繰り返せない星夜
宇宙船『ヴァルハラ』では酸素が十分に行き渡り、人工的な重力も確保されている。そのため、地球と変わらない日常を過ごすことができ、クルーたちは思い思いの服を着ていた。
クルー達にとって、『ヴァルハラ』は地球を離れた家そのものだった。だが、その平穏は一瞬にして崩れ去る。
「フレイアが殺された」
まるで酸素が消えたように、宇宙船内の空気が一瞬で凍りついた。
誰もその言葉を信じられない。レギン船長はよく冗談を笑いながら飛ばすのに、今はただ唇を噛みしめて俯いている。
「……嘘だろ?」
最初に声を上げたのはフレイアさんの幼馴染であるトゥルズさんだった。縋るような彼の声に、レギン船長は無言で首を振る。
膨らんだシーツに近づき、止める声も振り切って、震える手でシーツを剥がした。
「……!」
胸に深く突き刺さったナイフ。シーツの下から現れたのは、冷たく横たわるフレイアさんの体だった。
「おい、冗談だろ……? なぁ……!」
トゥルズさんがフレイアさんの肩を揺さぶったが、返事はない。血に染まった唇も、無情なほど静かだった。
「フレイア……!」
叫び声をあげ、冷たい体を抱きしめた。その体温のなさが、さらに深い絶望へと突き落とす。
「誰だ……誰が……フレイアを殺した!」
声がどす黒い怒りに変わり、トゥルズさんは周囲を睨みつけた。その声の大きさと冤罪をかけられたことを思い出し、唾を飲み込む。
怯える私をよそに、彼はヴィーザさんに掴みかかった。
「お前か!」
「ち、違います!」
「嘘をつけ! お前以外居ないだろ! 仲間が……仲間を殺すわけがないだろう!」
その勢いに首を締め上げられたヴィーザさんが苦しむ。激しい怒声と物音。慌てて周りの船員たちがトゥルズさんを引き剥がすが、彼はなおも暴れ続ける。
「離せ! 離せ……! 俺が、こいつを……殺してやる……!」
「トゥルズ冷静になれ! 証拠もなしに決めつけても、フレイアは喜ばない」
その一言に締める手を緩め、渇いた笑い声を溢すと、トゥルズさんの目から涙がこぼれ落ち、壁を蹴りつけた。
何度も、何度も――。
「フレイアごめん……守ってやれなくて……ごめん……」
やがて力なく座り込み、嗚咽を漏らす。
幼馴染として、好意を抱いた人が亡くなったのだ。その悲しみは容易に想像がつく。
だからこそ、誰も声をかけられなかった。
弱々しく、フレイアさんの遺体を抱き上げたトゥルズさんは、謝罪の言葉を繰り返しながら部屋を出ていった。フレイアさんをせめてベッドで眠らせてあげようとしたのだろう。
流石に1人にしておけず、リンド副船長は後を追いかけた。
残された私達には重苦しい沈黙だけが残された。この空気を払拭するために、レギン船長が咳払いをし、ヴィーザさんに謝罪を伝える。
「うちのクルーが申し訳ない。ヴィーザさん大丈夫ですか?」
「私は大丈夫です……こんなことが起こってしまったら動転してもしょうがないですし……。
宇宙船に侵入者がいるのは考えづらいですから、外部の犯行ではないでしょう……」
首元を抑えながら、言い淀んでしまった。この中に殺人鬼が居るとは流石に口にすることは憚られたのだろう。
フレイアさんが死んだこともそうだが、私にとってはもう一点気になる点がある。
なぜループが起こらない?
誰かが死ねばループが起きる――そう信じていたのに、フレイアさんが死んでも何も起こらない。
もしかして、フレイアさんの死には特別な意味があるのだろうか。もしくは、ループが起こらないのは、私の知らないルールに従っているからなのか。考えれば考えるほど頭が混乱する。
ただでさえ、ついていけないことの連続なのに、疑問ばかりが頭を支配して上手く考える事さえ出来ない。
頭を悩ませている私をよそに、レギン船長は冷静に伝える。
「ひとまず、昨晩、なにをしていたのか一人一人答えてくれ……」
アリバイを証明しろと言っているようなものだ。しょうがないと思いつつ、心臓は落ち着かない。
前回は私が犯人と疑われた。おまけに、私にはアリバイがない……。
手に汗が滲み、喉がカラカラに渇く。
「じゃあ、船長である俺からだ。昨晩は見回りを0時に行った。
監視カメラで異常がないことを確認し、船内を一周した後に、再度監視カメラを確認して就寝した。だいたい30分ぐらいだな」
監視カメラ! そうだ。それで怪しい人物が分かるじゃないか!
皆、監視カメラを確認しようと立ち上がるが、その希望はあっさり止められた。
「まぁ、待て。監視カメラは0時以降、録画が停止していた。犯人の仕業だろう……。
俺の見回りは映っているが、それ以降の映像はない。これではアリバイを証明できない。」
そんな……犯人がわからないうえに、アリバイを裏付ける手段がない事に、皆は落胆の色が隠せない。
レギン船長は淡々と告げて、通信士のエーイリさんに目配せする。
「僕は、なにも……。部屋から出てないよ。」
いつもの明るい様子はなくエーイリさんは小さく伝える。
その様子とは対照的に、華龍さんが続ける。
「俺は昨日、寝付けられんくてな、1時ぐらいに散歩してから帰ったで」
「それはどのぐらいだ?」
「んー……10分ぐらいやな」
普段と変わらず飄々としている……同僚が亡くなったとは到底思えない。
……まさか、華龍さんが犯人?
いや、それだけで決めるのはいささか乱暴だ。それにリンド副船長が言っていたじゃないか、証拠もないのに犯人と決めつけるなって。
疑心暗鬼に飲まれそうになるのを必死に抑えながら、私は昨晩の行動を口にした。
「……私は、昨日はずっと部屋にいて寝ていました。」
私が答えると、ヴィーザさんは絞められた首を気にしながら昨晩のことを答える。
「昨晩は、初めての航海だったこともあり見回り中の船長と談笑してから部屋に戻り就寝しました。0時ちょっとです」
「ああ、確かに会って話をした」
レギン船長とウィーザさんにはアリバイがあるように思えたが……。
「俺が見回った時にフレイアには会っていない……監視カメラの映像を止められた後に、フレイアは襲われたのだろう」
なんと声をかけていいか分からないでいると、ドアが開きリンド副船長が入室した。
「今、全員のアリバイを聞き終わった頃だ」
「そうですか、それで……」
レギン船長は小さく首を振りる。期待していなかったのだろう。リンド副船長は「そうですか……」と短く呟き、席に戻った。
「トゥルズは?」
「フレイアさんの部屋にいます。流石に今日は戻ってこれないでしょう……。
……昨晩、フレイアさんがトゥルズさんの部屋に22時ごろに訪れたそうです」
「フレイアが?」
「ええ、話をしたいって」
原作では一日の終わりに攻略対象の部屋に訪れるイベントがある。フレイアさんはそれをトゥルズさんを選んで訪れたのだ。
ゲームの世界で主人公だと気づいてる様子は無かったから、無意識にシステムの行動をとったのだろう。
「それは、どのぐらい?」
「30分ぐらいだと……」
私には、トゥルズさんの謝罪がどれほど深い意味を持つのかが分かるような気がした。きっと、彼は自分がもっと一緒にいれば彼女の死を回避できたことを悔いているのだ。
懺悔のように吐露し泣き崩れた姿に胸が締め付けられる。
「私は、昨晩部屋からは出ませんでした」
リンド副船長はそれだけ告げると、重苦しい空気がのしかかる。
「この場にアリバイを証明する者は誰も居ない。監視カメラも作動しない。
バイオモニタリングシステムを搭載した腕時計も作動しなかった……」
鋭い目つきが私を捉える。また、最初と同じ……。身体が自然とこわばる。
「あんなぁ、監視カメラがオフになってたからなんなの?」
華龍さんの一声に私に向けられた疑いの目が変わる。
「電源オフにするなんて、俺でも、客人のヴィーザさんでもできるやろ?」
「それはそうだな……」
「でも、腕時計の……バイオモニタリングシステムはどう説明するの?」
「着けてへんやん」
「え?」
華龍さんは、自身の腕時計を外してみせる。腕時計はアラームも鳴る事なく、机の上に置かれる。異常を知らすものがなければ、作動しないのは当然だ。
「こんなふうにとったんやろ? 外したら体調が悪くても、死んでも鳴りはせん」
「な、なんのためにフレイアはとったのさ!」
「そんなん知らん。」
きっぱりと言い捨て、ムッとするエーイリさんに助け舟を出すように、ヴィーザさんは口を出す。
「ノエルさんが、機械の不調があるからと言ってとったのでは?」
「わ、私、そんなこと言ってません!」
声を荒げる。冤罪で死んだ身として、この流れは非常に危険だ。
しかし、私の反論の代わりに華龍さんが鼻でヴィーザさんを笑う。
「あんなぁ、それ言うならアンタらだって言えるやろ?
時間がズレてる。
珍しいものだから見せてくれ。
そう言えばええやろ」
「……やけに庇うじゃないか」
「的外れな推理で犯人扱いされたら、気の毒やろ?」
「なっ! だいたい、お前だって変じゃないか! 船長の見回りが終わった1時に船内をうろつくなんて!」
「アホか。犯人ならわざわざ怪しい時間に散歩したなんて言うか? 少しは考えなはれ。」
「なに!?」
華龍さんと、エーイリさんの言い争いが一層激しくなる。喧嘩を仲裁しようとしたが、誰かが机を叩く激しい音が代わりを務めた。
「止めろ!」
レギン船長の鋭い声にピタリと止む。わざと舌打ちをし、周りを牽制する。AI端末とは思えないほど人間らしい仕草に、無意識のうちに体が萎縮する。
「勝手に決めつけて、勝手に犯人扱いするな! 航海は長いんだ。余計なストレスを溜め込むな」
深いため息を吐くと、髪を掻き上げ、レギン船長は2人を睨む。
「疑心暗鬼になるのは分かる。だが、それこそが犯人の狙いだ。気づかないうちに俺たちは、操られているかもしれない。しっかりしろ!」
怒鳴り声にエーイリさんは目を潤ませ、視線を下に向ける。
華龍さんは意に返すことなく黒いサングラス越しに興味深げに眺めた。AIの修理の時もやけに否定的だったし、華龍さんはもしかしたらAIやアンドロイドの人工知能に関して何か嫌なことがあったのかも知らない……。
人工知能の出現により多くの人は豊かになり、原作のノエル……私のような殺人事件に発生するような特性を持った人が性能差を埋めてくれることが出来る。
けれど、技術は盗まれ、仕事はとられ多くの人が貧困に陥り、社会問題になったことも歴史に刻まれている。
今は大分落ち着いてきたが、華龍さんの知人にそうなった人がいたのかもしれない。
「危険だが、職務放棄をすれば星につくことが出来ず、事故や船内トラブルで大変なことになるだろう。そうなっては犯人どころじゃない!
それを防ぐ為にこれからは2人1組になってもらう。いいな」
有無を言わさない態度でそう告げると、『ヴァルハラ』のAI端末に向かって、チームを作るように命じる。
リンド、トゥルズ
ヴィーザ、エーイリ
レギン、華龍、ノエル
AIはすぐさま結果を表示した。
あぶれた私は、レギン船長と華龍さんと一緒だ。人数が多い方が安心するが、先ほどの華龍さんの態度のこともあり少し不安が残る。
「じゃあ、確実に仕事をこなして、各々気をつけるように。解散!」
感情はなく事務的にこなしている姿は、家族のように仲間を大切にしているという設定からはかけ離れているように感じるが、こういう非常事態には必要なことなのだろう。
流石に話す気力もなく、重苦しい空気の中、『ヴァルハラ』の人工重力の点検を行う。
調整を間違えると常に浮遊したり、一歩も動けなくなる事態にも陥るので大事な作業だ。
私は集中できるからと適当な理由を述べて、イヤホンをつけて作業を続ける。
『次は、丸みのあるMと記載されたM6ネジをーー』
イヤホンからは作業内容が無機質な音声で流れ、その通りに点検を行う。この音声が無ければ私は生きていけない。
ノエルにとって、殺人の動機となった代物。
「……異常なし」
点検を終了し、2人に向き直る。次は華龍さんの担当である食糧庫に向かう。
「ノエルちゃん、仕事バリバリやなぁ〜! 可愛くて仕事もできるなんて流石やな♡」
「あ、ありがとうございます」
「いいから、早く行けお前ら!」
急かすレギン船長を歯牙にも掛けず、私に微笑みながらドアの開閉スイッチを押す。機械音とともに食糧庫の扉が開くと、異常にすぐに気がついた。
パックに入れられた飲み物や食料の袋は破れ、中身が床に散乱していた。
「マジかよ……これ、1ヶ月分の食料だぞ……」
「けど、次の惑星に着くまでの全員分の食料は食堂にあるはずや……」
その時、ヴーー!ヴーー!とどこかで聞いたことのある不協和音が聞こえてきた。
胸が締め付けられ、視界が歪む。
これは、これはーー。
『酸素供給が低下しています。』
それがバイタルの異常を知らせる警告音とすぐに気づいた。リンド副船長が死んだ時に聴いた恐ろしい音。呼吸が上手くできず、全身が冷えてくる。私の恐怖を嘲笑うように、船内に異常を知らせるサイレンは鳴り続ける。
『ミーティングルームの重力が規定値を超えています。規定値に戻してください。繰り返しますーー』
「重力!?」
「さっき確認したはずだろ?!」
レギン船長に責めるように問われ、口を開けることすら出来ずにいると華龍さんが代わりに返す。
「犯人や、犯人が俺らが去った後に動かしたんや!」
全員の顔の血の気が失せる。事実を否定しようと言葉を探すがそれを嘲笑うように警告音が鳴り響く。
『肺、胸部の圧迫、呼吸困難。バイタルに異常をきたしています。医者に繋ぎます。安静にして下さい。繰り返します』
「ッ!」
レギン船長がようやく動け、足をもつれさせながらドアに手をかけた。
けれど、今までに聴いたことのない、一生忘れることのできない重い重い重い音が鳴った。
まるで地割れのような音。
警告音がまた鳴った。
また、鳴った。
また……。
ビーーーーー!!!!
一際大きく長く重なり最後の通達音が響いた。
『リンド、トゥルズ、ヴィーザ、エーイリーー死亡しました。』