試験を終えて
心地の良い振動に揺さぶられていた。
しかし、駅到着のアナウンスによって眠っていた意識が戻されていく。
僕、甲斐田都木は睡魔の誘惑を振り切り目を開く。
どうやら電車内で眠っていたようだ。
目をこすりながら体を伸ばしていると、アナウンスが再び流れた。
『次は四乃宮家前。お出口は左側です。』
目的地の場所にもうすぐ着くようだ。
眠って通り過ぎることがなくてよかった、と思いながら窓の外を見る。
窓から人口太陽の光が試験明けの目に容赦なく刺さる。
地下都市なんだから、こんなに地上の環境に疑似させなくていいのに。
僕が住んでいる都市は、人口7万人からなる地下都市【コロニー3】だ。
人類はこれまでに環境の汚染を繰り返していた。
それこそ、多種族の命を摘み取って。
挙句の果てに異形である外敵との遭遇を回避するため、地下に円柱状の施設を建設した。
現在では生存している人類のほとんどは、地下に住むようになった。
このコロニー3は、数百年もの間形成と再構築を繰り返し、今では地下数キロ、東西南北と中央の5ブロックにわたり、それぞれの分野ごとに分かれて独立した都市構造をとっている。
コロニーのもとになったのは、今から1000年前に使用されていた地下鉄線を利用して作製されたと言われている………らしい。
正直、歴史的空白期間があるため真偽はわからないが………。
あと、講義中に眠っていたから覚えてない。
仕方がない。
だって、眠かったから。
他にもコロニーは現存し、今ではコロニーは世界各地に点在している。
その中でもコロニー3は、古くから現存する大きな都市である。
各コロニーは、基本的に独立している。
極端な話ではあるが、他のコロニーが崩壊しても自プラントが無事であれば自分たちのコロニー内だけで生活できるようになっている。
だからと言って、交流が全くないというわけではない。
それぞれコロニー別に特産品が存在するので、物資の物々交流や技術提供なんかもする。
コロニーの命名において、数字の数が小さいほど古参だ。
だからこそ、新規でコロニー建造後は、しばらくの間近隣のコロニーと共同で作戦に当たったり、支援物資の提供なんかも行ったりする。
ただコロニー3は特殊で武力介入なんかもする。
金銭や特産物と交換で他コロニーの防衛を請け負ったりする。
まあ、それは姉一号の部隊だけだが。
コロニーの存続にはあらゆることが必要となってくる。
そこは適材適所。
電車の減速時に座っていた席から立ち上がり、停車した電車のドアからホームへと降りる。
地下都市ではあるが、四季を再現しているせいで、春はじめの冷たい空気が頬を裂くように吹き付ける。防寒着であるコートの襟首を絞めて体温を冷まさないように急ぎ足で目的地に向かう。
住宅街を突き抜けて、目的とする家まではしばらく歩くことになる。
駅から歩いて20分。
めんどくさい。
住宅地の外れ、コロニー円周付近に開けた一等地がある。
ここが生活している家だ。
家といっても間借りしているところだけれど。
本当のところ家といっていいものなのかわからない。
………さらに言うなら家というにはデカすぎるので邸宅といった方がいいのかもしれない。
僕の保護者はここで働いている住み込みメイドだ。この家ではそのメイドの養子というかたちで、居候している。
そんな身の上のため、一室を貸してもらえている状況だ。
みんな『家族』って言ってくれているけれど、僕からすれば『居候』だ。
なにせ、僕は拾われた身だから。
いつものように、正門から入り噴水庭園を抜け奥にある邸宅を目指す。
僕の保護者。
甲斐田紅葉。
この四乃宮邸の住み込みメイド。
黒髪を後ろでまとめ上げ、赤い瞳でありながらどこか冷たさを感じる眼光。整った容姿から結婚の縁談がかなり持ち込まれているが、全て斬り捨てているらしい。
本人曰く、
『ゴミとクソみたいな汚物に好きと言われても』
とのことだ。
うん、我が保護者ながら怖い。
でも、本人の年齢的は確か25歳くらいってきいたから別に縁談を持ち込まれても不思議ではない。
でも、さすがにコネ目当ての縁談が多いことは僕も認識している。
そんなアホほど、対面したときにアホな行動をするものだ。
相手の意思を汲まないで、強引に迫るものだから………。
メイド様が冥土様に変貌したときに、漏らしたり、脱糞する人までいるくらいだ。
冷酷無比。
家族以外は、どうでもいい。
誰もが畏怖する氷の女王。
みんなからは高嶺の花と言われているが、結婚に興味がないように思える。
中には紳士的にお話を持ち掛けてくる人もいるが、断り文句として、『世話の焼ける子供がいるから』とのことだ。
………すみません。
それでも僕は感謝している。
幼い時に、僕の身元保証人として引き取ってくれた。
それだけでなく、学校にも行かせてくれた。
おかげで今日の試験にまでこぎつけることができた。
正直なところ、頭が上がらない。
そんな僕の心境を察してなのか、何度もあきれられた。
子供が保護者の責務に感謝するなんて、あってはならないと。
『その感情は歳不相応です。感謝の心ではなく、無邪気な笑みをくれればいいのです』
そう言われても困る。
常にちらつくのは、いつも夢に見るあの顔なのだから。
『あんたなんか———』
自分の人生を否定された表情で首を絞めてくる、あの人の顔を僕は忘れないのだ。
僕の記憶には、それ以前の記憶がない。
過去の僕に、どんな背景があったのかわからない。
だけど意識を失って、気がついた時には病院のベッドの上に寝かされていた。
あれから、ずっとそばで育ててくれたのが紅葉さんと義理の姉達であった。
不思議なものだ。
血のつながりなんてないのに、本物の親よりも深くつながっている気がする。
病院を退院してから僕は、この四乃宮邸で過ごすようになった。
にぎやかな人達?みたいなものに、僕は救われていた。
だから今日もこうして帰ってくることができる。
四乃宮邸のロビーを開けて中に入ると———。
メイドが当主にアイアンクローをきめていた。
………。
なんだ、いつものことか。
扉の音に気がついたのか、メイドがこちらを振り向いた。
「おかえりなさい、都木」
その一言に、ホールドされている一番上の姉が勝機を見出したかのように暴れだした。
「トキ、トキ! 助けて!」
いや、まず状況が読めない。
「帰ってくるなり、どういった状況? 僕の試験結果を気にするならまだしも、これは読めないって」
その言葉にメイドからは、
「あなたが合格しないなら、全員不合格ですね」
姉一号からは、
「模擬戦であんたに敵う試験官はいないって、ハハハ!」
笑うか暴れて手を振りほどくかどちらかにしなさいよ、真衣姉さん。
あとアイアンクローをされている状態で普通に話さないでよ。
それと———。
両者とも僕を過大評価し過ぎだ。
試験は、ちゃんと基礎ができているかどうかを判断する場所だ。
ノルマさえクリアすればどうってことない………はずだ。
だから、実技の試験官をいなして時間いっぱいになるまで粘った。
それに———。
「試験で『魔法禁止』って言われたから疲れたよ」
魔法。
この世界のあり方を変革するもの。
そしてこの魔法社会の上下関係を左右するもの。
魔法というのは、自分自身の魔力を消費して、意識の層で着色し、体の魔術回路を通して現実を歪める人間固有の能力のことだ。
十歳前後から十三歳くらいで発現とされている。
特殊な例もあるらしいから、人それぞれとされている。
まあ、細かいところは全くわからないけど。
『使えるのだから、使う』のが人間だ。
今では、コロニーのライフラインは魔力が9割、電気量が1割の構成だ。
魔力は、魔力保有量が多い人間から順次供給して賄われている。
だからこそ、この社会は魔法こそが人権として扱われる形骸化社会でもあるのだ。
『魔法』というのは、今から数百年前大規模な人類崩壊前に使えるようになった代物だ。
理屈は不明だが、突然使える人が出てき始めた………らしい。
どうしてそんなにあやふやなのか?
テスト前に一夜漬けで覚えたからなー。
しかたないよね?
まあ、そんなことよりも、だ。
脱線した話を戻そう。
「どうして、こんな状況になっているの?」
どうせ、また姉一号がやらかしたんだろう。
「真衣お嬢様には、現当主としての自覚が足りないようなので」
「全然、話が違うでしょ!? ただ、ベッドの上に醤油のシミをにじませちゃっただけでしょ!?」
………。
話がぶっ飛びすぎているので、頭がついていかなかった。
らちが明かないので、話をまとめるとこうだ。
姉一号が、急にお刺身を食べたくなって近くのモールから買って来て自室で食べようとした。
けれど、夕飯前にメイドにバレるとめんどくさいし、小言を言われる。
そう思った姉一号は、刺身パックの蓋部分に付属品の醤油とワサビを垂らした。
順調に食べていたが、突然メイドが部屋に入ってきたため、驚いて身動ぎしてしまった。
その反動で、蓋がひっくり返ってしまいベッドのシーツ部分にシミが広がってしまった。
部屋に入ってきたメイドからしてみれば、仕事を増やされて怒り心頭なのだ。
というか真衣姉さん、まるで一人暮らしのOLみたいなことを………。
理由もまるで思いついたからやっちゃいました、みたいな幼さが相まみえる。
………今年で二十歳だというのに。
だからといって、その当主にアイアンクローをきめるメイドも大概だが………。
「痛い痛い痛い、頭が割れる!」
「不要な脳は、あってもなくても同じでしょう?」
絶対零度の瞳からは、見た者を凍えさせる冷たさをもっていた。
なんというか、どうしてこんな残念な姉になってしまったのだろうか。
姉一号こと、四乃宮真衣。
前々当主の娘であり、一年前、叔母が亡くなったことで当主の座を譲られたばかりだ。
艶やかな黒髪をショートにして、スポーツ少女らしい爽やかさを持っている。
だが、服の下はそんな次元ではない。
もはや人間兵器の領域まで上り詰めた筋肉、色気ゼロの特殊部隊員。紅葉さんと違って、縁談の一つも舞い込んでこない残念系女性。
その実態は、ずぼらで興味が出た瞬間に体が動いてしまう直感タイプ。
身だしなみも、年頃の女性が着るものではなくジャージ。
年頃の恋愛話なんて聞いたことすらない。
無理はないけど、みんながこの光景を見たらなんて思うだろうか。
そんな姉一号ではあるが、軍属の現場官職を持っている。
それどころか、軍部の中枢にまで2年でたどり着いた猛者。
というか、『四乃宮家の怪物』と言われるほど、恐れられている。
両親の七光りと言って、蔑んでいた連中もいたみたいだが、実力者ぞろいの練習試合で固有の魔法を使わずに、圧倒的なパワーだけで全員を叩きのめしたと聞かされるほどの、『本物の実力者』だ。
その実力者を片腕で頭を握りつぶそうとしているメイドがいると知ったら、狂乱することだろう。
メイド兼僕の保護者である甲斐田紅葉さんは仕事をそつなくこなす完璧メイドと自称する絶対に逆らってはいけない危険人物である。
そんな紅葉さんだけど、教育に関しては、厳しくもあるがやさしさも伴っている。
そうでなければ、身寄りのない僕を引き取ろうとはしなかったはずだ。
でも、こと姉一号に対しては容赦がない。
姉一号が、朝、定刻になっても起きてこなかったときにショットガンを担ぎ、扉をぶち破って侵入していったときは、あっけにとられて動けなかった。
どこのシュワルツェネッガーだよ、と思ってしまった。
その後、すぐに部屋の中から悲鳴と破砕音、炸薬音が響いていた。
その一件以降、僕は毎朝、起きる時間には気を付けるようになった。
寝坊して、部屋の扉をぶち破られたくないし、部屋を壊したくないし壊されたくない。
それに、早起きをしているおかげで簡単ではあるが料理を学ぶ機会に巡り合えた。
おかげで紅葉さんの味付けも覚えられた。
『子供らしくありなさい』
そう言われた時代もあったが、ただダラダラしているのも性に合わない。
あとショットガンを担いだ保護者に直面したくない。
目覚ましが、銃火器音とか心臓に悪い。
それに———。
『あんたなんか———』
………居場所が欲しかったから。
まるで呪いのように付きまとう言葉が、僕を休ませてくれなかったというのもある。
それでも、ここまで生きていけたのは、ひとえに紅葉さんや姉一号と二号のおかげだ。
だからこそ、感謝している。
———しているけど、さ。
「真衣姉さん、弁明できないよ」
「あきらめないで! ネバ―ギブアップ! あきらめたら試合終了よ!」
「いや、試合終了というか、意識のブラックアウトが起きてそのまま反省部屋行きだよ」
「嫌だ!」
姉一号が叫んだ瞬間、メイドのアイアンクローが瞬間的に緩み、重力に引かれた姉一号の体を紅葉さんは、一瞬にして反転させヘッドロックをかけた。
「おお」
つい紅葉さんの見入ってしまった。
無駄のない動き。
非殺傷で相手の意識を刈り取る。
さすが、元軍属なだけはある。
しかも、最年少にして当時の強襲軍ナンバー2の実力者だったらしい。
いつ見ても見事だ。
そうこうしている間に、ジタバタ暴れていた姉一号は、動かなくなった。
紅葉さんは動かなくなった姉一号を担いだ。
「遅くなりましたが、おかえりなさい、都木」
「ただいま」
「本日は、理奈様はリモートではなく出社しているので合格祝いは彼女が帰って来てからやりましょう」
理奈というのは姉二号のことだ。
「だから、合格したかなんてわからないでしょ?」
「繰り返しになりますが、あなたが受からなければ判定がおかしいことになります。もし不合格通知が来たのなら私が殴り込みに行きます」
いやいや、それはおかしいでしょ!?
しかもそんな真顔で言わなくても………。
「試験は筆記と実技で分かれているんだからさ———」
「筆記の自己評価は?」
「たぶん6割………かな?」
「問題ありませんね。筆記と実技、両方で半分できていれば合格ラインです。理奈様のお父様のように特殊事例でもなければ、合格は確実でしょう」
「いや、『魔法禁止』の縛りでやっていたから、試験官に合格する要素とか見せられなかったし———」
「試験官は、どんな魔法を使っていましたか?」
「念動系かな? モノを飛ばしたり自分の身体を加速させたりしていたかな」
「それを補助具、特殊軍服もなしにいなせていたのであれば百点ですよ」
「そう? きっと合わせてくれたんでしょ? だから一時間くらい耐久していただけだよ。防ぐだけなのも、戦意なしと判定されそうだから合いの手を撃つように反撃したくらいだし」
「………相手に同情します。格の違いでへこまないといいですけど………」
?
よくわからないことを言う。
「まあ、敗北はいい薬になると言いますし、その方にはこれから自らの成長につなげてもらいましょう」
「あの試合に成長できる要素あったかな? あの試合よりも紅葉さんや真衣姉さんの練習試合のほうがよっぽどためになると思うけど?」
「………剣道という武道があるのは知っていますね?」
「まあ………」
「達人同士の試合をみただけの若輩者が師範相手に技を決められると思いますか? 実際に体験してみると、初心者はせいぜい防御一辺倒になるだけです。圧倒的な技量の前に、どうしたらいいのか当事者は気がつきません。そんな試合からは学びは生まれませんよ。あの武道は同レベルもしくは波長を合わせてくれる相手がいて、かつ先の読み合いや技の技術、相手の動きを観察し、即座に判断する適応力が培われるものです。それを毛の生えた初心者に求めるのは酷でしょう」
?
今の話と実技試験の話、どうつながるのだろうか?
いまいちピンと来ていない僕に、紅葉さんは少し悲しそうな表情をした。
「クジラにプランクトンの気持ちを理解できるわけもありませんか………」
???
余計に理解できなくなった。
頭の上に、疑問符を浮かべている僕に背を向けて姉一号をものともせず、担いでいく紅葉さん。
「お部屋に着替えを用意しています」
そういうと、そのまま邸宅の奥に消えていった。
そのまま施錠音となにか暴れる音が聞こえてきた。
その後、遠くから姉一号の泣き声と悲鳴が聞こえてきたが無視した。
だが、安心してほしい。
姉一号の辞書には、『反省』という言葉はない。
なぜか?
それは簡単なことだ。
一週間に何度も同じ光景を見ているからだ。
室内着に着替え、厨房に向かうと紅葉さんが料理をしていた。
「手伝うよ」
そう言うと———。
紅葉さんが振り向きざまに、ナイフを投げつけてきた。
「主賓は、何もしないでください」
「いま、主賓に何もさせずに殺そうとしたよね!?」
「この程度で死ぬ教育はしたつもりはありません」
「それ以前に、刃物を投げつけないでよ!」
「厨房は戦場です。いつ命を落としてもおかしくありません」
「そりゃ、言葉よりも先に刃物がとんできていたら戦場にもなるよ!」
ズレてる。
やっぱり、この人は頭のネジをどこかに落としてきたらしい。
「それと先ほど、軍部から合格連絡が来ておりました。おめでとうございます」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、明日から軍部のオペレータとして戦闘マネージメントをするのか」
「はい? なにを言っているのですか? あなたは即現地直行ですよ」
???
「なんで? 一年目って、下積み期間としてみんな戦術班に入れられるはずでしょ? 早い人でも、半年くらいした後で現地入りだって聞いているし———」
「『普通の人たち』は、でしょ? あなたはすでに実践経験を積んでいるし、イレギュラー対応もしています。それに———」
嫌な予感。
「それに?」
「私が推薦状を送っておきました」
「九分九厘それのせいじゃん!!」
身内の犯行だったとは………。
振り向いて壁に刺さっているナイフを引き抜く。
先が思いやられる。
そう思って、ため息が出たところで後ろから優しく抱き着かれた。
「よくここまで成長しましたね」
その言葉に、いつものように軽口を叩こうと思って口を開いたが、何も出てこなかった。
「正直なところ、あなたが軍部である防衛局に勤めるのには気に入りません。………が、成長を見届けられるのは、うれしいことです」
なんだそれ。
成長?
ただ、僕は………。
ここの人たちに甘えたくなかっただけだ。
僕がここにいてもいいように、エゴを………。
「これからも、励みなさい」
そういって、頭を撫でられた。
くすぐったい。
甘い温かさ。
ああ。
これは不味い。
限界だ。
「………ちょっと外に行ってくる」
そういって、僕はかけるように噴水の広場に向かっていった。
食堂にて。
「ああ、行っちゃったね」
「………お嬢様、覗きとは趣味の悪い。………反省部屋から抜け出してきたのですか?」
「人聞きの悪いことを。少し頭を使っただけよ。私はお姉ちゃんとして、弟を褒めようとしたら先を越されていただけだよ」
「………」
「でも、安心したかな。あの子、ちゃんと心を開いてくれているってわかったから。あなたに認められてうれしそうだったわね?」
「できれば軍部ではなく理奈様のようにコロニー内部の企業に勤めてもらいたかったですが———」
「無理でしょ? 体の『汚染』もあるし。それに、あなたの影響が大きいんじゃない、紅葉お姉ちゃん?」
「いいえ。あれは天賦の才です。………それが当の本人にいい影響なのかわかりかねますが………」
「煮え切らないわね」
「正直なところ、———また同じ惨劇が起きるのでは、と。」
「私のお父さんみたいにならないのか、ってこと?」
「………」
「さあね。同じ道をたどるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。………こればっかりは、見守るしかないよ」
「わかっています。それでも———」
「私のお父さん………、あなたにとっては養父だったからかもしれないけど、あの人とトキは別人だからね?」
「知っています」
「そ。………強烈な光に焼かれた瞳は、瞼を閉じても残光が残るものよ。希望の光にあてられたものは例外なく残り火に縋りつきたくなるのよ?」
「何がおっしゃりたいのですか?」
「………失ったものは戻らないの。代用できるとは思わないことね」
「………ええ。理解しています。そしてあの子が本来認められたい相手が私ではないということも」
「ほんと、お互いに報われないわね」
そういって、真衣は両手をわざと叩き、区切りをつけた。
「さ、そろそろ理奈が帰ってくるから食事を食卓に並べちゃいましょう? これだけの料理を並べるのだって一苦労よ? どれだけうれしいのよ?」
「今日は、やけに饒舌ですね?」
「うふふ! そりゃね! さ、並べ———」
ホールのケーキが———。
真衣の手から滑り落ちた———。
噴水の淵に腰を下ろして、自分自身を自制していく。
何年ぶりだろうか。
紅葉さんに認められたのは。
記憶にあるのは、今から4年くらい前だろうか。
軍部に所属できるのは、18歳を満たした人のみだ。
この制度は、今からちょうど18年前に設立されたもので、僕の進学に影響が出た。
僕は、特待で軍学校を卒業してしまったために、どこかで稼ぐ必要があった。
紅葉さんや姉達には、そんなの必要ないと言われたが、ごく潰しになりたくなかった。
そこで軍学校の教師陣から依頼を推薦してもらい、歩合制で働くことになった。
そこで、お偉いさんの娘を護衛する任務が回ってきた。
でもまさか、初日に出向いたら拉致されていたなんて思わなかったけどね。
そのあと、痕跡を追ってすぐに拉致監禁されていた人物を助けることはできた。
が、ずいぶんな遠方まで連れてこられたこともあり、帰ってくるまで約一年かかってしまった。
一年ぶりに帰宅すると、懐かしさを覚えた。
姉一号は、変わらず『おかえり』と言ってくれた。
姉二号は、大号泣していた。
紅葉さんは、そっと抱きしめてくれた。
なんというか、三者三様の反応だったが帰ってきてよかったと思えた。
そのときに、初めて紅葉さんから『よくやりました』と言ってくれた。
あの言葉だけで、僕は救われたのだ。
後日談だが、そのお偉いさんの娘さんが、何かと絡んでくるようになり、家庭教師兼ボディーガードとして雇われるようになった。
軍部の試験の時も、大分渋られてボディーガードを続けるなら、軍部と同額の給料を支払うとまで言われた。
だけど、すでにボディーガードが必要ない人に言われても白けてしまうだけだ。
僕から見て彼女は、軍部の防衛局員に匹敵する実力はもっていると判断した。
それに、軍部からすでに通達が来ている身でもあったから断った。
なにより、四乃宮と浅からぬ因縁を持つ家でもあったから。
人口の陽は沈み、夜の風が吹き抜けていく。
日暮れの風が頬を撫でる。
少し火照った体を冷ますには、気持ちのいい風だ。
身を任せるように、涼んでいた時だ。
「なにやってんの?」
鋭い刃物を想像させるような声がかけられた。
いつものことだけど。
「ちょっと、気分転換。そっちこそ、今帰り?」
「ええ。ねぎらいの言葉をかけなさい。姉二号に敬いと羨望の目を向けることを許すわ」
この無茶苦茶なことを言っている人が、姉二号こと月下理奈だ。
まだ、二十歳にもなっていないのにスーツを完全に着こなしている。ただ、自尊心が強いのか、僕へのあたりは滅茶苦茶にキツイ。
姉二号は、僕と同じくこの四乃宮邸に引き取られた才女だ。
理奈姉さんは、幼少期から飛び級に飛び級を重ね、企業についたのは13歳の時だ。
が、あまりにも非効率且つ怠慢企業だったらしく、一か月で退職。
その後、会社を新設しコロニー屈指の三大企業にまで上り詰めた。
まあ、もちろんのことだが、一人でやってのけたわけではなく四乃宮家の前当主である四乃宮円さんと紅葉さんの支援があったからこそできたことだ。
今では創設した『アンダームーン』は、医療業界と軍属に所属していれば聞かないことがない有名企業になりあがった。
設立してたった6年でこれだけ有名になったのは、周囲の協力が大きいものの姉二号の頭脳も関係している。
………でも、ね。
困ったところも多々ある人なのだ。
「おかえり。みんな理奈姉さんのこと待っていたよ? はやく———」
言い終わる前に———。
右腕にナイフを突き立てられていた。
「いっ!」
「うふふ、もっと痛がって♡」
パラフィリア症。
姉二号の場合は、相手の血をみて興奮してしまうらしい。
だから、毎回僕が斬り刻まれる。
本人曰く、『トキだから興奮できる♡』と力説されたときはめまいがした。
お気に入りは、右腕から心臓にいたるところらしい。
おかげで、僕の部屋が毎回血しぶきで汚れる。
「いきなり何するの!?」
「ま、こんなものか」
容赦なく、ナイフを引き抜くと何やらアタッシュケースにあてていた。
よくよく見るとナイフの先端部分が注射器のようになっており、血液を抜き取れるようになっていた。
いや、普通の注射器を使いなさいよ!?
抜き取った血液をアタッシュケースに収めていくと、何かが起きているのか中から煙が出始めた。
「理奈姉さん、それ危ないやつじゃないでしょうね?」
「さあ? 試作品だから爆発くらいあるんじゃない?」
「危険物持ち込み反対!」
さらっと危ないものを研究所から持ち出してくるんじゃないよ!
そうこうしていると、上がっていた煙も落ち着きアタッシュケースからレンジの出来上がり音が鳴り響いた。
「ん。 成功した」
そういって、姉二号はアタッシュケースを開いた。
中身は、黒を基調とした軍服とコートだった。
「うちの会社で開発されている軍部の戦闘服よ。もともとは魔力の伝導率と低効率の改善だけだったけど、今回は、自然治癒力の向上や気温の温度変化に対応できるように体温調整±100°に設定されているわ。それに常に体にフィットするように軍服自身の最適化もされているから筋力の増加による体格変化にも適応できるわよ」
おお。
さすが、『アンダームーン』の社長である。
「ちなみに今、血液を入れたけど事前に皮膚や骨、髪の毛なんかも入れてあるわ」
「こわっ! しかも『骨』っていつとったんだよ!?」
「昨日。あんたが気絶した後に、ね」
………このくらい朝飯前か。
というか手段を選ばなすぎない?
いや、もう考えないようにしよう。
「ありがとう。でも右腕が痛いんだけど?」
「あんたも話を聞かないわね? その軍服に袖を通してみなさい」
ここで反抗しても姉二号の逆鱗に触るだけなので、言われたとおりにする。
———やっぱり痛いわ。
が、袖を通してしばらくすると体中を紐で縛られる感覚の後、体になじむようにゆったりとした着心地に変わった。
そしていつの間にか、右腕の刺し傷が消えていた。
「………さすがに驚愕だよ」
「もっと褒めなさい。最新の叡智を求めた———」
そういって、自慢しようとしている姉二号の脇から一体のドローンが飛びだしてきた。
『お初にお目にかかります、都木様。私は、理奈様のもとで開発を行っている東雲といいます』
東雲? ああ、姉二号の会社で主任をしている人!
「あ、これはどうも。姉がお世話になっています」
『いえいえ。社長には、よくしてもらっています。ですが、今回のオーダーは特別仕様のため注意連絡を、と思い出てきました』
ということは、わざわざドローンで最初から見ていたのかな?
なら、もっと穏便にことを進ませるように姉さんに言ってほしいものだ。
『今回の軍服は、あなたの姉上が一から設計したもので、我々はあまり関与しておりませんので、設計上の注意事項だけ伝えます。先ほどからもどかしい会話で全くお話が進んでいないみたいなので』
ものすごい形相でこっちを見ている姉二号は無視して、東雲さんは語りだした。
『今回の軍服は画期的でもありますが、欠点もあります。まず耐久性です。通常の軍服を防御値100で語るなら特別性の軍服は30から40と言ったところでしょうか』
かなり低いな。
『まあ社長のお話を聞く限り、魔法特性を優先してのことだと思っています。だからこそ、慢心せずに攻撃は受けずに回避に徹してください』
なるほど。当たらなければどうとい言うことはない作戦ね。わかった。
『それと、通常の軍服は筋力補正がついていますが、今回の軍服には一切ついていません。決して無茶はしないでくださいね』
そういっていると姉二号が合いの手を入れてきた。
「何を言っているのよ、東雲。片腕で車両を投げ飛ばせる人間に、補正は必要ないでしょ?」
『社長、必要がなくても、他の既存品と違うのですから説明をしておかないと、事故が起きてしまいます。主任としてはそういった部分は、事前にお話しをしておくべきところですよ』
「なら、それは私の役割よ」
『それならもっと説明をしてから———』
「嫌よ。いたぶるのは楽しいのだから」
『………私には、ベクトルを間違えた狂愛にしか見えませんよ 』
「失礼な。純愛よ。少し他人と違うだけ」
『なら、イチャイチャしてないで容量よく説明してあげてください』
「わかっているわよ」
そういって、僕に姉二号は向き直ると語り始めた。
「さっき東雲が語ったようにその軍服には機能的な部分を取り揃えているけど、欠点もある。そこらへんは、私の判断で問題ないと思っているわ。なにせ、あんたの戦闘ログから逆算して作ったものだから」
?
戦闘ログ?
「………もしかして、理奈姉さん。軍部をハッキングした? 戦闘ログは、極秘のはず………だよね?」
「お粗末なセキュリティーは、極秘とは言わないわ。つまり公開しているも同然よ」
身内に犯罪行為をしている人がいた。
しかも自分から宣言してきた。
もう頭が痛くなった。
「あと、私の会社にガサ入れした瞬間に、軍部の最高機密情報が全部マスゴミに流れていくようになっているわ」
もはや自爆覚悟だろ!?
『ま、社長のことですから。人の常識に当てはめて倫理を解くのは、馬の耳に念仏みたいなもんですからね』
なんで社員も平然としているの!?
はっ!
だから働いていけるのか!?
「これが、私からのお祝いよ」
「純粋に喜べない………」
「あら? それとも一緒に満足するまで語り合いましょうか? ベッドで」
「理奈姉さんの『語り合う』は、一方的に悲鳴を上げさせる、の間違いでしょ?」
「あなたの痛みに耐える姿は胸が高鳴るの♡」
顔を高揚させ、頬を朱に染めた姉二号は欲情したように息が荒くなっていった。
理奈姉さんの悪癖が………。
見かねたのか、ドローンが後方に移動した。
『では、私はこれで失礼します。ご両名とも、よい祝賀会を』
「ありがとうございます、東雲さん。紅葉さんには会っていかないの?」
『会おうと思えばいつでも会えますので。それに今夜は、家族水入らずの時間にしたいでしょうから』
なんというか、さすがだ。
小さなことにも配慮できる。これが大人なのだろう。
無茶苦茶な姉二号のもとでうまくやっていける理由を垣間見えた気がする。
『それに紅葉ちゃんとは今週、いつもの喫茶店で待ち合わせをしているから』
なるほど。
すでに約束済みだったか。
『それでは、これにて』
そういって、ドローンが帰ろうとしたときに、姉二号が呼び止めた。
「ちゃんと残業申請しなさいよ、東雲。あんたが遅くまで研究所に籠っているのは知っているんだから」
『あなたには言われたくありませんよ、社長。今回の件でも、半年前から理論構築から設計・デザインまでやるなんてどれだけの超過労働をもみ消しているんですか? 社員もそれを見たらサビ残しちゃいますよ?』
「いいのよ! 私、他の社員と会ってないから」
『残念、今、私の後ろに全社員がいます』
「………は?」
『社長がイチャイチャしていた姿は、全社員が見ていましたよ?』
ドローンから向こうの映像が流れてきた。
満場の公会堂でやり取りしていたらしい。
………みんな出席とかどんなチームワークしているのやら。
その映像に、姉二号が今までに見せたことのないような慌てぶりをしていた。
「な、なにしてくれとんじゃ!」
呂律も回っておらず、顔面は真っ赤。
『録画もしていますから』
抜かりがない。
「消しなさい! 今すぐ!」
『いいですけど、この間の予算会で決定されたうちの部内費を一割————』
「わかった! わかったから!」
姉二号が叫ぶと、映像とマイクから歓喜の雄叫びが上がっていた。
確実に、はかられたな。
これぞ年の功。
でもさ———。
………これ絶対、消去されないだろうな。
バックアップも取っているだろうし。
ここは助け船でもだすか。
「東雲さん、今回だけですからね?」
『え?』
「いままで溜まっていたストレスもあるでしょうが、この一回だけ目を瞑ります。でも、こんな姉でも家族なので、これ以上の脅迫は僕が対処しなきゃいけません」
僕の経歴を知っていればこそ、効く手段だが………。
『oh、やばっ』
「これでも、『アルバイト』をしていた経験がありますから」
アルバイト。
あり大抵に言えば、汚い仕事だ。
企業を潰すなんて、簡単なことだ。
もちろん、戦闘よりは繊細で臨機応変さが求められるし、依頼主との駆け引きもあるから面倒だったけど。
『はあ………。はいはい、わかりましたよ。おーい君たちも社長の赤面顔は脳内だけにとどめること。個撮しているやつ、データ消しとけよ。消しとかないと物理的に消されちゃうからな』
『『『『はいー』』』』
どうやらカメラ越しの交渉はまとまったようだ。
それに、東雲さんが宣言したように、『会社は関係ないです、やったのは個人です』と明言してくれたからみんな消すだろう。
誰だって、気づかれないまま消されたくはないだろう。
こんな時代、砂漠に死体が転がっていても気にも留めない。
『それじゃ、社長、都木様。失礼します』
そういって、ドローンはとんでいった。
当の姉は、
「明日、全員、ぶちのめす」
ご立腹のようだ。
まあ、でもいい薬だ。
それにあの人たちも理奈姉さんといい関係を築けているみたいで安心した。
そう思っていると、姉二号は両手を広げていた。
「ご褒美ちょうだい」
………姉二号が拗ねた。
目の下のクマ、不機嫌さ、いつもよりも白い顔。
しばらくまともに寝ていないだろうことは………予想できた。
しかたない。
「ほら」
そういって、理奈姉さんを背負い、もらった軍服はそのままアタッシュケースに格納し、邸宅に戻ることにした。
理奈姉さんの会社は、超がつくほどの実力主義だ。
もちろん、一部の社員を除いて勤怠には気を配っている。
実力を持った人が本領を発揮できない空間や疲労で故障者にでもなったら会社としての損失は計り知れない。故障者を出す、もしくは出し続けるということに危機感を持たない会社は、進展が期待できず、いずれ倒産する可能性が大いにあり得る企業だ、と理奈姉さんが言っていた。
だからこそ社員が定着でき、真価を発揮できるポジションにつかせ、ワークライフバランスができれば、結果として想定よりもおつりが帰ってくるとも言っていた。理奈姉さんは、昔からそういった心眼は、誰よりも優れていたから。
曰く、
「人事たちやどこかの社長なんかは、立ち会って数秒でその人のすべてがわかるって言っているけどそんなの無理よ。私がやっているのは、服の上から身体の部位を見て、会話を少しするだけ」
「なんで?」
「体にはその人が蓄積してきたデータが如実に表れているのよ。だからと言って骨格云々じゃないわよ? 肥満体系は、運動が苦手で引きこもりがち。でも同じ作業に没頭しやすく、作業の繰り返しの中でいろいろなアイデアを生みやすい。それが生産性の向上に寄与したりするの。逆に細マッチョ系は、周囲とのコミュニケーションに慣れていたり、自前の踏ん張り強さを持っている。それに負けん気も持っていることから周囲を自然に鼓舞したりしているよ」
そうなんだ。
「そういった仮説を持った状態で、数回会話を投げかけるの。相手が絶対に知らない話題を」
「いじわるくない?」
「そうかしら? 大人ってプライドで構築された生物よ。ここで『それは何のことですか?』って聞ければ半分合格したも同然。プライドよりも無知を自覚して前に踏み出そうとしているのだから。あとは、わからない事象を自分の中でどうやってかみ砕くのかを私は見ているのよ」
「わかるものなの?」
「例を挙げていくと、数式のようにわからないものをXとしてとらえて逆算する人や、目的や内容で内側から埋めていく理論タイプ。逆にどういったモノなのか、どうやって実用化させていくか、から内容を調べ上げていく概念タイプ。いろいろなタイプがいるわ。でも結論に至らないからあきらめるタイプは、適当な相槌を打つからその時点で選考から外しているわ」
うわぁ、理奈姉さんの会社受けなくてよかったー。
そんな選考基準でやられたら、自身無くすな。
何度も理奈姉さんから、オファーを受けていたけど僕は、基本何も考えていない。
考えていることと言えば、今日の晩御飯なんだろう、とか同人誌即売会の先生たちの場所がどこなのか、とかくらいだ。
………紅葉さんには、何度もお宝を見つけられ、コレクションを燃やされたことか。
『メイド本がないので』
あったら嫌だろ!
それに幼いころからお世話になっている人をそんな目で見れないよ!
あと、僕の思考からメイドは外れているの!
どちらかと言えば、ナースだし。
やっぱりやさしさが、ね。
あとは———。
おっと、趣向は人それぞれだ。
それに僕のトップシークレットな情報だ。
絶対に漏らすものか。
背中に感じる重みは背負いながら、感傷に浸ってしまう。
「それでこんなに無理して軍服を作ってもらっても、僕、返せないよ?」
「ホントに馬鹿ね。『返す』『返さない』じゃないの。私がしたかったことなんだから」
みんな、どうしてそこまでするのか。
「あんただって、私達家族のために軍属になったんでしょ? 小さなころから同世代の人を軽く超える実力を持っていたから」
「そう言う理奈姉さんだって、そうでしょ? 大学を出て13歳で企業に入れる実力があるなんてすごいことだよ。実力主義って、言っても僕にはできないよ」
「ハハハ、あんたに言われてもうれしくないわよ。………10歳から『汚れ仕事』をこなしていたあんたに、ね?」
バイトのことかな?
あの頃は、どうしたらいいのかわからなかったから。
なにかして家族として認められたい。
そんなどうしようもない気持ちで埋め尽くされていた。
ようするに焦っていたのだ。
バイト代で最初に買ったのは、みんなへの返上品だった。
バイト代を貯めて、真衣姉さんにはランニング用の靴を、理奈姉さんには万年筆を、紅葉さんには髪留めをプレゼントしたな………。
でも———。
みんなそれぞれ複雑そうな顔をしていた。
あとから気がついたことだけど、真衣姉さんはほぼ毎日ランニングをしている。そのため、靴の交換の激しく大体一週間で一足潰すらしい。
また理奈姉さんも紙媒体は使わず、電子媒体が主流らしくミスマッチ。
紅葉さんも髪留めはいくつも持っていた。
それに一番嫌だったのが———。
三者とも悲しい顔を僕に向けたことだ。
僕には、当時の僕にはなぜなのかわからなかった。
今は少しだけわかるようになってきたが、依然として他人の感情を察してあげることはできていない。
「昔から、僕は他人を喜ばせることができないし、察しも悪い。姉さんたちのように———」
そう言いかけたときに後ろから小突かれた。
「そんなことないわよ。こうして負ぶってくれるだけでも、作った価値はあったわ」
「割に合わないよ。返せないじゃないか」
「それなら、私と家族になってゆっくり返していけばいいじゃない」
「? もう一緒に住んでいるでしょ?」
何を言っているのやら。
「………そういうとこよ」
そういって、姉二号の拳が背中に連打された。
「ちょ、危ないから暴れないでよ」
「ぷー。乙女をないがしろにするからよ」
………。
どうやら、また何か不味いことを言ったらしい。
他人の感情を読み取るのは、無理かな。
昔から『作者の気持ちになって答えなさい』は苦手だった。
そうして、暴れる姉二号を負ぶって邸宅に戻ると———。
紅葉さんと———。
顔面にケーキを投げつけられた姉一号がいた。
なぜ、そうなった?