プロローグ
師匠の部屋の前で一度ノックをする。
『キースさん、私です。』
暫く待っていると、ドアがゆっくりと開いた。
『遅くなってすみません―――』
視線に合わせようと顔を上げると目に入ったのは、いつもよりも顔が青白いキースさんだった。
『………え?っわわわ!』
けれど、急に腕を引かれたその力には抗えずに身体が前のめる。口を彼の手によって塞がれたため、部屋へと入らざるをえなかった。彼が椅子に座わり少し落ち着くのを確認してから、彼の部屋をぐるりと見遣る。
机の上には調合途中の薬………と使用済の注射器。床には散らばった羊皮紙、そして本が何か所にも渡って渦高く積まれていた。
『……キースさん、具合が悪いんですか?』
「…………。」
彼は机にあった紙にペンを走らせる。その仕草でさえ辛そうであることは見てとれた。
"明日一番に出る。"
床に散らばる羊皮紙を拾い上げて内容を見ると、書いてあったのは、バイタルサインの値と各症状の箇条書だった。おそらく現在の彼自身のものだろう。
『…………毒を盛られたのですか?』
キースさんは顔を苦虫を潰したようにしかめながらも頷く。この特徴的な症状はタルタレス中毒だ。数日かけて昏睡状態に陥り、未治療の場合は死に至る。ただ眠っているだけのように見えなくもないため、鑑別要―――以前に彼から教わったことだった。
他にも散らばっているメモを見る限りでは、少し前に知ったタルタレスの治療薬を彼が創っていたのは明らかだった。その注射器が使用済であることも考えると、彼は自身で対処しようとしたのだろう。
………けれど。この症状の進行具合の速さは一体。
"――恐らく受容体自体はタルタレスと一緒なんだろうな。だから、作用が強まる。"
彼はそう筆談で伝えてくれた。キースさんの身体内では、分かりやすく言えば二種類の睡眠薬を多量同時服用したようなものだろう――――って、それってかなりマズイ状態だ。
『血液透析は…』
"無理だ。この土地柄機械は動かない。"
そうだった。
『……利尿薬を流すというのは?』
私が、この間中毒になった時にもしてもらったような気がする。
"在庫切れだ。この島で買い足す予定だったからな。"
その在庫切れの理由は、もしかして。
『………この間の私の治療に使ったからですか?』
キースさんの手が止まる。それからふらりと立ち上がった彼がバランスを崩して倒れたため慌てて身体全身を支えた。
『―――つぅぅ!』
けれど脱力したキースさんの身体はいくら細身と言えど、支えるには力がかなりいる。
『キース……さん、』
何とか彼の腰周りに抱き着くように身体を支えて、後ろにゆっくりと下がっていく。あともう少しでベッドだった。
『……もう…少し……です。』
海水の香りがする。タルタレスが再びキースさんの身体を蝕んでいるのだろう。膝裏にベッドの感触を捕らえると彼の身体を強く抱きしめながら倒れ込んだ。
『……大丈夫、ですか?』
彼の重みで声が出しづらいが、何とか上にいるキースさんを横に転がした。自他共に体力がないと自覚している私だ。キースさんの隣で横たわったまま目の前にある彼の顔色を伺った。
『…………。』
しんどいのだろう。左腕で両目を被っている彼の息は荒かった。じっとりと汗ばんだ身体は、タルタレスによるものだけではないのは確かだった。キースさんの頬に触れると、酷く冷たくて、背筋が凍る。
『キースさん、私が……私があなたを治します。私は貴方の一番弟子だから―――』
私の言葉を聞いたキースさんは驚いたのだろう、左腕を顔から離して大きく目を見開いていた。