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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【短編集】癖強め(検索除外作品等)

ありがとう、あなたのその表情が見たかったの

※ハッピーエンドじゃありません。ゴリゴリのバッドエンドです。作風、いつもと違います。

 あらすじ、キーワードを必ずご確認のうえ、本編をお読みください。

「どうして……?」



 女が声を震わせる。いつも能面のように暗い表情をした、黒髪の女だ。名前をヴィオラといい、目立たず何のとりえもない。

 唯一特筆すべき点は、見目麗しい婚約者が居ることだ。

 けれど、それも今日でおしまい。彼女の婚約者は今ここで、ローズのものになるのだから。



「どうしてですって? そんなの、あなたに魅力がないからでしょう? 盗られる方が悪いのよ」



 うっとりと瞳を細めながら、ローズは言った。

 その名の通り、大輪の薔薇のように美しい、魅惑的な少女だ。


 傍らには、ヴィオラの婚約者————婚約者だった男ホーネットがおり、静かにゆっくりと頷いている。



「そんな……嘘よね、ホーネット?」



 ヴィオラとホーネットは政略により婚約を結んだ。

 けれど、二人の仲は良好で、ヴィオラは婚約者を心から愛していた。ホーネットもヴィオラを愛していると言っていた。裏切られることなど、想像もしていなかったのである。



「悪いな、ヴィオラ。俺はローズを愛しているんだ」



 ホーネットの言葉に、ヴィオラは瞳を震わせる。絶望を塗り固めた表情。ローズは静かに口角を上げる。



「————ありがとう、ヴィオラさん。わたくし、あなたのその表情が見たかったのよ」



 いつだって無表情の面白みのない娘。そんな女が分不相応に美しい婚約者を持つ。

 自分の方がずっとずっと綺麗なのに。愛されるべきは自分なのに。

 だけど、今この瞬間から、ホーネットはローズのものになった。彼がヴィオラの下に帰ることはありえない。家格も財力も、ローズの方が上だ。彼の家とてローズとの結婚を選んでくれる。


 勝利の味に酔いしれながら、ローズは涙を流し続けるヴィオラのことを見下ろしていた。



***



 それから十八年の時が過ぎた。

 ローズはホーネットと結婚し、一人の子宝に恵まれた。

 けれど、二人の結婚生活は幸せなものとは言い難い。



(今夜も帰ってこないつもりなのかしら?)



 数年前からホーネットは、外泊を繰り返すようになっていた。他に女がいるのは明白。けれど、ローズは浮気を咎めることなく、度量の広い妻を演じている。


 本当は、腸が煮えくり返りそうだった。



(どうしてわたくし以外の女を見るの? わたくしが一番美しいのに。愛されるべきなのはわたくしなのに)



 十数年前、ホーネットを手に入れるまでの間に繰り返した自問自答。まさかもう一度同じ想いをすることになるとは夢にも思ってもみなかった。


 結婚生活は幸せで。ただただきらきらと輝いていて。そんな未来予想図とは裏腹に、現実は全くの真逆だった。苦悩と屈辱に満ちていて、幸せからは程遠い。


 けれど、ローズは一応ホーネットの妻。みっともなく立ち回る訳にはいかない。

 言葉にするのは寧ろ、負けを認めるようなもの。プライドの高さから、ローズは怒りや憤りを表に出すことを必死に堪えた。



 そんなローズの心の支えは、十七歳になる息子のマンティスだった。


 明るく素直で心優しいマンティス。同年代の王太子にだって引けを取らないと評判の息子だ。

 彼を着飾り、たくさんの教養を身につけさせ、立派な貴族に育て上げることだけが、ローズの生きる理由であり、希望だった。


 現在は貴族の子息だけが通えるアカデミーに在籍し、将来のために学んでいる。もうすぐ、侯爵令嬢との婚約も纏まりそうだ。



(マンティスさえ……! マンティスさえ居てくれたら、わたくしは……!)



 けれど、息子を溺愛するローズは気づいてしまった。

 ここ最近、マンティスが妙に浮足立っていること。何か大きな秘密を抱えているということに。



「ねえ、マンティス? アカデミーではどんな風に過ごしているの? 王太子殿下の側近候補に選ばれたのよね? 何か良いことでもあった? 母上にも教えて頂戴?」



 勘違いであってほしい。ただの思い過ごしであって欲しい。

 けれど、こういう時の女の勘とはビックリするほど当たるもので。



「母上には関係ないよ。気にしないで」



 マンティスはそう言って私室に籠ってしまう。頬を紅く染め、幸せそうに微笑んで。


 胸騒ぎがした。けれど、しつこくして息子に嫌われたくはない。


 そうしてしばらくの間、仮初の幸せを取り繕う。

 けれど、嫌な予感は的中した――――マンティスが教師の一人と恋仲にあることが分かったのだ。



「どうして、マンティス!? どうしてそんなことを!?」



 ローズは髪を振り乱し、大きな声で泣き叫んだ。

 あんなにも素直で、可愛かったマンティスが。優しく母親想いで、優秀で、何処に出しても恥ずかしくない自慢の息子のマンティスが。アカデミーを停学になり、不貞腐れたように座っている。


 狭い貴族社会、マンティスは一生後ろ指を指されながら生きて行くことになってしまう。彼には輝かしく、約束された未来が用意されていたというのに、これでは台無しだ。あんまりだ。



「母上には関係ないって言っただろう? 僕はヴァイオレットさんと結婚する。本気で彼女を愛しているんだ。母上にも、父上にも、誰にも文句は言わせないよ」



 そう言ってマンティスはローズの手を振り払う。初めての経験だった。



「そんな……そんな馬鹿な…………」



 ローズの瞳は怒りのあまり血走っていた。怒りの矛先は当然、相手の女教師へと向かう。

 大事な息子を誑かされ、将来を台無しにされてしまった。いや、それより何より息子が女を優先してしまった。母親である自分を差し置いて――――。



「あの、奥様……。お取込み中に申し訳ございません。ただ今奥様に会いしたいと、お客様がいらっしゃってまして」



 侍女が必死にローズを宥める。このままでは客に声が聞こえてしまう。更なる醜聞を産んでしまうというのに。



「客!? そんなもの、今会えるはずが無いでしょう!? 早く追い返しなさい!」


「ですが……」


「わたくしはマンティスの目を覚まさなければならないのよ! 分かったら、さっさと行って――――」


「――――ヴァイオレット!?」



 けれどその時、外出していた筈の夫の声が響いて聞こえた。玄関ホールの方角だ。



「――――ヴァイオレットですって?」



 ローズが肩を震わせる。それは先程、息子の口から飛び出した、憎き女と同じ名前じゃないか。

 けれど、ローズが身を翻すよりも早く、マンティスが勢いよく走り出す。



「ヴァイオレットさん!?」



 瞳をキラキラと輝かせ、マンティスは螺旋階段を駆け下りる。ローズを顧みることなく、真っ直ぐに前へ――ヴァイオレットの元へ向かっていく。



「待ちなさい、マンティス!」



 ローズは走った。心臓がバクバクと嫌な音を立てて鳴り響く。足はガクガク震えているが、怒りのせいで身体は熱かった。一瞬が永遠にも思えるような感覚に襲われる。



「マンティス!」



 叫びつつ、階段の上から玄関ホールを見下ろす。

 その瞬間、ローズは思わず息を呑んだ。


 眩い金の髪に、神秘的な紫の瞳。深紅のドレスが真っ白な肌と豊満な肢体によく映える。しっとりと成熟した大人の色香を感じるが、あどけない表情、瑞々しい肌のせいで、まるでマンティスと同年代のようにも見えてくる。まるで大輪の薔薇のように美しい女性がそこに立っていた。



「止めてください、父上! ヴァイオレットさんに触らないで! 彼女は僕の恋人です! あなたが触れて良い人じゃない!」



 ローズがハッと目を見開く。マンティスの声だ。



「なにを言うんだマンティス。ヴァイオレットは父さんの恋人だ! 俺達は心から愛し合っている。ローズと離婚するから結婚してほしいと、何年も何年も言い続けていた。 ようやく決心がついたのだろう? だからここに来てくれたんだろう?」



 ヴァイオレットは問いかけに答えぬまま、ゆっくりと静かに微笑む。

 ローズは驚愕に目を見開いた。



「……二人とも、一体なにを言っているの?」



 心臓が今にも止まってしまいそうな程、激しく鼓動を刻んでいる。全身から止め処なく汗が流れ落ち、ローズの身体を震えさせる。



(息子を誑かした女が、夫の浮気相手だった?)



 そんな馬鹿なこと、あり得ない。いいや、あって良い筈が無い。

 誰か嘘だと言って――――! 

 けれど、ローズの願いも虚しく、マンティスやホーネットの口から飛び出すのは、耳を塞ぎたくなるような事実ばかりだ。



「ローズ。お前だって気づいていただろう? 俺には他に愛する人が居る。俺の全てはヴァイオレットのものだ。

これ以上自分を偽ることはできない。彼女が『結婚生活を続けろ』と言うから、今日まで必死に我慢してきたんだ。

だが、ヴァイオレットは俺の元に来てくれた。もうお前とは終わりだ」


「待ってください父上! ヴァイオレットさんは父上ではなく、僕に会いに来てくれたんです。誰に何と言われようと構わない。僕達は『一緒になろう』と約束をしました。彼女のためなら、地位も名誉も何も要りません。僕はこの家を出ます。ヴァイオレットさんと一緒に生きて行きます」



 二人はまるで熱に浮かされたかの如く、ヴァイオレットの側に跪く。どちらの瞳もローズをちらとも見ようとしない。ヴァイオレットだけに熱い視線が注がれている。ローズは堪らず、階段を勢いよく駆け下りた。



「待って……! お願いだから! 二人とも、目を覚まして! あなた達はその女に騙されているのよ! そんな、性悪女に誑かされちゃダメ! お願いだからわたくしを見て! わたくしを……」


「おまえを? そんな醜いなりをして、一体なにを言っているんだ?」



 ホーネットがローズを嘲笑う。

 確かに、今のローズは髪もグチャグチャ。化粧は涙と汗で剥がれ落ち、あまりにも見苦しい有様だ。おまけに、加齢で髪はパサパサに、肌にはシミと皺が広がり、若かった頃の見る影もない。絶世の美しさを誇るヴァイオレットと比べると、その差は歴然。恥ずかしさのあまり、ローズはカッと頬が熱くなった。



「大体、お前の方が余程性悪だろう? 俺をヴィオラから奪い取ったこと、忘れたとは言わせないぞ」


「そっ、それは……」


「お前自身『盗られる方が悪い』って言っていたじゃないか。潔く身を引けよ。当然だろう?」



 ローズはもう立っていられなかった。ぺたりと地面に座り込み、魂が抜け落ちたかの如く虚空を見つめる。



「あらあら、ダメよ? まだ気を失って貰っちゃ困るわ」



 ふわりと香る菫の匂い。目の前にはローズから全てを奪った憎き女がいる。怒りの炎が身を焼き、ローズを奮い立たせる。バシッと大きな音が響き、ヴァイオレットの身体が揺れた。



「何をする!」



 ホーネットが叫ぶ。マンティスがローズを組み伏せる。

 誰も、ローズの味方をしてはくれなかった。



(なんで? どうして?)



 涙がポロポロと零れ落ちる。

 こんな筈じゃなかった。自分は愛される筈だった。

 夫からも、息子からも。

 誰よりも愛され、幸せになれる筈だったのに。



「ここまでやっても思い出してくれないのね?」



 まるで歌でも口ずさむの如く、ヴァイオレットがローズに囁きかける。



「酷いじゃない。あの時は『わたしの表情が見たい』って言ってくれた癖に。夫婦そろってちっとも思い出してくれないんだもの」



 ローズの心臓がドクンと跳ねる。蔑むような言葉。凶悪な笑み。



(違う)



 頭を振り、必死に否定する。



(違う、違う)



 髪色が違う。雰囲気が違う。けれど、顔の造りは? 声は? よく見ればあの女と同じじゃないか。 

 ローズの記憶があの日に重なる。十八年前、ホーネットを奪い取った瞬間に。



「ヴィ、オラ?」



 応えの代わりにヴァイオレットが微笑む。あの時とは違う、とても美しい表情で。



「ありがとう。わたし、あなたのその表情が見たかったの」



 ヴァイオレット――――ヴィオラがローズの頬をそっと撫でる。冷やり冷たい指先。まるで心臓を握りつぶされたかのようだった。絶望に歪むローズを見下ろし、ヴィオラは恍惚の表情を浮かべる。



「見たくて見たくて堪らなかった――――それこそ、死んでしまいそうな程に」



 その瞬間、ヴィオラが大きく腕を振った。

 銀色に光るナイフの切っ先。深紅の薔薇が勢いよく散る。


 ホーネットとマンティスの叫び声が耳をつんざき、館の中を激震が走った。


 ローズは目を見開き、花びらを一身に浴び続ける。



(こんなの、殺された方がマシだわ)



 夫と息子の声が遠くに聴こえる。ローズを罵倒していると分かるのに、声が出ない。身体がちっとも動かない。目を開けることも閉じることも叶わない。

 あの女の――――ヴィオラの笑顔が目に焼き付いて、それ以外の何も見えなくなっている。



「ああ……!」



 痛い。

 苦しい。

 身体が全く制御できない。体内で何かが暴れまわり、飛び出しそうな心地がする。



「ああああぁああ」



 叫び声を上げるローズに、既に絶命した筈のヴィオラが微笑みかける。



『ありがとう。わたし、あなたのその表情が見たかったの』



 花びらが散る。深紅の薔薇の花びらが。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] なろうは思春期の学生さんも利用するフォーマットです。自死、自殺のトリガーワーニングを必ず入れるべき。
[気になる点] 夫は正体に気付かないままですか? 自分が捨てた女に愛を捧げていた事を知って絶望して欲しいのに。 だって、悪いのはローズだけじゃありませんからね。
[一言] このお話好きです。 最後に自害する必要あったのかなとずっと気になってたんですが、やっと答えが出ました。ある意味百合なのだと。 ずっと彼女のことを考えていたし、彼女の心に残したという意味で。な…
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