憂鬱な白昼夢
きっと俺は何事も成せずに朽ちて死ぬ。趣味も特技もなく、自慢できることなんか何一つもない。凡庸な俺に与えられた小さな光は頭脳で、しかしそれが意味を成すのは受験までのこと。その先待ち受ける学修は学問への興味が多少なりともなければやっていけない。どうせなら初めから頭脳なんてなければよかった。ただ授業に出席さえしていれば卒業できるあまちゃんな大学で、無意味で無価値な4年間を代償に僅かながら意味のある学位を修得すればよかった。俺みたいな男は、あるいは、高校を出てすぐ働きに出ればよかった。無駄金を費やして、二年間を浪費し、その挙げ句未来への希望が潰えたいま、ここにいる意味なんかありゃしない。
これだけの日々を紡ぐ中で得たものは何かと考えてみても、俺はただ憂鬱の路を漂っているだけで、その間に幾つかの文章を書いたがどれも小説とは呼べもしない代物で、無論詩でもなければエッセイの類でもない、ただあるがままに俺を表した文章たちだ。浮草のような浮遊感は拭えず、後ろ盾のない中引き返すことも邁進することもできず、またいつかの希死念慮がじりじりと燃え始める。生きるとか死ぬとか、そんな二元的な問題ではなく、あるいはもっと低次元において、どの道を辿るのか迷っているだけなのだ。恋人ができても、結局俺は俺のままで、しかし誰にも伝えることのできない俺であって、そうであるなら名刺なり何なりをさっさとこさえればいいものの、紙切れではなく本当の意味で俺の名刺となるものは未だ卑俗でちんけな芽のままで、きっとそれが育つ頃には墓標が代わりに俺の名を刻んでいるだろう。
生きてさえいれば、などという浅はかな言葉に俺は命を賭ける気にはなれない。しかし、生きてさえいれば、あるいは生きていなければ、俺は紙か石と同等かそれ以下の物質で、とはいっても希望はあくまで望みであって必ずしも実現するものではないことは確かだ。あと何年、俺はこの気持ちに押しつぶされなければならないのだろう。いつの日か姉は俺に向かって「一家の恥」だと言った。結果俺は家族の誰もなし得なかった成功を手にし、親元を離れた。だが今になって思えば姉は正しい。俺には人として具わっていなければならないものが不足し過ぎている。代わりに手にした長物たちは、俺の至らぬばかりにハリボテ同然に成り果てた。
幾つになっても俺は過去の種々の出来事を悔やみ、あるいは別の選択をした場合の妄想をし、その度に嗚咽するだろう。決して変わらぬ眼前の景色に、心象風景に俺は辟易とし、首を吊りたい衝動に駆られ、しかし無用の長物を頼んで再び同じ轍を辿るのだ。
何度目かの衝動に胸をつかれても、俺は無益な言葉を吐くことをやめない。それは半分諦めのためであって、もう半分は自分の尊厳を守るためなのだ。人に褒められる資格のない俺の、それでも信じた言葉を守ることだけは辞められない事なのだ。