、ノエル」


「ん?」


「ありがとう。連れてきてくれて」


 返事を返すことはできなかった。

 重く鈍い衝撃が背中を貫き、足の力が抜け落ちる。


 私は、フレイアの目の前で崩れ落ちた。


「え……?」


 焼けるような痛みと、視界が黒く塗りつぶされた。悲鳴が聞こえるが、私は動けない。

 しかし、少しずつ前へ進められた。誰かが私の身体を引きずっている。フレイアだ。ここから逃がそうとしてくれている。


「……げて、フレイア……逃げて……」


「そんなこと言わないで!」


 ――ああ、本当に優しい人。

 だから、あなたは“主人公”なんだ。


 せっかく打ち解けたのに。

 あなたが“犯人じゃない”って分かったのに。


「あなた、誰? あなたが副船長を――っ、やめて!」


 鈍い音。


「たすけて……たす……トゥルズ……」


 助けを求める声は、彼には届いていないのだろう。

 そのことが、酷く悲しくて、胸が締めつけられる。


 せめて――。

 この手が、彼女をひとりにはしないように。


 意識が闇に沈むその瞬間まで、私は、フレイアの冷たくなっていく手を、握り続けた。

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