第捌章 第四幕 8P
ルーは、逸る気持ちを抑え、瞬きをすることも惜しむかのように目を見開き、じっとその時を待ち続ける。ルーも本当に何もなく、このままで作戦に支障が出れば、物音を立てて相手の気を引き、後ろから一人ずつ強襲するつもりではある。だが、これは最終手段だ。出来れば、やりたくないと言うのが、ルーの本音。
戦闘は、正直に言ってルーは、専門外の話だ。
この時間がルーにとって今日一日の中で一番長い時間であった。
「つっ―――― 来たっ!」
その時が来た。遂に見張りが動いたのだ。片割れがゆっくりと持ち場を離れて行く。定時の連絡か、指示をオ仰ぎに行ったのかは分からないが、今までの経過を鑑みて気が緩んだと考えられる。
このチャンスを逃せば、次はないだろう。離れて行く盗賊の後ろ姿が見えなくなるまで見送ったルーは、建物の裏手へ回ってから一気に距離を詰める。足音を殺し、アジトの壁際まで来ると慎重に見張りのいる側面に顔を出す。丁度、立て懸けてあった廃材などで相手側が注視しなければ、此方に気付くことはない。ただ、廃材は、人一人が隠れるほどの大きさではない。気付かれないよう、忍び足で一気に近づいて仕留めなければ無理のようだ。生憎、壁の正面に体を向けている為、そう簡単には行かないようだ。
「あれ? でも仮面を付けて頭巾を被っているってことは…………ちょっと試してみようか」
意外にも対応策は簡単な話だった。彼ら、名もなき盗賊団のトレードマークである仮面と外套は、如何せん死角を作り易い。顔と体格を隠し、個人の特定を出来ないよう、恐怖心を煽ること、武器を隠すことなど多くのメリットがあるけれども逆にデメリットも存在する。
その内の一つが格好の所為で出来る死角だ。
今までは、必ず誰かとペアになって行動をすることが多かったから良かったけれどもそれが今は一人になって極端にカバー出来る面が減った。ましてや、慣れない土地での滞在と任務から来る疲労も無視出来ない筈だ。音さえ立てなければ、近づくことは可能かもしれない。
やってみなければ、分からない。ルーは、壁伝いに近づく。同時に右手でナイフを自然に鞘から抜いた。手のひらほどの刃渡り太陽の光を移す鏡のような刃を外套の下に隠す。
呼吸を止めて目を離さず、敵を見つめ続ける。
慎重に。
気付かれないようにと祈りながら。
ルーが長槍一本分の距離まで近づいた所で見張りが動きに気付いたのか、不意に此方側へ体を向け始める。いち早く、ルーは、三歩で距離を詰めると驚いた様子の見張りの首元へナイフを差し出す。風を斬り、喉元へ一直線に向かったナイフの刃は、盗賊に声を出させることなく、刺さった。
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ!」
剣を抜こうと腰に手を差し込んだまま、小さな呻き声だけを残して事切れた。倒れる音もさせたくないルーは、血まみれになりながらも死体をすんでの所で支える。そしてまわりを素早く見渡して耳を澄ませた。さきと何も変わらない静けさだけがある。どうやら、何事もなく、きちんと任務の続行が出来るようだ。これからすべきことは、もう一人を始末し、梯子を掛けて軒に登り、人質を誘導し、避難させる。
ナイフを拭って鞘に戻すと、死体を壁に立てかけながらこれからの段取りを頭の中で復唱。顔の前で真っ赤に染まった手をぎゅっと握り締めた。錆びた鉄臭さが鼻を突く。
「うっ!」
同時に何とも言えない吐き気と体へ震えが来る。寒さからの震えだと誤魔化し、梯子を取りに戻り、立て掛けた。立て掛けたまでは良かったが、終わった途端、足の力が抜けて壁に寄りかかりながら崩れるようにしゃがみ込むルー。
「ははっ……何で足の力が抜けるんだろ? 分かんないや――――」
頭巾の影に隠れた顔は見えない。声は情けなく、か細い。覚悟はしていてもやはり、予想以上に生々しかった。思った以上に精神的なダメージが大きい。
肉に刺さる感触が今も手に残っている。ランディは、いとも簡単に何人も斬り伏せていた。迷うことなく、剣を握り続けている。あれくらいになるには、どれだけの修羅場を潜り抜けて来たか。想像もつかない。作戦前の妙なテンションは心を奮い立たせる代償行為の一つだとは分かっていた。今更になってやっておけば、とルーは後悔を持ち始めている。
それ以上に罪悪感に苛まれて現状から逃げ出したかった。
しかし。
「だけど、辛いのは皆。同じだからね……僕だけが逃げ出す訳には行かないんだ」
服や手を始めとした至る所に付いた血をそのままにすくっと立ち上がるルー。
「町の笑顔を見る権利と守る義務――――」
ランディに向けて言った自分の言葉。この言葉が原動力なのだ。この言葉から始まったのだ。最後もこの言葉で終わらせねばなるまい。歯を食い縛り、前を見据える。
まだ、人質の所には行けない。もう一人を片づける必要がある。
今度は出会いがしらの不意打ちを狙う。ルーはもう一人を正面から回って来た所をナイフで仕留めるつもりだ。一人殺せば、もう二人も三人も変わらない。例え、地獄に落ちようとも今目の前にあるものを守れなければ、同じ事。ならばその業、甘んじて受けるべきだ。
足を前に出し、もう一度心に火を灯す。少なくともこの戦いが終わるまでは。
終わるまでは、燃え続けるのだ。その後に燃え尽きようとも。
覚悟を改めて決めたルーが目指すは、穏やかな日常を取り戻すこと。
アジトの隅まで行き、待ち構える。今度もナイフだ。また暫く時間が経った後、足音が聞こえた。足音は一つ。話声はしない。目に力強い光を持ったルーは、もう一度チャンスを待ち続ける。もう後一歩と言う所まで来たのだ。最後まで喰いつく。
段々と近づく足音でタイミングを計る。出て来た瞬間が狙い目だ。
次の瞬間、茶色が見えた。
迷わず、ナイフでまた刺殺を狙う。出て来た仮面の下に向かって。
ナイフは素肌の部分でない限り、刺す方が効果的だ。狙いは、上手く行った。
真っ赤な血を流しながら事切れる盗賊。『Chanter』には似合わない光景を見るのは耐え難いものだ。覚悟を決めても何をしても。そう考えたのはノアも同じだった。
ルーは、無言のまま死体を引き摺り、さっき殺したもう一人の所まで運び、隣に凭れ掛けさせる。そして梯子を登り、人質の集められていると思われる部屋の窓まで屋根の上を歩く。
茶褐色の枯れた苔が生えて滑る。所々、瓦も欠けている屋根は足場が悪かった。
それでも歩けないことはない。ルーはゆっくりと足場を確かめながら目的地を目指す。
やっとこさ、着いた窓辺には陽光が反射していた。壁にぴたりと張り付いて中の様子を見るルー。中の様子は目視出来ないが、目立ったことは何もない。出来るならば、戦闘はもう避けたい。此処でやらかせば、人質に死傷者が出る。それはなるべく避けたい。
そーっと、顔を窓から覗かせると確かに見覚えのある顔ぶれがいた。幸い、盗賊団の見張りはいない。よしっと小さく手を握り、ルーは窓の前に向かう。中でどうやらルーに気付いた者がいたようで少し色めきだったが、直ぐに何もなかったかのように平静を取り戻した人質たち。
頭巾を取り、素顔を出し、右手人差し指を立てて静かにするようにと合図を出しながらルーが音をたてないようにゆっくりと窓を開ける。静々と人質たちは、窓辺へ集まって来た。ルーは、声を出さずに手振り身振りだけで人質を誘導し、一人ずつ窓の外へ連れ出して行く。人質は、全部で六人。後二人が見当たらないけれども今はこの六人を逃がすのが先だ。




