MATCH売りの少女 ー売れない少女の悲しき物語ー
「マッチを買ってください!このマッチを買ってください!」
クリスマスも近づいた寒い日だった。
すでに辺りは暗く、暗めの街灯と家からもれ出る微かな光だけが、道を照らしていた。日没くらいから降り出した雪は、小さいながらも止むことはなく、道の側溝に少しだけ氷の層を作っていた。寒いこともあって、家路へと急ぐ人は少なく、ときおり襟を立てて足早にかける人がいるばかりになっていた。
「マッチ!マッチを!」
大通りの一角。
少女はそこに一人で立っていた。
雪が降りしきる中、傘も差さず、ずきんと薄手の服を着ただけの姿。
少女はひとり大きな声をあげていた。
左手に抱える小さなかごには、商品であろうマッチが入っているようだった。道行く人にマッチを差し出す手には、当然手袋などなかった。差し出す小さな手は、この寒さで赤く腫れ、指の付け根に少しあかぎれが見えて痛々しかった。
「お願いです!マッチを!マッチを買ってください。」
少女はマッチを差し出すが、マッチを買おうという人はいなかった。
彼女を目にとめる人もいない。
むしろそこらの石ころのように、邪魔者扱いされるぐらいしかなかった。
「そうよね、こんな時に、マッチが売れるはず、ないよね」
少女は下向くと、ふぅとため息をついた。
手が痛くなり、両手に息を吹きかけた。
しかし少女の両手は、すでに温かさを感じるだけの感覚もなくなっていた。
「だいたい…」
少女は諦めたように、商品のマッチを一つ取り出した。
まじまじと見つめる少女の目がキラリと光った。
「だいたい!なんで黄リンのマッチなのよ!こんな自然発火して猛毒が出てくるようなマッチを誰が買うっていうのよ?すでに赤リンのマッチが出てるってのに?!あのじじい!!こんなもん作ってどうするってのよ!あのばばあも、ばばあだわ!!なんでこんな雪が降る日に売りに行けっていうの?マッチが濡れてぐちゃぐちゃじゃない!誰が見たってこんなもの使えないわよ!!!訳が、訳がわからない!あのじじばば、覚えてやがれ!!!」
少女は一息で思いを吐き出した。
それなりに大きな声だったが、周りの雪がかき消したのか、誰も少女の方を振り向く人はいなかった。
「もういい!!」
少女は小さく地団太を踏んだ。
マッチを売り歩いていた大通りから、路地裏に足を入れた。
もちろん路地裏には誰もいなかった。
少女は、その隅っこに向かうと、売り物であったであろうマッチを全て路地裏にぶちまけた。10数箱はあっただろうマッチ箱の小山。
そこに、少女は火のついた1本のマッチを投げ捨てた。
1本のマッチからマッチの山に火は移り、大きな炎となって立ち上がった。
燃え上がる炎。
広がる黒煙。
これ、他の家に延焼するんじゃないの?
そう不安になるほどの炎が出てきた。
しかし少女はそんな不安を露とも抱かず、大声で叫んでいた。
「はははっ!!!燃えろ燃えろ!!燃え上がれ!!」
彼女は大声で叫びながら、燃えさかる炎を見つめていた。
ふと炎の中を見ると、幻影のようなものを見つけた。
少女は目を凝らした。
するとそこには、暖かな家庭の様子があった。
優しそうな母の姿。
力強くも優しく見つめる父の姿。
真ん中のテーブルには美味しそうな食事とケーキが乗っていた。
そしてそこには一人の少女が立っていた。
「そうね、お父様とお母様が生きていたら…」
マッチを売っていた、いやマッチを燃やし尽くした少女はぼそりとつぶやいた。先ほどの大声が嘘のようだった。少女の目に涙が浮かんだように見えた……ような気がした……かもしれない。
炎の中の少女は、ケーキの前に立った。
ケーキにはろうそくが何本か立っていた。バースデーケーキのようだ。
ろうそくにまだ火はついていなかった。
父親がおもむろにポケットから取り出した。
それは、マッチ……ではなく、ライターだった。
「そうですよね?」
マッチを売っていた少女は二度目のため息をついた。
「ライターがあるのに、マッチを買おうなんて酔狂な人はいないよね?でも…」
そうつぶやいた、少女の目にキラリと光るものがあった。
「みなさん!!葉巻って知ってます?葉巻は普通のたばこと違って、30分から40分も1本で吸えるのよ?すごく香り高くて、まさしく香りを嗜む『大人の嗜好品』ってところね?葉巻の先をカッターで切った後、火を点けるんだけど、紙巻きたばこのように火がつきやすくなってないから、火がつきにくいのよ!乾燥した葉っぱだからね?火がつくのに時間がかかるから、ライターで火を点けようとすると大変だし、持っている手が熱くなるの!しかもせっかく香りを楽しむ葉巻にガスの匂いがついてしまう。そこで葉巻用のマッチが用意されているわ!これでじっくりと炙るように火を点けて、葉巻の紫煙をくぐらせる!た、たまらないわ!!」
少女は一息で思いを吐き出した。
葉巻への想いは、少女のというよりオヤジのそれという感じだった。
そんな彼女の想いに気を留める道行く人はいなかった。
そうこうしているうちに、炎は小さくなっていった。
炎の中の父と母も小さく消えていった。
マッチを売っていた少女はすでにそちらを見てはいなかったのだが。
「ど、どろぼー!!」
大通りに、突然大声が響き渡った。
大勢の人が声の方を向いた。
先程の少女とは大違いだ。
声の主を探すと、そこには『ちくしょー!』と叫ぶ男性と、少し先に、大きめの荷物を持ち走り去ろうとする黒ずくめの男の姿が見えた。
誰がどう見ても状況は明らかだった。
被害者であろう男性は必死に前の男を追いかけていた。
男性はしばらく追いかけていると、真横に何かを感じた。横を見ると、そこには男性の背丈の3分の2くらいの少女が並走していた。
いや、結構な全速力のはずだが?そういう男性の気持ちを知ってか知らずか、少女は男性に話しかけた。
「マッチはいかがですか?」
意味が分からない。
そう思ったのは男性だけではなかったであろう。しかし少女は無視して話を続けた。
「じゃじゃーーん!!」
そういうと、少女は懐から一丁の銃を取り出した。走りながら器用なものだ。
「マスケット銃で~す!ライフリングも施されていて、この距離なら届きます!どうですか?すでに弾と火薬は詰めてあります!」
意味が分からない。
いや、意味は分かるが、すぐに理解するのには難しかった。
男性もそう思ったに違いなかった。
「お前なぁ…」
男性は、はぁとため息をついた。
「お前、これ『マッチロック式』じゃねえか!この空模様を知ってて出したのか?!馬鹿じゃねぇか。これだと火が消えちまうだろうが!せめて『パーカッションロック式』を持って来いよ!!それにだ!すでに弾と火薬を詰めてる、だと!お前今全速力で走ってるのに、どうやって奥まで詰め込むんだよ!それに走りながら照準定めて打てると思ってるのか?ばっかじゃねぇの?」
男性は一息で思いのたけを罵声と共に吐き出した。
少女はもっともな意見を頂戴し、反論できずにいるようだった。
少女は並走をやめて、その場で立ち止まった。
男性が徐々に遠のいていく。
そのまま泥棒を追いかけて、走り去っていった。
マスケット銃を片手に抱えた少女が一人。
うなだれたまま、ぽつりと立っていた。
「私って…」
少女は先ほどの商売用笑顔から、落ち込んだ表情を浮かべていた。
まるで既存の営業先でライバル社に乗り換えられて、上司にこっぴどく怒られた営業のような顔立ちだった。
雪は容赦なく少女に降り注いでいた。
夜が更け、寒さも更に増していた。
ただでさえ薄着の少女に、この寒さはさすがに堪えた。
少女は持っていたマスケット銃を足元に置き、自分の両手をじっと見た。
「あぁ何やってんだろう…」
少女はため息をついて、両手に息を吹きかけた。
吹きかける息すら冷たくなったような錯覚を覚えた。
「どうしたんだい?お嬢ちゃん。」
打ちひしがれる少女は声の方を向いた。
先ほどの男性より大きな男性が側に立っていた。
男性は少女の目線に下りるように中腰の姿勢をとり、ニコリと少女に微笑みかけた。優しい笑顔が少し少女の心を温かくした。
男性はこの国の軍服を着ている。どうやら軍人さんのようだった。
「そんな銃を持って危ないじゃないか。」
軍人さんのいうことはもっともだ。マスケット銃は少女が持っていていいようなものではない。しかも少女の言を信じるなら、すでに装填済みなのだから、いつ暴発してもおかしくはない。まぁこの天候でマッチロック式だと不発になる可能性が高いが。
「この国は戦争中でね。こういうものは軍で預かっておくよ。」
軍人さんはそういうと、少女の持っていた銃を左手でつかんだ。
そう、この国は現在イギリスと戦争中なのだ。
イギリスが攻め込んできたらと不安を一般庶民が感じたとしてもおかしくはない。おかしくはないが、少女が持っていていいものではなかった。
少女は『私の商品』と少し喚いていたが、軍人さんがにっこりと微笑むと、その訴えもしなくなった。きっと少女なりに納得したのだろう。
「わたし、わたし…」
少女は軍人さんにそういうと、上目遣いで目を向けた。泣いているようで、それでいて目には涙は溜まっていなかった。少女は自分の武器を知っているかのようだったが、少し詰めが甘いと言わざるをえない。
「お嬢ちゃん、泣くじゃないよ?どうしたんだい?お兄さんが話を聞いてあげるよ?」
軍人さんはあっさりと少女に同情した。女性経験が少なかったのかもしれない。彼の将来が少し不安に思えた。
「おじさん…」
少女は甘い声を軍人さんにかけた。『お兄さん』とわざわざ言ったのに、『おじさん』で返してきたのは、意図的だろうか。少し軍人さんに戸惑いが見られた。こういうところも少女の経験の浅さが見て取れた。とはいえ、国を守る男として、このような少女を守るのが使命だと感じていた軍人さんにとって、そんなことは些末なことだった。『なんだい?』と優しく返事を返してあげると、少女は上目遣いに加えて、かじかむ手を胸の前に組んだ。いわゆる『お願いポーズ』だ。
「私、オジサンに買ってほしいものがあるの…」
更にオジサンと言われ、軍人さんの頬は少しピクピクと震えた。
必死に笑顔で塗りつぶそうとする軍人さんの想いなど知ったことかという態度で、少女は自らのお願い事を続けた。
「お願い!MATCHシステムを買ってください!」
軍人さんはポカンと口をあけた。
それはそうだ。
意味が分からない。さっきのマスケット銃の比ではない。
銃はまだ目の前にあるが、システム?とは?
少女はいったい何を言っているのだろう。
「MATCHシステムって?」
軍人さんは当然の質問を投げかけた。
きっと彼でなくてもそういう質問をしたことだろう。
その質問が来るのは当然とばかりに、少女はキラリと目を光らせた。
「中距離魚雷投射ヘリコプター(Medium range Anti-submarine Torpedo Carrying Helicopter)システム!通称MATCHシステムです!!」
戸惑う軍人さんをしり目に少女は一気に説明を続けた。
「今の時代!まさに潜水艦が重要な戦略兵器として扱われている現代だからこそ!この潜水艦を迎撃するシステムが重要度を増しています。177型ソナーを使って探知ができるようになった今!それを迎撃できる兵器の開発が待ち望まれていました。そしてそれがこのMATCHシステムなのです。探知できた潜水艦を、有人のヘリコプターで追尾!そして誘導ミサイルを使って、確実に潜水艦を迎撃します!軍人さんは陸軍かもしれませんが、海軍の方をご紹介いただければ、すぐにでもご相談に伺います!数量によっては勉強させていただきますので、ぜひまずお見積りから!!」
少女は思いのたけを一気に吐き出した。
そんなことを言われても…
そう思ったのは、軍人さんだけではないはずだ。
軍人さんはすっと立ち上がると、近くにいた仲間であろう別の軍人さんに声をかけた。声をかけられた軍人さんは小走りにどこかにかけていった。
「お嬢ちゃん、それをお嬢ちゃんは持ってるの?」
軍人さんは再び少女の目線に腰を落とすと、優しく声をかけた。
「えぇ!もちろん!じゃなきゃ売れないわ!」
少女は自信を持って答えた。売る商品がないのに売るわけないじゃない。少女は馬鹿にしたような言い方で答えていた。ここでも少女の経験不足が露呈してしまった。
「どこで手に入れたのかな?」
軍人さんは変わらず優しく質問を投げかけた。口ぶりと声色は優し気だったが、そこには確実に情報を引き出そうという意志が感じ取れた。少女がそれを感じ取れなかったのは、大きなミスであった。
「どこって、イギリスに決まってるじゃない?DASHじゃないのよ?おじさん、本当に軍人さん?」
小馬鹿にしたような声と『おじさん」という言葉。
軍人さんはすでに笑顔で隠そうという気持ちは微塵もなかった。
彼は不愉快であることをあらわにしていた。
さすがにここまでくると、鈍感な少女でも『まずいことを口走った』と気がつく。少女は自分の言った言葉を引っ込めようと、言葉を上塗りしようと頭を回転させた。その時、一人のスーツ姿の男性が二人に近づいてきた。軍服ではないが、物腰は緊張感を持っていた。明らかに何かしらの『ミッション』に基づいて動く仕事に従事していることを感じさせた。スーツの男は、軍人さんに近づくと小声で伝えた。
「公安です。」
軍人さんは一つ頷くと、焦って何かを答えようとする少女を無視して、スーツの男にぽつりと伝えた。
「イギリスのスパイだ。連れていってくれ。」
そういうとスーツの男は、少女の左腕を掴んだ。
少女はつかまれた手から逃れようとしたが、大人の力から逃れられるだけの膂力を少女が持っているはずはなかった。『ちょ、ちょっと!』と叫ぶ少女に、スーツの男は優しくも冷たい笑顔を向けた。
「さぁ、お嬢ちゃん、こちらへどうぞ。」
まるで淑女をエスコートするかのように、スーツの男は少女を引きづった。駄々をこねるマナーの悪い少女と、それを諫める執事のようにも見えた。もちろん少女の姿はみすぼらしいままだったのだが。
そのままスーツの男が少女を連れていくと、軍人さんはふぅと一息つくと、歩き去っていった。
「お願い!マッチを!MATCHを買ってください!」
大通りには、少女の叫び声だけが響いた。
しかし少女の叫びに振り向く往来の人は一人もいなかった。
少女の悲し気な訴えは、深々と降り積もる雪にかき消された。
その後、少女の姿を見かけたものは一人もいなかったという。