悪人絶許マッシーン
「コーヒーを二杯頼む」
私がそう言うとウェイターは仏頂面で奥へと下がって行く。
今座ってる席は窓から適度に離れているにも関わらず、汗が滲んでくる。
店の外では地獄が具現化した様な暑さが、誰か倒れたのであろうか、鬱陶しい救急車のサイレンと共に顔を覗かせていた。
「それで?私は何故此処に呼ばれたのか教えてくれないか?」
私は蒸し暑さと、朝早くに呼び出された事への苛立ちを含みながら問い掛けた。
「まあ、落ち着きなよ。折角久方ぶりの親友との再会なんだ。もう少し世間話を楽しもうじゃないか」
そんな私の悪意を飄々と受け流すと彼は、やれ此処のコーヒーは美味しいやら、一人で来るとサービスが貰えるやらと莫迦莫迦しい話を楽しげに話し始める。
「生憎だが君と違って私の休日は安くはないんだ。此方としては早急に本題に入って貰えると助かるのだがね」
勿論私としても旧来の友人との再会に思うところもあるが、折角の休日をこんな話で潰したくないと言う気持ちもまた大きいのである。
「わかった、わかった。君は昔からせっかちすぎるのが傷だよね」
「そう言う君は余りにものんびりがすぎるよ」
私が皮肉をたっぷりと込めてそう言うと、流石の彼もふざけ過ぎたと気付いたのか真剣な表情になって口を開く。
「実はつい最近、僕が長年に渡って開発していた物が遂に出来上がったんだ」
私は何を言っているのだと疑問に思った。
彼とは長年友人をしているが何かを作っていると言う話にとんと覚えが無かったからだ。
「お待たせしました」
私がその疑問を言葉にしようとしたその時、タイミングよく先程のウェイターが近づいてきた。
カタン、カタン
ウェイターは二杯のコーヒーを音を立てて机に置くと、仏頂面のままさっさと奥へ帰っていってしまった。
「何だあの態度は」
私はウェイターの態度に苛立ちながらも机に置いてあるコーヒーを口につける。
悔しいが彼の言う通り確かにコーヒー美味い。
しかしウェイターが変わらない限りは二度と来ない事は確かである。
「先程の話だが」
「話?」
私はコーヒーを飲んでいると、ふと先程の彼の言葉に対して思い当たる節があるのに気づいた。
「君が言っているのは私達がまだ学生の頃に話していた正義のマシーンの話かい?」
それは私達が勉学に勤しんでいた頃の話だ。
ある夏の日、この国で大規模な立てこもり事件が起きたのだ。
結果として犯人は捕まったが、多くの人間が戻ってくる事はなかった。
当時の私達はまだ青臭かった。
この事件を見た私達は、世界中の悪を殺せるような機械を作ろうと約束したのだ。
「覚えていたのか!?まさにそれだよ、そのマシーンが遂に出来たのさ!」
余程嬉しいのだろう。
彼は先程よりも更にいい笑顔で笑っていた。
勿論だが私はそんな夢物語を信じる人間ではない。
「あぁ、何だ、何か困っているのなら相談してくれ。なんなら良い病院を知っている」
私は彼が猛暑によって遂に壊れてしまったのかと心配になった。
すると彼は先程とは打って変わって焦りを顔全体に見せて、
「違う、違うんだ!本当に世界をより良くする正義のマシーンが生まれたんだよ」
と叫んだ。
私は何を莫迦なことをと不満を顔に出すが、彼はそんな私の感情なんてお構い無しに話し始める。
「きっと君もこの話を聞けば信じてくれるだろう。何、難しい話じゃないさ。あぁ、宗教の勧誘などでもない、信じてくれ。僕も最初は信じられなかったが、この世の悪人と呼ばれる人種には負のオーラを発している事を発見したんだ。そこで僕は考えた。この負のオーラを強く発している人間が全員消える事で世界は平和になるじゃないかとね」
私には彼の言っている事は理解出来なかった。
きっと何処かの大統領が同じ事を言ったとしても莫迦莫迦しいと一掃しただろう。
エイプリルフールには早すぎる。
しかし嘘か真かはどうであれ、先程の話よりかは何倍もマシであるのは確かだ。
私は心の何処かに有る好奇心に身を任せる事にした。
「その話が本当だとしてだ、どこまでを悪人と見るかの基準をどう判断するんだい。人間誰にだって人には言えないような悪い事をしているだろう。余りに低い基準で殺されていたら人類は滅亡してしまうよ」
其れは誰もが考えるであろう疑問だ。
事実、私も妻や息子に言えないような秘密は有るのだから。
「あぁ僕もそう思っていたんだ。そこでだ、このマシーンが動くのを一日一回だけという制限を付けてみた。一日一回最もオーラの強い人間を殺す。何、世界で一日に生まれる人間は二十万人以上なんだ。一日に一人消えても問題ない。それに負のオーラは万引きや死人のいない交通事故程度じゃ強くならない。最も強くなる原因は殺人、それも意図的に多くの人を殺す虐殺者さ」
成る程と思った。
確かに其れならばマフィアや独裁者などの恐ろしい人間だけを殺すことが出来るだろう。
私達のような善良な一般市民が何の恐怖にも怯えずに過ごしている間に、大罪人は人知れず消えてゆく。
「素晴らしいマシーンだ、早く世界へと教える方が良いだろう。この技術が有るだけで犯罪の抑止となり得るのだから」
私がそう提案すると、彼は表情を曇らせた。
「確かにこの技術を世界に広めたほうがいいだろう。僕も最初はそう考えていた。だが考えて欲しい。世界は負のオーラで溢れた犯罪者どもが溢れている。その中には国の実権を握っている様な奴もいるんだ。発表したところで誰にも理解されずに、この装置で不利を被る奴等に消されるだけさ」
そして彼はこう続けた。
「この発明は失われるには余りにも惜しい物なんだ。だからこそ僕はマシーンを世に出さ事はないだろう。そして例え僕が死んだとしても整備要らずで動き続けるように作ったんだ」
私は自分が恥ずかしくなった。
卒業後、私はただお金を集める事に邁進し他の事などに目も暮れなかった。
その間にも彼は冷静に、そして強い覚悟でもってマシーンを開発していたのだ。
「よし、此処の支払は私にさせてくれないか?」
気づけば私はそう口にしていた。
「良いのかい?君は折角の休日を潰されたと文句を言っていたじゃないか」
最早私の心はこの機械を夢幻などと疑ってはいなかった。
「いやいや、こんな面白い話を聞けると知っていたらそんな事言ってないさ。代わりと言っては何だが一ヶ月後にまた此処に集まって話をしたい」
「良いのかい?」
彼は豆鉄砲を撃たれたような様子で言った。
「何、此処のサービスが気に入ったんだ」
そう言うと今度は困ったように、
「わかったよ、ただ次集まった時は僕が払うよ」
そう言って笑った。
「コーヒーを二杯頼む」
そう言うとウェイターは仏頂面で奥へと下がっていった。
店の外では未だに居座る残暑が、忌々しい音を連れて此方をみている。
「世界は少しずつ変わっているな」
私は世界の変化について早速口を開いた。
私達が集まってから一ヶ月、ニュースでは極悪人の謎の連続死についてひっきりなしに語っていた。
やれマフィアのボスが死んだだの、テロリストのリーダーが現れないだの、どのチャンネルでも大騒ぎである。
「例の国では大金持ちの一人が死んだらしい」
ただやはりと言うべきか良いことばかりとは言えず、権力が一人に集まっていた犯罪者集団がバラバラになったことで、どの国でも対処に追われ暫く混乱が収まる事はないだろう。
「我が国での混乱が少ないのは、良かったと喜ぶべきか、情けないと嘆くべきか」
無論喜ぶべきなのだろうが、しかして心の奥にある残念な気持ちを塞ぐ事は叶わなかったようだ。
「お待たせしました」
私がそんな他愛も無い事を喋っていると先程のウェイターが近づいてきた。
カタン、カタン、カタン
ウェイターはお盆から音を立てて机の上に置く。
机にあるのは二杯のコーヒーと身に覚えのないケーキが一つ。
「私はコーヒーしか頼んでないが?」
私が当たり前の疑問を口にすると、
「サービスです」
そう言ってあの仏頂面でさっさと奥へ帰っていった。
「君の言った通りサービスがいいようだな」
私は前とは違い笑いながら清々しい気持ちでコーヒーに口をつけた。
コーヒーは前と同じで美味しい。
サービスのケーキも中々に上出来である。
「なあ、一つ聞きたいんだが」
ここで私はふと思いついた事を口に出した。
「もしかして君は私に止めて欲しかったのかい?」
私は一ヶ月前、あの会話を終えてから今の今まで疑問に思っていたことが一つあった。
「私が此処に集まって話したいと言った時、君は困った顔をしていた。君はあの時、こんな話莫迦莫迦しいと止めてくれるであろう私が、君の背中を躊躇なく押した事に困惑していたのでは無いか?」
そんな疑問を口に出してみた。
結局、わかっていた事だが彼からの反応は無かった。
私は仕方がないと別の事を語り始めた。
「おや?」
どうやら思ったよりも長居していたらしい。
目の前のカップにはもはやコーヒーと呼ばれるものは無く、サービスで貰ったケーキも全て腹の中にあるらしい。
「何故君がのんびりなのかわかった気がするよ。あんな莫迦莫迦しい話でもこんなにも楽しいとはね」
話の内容は本当に大した事はない。
大量破壊兵器を作った人間や、戦争を起こした独裁者などの歴史上の人物は果たしてどれほどのオーラを纏っていたかである。
死んだ人間の話をしたって意味がない。
やはり莫迦莫迦しい話だ。
「済まないが会計を頼む」
私はウェイターを呼ぶとコーヒーと、ついでにケーキの分を払う。
「ケーキは無料ですが?」
彼はいつもの仏頂面を崩し、驚いた様子で言った。
「何、サービスだよ」
そう答えると彼は少し悩んだ後、いつもの仏頂面でレジにお金をしまい、奥へと戻っていった。
「そういえば」
此処で私は大事な事を一つ聞き忘れていた事に気づいた。
「果たして、殺戮兵器を作る人間の背中を押した者には、どれほどの負のオーラが有るのだろうね?」
その手で誰かを殺したわけではない。
ただ耳元で囁いただけだ。
それでも、
きっと彼は分かっていた。
どれだけの人が死ぬのか。
きっと彼には分かっていた。
どれだけ世界が混乱するのか。
きっと彼には分かりきっていた。
作ってしまった人間がどれほどの罪の意識に陥るのか。
「余りにも莫迦莫迦しい話だ」
これを聞いたって意味がないだろう。
どうせすぐに分かるのだから。
「次こそ君が払ってくれよ?」
私はドアを開けて足を進める。
店の外では目前に迫った悪魔があの禍々しい声で笑っていた。