第一話 転生
気が付くと、私は異世界に転生していた。乗馬中に落馬した際の衝撃で前世の記憶とやらを思い出したらしい。
だが、前世での名前を思い出すことはできない。確か、現世と同じように女性であったような記憶があるが、確かではない。唯一確実に思い出せるのは前世の自分が競馬を心の底から愛していたということだけである。
高校時代にとある経緯から競馬に興味を持ち、テレビでたまたまダービーを見て心を奪われて私は競馬にはまり、自宅のテレビで週末は競馬中継を見るようになったが、高校生の身では一人で口座やカードが作れないためにこっそりネットで馬券を買うこともできず、ただ勝手に一人で予想をしながら競馬中継を見ていた。私は都会に住む、中の上くらいのそこそこ良い家庭の人間であり、ギャンブルとは縁遠そうな親に自分の趣味を言うのはさすがに憚られた。初めのころは予想が全く当たらなかったが、競馬を勉強し始めるとなかなか当たるようになった。私は自分のことを馬鹿ではないと思っていたが、成る程そういう方面の才もあったわけだ。その内、将来自分で稼いだ暁には競馬場に行って生で観戦しながら賭けたいと思うようになった。
大学生になった私はバイトの稼ぎを使ってこっそりネットで競馬をするようになった。実際にお金を賭け始めると思っていたよりも当たらないと感じたが、実際に賭ける競馬は大変に楽しく、収支もなんとかトントンくらいになっていた。
そして、大学生活も二年目に入り、4月の終わりに念願の二十歳の誕生日を迎えた私は浮かれきっていた。生まれて初めて覚えた酒の味に酔いしれる以上に、5月末の東京優駿日本ダービーに心を弾ませていた。二十歳になって一人で競馬場にはいれるようになったので、生まれて初めて競馬場に行こうと思っていた。5月には他にも天皇賞やNHKマイルカップ、ヴィクトリアマイルや優駿牝馬など毎週のようにG1が開催されるが、初めて行く競馬はやはり夢のダービーだと心に決めていた。ついに迎えた5月某日、運よく入場券を手に入れて夢の舞台、府中へと向かった私は心の底から浮かれていた。私はバイトの塾講師をして稼いだ金を財布にありったけ入れて握りしめていた。
その日、10Rまでの調子はかなり良かった。そのせいもあって私は大変気分が高揚し、待ち望んだ11Rのダービーの馬券を有り金全部はたいて買った。本命は一枠二番。弥生賞を買った馬で皐月賞は惜しくも敗れたものの、ダービーでは一番人気を獲得していた。黒い馬体のこの馬はデビュー時から私が注目し、大変に惚れ込んでいた馬であった。今思えば、これは私の致命的な失敗の一つであったのかもしれない。
ファンファーレが鳴り響き、歓声で競馬場全体がどよめく。一瞬にして永遠の時間が過ぎ、しばらくしてゲートが開いた。無言のまま手に汗握りながら、自分の本命馬を双眼鏡で探す。私の本命馬は上手く好位に着けることができていた。大興奮の中、最後の直線にさしかかろうとする瞬間、悲劇は起きた。私の本命でもある一番人気の2番の馬が突如失速したのだ。競馬場全体が騒然とする。何が起きたのか私にはよくわからぬうちに競走が終了、私の馬券は紙屑となった。何が何やら全く分からないでいると、かなりの時間の後、予後不良により安楽死処分となったとの放送がかかった。初めての競馬場での観戦で、有り金はたいて馬券が紙くずになったこと、そしてそれ以上に惚れ込んだあの馬を二度と見ることが出来ないこと。その時の衝撃を、悲しみを私は言葉で言い表すことができない。そして、その後の前世の記憶もなかった。
その衝撃的な悲しみがもとで何らかの形で前世の私は死んだのか、それともそうではなく単に以降の記憶が浮かんできていないだけなのかはわからない。だが、前者だとしたら、前世の記憶の一つ、引きこもりがトラックに轢かれて事故死して転生というラノベ主人公のテンプレ転生展開の何十倍も下らないものだと冷静に考えればそう思う。だが、私の競馬への情熱とあの時の前世の私の悲しみを下らないものと断じることは決してできなかった。故に、現世での私、クラウディア・フォン・ハイスブルクが、かのダービー卿の生まれと同じく伯爵家の生まれであることに運命的な何かを感じざるにはいられなかった。
ところで私が乗馬をしていた理由についてだが、一つは趣味なのだが、もう一つは現実逃避であった。ハイスブルク伯爵家は帝国の由緒ある伯爵家であり、帝都近郊と帝国北部の森林地帯に荘園を有し、代々その荘園からの林業収入で多くはないが家格に見合った十分な収入を得ていたが、海外産の木材流入による価格下落で収入が減少し、食料の大消費地の帝都に近いほうの荘園も耕地の面積はあまり多くなく、基本が狩猟に使うような森林地帯であったために農産物収入を増加させることでその収入を強化することもなかなか難しかった。森を切り拓いて牧羊などに転換しようにも既存の市場に割って入るのは難しかった。
そこで父は以前から細々と所有していた馬の数を増やし、本格的に馬主を始めて一山当てようとしたのだが、全くうまくいかなかった。父には今一つ馬主としての勝手がわからず、それを指南してくれるような人と出会う運も持ち合わせていなかったのだ。しかも、数少ない目ぼしい馬も賞金をなかなか獲得できなかった。よく考えてみれば、この時代の競馬には国家権力の介入・監視がなく、前世の日本と違ってドーピングや八百長、いかさまといった不正の類はし放題であった。加えて前世で言うところのパリミュチュエル方式ではなくブックメーカー方式のシステムであり、それにマフィアの類が絡んでいるために野良競馬の類はなかなかに真っ黒で、展覧競馬のようなものもこの世界ではあまり盛んではなかった。競馬の仕組み自体が大変前時代的なものであった。何も知らない父は良い鴨であったのだろう。
苦心の末考えた策が全く上手くいかず、かねてからの隠居願望もあって、すべてが嫌になった父は出奔してどこかへ行ってしまった。根は悪い人間ではないのだが、一人娘を置いてけぼりにして全てをほったらかして失踪するとはなかなかとんでもない人間である。
帝国では何年か前にクーデターと二度の粛清を経て女系継承が完全に認められるようになったので、父の伯爵の地位は継承できた。なお、父が全てを嫌になった理由の大半がこの血みどろの政争であり、かねてから政治家というより文人であった父は政治や貴族社会というものを疎んでいたのだが、血なまぐさい政争を無関心・不関与を貫いて何とか生き残ったものの社会が嫌になってしまったらしい。らしい、というのはこのことを直接父に聞いたのではく、父の置手紙にそう残してあったためである。
だが、爵位は継承できたものの年ごとに悪くなっていく我が家の財務事情はどうにかなったわけではなかった。代々文化人を輩出してきた我が家の先祖代々の収蔵品を売り払うのは先祖に申し訳なくて心が痛むが、他にどうするにもいいアイデアが思いつかず、どうにもならなくなったために気分転換として、古くから馴染んだ我が家所有の森で父の残した引退した競走馬に乗っていたのだった。そして、さすがに意識を明後日の方に向けながら乗馬をするのはまずかったのか落馬して、現在に至る。
従者らが駆け寄ってくる。その瞬間、私は大変良いアイデアを思い付いた。この森は大変素晴らしい場所にある。ここに競馬場をつくったらパリのロンシャン競馬場ように素晴らしいものができるだろう。造った競馬場を欧州の競馬場のような上流階級の社交の場とし、前時代的な競馬しか知らない愚か者どもに真の競馬を、近代競馬を教えてやるのだ。どうせなら、かのイギリスのエプソム競馬場のような競馬場をつくって、自分や我が家の家名を冠した最高グレードの競走をつくってやろうではないか。あの日に深い悲しみとなった夢のダービーを、この世界で自分の手で創り上げようではないか。あの日抱いていた以上の夢を私は叶えられるのだ。
こうして、伯爵令嬢改めクラウディア・ハイスブルク女伯爵の闘いが始まった。時は彼女18歳の年の10月であった。




